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第21話 ああ、そっか、異世界に来たんだっけ

 翌日、7時のアラームで神羅 試神は目を覚ました。

 一瞬見慣れない天井に驚いたものの、寝具がいつもと違うことに気が付くとすぐに気持ちの切り替えが完了する。


 ――ああ、そっか、異世界に来たんだっけ。


 溜息混じりにそんなことを思って。

 それだけで、いつも通りの平常心に戻っていた。

 さすがに慣れたものである。

(……まあ、こんなの慣れたくはないけど)

 異世界にくるなんて経験は生涯一度あれば多い方だ。一度でもあれば、それは多すぎるというものなのに。


「向こうも……今は朝なのかな」

 なんとなく気が重い。試神の両親の、心配そうな顔が浮かんで離れない。

 気にしていないなんてことはないはずだ。

 母親は泣いているだろう。

 父親は泣いてこそいないが、おろおろしながら母親の肩を抱いているに違いない。

 目を閉じすると、その光景がありありと浮かんでくる。

 だが。

「それでも……無断で友達の家に一泊した程度にしか罪悪感がないのは、人としてどうなんだろ」

 まだこれが現実とわかっていないのか。

 それとも、現実とわかっているがゆえに、諦めてしまっているのか。

 どれだけ心配かけようが、その顔をみることは無いのだろうと思っているからだろうか。


 顔を洗いに洗面台に向かい、鏡を見る。いつも通り、試神の顔がそこにはあった。少し寝癖がついているので軽く直し、冷水で眠気を飛ばす。

 紙袋の中から惣菜パンを二つとり、テーブルの上に並べる。飲み物はなかったのでそのまま食べ、歯を磨く。

 パジャマを脱いだところで。

「そうだ、今日、どんな服で行けばいいんだろ」


 タタンから支給されたものを確認するが、下着はあってもワイシャツはない。無地のTシャツはあったが全体的に生地が薄く、部屋着にするのは十分でもこれを着て外には行き辛い代物だった。なにか羽織るものがあればいけなくはないが、残念ながらそんなものはない。


 18の高卒が社会人一日目に、ラフな恰好で来てもいいと真に受けたため場違いな恰好で来てきてしまった、という感じならいけなくもないが。

「…………」

 試神はだいぶ悩み、昨日着たワイシャツをもう一回着ることにした。


 昨日走ったり慌てたりとしていたので多少汗はかいた記憶があったが、匂いはなかった。目立った汚れもなく、少し皴が気になったぐらいだ。だが、通学しているときも毎日アイロンをかけていたわけではないので、個人的にはまったく気にならない。それに、Tシャツよりは全然ましだろう。


「洗濯だけどうするか訊かないといけないよな」

 昨日脱いだ下着や使ったタオルが洗面所の隅に積まれている。洗おうにも、部屋の中に洗濯機がないのだ。買って来ようにも、部屋の中に洗濯機を置く場所がない。そもそも設置することを想定してないみたいだった。

 洗濯機だけではない。部屋の中には冷蔵庫や掃除機と言った家電がほとんどない。エアコンと湯沸かし、電子レンジはあるのを見たがほかになにかあっただろうか。


「うーん、これは早いとこ新しい場所を見つける必要があるかもしれないなあ」


 Φ 


 8時半。少し早いが、どうにもソワソワして落ち着かないので移動を開始する。

 事務所まで5分もかからないが、部屋にいてもすることがないし、早めに行く分なら印象もいいだろう。

 もし誰も来ておらず鍵がかかったままだったら部屋に戻ろう、そう思いながらエレベーターに乗り1階にあがると、すでに事務所に電気が付いていた。


「タタン、もういるのか?」

 事務所を覗くと、奥にタタンの姿があった。昨日と同じ服装でデスクの前に立っている。

 そしてタタンの隣に。

「あ、ちょうどよかった、あの方が試神さんです」

 別の影が二つ、あった。

 タタンと一緒にいた二人が振り向く。


 一人は女性だった。長い茶髪を後ろでひとまとめにした――いわゆるポニーテールの女性だった。歳は20代半ばぐらいだろう。タタンと試神より背が高く、深緑のオーバーオールを上半身を脱いだ形で着こなしている。上半身は紅のタンクトップで、腕や背中からはしっかり筋肉が見えていた。けれど、女性らしい体つきはしっかり残し、モデルのよう無駄のない体躯をしている。

 もう一人は男性で、こちらは上下スーツを着ていた。ワイシャツのタタンや試神と違い、ちゃんとネクタイを締め、ジャケットを羽織っている。歳はやはり20代半ばぐらいで、短くつんつんとした金髪はどことなく体育会系を思わせた。

「試神さん、紹介します。女性の方がロロロさん。試神さんと同じ場所で働く先輩になるかもしれない方です。そしてこちらが」


千差せんさ 苦同くどうっす、よろしく」

 タタンが紹介する前に苦同が握手を求めてきた。すっきりとした嫌味のない笑顔だ。求められるがままに握手をする。


「新しい人が入ってきたってきいて、飛んできたっすよ。先輩から魔王室で働ける稀有な人材って聞いてるんで、期待してるっす」

 愛想笑いを返そうとして、気が付いた。

 ……さっき、先輩って言ったか?


「あれ? ということは、タタンより年下なんですか?」

 違いますよ、と否定したのはタタンだった。

「千差さんのほうが年上ですし、私と彼とで学校も違います」

「じゃあ……」

「単なる愛称っす」


 まぶしいくらいの笑顔で苦同が言った。「それに、俺っちより先に働いてたんで、そういう意味での先輩ってことでもあるんす」

「ああ、なるほど」

「ちなみに、千差さんはここで働いてるわけではありまさん。あまりここには来れないかもしれませんので、よく覚えておいてください」


「そうなんですか?」

「俺っちは営業で、本社は別にあるんすよ。で、ここが俺っちの担当ってわけっす。こっちには先輩に呼ばれたときとか、基本必要なときしかこないんす。今日は寄る予定はなかったんすけど、昨日の夜に先輩から『雇用契約書』が送られてきたんで、びっくりして慌てて寄ったんす」

 はあ、と曖昧な返事をして、こちらがまだ名乗ってないことに気が付いた。


「あ……えっと、初めまして。神羅 試神です。昨日、召喚されてきました。今日が……初出勤です」と二人に向かって頭を下げる。


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