第135話 ということで帰りましょう
ユミズが戻ってきたのは、それから間もなくのことだった。
すぐそこで話していたような気もしていたが、遠くから駆けるように戻ってきたのでどうやらいつの間にか通話しながら離れていったらしい。
会社からの電話ということで聞かれたくなかったのかもしれないし、ひょっとしたら試神たちの話し声がうるさくて離れたのかもしれない。最初は小声だったのだが、途中からはそんなこと関係なしに話してしまったからだ。墓蒔に至っては怒鳴ってしまっている。そんなもの反響する洞窟内でされたらたまったもんじゃない。離れたくもなるだろう。
ぼんやりとした灯りの中、ユミズの姿がはっきりしてくる。笑顔で迎えようとした試神だったが、少し表情が強張ってしまった。
近づいてくるユミズが、少し難しい顔をしていたからだ。一瞬おや、と思ったが、すぐに頬を吊り上げ、「電話、終わりましたか?」と平常心を装い訊く。
偽名。
その単語が頭をちらつく。
ひょっとしたら電話をしていたユミズの耳にも届いてしまったのではないか。
そう思ってしまった。
「ええ、どうも失礼いたしました」
険しい顔を一転、柔和にはにかんだあと、ユミズがちらっと墓蒔を見た。
目線に気が付いた墓蒔が反応を示すも、それに気が付いていないのか、試神に向き直る。
「それと、申し訳ありません」
「え?」
「先ほどの電話の内容なのですが、会社のほうでちょっとしたトラブル……というか急用ができまして、戻ってこれないかの相談だったんですよ」
「ああ……なるほど」
試神が頷く。それで難しい顔をしていたのか、と。
そして、墓蒔も同時に納得した。
それでさっき自分を見たのかと。
「じゃあ、今すぐ戻りますか?」
試神が来た道を指さす。ちょうどその先には墓蒔がいて、彼を指す形になった。
一度外した視線が重なる。
墓蒔と目線が合い。
そのときユミズの目の中にあった感情は――
不本意、だった。
おや? と思う。
どうしてそんな感情がいまさら浮かぶのか、と思う。
もともと乗り気じゃなかったダンジョン探索。
確かに上司の指示一度は一緒に行くよう指示を受けたが、会社からの連絡を受け戻れることになった。それはユミズにとって朗報であるはずなのに。
流石に試神の手前、帰ることに対して喜ぶわけにはいかないという演技なのかと思ったが、どうやらそうじゃないらしい。
魔法を使っているわけではないので心中まではわからない。
しかし、今のがもし演技だとしたらその先嘘をつかれても絶対に見破れないだろう。
『ラストワン』という名前のもと、それなりに悪意に触れ、浸かってきた墓蒔だ。
そのあたりの勘は鋭く、自信がある。
「大丈夫ですよ、無理言ってるのは俺たちですし、付き添ってくれているのだってユミズさんの善意からでしょう。あとは俺と墓蒔二人だけでも大丈夫です、仕事の方を優先してください」
「…………」
ユミズの目線が試神に行き、それからもう一度墓蒔に向く。
はっきりと読み取れた感情は、やっぱり『無念』だった。
「いえ……ですが一度引き受けた以上、このまま放り投げるもの……」
と言って、口元に手を当てる。
どうやらユミズの性格上、一度引き受けたものを途中で中断するのは心苦しいらしい。
(……にゃるほどね)
笑いたくなるのと同時に呆れてしまう。そんなものどうでもいいじゃないか、とさえ思ってしまう。
しかもそれが「大丈夫ですから」と帰宅を促すための演技ではなく、本心なのだから、あきれてものがいえない。むしろ感心してしまうほどだ。
(人がいいねえ。馬鹿みたいに)
墓蒔を見たのも、「いいタイミングで帰ることに対する罪悪感」からではなく、「嘘のようなホントのことが起きたという戸惑い」からなのだろう。
確かに、一度は帰ろうとした身だ。突然電話がかかってきて、今度は帰って来いと言われたなど都合がよすぎる。電話の内容が確認できない以上、作り話だと疑われてもおかしくないことだ。
「心配いらないですって、ユミズさん。途中で抜けたなんて思いませんし、俺と違って忙しい身だってことはわかっています。」
まあ、だからと言って。
「けどよお、ユミズくんちゃんさん。お前は最初、ちゃんと上司なり会社なりに確認をとった上でダンジョンにきてるんだよなあ? しかも個人的な理由じゃなくお客様の対応中だ。急に戻ってこいなんて言われても難しいことぐらいわかってるはずだし、トラブルだかなんだか知らないが、当然こっちが優先に決まってるよな」
帰す気はさらさらないが。
「おい、墓蒔」
「いえ……『ラストワン』の言う通りです」とユミズが腕を組む。「一応上司にもそれを伝えて、すぐには帰れないことを言いました」
が……
消えていく言葉があったあたり、 迷っているのは本当なのだろう。
パンッ、っと一回、試神が手を叩いた。
「魔法の練習でしたら、『かんく』、光りの魔法を使えたことですし、大丈夫です。それにもうひとつ」
――ゆーやや。
試神が唱えながらページを破くと、ページの端に炎が灯った。
ユミズの顔に驚きの表情が入る。
「これも使えるようになりましたし、成果としては上々……というより万々歳でしょう」
自信満々にページを振ってユミズに見せつけるが、そのときにはすでに炎は消えてしまっていた。まだ少し熱が残るそれを、ユミズが受け取る。
「なので今日の探索はここでお終い。ということで帰りましょう。墓蒔も、それでいいよな」
「……へいへい、それならそれでいいよ」
墓蒔が頭の後ろで腕を組む。一応ユミズを引き留めたものの、試神が帰ると決めたのであるならば話しは変わってくる。二人が帰るのならば、墓蒔もここにいる理由はない。
「よし、じゃあ戻りましょうか」
と、試神が墓蒔を追い抜かして、来た道を戻ろうと進みだしたとき。
ソイツはそこにいた。




