第134話 お前とは育ってきた星が違うんだ
ぺらりと一枚、白紙のページを捲り、まるでそこに書いてあるものを思い出して読むかのようにじっくりと、試神が眺める。
「転生は中身だけ本人で、あとは他人のものだ。全く知らない全く関係ない全く関わりない全く責任のない、赤の他人のものだ。お前の言い方を借りれば、体もルーツも自分のものじゃない。だから、名前以上に簡単に捨てられる。これまでの自分をリセットして新たな人生を歩むにはぴったりじゃんか」
捨てることしかできない名前と。
変えることしかできない身体。
それが両方いっぺんに換わるのだから、これ以上楽なことはない。
墓蒔は『異球で名前を捨てるのは案外簡単』と言っていたが、それがどの程度の苦労を伴うか試神にはわからない。
だが、いくらなんでも思い立ってすぐ実行できるほどには簡単ではないのだろう。
地球と同じように。
名前も体も、変えるのは並々ならぬ苦労が要る。
その苦労を知っているからこそ、だからこそ、転生というものにあこがれるのだろう。
「転生したところで、中身が一緒なら結局同じなのにな」
人はそう簡単に変われない。
コップの水をコーラのラベルがついたペットボトルに移したところで、それは水なのだ。
コーラのようにふるまうことはできても、コーラと名乗ることはできても。
役を演じるだけであって、中身は結局のところなにも変わっていない。
「名前を捨てれば別の自分になれると思ってる。姿が変われば心も変わると思ってる。……そんなわけないのに。自分はどこまでいっても自分で、見た目や呼び方をとかそんなもの変えた程度で、変わるものなんてなにひとつないのに」
微笑を携えたままページの開いたところの真ん中、のどの部分を指でなぞり、そのままぱたんと『ハクアイ』を閉じた。
「ま、だから俺は召喚を選んだんだけどな」
名前も体も、地球にあるものをそのまま持ってきた。
変えたくはなかった。
あの日、タタンに宣言したように。
俺は、神羅 試神だから。
それ以外、名前は持たない。
「墓蒔はそういう考えにいたったことはないのか?」
「ないね」
きっぱりと、言った。
「後悔はあるが、それで俺様を捨てようとは思ったことはない。俺様は俺様だ。どんな道を歩くか決めてきたのは俺様だし、その結果に責任を持つのも俺様だ」
「その考えも、俺にはよくわかるよ」
はん、と墓蒔が笑う。
「ユミズの考えもわかるし俺様の考えもわかる。名前を捨てたいやつの気持ちも、体を捨てたい奴の気持ちも、そして両方捨てたくないやつの気持ちもわかる。転生者の考えも召喚者の考えもわかる。すっげえ器用な奴だねえ、お前」
「お前とは育ってきた星が違うんだ。多少、人の出来が変わってるのが当然だろ」
異球と地球じゃ、そこまで変わらんだろ。墓蒔がそう言ったが、試神は目を閉じて首を傾けるだけだった。
「名は体を、苗字はルーツを、か。……うーん、そうなると、初対面で名前しか言わない人をみたとき、苗字を訊いて良いか困るなあ。墓蒔の話しだと名前しか言わない人は偽名ってことだけど、その限りじゃないだろうし」
「名前を訊いてもなにも返さなきゃそれが答えなんだから、一番わかりやすいじゃんか」
それができないから困ってるんじゃないか。
「こっちは仕事なんだよ、友好な関係を築きたいのに最初から躓きたくはないだろうが」
みんながみんな、うまくはぐらかしてくれるとは限らない。中には嘘が苦手な人もいるだろうし、あからさまに態度を変える人もいるだろう。
そういうときの対応を、今の内から考えておく必要がある。
「俺だって、もう子どもじゃないんだからさ」
試神が今、『創造根底館』の名前の元、ユミズと会っているように。
将来、自分もどこかで交渉の真似事をすることになるかもしれない。
そのとき、名前だけの名刺をもらったとしたら……。
(……ああ、やだやだ)
これだから、知識を仕入れたくないのだ。
知ってしまったら、戻れなくなってしまう。
試神のポケットに入っているユミズの名刺。
これだって知らなかったらそのまま、ただの三文字の名前だったのに。
それが偽名だとわかった今、扱いに困る代物へと変貌してしまった。
きっとこれを見るたびに、今のような暗い感情になるのだろう。深い共感と、嫌悪を抱くことになるのだろう。
……脳を汚したくないというのに。
忘れようにも、簡単にはできないというのに。
納得し受け入れるのにも、それなりの時間が必要だというのに。
「というかよ、試神」
「……あん?」
「お前、今更苗字がどうこうとか訊くって、どんだけなにも考えずに暮らしてんだよ。創造根底館の中にも名前だけしかない奴がいんだろ。なんでそういうときにきかなかったんだ」
「最初に名乗られたのが『タタン』だったんだよ」
「だから?」
「ここはそういう名前……苗字もなくて名前だけを付けるとこなのかって思ったんだよ」
そのあとすぐに創造根底館の営業で苗字を持っている千差 苦同に会ったのだが、そのときは隣にロロロもいたし、うっかり訊くタイミングを逃してしまった。そしてそのままズルズルと訊けずにいる。
「会ってすぐならともかく、これだけ一緒にいて『今更だけど本名教えて』なんて言えるかよ。空気を悪くしても困るしさ。一度ネットとかで調べたら出てくるんじゃないかって思ったこともあったけど、俺そういうので調べるの好きじゃないし」
「調べやがれ、それくらい」
「『タタン』が偽名だとしたら、たとえ調べても本名はでてこなかったんだからいいじゃんか。訊く方が好きなんだよ。だからいろんなことタタンとかにガンガン訊いてんだけど、そろそろウザがられそうで怖いんだよな。その点、墓蒔だったら訊きやすいし」
「……ききやすい? それだけ気の置けない仲ってことか?」
んー? と試神が首を横に振る。
「だってほら、お前だったら別に嫌われてもまったく問題ないし」
「よしわかった、試神。今度一緒にダンジョン行こうぜ。次こそダンジョンの一番奥深くに置いてきてやるからよッ!!」




