第12話 漢字でいいのか?
「……もっと考えなくていいんですか? 促しておいてなんですが、早計すぎません?」
「十分考えたさ……っていいたいところだけど、俺はまだこの世界のこととか知らないし、ルールとか貨幣価値とかわかってないけど。でも、ここで働くのが一番だと思う」
「……その心は?」
「タタンが言ってただろ? あの部屋……まおうしつだっけ? そこで働ける才能があるんだったら、俺が召喚された理由は多分それだ」
タタンが召喚したわけじゃないけどな。
言いながら、視線が魔王室に向く。といっても、椅子に座ったままだと白の煙しか見えなかったが。
「就職先があって金銭面で心配はない。それに寝床も確保できた。さらに話し相手もいるんだから、十分だろ。確かに少しこの世界に興味はあるけど、今の環境を捨ててまで冒険に出たいかと言われればそうじゃない。もう少し地に足を落ち着かせてからでも十分だ」
「まあ、私としては嬉しい限りですが」
タタンは少し悩んだが、やがてまたキーボードを打ち始めた。隣のプリンターが音を立てて動き始め、三枚、紙を吐き出す。
「試験雇用契約書です。問題なく読めると思いますので、目を通しておいてください。わからない単語や用語があれば質問してください」
受け取るそれは、まだ少し暖かかった。
白の紙に黒のインク。
紙の質感。そして、文字の形。
全部見慣れて、見飽きたものだった。
「規則で申し訳ありませんが、試験雇用の名の通り、二、三週間ほどは仮雇用という形での採用とさせていただきます。その後、問題なければ本契約となります。ああ、これはあくまで人間性を見るためのものなので、一度や二度とミスしかたら不採用とはならないので安心してください。もちろん試験雇用中でもお給料は支払いますのでご心配なく。あくまでも、あなたの働きぶりを見るとともに、あなたもここの仕事内容についてもしっかり理解された上で契約したい、ということです」
タタンが説明がしているが、試神の耳にはあまり入っていなかった。契約書。それを見るのに意識の半分以上が持ってかれていた。
読めると言われた契約書は、本当に試神でも読むことができた。
ひらがなとカタカナ、それに漢字。一部アルファベットが使用されているが、みんな知っている単語だ。
地球のものと変わらない。
堅苦しく、高校生では馴染みのない単語も含まれているが、おおよその意味は把握できる。
「……ここに名前をかけばいいのか?」
「そうですね、問題なければサインを」
「漢字でいいのか?」
「もちろん」
漢字。
その単語が伝わることが不思議だ。なんとなくそれを察したのだろう、タタンが笑いながら、ボールペンを、差し出してきた。
「……ありがとう」
三枚の契約書のうち、サインが必要なのは二枚だった。残りの一枚は規則が書いてあり、サイン欄はない。
「聞いてもいいですか?」
タタンが言ったのは、二枚目のサインの途中だった。
「先ほどあなたは転生ではなく召喚を選んだといいましたが……どうして、あなたは召喚を選んだんですか?」
「……………………」
書く手が止まったのは一瞬だった。
「俺は、神羅 試神だから」
はっきりと、そう告げる。
神羅 試神
迷いなく書いたそれを、見せつけるようにタタンに渡す。
「俺はこの体を捨てるつもりはないし、神羅 試神の名前を渡すつもりもない。この名前に誇りをもってるし、捨てるなんてまっぴらごめんだ。だから転生なんて選択肢、最初からなかったんだよ。それにさ、転生ってほかの体に入ることだろ? それは……嫌じゃんか。俺だったら嫌だよ、見知らぬ誰かが俺の体に入るなんて。……そんなこと、もうしたくないんだ」
笑われるかと思ったが、タタンが微笑みことしているものの、笑いはしなかった。
理由を聞き、深く頷いた。
「納得したか?」
「ええ。十分すぎるほどの理由です」
タタンが契約書を受け取る。
「神羅さんでよろしいですか? それとも試神さん?」
「試神でいいよ。前は……地球じゃ、下の名前で呼ばれてた。名前が名前だけにあだ名なんてものはなかったから、そのまま呼び捨てでいい」
「じゃあ試神さんで。……すいません、呼び捨ては苦手なので、これで勘弁してください」
契約書をクリアファイルに入れ、デスクの引き出しにしまう。
ノートパソコンを閉じる流れで席をたつと、そのまま試神の前に立った。
右手を前に差し出す。
なにも言わないが、意図することはわかった。
ここは地球ではなくて異世界だが、ここまで似ているとは思わなかった。
言葉はないが。
そのアクションがなにを意味するかぐらい、想像がつく。
試神も席を立ち、同じく右手で、その手を掴んだ。
「改めて自己紹介を。私、ここの館長をしているタタンと申します」
「ああ……って、か……館長?」
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
「初めてきいた……です」
「今更敬語はいいですよ。ほかの従業員もほとんどため口です。ですので、私のことも特に気にせずタタンで結構です。呼びたければタタン館長でもなんでも構いませんが……まあ同い年ですし、堅苦しいのは無しにしましょう」
「そうは言われても、こっちだけため口ってのも……なあ」
「私のこの口調は癖というか職業病に近いものなのでお気になさらず。先ほどの来客対応などもそうですが、基本、丁寧語で接しますからね。人によって切り替えるなんてことしてるほうが大変なんですよ」
確かに、外部の人と接する機会が多いタタンだからこそ、丁寧語で対応することが多いのかもしれない。文化祭や行事のとき、中学生に対してもため口で行けなかった自分を思い出した。
だが、だとすればこちらも丁寧語で普通というか一般的な形だと思うのだが……。
「……………」
ちらっとタタンの顔を盗み見る。同い年というのもそうだが、自分より背が低く、また、高校生にしては童顔の彼を見ていると、どうしても敬語で接している姿が想像できない。
結局、向こうも望んでいるようだし、ということで自分の中で結論がついた。
「了解。じゃあ……このままで。にしても、そっか、館長なのか……」
「見えませんか?」
「見える見えないかの前に、同い年なのに……って感じが強いかな」
別に悪い意味じゃないけどな。慌てていう試神に。
まあ私のようなのは少し特殊ですけれど、とタタンが笑う。
「というか、役職でもなければそう簡単に雇うとか部屋を譲るなんて判断できませんよ」
それもそうか、とつぶやく。異世界とはいえ、同い年の人がこうして上司になるとは思ってもみなかった。
だが。
……郷に入っては郷に従え。
こんな状況、いまさら慌てることでもないと頭を切り替えるように軽く振る。
そして。
「こちらこそ、改めまして。神羅 試神です。これからよろしく、タタン」
どちらからでもなく握手をしている手に力が入る。
創造根底館に新しい従業員が、仮とはいえ、一人増えた瞬間だった。




