第11話 働くよ
どうやら、眠っていたらしい。
少し横になるつもりで目を閉じて一呼吸する程度と思っていたのに、気が付けば戻ってきてくださいと言われていた時間を少しすぎていた。
少し体温の高くなった体を起こし、伸びをする。寝たせいで体は少し重く感じるが、体力は少し戻った気がした。
そこは――使ってくださいと言われたゲストルームは、よくある安ホテルの一室のようだった。部屋はベッドルームしかないが、セミダブルのベッドは寝返りをうっても十分な広さがある。少し硬いのが気になったが、こればかりはどうしようもない。
タタンから借りていた置時計を手に取り、部屋を出る。そのままエレベーターで1階に戻ると、来た時と同様、物音がしない廊下が伸びていた。
耳をそばだてるも、話し声も足音もしない。
秒針が時を刻む音だけがしている。
(……もう終わったのか?)
静寂を壊さないように試神も足音を立てずに進み、事務所の前に立つ。少し待っても中から話し声も物音もしないので、そのまま覗き込んだ。
やけに静かだと思ったら、そこには誰もいなかった。
「ひょっとして……まだ見学してんのかな」
中で待っててもいいのだろうか、それとも鉢合わせる可能性があるのなら部屋に戻ろうか。そんなことを考えていると「これはグッドタイミング」と廊下側から声がした。
タタンが廊下の奥から小走り近寄ってくる。後ろについてくる影はなく、一人のようだった。
「時間ぴったりですね。こっちも、ちょうどさっき終わったところなんですよ」
「さっきって……見学が?」
「え? ……ああ、それはとっくに終わってまして、さきほどようやく片付けが終わったところなんです」
トイレで手を洗ってました、とタタンが手を振る。
「入ってください、コーヒーで休憩しましょう」
自分は十分休憩したとも言えず、タタンに続いて事務所の中に入る。
事務所に入ると、自分が出ていく前までは閉まっていたカーテンが開いているのに気が付いた。そしてその向こうには、雲のようなしろい靄が一面に揺蕩っている。
「……あの部屋って」
「ああ、ここから魔王室が見えるようになっているんですよ」
「どおりで既視感があると思った」
近寄ると部屋のだいぶ高い位置から展望できるようになっていることがわかった。床までだいぶ距離があり、自分が拾ったタタンに似せた人形もよく観察しなければわからないくらい小さい。改めてその部屋の大きさを知った。カーテンを開けても白の靄しか見えなかったのも、ガラス管が大きすぎてそれしかみえないからだった。
「あれ? これ、窓じゃない」
「スクリーンですよ」
声が近いと思ったら、すぐ隣にタタンがいた。いつ淹れたのか、手にはコーヒーを二つ持っている。
「カップは洗いましたので大丈夫ですよ」
受け取ると、洗ったばかりなのか少し濡れていた。ブラックではなく、ミルクが入っているそれを一口すする。さっき飲んだよりもだいぶ濃かった。
「窓だと割れる可能性がありますし、たとえはめ込みだとしてもどうしても隙間ができてしまいますからね。監視目的なのでスクリーンで十分なんですよ」
圧巻でしょう、と言って倒れこむように椅子に座るタタン。コーヒーを飲むと、大きく息を吐いた。
「……ようやく、一息つけました」
「そんな大変だったのか……って、そうか二十人以上いたし、それだけの数相手にすれば疲れるか」
「いえ、実際に来たのは8人でしたよ。……というか、何十人も一度に転生させてたんですよね、あちらさんは。人材豊富というか無駄に遊び心があるというか、常に人手不足で悩んでいるウチにとっては羨ましい限りです。しかも、それで今回8人しか来なかったんですから、なかなか当たり年だったようですね」
タタンのつぶやきの意味がわからず、試神は曖昧に相槌を打つ。
「それで、その8人はいつ帰ったんだ?」
「一時間以上前じゃないでしょうか」
ん? と試神は首を傾げた。
「さっき掃除が終わったとか言ってなかったっけ? 見学ってそんな早く終わったのか?」
「そうですよ。……希望して見に来るならともかく、無理やり来させられて見る工場見学なんてこんなもんです。あちらさんとしても早く帰りたかったようなので、こちらも手短に終わらせましたが……予想以上にいろいろ汚してしまいまして、片づけに手間取りました」
「……チュートリアルと見学で汚れが?」
いったいなにをしたのだろうか。
ここがなにをしているのかまだよく理解していないが、なにかの作業体験でも行ったのかもしれない。それを片付けまで一人で行ったのなら、かなり大変そうだ。
「あとはゴミですね。大きなゴミがいくつか出たので、捨てにいってました」
「それくらいなら手伝ったのに」
そんな言葉が出るとは思わなかったのだろう。コーヒーを飲む手が止まった。
「ありがとうございます。ですが、大丈夫ですよ。ゴミも汚れも私が出したものです。片付けくらいは自分でやります。それに、結局は魔法でやるので力仕事ではありません」
となると魔法が使えない試神はあまり役立てない。頷きながらコーヒーで口を濡らした。
「ところで、あの部屋はどうでしたか? よく休めました?」
「ん? ああ、快適だったよ。……横になるつもりがうっかり寝てて、少し遅れたくらいだ」
「それならよかったです。顔もなんとなくすっきりされているので、安心しました。さっきも言いましたが、しばらくの間、あの部屋は自分の部屋と思って自由に使ってください。あとで鍵はお渡しします」
「俺は開けっ放しでも構わないけど」
「セキュリティ上、かけていただいた方がいいと思いますよ? 今日みたいな来客がありますし、業者も出入りしますからね」
そういえばここは会社だった、と試神が思い出す。
カタカタと音がすると思ったら、タタンがノートパソコンを開き、なにか打ち込んでいた。
「チュートリアルの報告か?」
「違いますよ。忘れないうちに決めておこうと思いまして」
笑顔のまま、タタンの顔が少し真面目になる。
「ここで働いて欲しい話、考えてくださいましたか?」
それを聞いて、試神の顔からも笑顔が消える。座ってください、とタタンから近くにあった椅子を進められ、面接のよう、彼の前に座った。
「もう一度お話しますが、あなたはあの部屋――魔王室で働ける貴重な人です。私としてはぜひとも働いていただきたいのですが、強制はしません。それはかわいそうですしね。ほかで働きたいのでしたらそれでも構いませんし、この世界をもっと見て回りたい、ここを出ていきたいのでしたら応援いたします。さきほどまで休憩いただいた部屋も、ここで働かないのなら使わせない、なんてことはしません」
試神は一回、首を振る。
「すぐに決断していただく必要はありませんが、できれば数日以内で『働く意思があるか否か』くらいの回答はいただきたいです。言い方はよくないかもしれませんが……部外者がここを歩き回られるのは、あまり良いことではないので」
「わかってる。守秘義務もあるだろうし、うろうろされてたら仕事の邪魔だろうしな」
「ご理解ありがとうございます。では――」
「働くよ」
きょとんとした顔でタタンの動きが止まった。




