第96話 発動条件なんだよ
「――もういいよな」
吐きながら言った声が掠れてしまっている。果たしてそんな声で相手に聞こえるか怪しいものだったが、後ろをついてきた墓蒔は「そうだな」と、普通の声で言った。
顔にはうっすら笑みさえ浮かべている。もともとその形で固まっているかのような顔だが、そんなわけないのだろう。
笑う余裕さえある、ということなのだろうか。
大したものだった。
あれだけ走ったというのに。
滅茶苦茶に無茶苦茶に、駆け抜けたというのに。
墓蒔は、息一つ乱していなかった。
「ついてきてる様子はねえな。うまくまけたみたいだ」
後ろを見ても、真っ暗なので直前まで近寄らなければわからないだろう。しかし。物音はしないのでおそらく大丈夫。
見つける度に曲がった角。もう正しい道なんてわからなくなってしまったが、そんなこと考えてる余裕なんてなかった。
肩で息をしていた試神は最後に大きく息を吐いて、それからへなへなと座り込む。
それを見て、墓蒔が吹き出した。
「よく、そんなを荷物を持って走れたもんだ」
「何度投げ捨てようかと思ったけどな」
「大したもんは入ってねえんだから、捨てればよかったのに」
「捨てるなら、ここじゃなくてゴミ箱に入れるよ」
「うはは」
墓蒔は軽く笑って。
「お前さ、なにしてんの?」
笑ったまま、真顔になった。
「……なにって、なんだよ?」
「そのまんまの意味だよ」
あまりの物言いに口を尖らせる。光源を失った試神から見れば、墓蒔はうっすらと輝いてみえた。
「なんで俺様を助けたのかってこと」
「……………………」
「俺様、お前のこと突き落としたんだぜ?」
トン、ってな。ジェスチャーつきで墓蒔が説明する。
「やっぱり、わざとだったのか……あれ」
「当たり前だろ。冗談で突き落とすかよ」
「なんでだ?」
「その前に、俺様の質問に答えて欲しいな」と墓蒔が言った。「なんで、助けたの?」
墓蒔の顔はにやけているが、面白そうではなさそうだった。
面白くなさそうに、笑っている。
「別にパーティーメンバーだからって、助けなきゃいけない義理はないんだぜ?」
「…………」
試神はしばらく黙っていたが、やがて諦めたように言った。
「お前を見つけたからだよ」
「は?」
「出口を探している途中で、お前を見つけたから。それ以外に理由はない」
「……なにそれ」
「残念ながら、真実だ」
穴から落ちて、知らない場所にいて。
助けも呼べない状況になって。
とりあえず誰かいないかと、勘を頼りに歩き出して。
そこでさまよっているとき、光を見つけたのだ。
誰かいる。
期待に胸躍らせながら近寄ってみると、それが墓蒔だというのが分かった。
引き返そうかな、と思ったのは事実だった。
足を止め、息を殺し、気付かれていないか様子を伺ったのは確かだった。
そして、見てしまったのだ。
墓蒔が殺されそうになっているところを。
「俺は、目を汚したくない、脳を黒に染めたくない」
だから。
「死ぬなら、俺の見えないところで、知らないところで勝手に死んでくれ」
「…………」
「俺の手の届く範囲で死ぬようなら、何度でも助けようとするよ。あくまで俺が怪我しない範囲で、だけど。……知っちゃったら、知らんぷりはできないからな」
見て見ぬふりをすることはいくらでもできたが。
それで墓蒔が死んでしまったら、それは傷になってしまう。
見捨てたという傷が、助けられたかもという傷が、なにかできたかもという傷が。
心に傷が、残ってしまう。
時が経てば勝手に消えるかもしれないが、それを待ってはいられない。
だったら、助けたほうが楽なのだ。
それが人として正しい行為だとしたら、いつかこの記憶を思い出したときに、少しでも誇らしい気分になれるのだとしたら。
それは十分、やる価値がある。
「お前は、恨んでねえの? 俺様のこと」
「恨む?」
「ムカつかねえの、っていってもいいかもしんねえけど」
恨む。
ムカつく。
試神だって人間だ。突き落した人を前にしてなにも思わないほど、感情を捨ててはいない。
当然、思った。腹が立った。
だが。
「俺は、自分を汚したくないんだ。一通り相手を恨んで呪って蔑んだら、許すことにしてんだよ」
「…………」
「負の感情をずっと持ってても、いいことはないしな」
理解できるか? そう意味をこめて墓蒔に目線をやると、彼は首を横に二回、振った。理解できない、ということだろう。だが、それでいい。
わかってもらおうなんて、思っちゃいない。
これは自分ルールのようなものなのだ。
理解されなくても、粛々とこなすだけだ。
機械のように、淡々と。
心を、感情を、新陳代謝させて綺麗にする。
「―――さ、俺は答えたぞ。今度はこっちの質問だ。なんて、突き落としたりしたんだ」
墓蒔が肩をすくめる。まさかこのまま答えないつもりかと思ったが。
「発動条件なんだよ」
「……あん?」
「ラストワン。それが俺様の固有魔法の名前。その発動条件が、パーティーが俺様一人になったときにのみ発動可能ってものでな。それを使うため、お前に退場してもらう必要があった」
だから、突き落とした。
仲間を殺して、自分一人に―――パーティーメンバーが、自分のみになるために。
「……固有魔法に、発動条件なんてあるのか?」
「ないやつのほうが多いんじゃね? でも、俺様はあえてつけてる。そのほうが面白いって理由でな」
理解できるか? そう目線に乗せて訊かれた気がしたので、こちらも首を振って否定してやった。
「それでいいよ、俺様もわかってもらおうとは思ってない。でもま、そういう理由なわけだ」
「ふーん。なるほどな。理解はできんけど、納得したわ」
……納得? と、墓蒔は首を傾げる。
「俺を突き落として、一人になったから、そのラストワンってやつが発動したんだな?」
「……んあ?」
「ラストワンが使える様になったから、あんなラスボスみたいな奴と戦ってたんだろう?」
「…………ふーん」
なるほど、と墓蒔が思う。
そういえば、なぜ助けたかの前に、訊かなければいけないことがあった。
なぜ、お前は逃げたんだ? と。
あれはお前の仲間だろう? と。




