【権限委譲】「自分でやった方が早い病」からの脱却 2/5
「ティーチングと、コーチング……?」
アリサは手帳に書かれた二つの言葉を、声に出して読んだ。
「そうよ」
シレーヌはアリサの隣に立ち、静かに解説を始めた。
「『ティーチング(教える)』は、知識がゼロの相手に『答え』や『やり方』をそのまま与えること。これは入職初日の新人や、緊急事態には有効な魔法よ」
「はい。私、エマちゃんにはマニュアルを見せながら、手取り足取りやり方を教えました」
「ええ。でも、いつまでもティーチングだけを続けていると、相手は『自分で考えること』をやめ、常にあなたからの指示(答え)を待つようになるわ」
シレーヌの指摘に、アリサの胸がチクリと痛んだ。
確かにエマは最近、自分でマニュアルを開く前に「先輩、これどうすればいいですか?」と聞いてくるようになっている。
「そこで、次の段階の魔法『コーチング(引き出す)』が必要になるの」
「引き出す……?」
「そう。答えを教えるのではなく、『あなたはどう思う?』『どうすれば解決できると思う?』と問いかけ、相手の中にある答えを引き出してあげるのよ。自分で考えて行動した経験だけが、人を自立させるの」
シレーヌは、アリサの肩にポンと手を置いた。
「明日からは、エマにすぐ答えを与えず、仕事を奪わないこと。彼女が自分の力で歩き出すのを『待つ』のよ。……まあ、優秀なプレイヤーほど、この『待つ時間』が何よりの苦痛に感じるのだけれどね」
翌日。
ギルドのカウンターには、さっそく「試練」が訪れていた。
「あわわわっ……! アリサ先輩、どうしよう! 『毒消し草』と『痺れ消し草』が混ざった袋を持ち込まれたんですけど、形が似ていて見分けがつきませんっ!」
エマが涙目で、山盛りの薬草が入った麻袋を抱えてアリサに助けを求めてきた。
持ち込んだ冒険者も「すまん、急いでたから適当に突っ込んじまった」と頭を掻いている。
アリサの脳内で、「自分でやった方が早い病」の強烈な発作が起きた。
(貸して! 私が匂いを嗅げば三秒で仕分けられるし、さっさと計算して次の冒険者を呼ばないと列が伸びちゃう!)
アリサの手が、無意識に薬草の袋へ伸びかける。
しかし、昨夜のシレーヌの言葉が脳裏をよぎり、アリサはギリッと奥歯を噛み締めて自分の手を引っ込めた。
「……エマちゃん。マニュアルの『薬草の見分け方』のページには、なんて書いてあったっけ?」
答え(ティーチング)ではなく、問いかけ(コーチング)。
アリサが引きつった笑顔でそう言うと、エマは一瞬キョトンとし、慌ててカウンターの下から分厚いマニュアルを引っ張り出した。
「えっと、えっと……あ、ありました! 『毒消し草は葉の裏に産毛があり、痺れ消し草はツルツルしている』……あっ!」
「そう。じゃあ、どうやって仕分ければいい?」
「は、一枚ずつ葉っぱを裏返して、触って確認します!」
「正解! じゃあ、やってみて」
エマは「はいっ!」と頷き、一枚ずつ薬草を手に取り、裏返しては指で撫で、右と左のカゴに仕分け始めた。
(……お、遅いっ……!!)
アリサはカウンターの隣で、笑顔を貼り付けたまま内心で絶叫していた。
エマの作業は、あまりにも丁寧で慎重すぎた。アリサなら両手を使って一瞬で終わる作業を、エマは一枚一枚「うーん、これは産毛かな? 埃かな?」と確認しながら進めている。
時計の針がカチカチと進む。
背後には、次の手続きを待つ冒険者たちの列が、少しずつ長くなっている。
(あああああ! 貸して! 私がやる! 私がやった方が絶対に早いのにぃぃぃっ!!)
それは、想像を絶する苦痛だった。
自分の処理能力ならすぐ終わるものを、じっと我慢して見守り続けなければならない。手を出したい衝動を必死に抑え込むアリサの額には、びっしりと冷や汗が浮かんでいた。
「……ふぅ。お、終わりました! 毒消し草が二十束、痺れ消し草が十五束です!」
なんと十分近くかけて、エマはようやく仕分けと計算を終わらせた。
「お、お疲れ様……! よ、よくできたね、エマちゃん」
「はい! 私、自分の力で見分けられました!」
エマの顔には、今までのような「怯え」ではなく、小さな「達成感」が浮かんでいた。
列を待たせてしまったことへの焦りはあったが、確かにエマは一歩前進したのだ。アリサは胸を撫で下ろし、「この調子で少しずつ任せていこう」と決意した。
しかし――『権限委譲』の本当の難しさは、そんな単純なものではなかった。
「アリサ先輩!! すみません、さっきの薬草の精算、桁を一つ間違えて金貨で渡しちゃいました!!」
その日の午後、エマの顔面蒼白な叫び声がギルドに響き渡った。
「えっ……!?」
「ごめんなさい! 私が自分で最後までやろうとして、焦って計算盤を弾き間違えて……っ!」
アリサの目の前が真っ暗になった。
ギルドの資金を過剰に支払ってしまった場合、それは重大な損失だ。しかも、相手の冒険者はすでにギルドを出てしまっている。
「私が……私が目を離したばっかりに……!」
コーチングを意識するあまり、エマから目を離し、最終確認を怠ってしまったのだ。
仕事を任せることの「恐ろしさ」が、鋭い牙を剥いてアリサに襲いかかった。




