【アンガーマネジメント】怒りの「本当の理由」を見抜く 3/5
大柄な魔法使いが顔を覆い、しゃくり上げるように泣く声だけが、静まり返ったギルドの酒場スペースに響いていた。
「……すまねぇ……俺はただ、あいつらが死ぬかと思って……怖かったんだ……」
ポツリポツリと、イグニスの口から溢れ出す『本当の感情』。
シレーヌは何も言わず、ただ静かに彼の背中を撫でていた。
その光景を床に座り込んだまま見つめていたアリサは、自分の浅はかさに顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
(私、なんて馬鹿だったんだろう……!)
ビジネススキルの本で『氷山モデル』という知識をかじっただけで、人間の心を完全に理解した気になっていた。
手帳に描いた図を見せて、「あなたの一次感情はこれですよね?」と論破しようとした自分の振る舞いは、相手の心に寄り添うどころか、ただ正論という刃物で相手の古傷を無理やりこじ開けようとする最低の行為だったのだ。
やがて、イグニスの涙が止まり、彼の呼吸が落ち着いたのを見計らって、シレーヌはアリサの方へ振り返った。
「アリサ。知識を持つことと、それを使いこなすことは全く別物よ。あなたはコミュニケーションを、決まった答えが出る『算数の計算』か何かだと勘違いしていたんじゃないかしら?」
「……はい。シレーヌ先輩の言う通りです」
アリサは落ちた手帳を拾い上げ、立ち上がって深く頭を下げた。
「私、最近少し仕事が上手くいくようになって、調子に乗っていました。相手の気持ちを全く考えず、覚えたての魔法(理屈)を無理やり押し付けて……イグニスさん、本当にごめんなさい」
真っ直ぐに謝罪するアリサを見て、イグニスは少しバツが悪そうに目を逸らし、無精髭の生えた顎を掻いた。
「いや……俺の方こそ、いきなりテーブルを叩き割ったりして悪かった。あんたは俺を落ち着かせようとしてくれただけなんだろ。……冷静になってみれば、あんたの言っていた『氷山モデル』ってやつの通りだ」
イグニスは力なく椅子に座り直した。
憑き物が落ちたように、彼から立ち昇っていた怒りのオーラは完全に消え去っていた。
「悲しかったり、怖かったりする『弱い自分』を認めるのが嫌で、俺はいつも『怒り』に変換して周りを威嚇していた。そうやって自分を守ってきたんだ。……でも、そのせいで今日もまた、大切な仲間を失っちまった」
イグニスは黒焦げになったテーブルの破片を見つめ、深くため息をついた。
「俺が勝手にキレて、あいつらを追い出したんだ。もう、終わりだ。……俺は一生、誰ともパーティーを組めない孤独な魔法使いなんだよ」
自嘲気味に笑うイグニス。
しかし、アリサは手帳をギュッと握り締め、力強く首を横に振った。
「終わりじゃありません! 怒りのフタが外れた今なら、まだやり直せます!」
「やり直す? どうやってだよ。あいつらはもう、俺の顔なんか見たくもないはずだぜ」
「伝えるんです。イグニスのその『本当の気持ち(一次感情)』を」
アリサはイグニスの前に立ち、今度は理屈を押し付けるのではなく、一人の仲間として真剣な眼差しを向けた。
「イグニスさんが『怒り』の形(二次感情)で言葉をぶつけるから、相手には『攻撃された』としか伝わらないんです。でも、『仲間を失うのが怖かった』『危険だと言われて悲しかった』という本当の気持ちを、そのままの形で言葉にして伝えれば……必ず、相手の心に届きます」
「……」
イグニスは驚いたようにアリサを見つめた。
「それに、今回のことは私にも責任があります。ギルドの職員として、イグニスさんとパーティーの皆さんが仲直りするまで、徹底的にサポートさせてください!……シレーヌ先輩、私にやらせてください!」
アリサが振り返って懇願すると、シレーヌは満足げに微笑み、優雅にティーカップを置いた。
「ええ、いいわ。自分の失敗の尻拭いと、仲裁のセッティング。筆頭受付嬢の腕の見せ所ね」
「はいっ!」
アリサはパァッと顔を輝かせた。
知識だけではダメだ。相手に寄り添い、共に歩む『共感』があって初めて、ビジネススキルは本物の魔法になる。
「イグニスさん。まずは、怒りのコントロール術『6秒ルール』と、あなたの気持ちを正しく伝える『アサーション』の復習から始めましょう!」
「ろ、6秒ルール? アサーション?」
横文字の連続に目を白黒させるイグニスを、アリサは力強く引っ張っていく。
一度は過信で転んだアリサだったが、先輩のフォローで立ち上がり、再び前を向いた。
不器用な魔法使いの壊れかけた絆を修復するための、本当のアンガーマネジメントの実践が始まった。




