【完璧主義の罠】「完了」は「完璧」に勝る 3/5
「残り十秒! 五、四、三、二、一……そこまで!!」
アリサの容赦ないカウントダウンが終わり、ルークは「ああっ!」と情けない声を上げて机に突っ伏した。
三分間。
極限のプレッシャーの中で書きなぐられた一枚の羊皮紙。
ルークは恐る恐る顔を上げ、自分の作った「それ」を見て絶望した。
「ひどい……ひどすぎます。森を流れる川はただのうねった線だし、ゴブリンの巣の場所はただの丸印。そこに『約50匹』って殴り書きしてあるだけ……。まるで子供の落書きだ。こんなゴミ、誰にも見せられませんっ!」
ルークが羊皮紙を丸めて捨てようとした瞬間、アリサがサッとそれを横取りした。
「素晴らしいです、ルークさん! これがあなたの『MVP(最小限の完成品)』です!」
「やめてくださいアリサさん! そんな不完全な60点の資料、冒険者の恥です!」
ルークが泣き叫んで羊皮紙を取り返そうとした、まさにその時だった。
「おーい、アリサ。まだ残ってたか」
ギルドの扉が開き、大きなミスリル盾を背負った重戦士・ゴルドが入ってきた。明日の『東の森ゴブリン討伐隊』で、前衛の指揮を任されているベテランだ。
「ゴルドさん、お疲れ様です! どうしましたか?」
「いやな、明日の討伐隊の陣形を今夜のうちに決めておきたくてな。東の森の偵察情報、まだ正式な報告書ができてないのは分かってるんだが、少しだけでも先行して情報をもらえないかと思ってよ」
ゴルドの言葉に、ルークの顔面からサァーッと血の気が引いた。
(終わった……! よりによって、一番厳しいゴルドさんに、こんな落書きを見られるなんて……! 「お前は仕事の手を抜いているのか!」って、絶対に怒鳴られる!!)
ルークが「す、すみませんまだできてません!」と叫ぼうとした瞬間、アリサは満面の笑みで、さっきルークが三分で書きなぐった『60点の羊皮紙(落書き)』をゴルドに差し出した。
「ゴルドさん、ちょうど今、ルークさんが『最重要情報だけの速報版』を作ってくれたところなんです。どうぞ!」
「ああっ!! アリサさん、やめてぇぇっ!!」
ルークは両手で顔を覆い、ガクガクと震えながら怒声が降ってくるのを待った。
ゴルドは渡された羊皮紙を受け取り、じっと見つめる。
そして――。
「おおっ! こりゃあ分かりやすい!!」
ゴルドの口から飛び出したのは、怒声ではなく、弾むような歓喜の声だった。
「えっ……?」
ルークは指の隙間から、恐る恐るゴルドの顔を盗み見た。
「なるほど、北の川沿いに50匹の群れ、南の洞窟に30匹か。これだけ数が固まってるなら、部隊を二つに分けた方がいいな。……ん? 待てよ、ルーク」
ゴルドが羊皮紙の端を指差して、ルークに尋ねた。
「この洞窟の30匹だが、こいつらは『弓』を持っていたか? それとも『棍棒』だけか?」
「あっ……は、はい! 洞窟のゴブリンは、遠距離武器(弓)を持っていませんでした。すべて近接武器です!」
「よし、完璧だ! なら洞窟側は魔法使いを多めに配置して、遠距離から一網打尽にできる! いやあ助かったぜルーク、お前のおかげで今夜のうちに完璧な作戦が立てられる。最高の仕事だ!」
ゴルドはルークの肩をガハハと叩き、上機嫌で酒場へと去っていった。
静まり返った執務室。
ルークは、ゴルドが去っていった扉と、自分の手を交互に見つめ、完全に呆然としていた。
「……怒られ、なかった。むしろ、すごく感謝された……? あの、子供の落書きみたいな報告書で……?」
「怒る理由がありませんよ」
アリサがふふっと笑い、ルークの隣に立った。
「ゴルドさんが一番欲しかったのは『今夜、陣形を組むための情報(場所と数)』だったんです。だから、その2割の要望さえ満たしていれば、あの落書きはゴルドさんにとって『100点の価値』があったんですよ」
「でも、ゴルドさんは『弓を持っているか?』って追加で質問してきましたよ? やっぱり僕の資料は情報不足(不完全)だったんじゃ……」
「そこが、MVP(60点の完成品)の最大のメリットなんです!」
アリサはホワイトボードに、羽ペンでキュッキュッと図を描き始めた。
「もしルークさんが、徹夜して『毛並み』や『胃の内容物』まで100点満点で描き込んだ芸術的な報告書を明日の朝に出していたら、どうなっていたと思いますか?」
「えっと……ゴルドさんは完璧な資料に感心して……」
「いいえ。ゴルドさんはこう言うはずです。『毛並みなんかどうでもいい! 弓を持っているかどうかの情報が書いてないじゃないか! 今から陣形を組み直す時間はないぞ!』って」
ルークはハッとして息を飲んだ。
「仕事の『正解(100点)』は、自分ではなく、それを受け取る『相手』が持っています。だから、自分一人で机にかじりついて100点を目指すのは、ただの自己満足なんです」
アリサはルークの目を真っ直ぐに見据えた。
「60点でいいから、まずは最速で提出する。そして相手に見せて、『ここはどうなっている?』とフィードバック(反応)をもらう。言われた部分だけを修正して、80点、100点へと近づけていく。……これが、絶対に失敗しない、最も早くて正確な仕事の魔法です」




