【完璧主義の罠】「完了」は「完璧」に勝る 1/5
夜の王都ギルド『暁の翼』。
ほとんどの冒険者が酒場へ流れるか帰路についた静かな執務室の片隅で、ゴリゴリ、ゴリゴリと羽ペンを走らせる音だけが響いていた。
「ルークさん、まだやってるんですか……?」
アリサが呆れたように声をかけると、机にかじりついていた弓使いの青年・ルークが、ビクッと肩を跳ねさせた。
「ア、アリサさん! すみません、もう少しなんです! あとこの『東の森におけるゴブリンの食生と繁殖周期の考察』の項目を清書して、地図の等高線をミリ単位で引き直せば……!」
「いやいや、待ってください!」
アリサはルークの手元にある分厚い羊皮紙の束をペラリとめくって、目を丸くした。
「今回のクエストって、ただの『東の森のゴブリン生息数調査』ですよね? ギルドが知りたいのは『どこに』『何匹くらいいるか』という情報だけです。どうしてゴブリンの胃の内容物や、毛根の数までスケッチしてるんですか!?」
「だ、だって! もし後で王都の学者さんがこの資料を見た時、細かいデータがないと困るかもしれないじゃないですか!」
ルークは目の下に真っ黒なクマを作りながら、血走った目で熱弁した。
「それに、もし情報の抜け漏れがあって、他の冒険者が怪我でもしたらどうするんですか! ギルドに提出する以上、絶対に誰からも文句を言われない、100点満点の完璧な報告書に仕上げないとダメなんです!!」
「100点満点……」
アリサは小さくため息をつき、ルークの周りに散乱している丸められた羊皮紙(失敗作)の山を見た。
ルークは弓の腕は確かで、性格も真面目。しかし、この「完璧主義」のせいで常に提出物の期限ギリギリになり、パーティーメンバーを待たせてしまうことが多々あった。
「ルークさん。この報告書の提出期限、明日の朝一番ですよね。今の時点で、全体の何割くらい完成しているんですか?」
「えっと……目次と序文、それからスケッチの細部をこだわっていたら、肝心の『生息数のデータ』がまだ手付かずで……。進捗としては、全体の2割くらいです」
「2割!?」
アリサは思わず天を仰いだ。
締め切りまであと数時間しかないのに、一番重要なデータが書かれていない。これでは徹夜したところで間に合うはずがない。
「いいですか、ルークさん。厳しいことを言いますが、どんなにゴブリンのスケッチが芸術的でも、期限に間に合わなければその報告書の価値は『ゼロ』です」
「ゼ、ゼロ……っ。でも、不完全なままの60点の資料を出すなんて、僕には怖くてできません!」
ルークは頭を抱え、机に突っ伏してしまった。
「完璧じゃないものを人に見せるのは、自分が『手を抜いている』『仕事ができないやつだ』と評価されるみたいで……それなら、徹夜してでも100点を目指すべきじゃないですか!」
彼の苦しみは、アリサにもよく分かった。
一生懸命だからこそ、失敗したくない。評価されたい。その真面目さが裏目に出て、自分で自分の首を絞めてしまっているのだ。
(シレーヌ先輩が言っていた、『完璧主義の罠』ね……)
アリサはルークの机の端に置かれた白紙の羊皮紙を一枚手に取り、羽ペンにインクを浸した。
「ルークさん。100点を目指すあなたの真面目さは素晴らしいです。でも、その完璧主義のせいで、一番大切な『目的』を見失っていますよ」
「目的……?」
「はい。この仕事の目的は『芸術作品を作ること』ではなく、『明日の討伐隊に間に合うように情報を届けること』です」
アリサは羊皮紙に大きく線を一本引き、ルークの目の前に置いた。
「ルークさん、今から私と一緒に『魔法の法則』を使って、この仕事をあと一時間で終わらせましょう。徹夜なんてしなくて大丈夫です」
「い、一時間!? 無理ですよ、まだ全体の2割しか終わってないのに!」
「いいえ、終わります。なぜなら、仕事の成果の8割は、たった2割の重要な部分から生まれているからです」
アリサは力強く宣言した。
完璧主義という重い鎖を断ち切るための第3の魔法、『パレートの法則』の授業が幕を開けた。




