第八話『赤銀の死神 その④』
医務室の扉を開いて、アントニー中尉が通路の曲がり角に消えていく。ライトウッド少尉は、そんな背中を何も出来ずに見送っていた。銃口は的確に急所を射抜いていたが、銃身はせわしなく小刻みに震えていた。それでも撃てば外さない———外し得ない———距離なのに、引き金にかけた指はやけに重かった。
「・・・」
そして少尉は取り逃がす。狙いを定めきる前に、引き金を引き切る前に『敵前逃亡を企てた裏切り者』が射程内から姿を消したのだから。それならばしょうがないと、銃を下ろすしかないのだから。
———命令も強制もしないけど・・・もしその気があるなら、ライトウッド、ついて来てくれ。
残響が頭蓋骨の空洞の中を跳ね回って繰り返される。それはなんて、人として正しい言葉だろう。とても倫理的で、あたたかで、———兵士にあるまじき思想か。
「トーマス・ライトウッド、お前はまだ『兵士』だろう?」
両手でバチンッと顔を叩き、覆った手のひらで表面のものを拭き取る。
少し湿っていて、脂っこい。黒い汚れは煤か埃か。念入りに拭ったので、目元は赤く充血していた。声に出して己が何者かを確認すると、ライトウッド少尉も医務室を後にする。ただしアントニー中尉が向かった先とは反対の通路を、より艦の奥へと進むために。
——————―
———――
———
炎上し、崩れかけた甲板から向けられたレールキャノンの砲口が怪鳥の嘶きを上げる。そうと形容する他ないほど甲高い射撃音は既存のどの射撃兵装とも違い、その威力もまた比べようもなかった。
電磁加速レーンが特殊弾を砲身内ですべらせ、稲妻を伴って砲口から射出する。衝撃波は怪音とともに周囲の黒煙を散らし、そこに同盟軍の戦艦たちは『VOLTは未だ健在』という事実を容赦なく突きつけられる。
射撃と、着弾———それはほぼ同時に。
甲板に一つ、それほど大きくない穴が出現する。拍子抜けなほど、小さい穴。VOLTを回り込んでいる二隻の戦艦からは確認することさえ出来ない、数多くある装甲の凹みか汚れにすら思える程度の穴だった。
「やりやがった・・・」
この瞬間、その真の意味を理解していたのはレールキャノンの引き金を引いたジョー本人だけだった。
そして、惨劇が始まる———
艦橋や主砲の中から覗く照明や艦体の周囲に配置されたライトの数々が、戦艦という巨獣が突然死したかのように一気に暗転する。そして光が失われ尽くすより先に、VOLTが開いた穴から勢いよく炎が吹き出した。それは曲芸師の火吹き芸のようでも、容赦なく命の灯火を吹き消す血飛沫の奔流のようでもあった。
吹き出した超高温の炎の正体は、小型原子炉の破壊に端を発する大爆発だった。艦内という閉鎖空間に発生した高熱と衝撃波が内部構造をすり潰しながら焼き払い、各施設に配備された乗組員らを貪食しながら装甲の方へと広がっていった。そして装甲に空いた小さな穴が唯一の内から外への出口となっていたので、炎と衝撃と破壊の勢いは自然にそこに集中した。
炎の奔流の勢いは凄まじく、死に体のままホバーで浮遊する戦艦が反作用で横転を始める。しかし破壊はそれで終わらなかった。第二波は船底部に位置するホバー装置と直結したサブエンジンの爆発だった。小型原子炉の爆発によって艦内部から崩壊の煽りを受け、こちらも耐えきれずに爆発してしまったのだ。横転しかけていた戦艦は誘爆したサブエンジンの爆発とホバー装置の粉砕によって僅かに角度を修正し、揚力を完全に失って船底の左舷から大地に激突した。
既に破裂して炎上していたサブエンジンとホバー装置は戦艦の重量でまたたく間に潰れ、それを皮切りに下から上へと崩壊の波が押し寄せる。それは重力が狂った世界のドミノ倒しのよう。根本から突き上げる衝撃とテコの原理で艦橋や主砲がもげ、内部構造の何もかもが原型を留めない艦内には燃料や可燃性ガスが充満する。そしてもげた艦橋が地面に落下して叩きつけられるのを合図に、戦艦全体が大爆発を起こして光と熱波の中に消えた。
並列したもう一隻の戦艦も爆風に煽られ、装甲表面を赤熱化させながら横転を始める。艦の傾きは加速度的に角度を増し、揚力を生み出すはずのホバー装置が制御を逃れて横転の勢いを加速させた。落下しながら半転する戦艦の巨体が側面から大地に激突し、こちらの艦も大爆発を起こす。甲板と船底が大きく膨れ、楕円形に戦艦を引き伸ばして破裂させる。戦艦という狭い檻を突き破って広がる光と熱波がドーム状に広がり、鉄くずを飲み込んで燃え広がる。
———
———――
——————―
爆風は遠く離れたVOLTの甲板の黒煙をも吹き消していく。それだけの凄まじい衝撃が駆け抜け、艦内に残されたアントニー中尉やライトウッド少尉にも轟音が届いた。閉鎖空間の艦内からは、当然外の様子は分からない。それでも彼らには外の状況が想像出来た。
ロベルタ二等衛生兵と中尉は一緒に黒煙が充満しつつある回廊を進み、この鋼の牢獄の出口を探す。ライトウッド少尉は一人、潰れて狭くなった回廊を匍匐前進で進む。照明は既にどこも物理的に壊れているか電気の供給が無くなっているので、通信デバイスの画面の僅かな明かりと直感を頼りにより深く、奥へと進んでいくのだった。
——————―
———――
———
———たった一撃で戦艦二隻、撃沈。
その事実が戦慄となり、生き残った同盟軍を震え上がらせた。今この場に巻き起こっている現実が『焦土作戦』ではなく『命懸けの決闘』だと、ようやく真の意味で理解する。
———自分たちは決して『優位な側』ではないと。
———自分たちはむしろ『駆られる側』なのだと。
山並みに沈む夕暮れの赤が、爆散した戦艦の赤と溶け合ってあたりを照らす。
それは真昼がまだ続いているかのよう。遠くの空はもう夜の紺色を連れてきているというのに、この場所だけは時が止まったようである。VOLTか、同盟軍か、どちらかが死に絶えるまで———時計の針は前に進まないのである。
同盟軍は最後の賭けに出る。残った戦艦二隻は挟撃の進路をほぼそのままに、VOLTが甲板にいる戦艦を左右から挟み込んで全速前進した。斧の刃に似た船首が風を切って、大地に深々と座礁した艦に突撃する。そこには、遠距離から砲撃して小型原子炉をVOLTを殺す爆弾として使おうなどという回りくどい戦略はなかった。
戦艦の大質量で『アレ』を轢き潰す。それ以外に、斃す手段は存在し得ない———それが将校たちの結論だった。
「・・・来るか。」
高速接近する戦艦に、ジョーもレールキャノンの砲口を向けて応戦する。
「何ッ———!」
しかし、レールキャノンが自弾を発射するより先に、複数のGSがVOLTの甲板に飛び込んできた。
四方から飛びかかるのは残存したナイト・ウォーリアーやセンチネルの数々だ。空からも次々とアーチャーたちが降りて来る。開けていた甲板は次々に押し寄せる同盟軍のGSで埋まっていき、ところ狭しと並んでVOLTを取り囲んでしまった。
悪あがきと分かっていながら、こんな事をすれば生きては帰れないと理解していながら、それでも同盟軍の兵士たちはそうせざるを得なかった。VOLTの背後から二機のナイト・アーチャーが取り押さえようと飛びかかり、正面からは胸部を貫こうとセンチネル・ソルジャーが十文字槍を突き出した。VOLTは敢えて両腕をアーチャーたちに掴ませると、ショックポイントを有効活用して高速反転する。勢いをそのままに一機のアーチャーはソルジャーの槍に突き刺さって背部からコクピットを串刺しにされる。反対の腕を取ってアーチャーはそのまま甲板から投げ出される。地面に激突したアーチャーは腰の位置で身体が半分に千切れながら潰れると、爆発するより先に全速前進する戦艦のホバーで吹き飛ばされた。
アーチャーが串刺しになった槍をかなぐり捨てると、ソルジャーの視界からは至近距離にいたはずのVOLTが消えていた。ソルジャーはVOLTが姿を表した時に備えてシールド裏の三連装グレネードを構えるが、それは悪手。深々とかがみながら懐に滑り込んでいたVOLTの強烈なアッパーカットがソルジャーの顎を撃ち抜いた。もげた首は天高く打ち上がり、甲板に集った無数のGSのシルエットの中に消える。
入れ替わりに、また別のGSが飛びかかる。それはスパイクメイスを携えたナイト・ウォーリアーだった。VOLTの頭部を打ち砕こうと振り抜かれたメイスだったが、VOLTは首無しのソルジャーを無理やり立たせて盾として使う。メイスの一撃をうけてソルジャーのバックパックブースターが大爆発を起こし、周囲のGSをも吹き飛ばしながらウォーリアーを薙ぎ払った。
「しめた・・・そこだッ———!」
ジョーはこの瞬間を逃さない。並み居るGSの軍勢、その肉の壁に穴が空いた瞬間———
ディスク式マウントラックが回転する、
砲口が戦艦に向く、
そして、———射撃。
照準も使わず、狙いもせず、レールキャノンの特殊弾が正確に迫り来る戦艦の艦橋を捉えた。
撃ち抜かれた建造物が爆ぜて舞い散り、制御を失った戦艦は小刻みに揺れながら大地に沈んで行った。高速で船底から激突すると、サブエンジンとホバー装置は即座に潰れて爆裂する。そして艦体は自重で下部が潰れながら徐々に地中へめり込んでいき、やがて速度を失って停止した。
戦艦は残り一隻。それだけは何としても守り抜く為にGSたちは更に激しく抵抗する。盾持ちのGSは盾を構え、持たないものは放棄されたフライトボードやホバリングボードを構えてVOLTを取り押さえようと押し寄せる。面と数、絶対に逃がすまいという強い意志でGSたちはVOLTを取り押さえた。格闘など出来ないほどの密度、わずかたりとも誰も動けないほどの密度でVOLTを拘束する覚悟だ。
戦艦は依然として迫りくる。全方位からスクラムを組んだGSたちは一歩も退かず、こうも密着されては流石のVOLTでも殴打や蹴りで敵を排除する事は出来ない。
「道連れにするつもりか・・・悪いが、御免だ。」
前後左右、どの方向にも動けないこの陣形だが『穴』はある。
小さく呟くとジョーは全方位から押し寄せる敵たちではなく、自分の足元の甲板に目を向けた。ここは固く揺るぎない大地ではなく、脆く儚い甲板の上なのだ。既にいくつもの砲撃を受け、ギリギリなんとかその形を維持しているにすぎない。そこが、突破口。
VOLTは勢いよく体勢を下段に崩すと、拳のショックポイントを利用した強力な拳打を甲板に放つ。瞬間、ギリギリのバランスで形状を保っていた甲板の一部が抜けて直下のフロアにまで陥没した。
ここで生まれた『僅か半身分の間』———
———ジョーはこれを無駄にしない。
ナイトの顔面を捕まえ、握りつぶしながら引き寄せる。カメラユニットを破壊されたパイロットはとっさの反応が出来ない。次にナイトを襲ったのは謎の浮遊感だった。VOLTはナイトの顔面と股関節を掴んで持ち上げると、そのままどこか遠くへ放り投げた。
『たった一機分の猶予』
———それが、ジョーがこの局面に求めた最後の一手。同盟軍艦隊の完全敗北に王手を掛ける一手だ。
ミサイルのように飛び上がったVOLTが宙を舞う。同盟軍のGSたちはもはやそれを見上げるしかなかった。瞬間的な加速力の差は歴然で、生まれた隙間を潰そうとパイロットがアクセルペダルを踏み込んだ頃には、既にVOLTはそこにいなかったのだから。
アントニー中尉とロベルタ衛生兵の二人も、その姿を見上げていた。結局生存者は他に見つからず、脱出に成功したのはこの二人だけだった。
「中尉。GSって、あんなに跳ぶものなんですか?」
防風に暴れ乱れる髪を押さえながら、ロベルタ衛生兵が聞いた。中尉は静かに首を振る。
「まさか。」
———GSとは、ヒトが扱う兵器だ。如何に技術が洗練され、その形質が変化しようと、重力や慣性の法則からは逃れられない。ヒトの限界、その軛からは逃れ得ない、はずだ。
ならば、『アレ』は———
「アレは、VOLTだよ。」
中尉が言い終えるより先に、天高く舞い上がったVOLTは大きく身体を捻る。体中のショックポイントが起動し、重力に抗いながら十五メートルの巨体が何度か回転して空中で姿勢を修正した。
思えば、起動したばかりの時はこの動きだけで悶絶するほどの重圧を感じたものだ。それが今では、嘘のように軽やか。
「これで、終いだァッ———!」
ジョーが叫び、応じたVOLTが飛び蹴りの姿勢を取った。
重力に従った落下———だけではない。全身のショックポイントと、背部の大型ショックブースターも動員した空前絶後の超加速で戦艦の艦橋に突進する。
戦艦の方も全速前進している。止まることも避けることもままならない。
もはや止まれない鋼の巨獣と———
———誰にも止められない死神が、激突する。
果たして、艦橋は轟音を上げて爆裂した。ホバーの制御を失った艦はそのまま大地に激突し、船底部で何度か細かい爆発を起こしながらドリフトする。そして、二隻の戦艦はGSの一機も入れない程度の隙間を残して並列して停止する。ほんの僅差ではあったが、遂ぞ戦艦は到達出来なかった。
VOLTはそんな戦艦の背後に着地———奇しくも、そこは放り出されたサムライソードが突き立った地点だった。大地から引き抜いて振り返ると、同盟軍のGSたちも甲板から降りては各々の武器を掲げてVOLTの方へと接近していた。
———この戦いに、もう意味はない。
随行機の本分は戦艦の守護だというのなら、その任務遂行は望むべくもない。
『VOLT』の破壊が任務の最終目的だというのなら、それが不可能なのは誰の目にも明らかだった。
本作戦に投入された戦力ではVOLTには対抗出来ない———その結論だけが、同盟国勢力にとっての『収穫』だった。
夜の帷はもう降りて久しく、撃沈した戦艦の炎も薪となるものを喰らい尽くした頃、VOLTは最後の一閃にて勝負を決めた。手首のスナップで刀を回転させ、振り下ろされたメイスを弾き飛ばす。そして刃が一回転して元の角度に戻ると、勢いよく突き出された刀身が眼前のナイト・ウォーリアーを貫いた。
この頃になるとジョーはすっかりVOLTの視界にも慣れ、むしろ使いこなす域に達していた。目の前に映った敵はシールドを構えていたが、ジョーは意図的に通常のレイヤーとシールドに隠れたコクピットブロックのレイヤーを確認しながら戦う。『最小限の手数で斃せ』と己に追加のルールを課し、その枷に則って最後まで残っていた二十余機のGSを屠ってみせた。紙細工のような手応えで貫かれたシールドと、その先のコクピット。十五メートルのナイトの巨体が刀の鍔に凭れて息を引き取る。そこから勢いよく刀を引き抜くと、鋼の巨人はその反作用で大の字に倒れてしまった。
全てが終わった静寂の時間。すり鉢状に抉れた決戦の地、そこに動くものはもはや何もなかった。立っているのは、夜闇に黒ずむ赤銀の巨人が一機。それ以外は、全て死んでいた。あれほど轟音を上げていた砲弾砲塔も、縦横無尽に駆け回り飛び回っていた人型兵器達も、何もかも。
この土地にこれだけの静寂が訪れたのはいつぶりだろうか。昨日までここは活気ある工業都市だった。沢山の兵器工場、沢山の整備ドック、沢山の廃品処分場が立ち並ぶ、この歪な機械文明の縮図のような場所だ。絶え間なくGS用大型トレーラーが行き来し、昼も夜も関係なく研究員や作業員が職務に明け暮れた。それはまるで、鉄と鋼の蟻塚のよう。無機質で規則的な喧騒は途切れる事を知らず、彼方から見た街は眠らない不夜城そのものだった。
———そんな静寂を、一陣のエンジン音が断ち切った。
このすり鉢状の大地、兵たちの集団墓地に、一台のGS用トレーラーが乱入する。
速度は明らかにオーバー、横転も自壊も覚悟の上なのだろう。すり鉢の縁から飛び上がった車両が僅かに飛翔し、既にひび割れていた運転席のフロントガラスは、接地とともに勢いよく木っ端微塵に砕け散った。ハンドルを握っていたのは、運転席の大きさと比べるとその特徴が顕著なほど小柄な少女。手入れ不足の針金のような長い金髪が風に煽られて顔にかかると、邪魔そうに首を振ってそれを払い除けた。
トレーラーは迷わず、最短距離でVOLTの膝下に突撃していた。荒れ地も、窪みも、瓦礫も、機械の残骸も、障害の悉くが存在しないかのような振る舞いだ。避けもせず、回り込みもせず、その進路は定規で引いたような直線。そんな走り方をしていれば車両は跳ねるし、歪むし、悲鳴を上げる。
———少女はその小さな手で大型車両を取り押さえ、引きずり回しているようであった。
しかし、それも長くは続かない。
何度目かの跳躍、何度目かのバウンド。何度も車体を衝撃が走り、遂に前輪が一つ外れて彼方へ転がり消えてしまった。本来ならそれだけで走行不能になるような設計ではないのだが、少女が出していたスピードは車体を大きく揺さぶるのに充分だった。制御を失った鉄の巨体は大きく傾き、そのまま横転してドリフトする。
ガリガリと乾いた地面を削り、砂埃を立てながら大型車両が腹をみせて大地を滑った。そんなトレーラーが動きを止めて砂埃に姿をうずめる頃、小さな人影が飛び出した。少女は邪魔そうに砂埃を振り払い、やはり真っ直ぐに赤銀の巨人の元へ走っていく。そんな彼女を、鉄面皮の視線が見下ろしていた。切れ長の睨めつけるような視線はあまりにも鋭く、星空の光を鏡のように照り返す抜き身の刀はあまりにも冷徹だった。
そんな巨人に真っ向から立ちはだかり、走り疲れて息も絶え絶えの少女が叫ぶ———
「ジョーッ!」
———その名を呼ばれて、巨人は刀を振り上げる。
一陣の風が、少女の髪を薙いだ。
乱れた金髪は背後にながれ、
『彼』を見上げる少女は僅かに目を細めている。
ガチンッ———刀が鞘に収まる、重厚な金属音。
巨人は少女に覆いかぶさるようにかがむと、片膝立ちの姿勢でうなだれる。逆光ゆえか、黒い影が星空を塗りつぶして、むしろくっきり映って見える。切れ長の両目が光を失い、各関節部から僅かに力が抜けるのが見て取れた。次いで、頭部の付け根から腰部の辺りまで連綿とつらなる脊髄上の器官、スパインブロックが動き出す。ドミノ倒しのように一つずつ、隣接するブロックに促されてもう一つ、ちょうど項の位置が盛り上がって隠されたコクピットハッチが露出した。
ハッチが開くと内部が高温なのか、まずは夥しい蒸気が勢いよく音を立てて噴出する。そしていくつかの駆動音を伴い、蒸気の霧の中に人影が現れる。その位置、地上からおよそ七メートル半にも関わらず、男は何の躊躇もなく飛び降りた。暑そうに、そして煩わしそうにパイロットスーツのジッパーを下ろすと、上半身部分が腰のベルトの位置までパックリ割れる。裸けた両肩を捻りながら袖から両腕を抜き出す。いったいどう鍛えればそうなるのか想像するだけ足がすくむような、ほぼむき出しの筋肉。それを、ところ狭しと傷がびっしり並び、傷の上に傷がいくつも折り重なった皮膚が覆っている。
———それは少女が見知った『彼』の両腕だった。
「言っただろ、ニナ。———なるようになるって。」
相変わらずの抑揚のない気だるげな声が、いつも通りに適当な事を言う。
そんな彼に、ニナはそっと震える手で触れてみる。黒いノースリーブのシャツは大量の汗で湿っていた。外気に触れたというのに、まだほんのり温かい。そして、薄い布一枚向こうにある鋼のような身体は———やはりホンモノだった。地上戦艦五隻を伴う大艦隊に、数え切れないほどの最新鋭機、そして街を滅ぼしたキノコ雲・・・その全てをねじ伏せて、男はこうして立っている。
「もう・・・あんたって奴は———」
———不死身なんじゃないか、とニナは感じていた。
赤銀の死神編 終
赤銀の死神編 エピローグ
あたたかな日差しと柔らかな風が、病室の半開きの窓からやってくる。白く透き通ったレースカーテンが不規則になびいて、見ているだけで心地よい。
「風があるな。閉めようか?」
気を利かせたアントニー中尉が、言いながら椅子から立ち上がろうと上半身を倒す。しかし病床に横たわるロベルタ二等衛生兵は、僅かに目を閉じて首を振った。
「大丈夫。それより私、こんなにして貰っちゃって。」
申し訳なさげに視線を落とす。彼女の腕には幾重にも包帯が巻かれていた。両足も、首も、肋骨の半数以上も、全身実に五十箇所以上の大小さまざまな骨折を抱えて、彼女は静かに横たわっている。
———そんな女性を、どうして責められようか。
アントニー中尉は彼女の手に優しく触れ、申し訳程度に顔を覗かせる色白の指先をゆっくり握り込んだ。
「いいさ。僕が『好きに』して、———勝手にやった事だ。良い医者がが見つかって本当に良かった。」
もう一陣、風が吹いた。
ロベルタの髪が顔にかかると、アントニー中尉は慣れない手つきでそれを退かす。触れて良いものか、痛くはないだろうか、———そんな迷いを指先から感じる。その葛藤が、今のロベルタには心地良い。
『あの戦い』から三日間———それはアントニー中尉にとって戦闘以上に慌ただしく、また気が気ではない時間が続いた。
誰もが無傷ではいられなかったあの狂気の檻を、二人は必死に駆け回って出口を探した。人や物で塞がって通れない場所、火の手が及んで近づけない場所、扉が壁ごとひしゃげてしまった場所、———様々な『行き止まり』を乗り越えて、二人はなんとか脱出に成功した。
しかしそれは、あの場限りの火事場の馬鹿力。アドレナリンの成せる技でしかなかった。アントニー中尉の傷は、艦長におられた前歯と強打した肋骨数本の骨折。痩せ我慢でどうにでも出来る程度のダメージだ。
だが、ロベルタ二等衛生兵は違った。その異変は、戦場をいち早く離れる為に少々強引に都合した車の中で始まった。息を荒げ、ひどく発熱し、ぐったりするロベルタ。街中では痛々しい戦闘痕が、街を離れても未舗装の荒野が、疾走する自動車を容赦なく突き上げて車内を激しく揺さぶった。それがまた、傷ついた彼女の身体にはよくなかった。一番近い別の街へ辿り着いた頃には、ロベルタはすっかり息も絶え絶えの状態でぐったりしていたのだ。
アントニー中尉は街を必死に駆け回った。中尉は軍人である事をどこまでも活用し、周囲の集合住宅や民家から水や食料、鎮痛薬や応急処置の道具などを民間人に求めた。これを断る事は法律上出来ないので、人々は渋々ではあるが、なけなしの食料や薬を譲らざるを得なかった。そしてその甲斐あってか、アントニー中尉は幸運にもさる無免許医の門戸を叩いた。
ゴンゴンッ———
「夜分遅くにすみません、軍の者ですが———」
ノックというにはあまりにも野蛮なのに、その口調は焦燥のさなかでも丁寧さを忘れない。そんな青臭くも真っ直ぐな声を聞いて、老齢の男は戸の向こうからでは正しく聞き取れない返事をした。
中尉の前の戸が開くと、そこにはグシャグシャに丸めた新聞紙を広げたような、シワにシワが重なったような顔の男が立っていた。剥げかけた頭頂部以外は毛量はむしろ多く、しかし一切の手入れをされていない無精髭はヒトというより獣のようであった。動物図鑑の猿の並びにこの顔が載っていても、恐らく誰も違和感を抱く事はないだろう。
「兄さん、階級は?」
ぶっきらぼうに言う男。アントニー中尉は僅かに気圧されながらも、ここへ来た目的を思い出して気丈に振る舞う。
「中尉であります。この近くのキャンプで水と食料、それから薬が不足してるので、申し訳ないが民間の義務に則り・・・」
「一人でかい?」
最後まで言い終える事もなく、男の質問が中尉の言葉を断ち切った。
「将校サンが部下の一人も引き連れず、しかも使いっ走りってのは・・・おかしいよなぁ?」
ぎょろりと、老齢の男の怪しい相貌が中尉に向けられる。
貧しくて汚らしい風貌とは裏腹に、この老人はこの街で出会った誰よりも聡明に思えた。
「いいさ、ワケアリなんだろ。———連れてきな。」
アントニー中尉は理解するのに少しだけ時間を必要とした。しかし、そのボロ小屋の奥から香る薬と消毒剤の匂いでようやく、目の前の男の正体を理解したと思った。
敬礼し、感謝を述べながらアントニー中尉は駆け出した。生き延びた幸運と、その男に出会った幸運、その両方を噛みしめる彼に疲れはなかった。どこまで走ろうと、息を切らそうと。
そしてロベルタは一命を取り留めた。簡素な食事と市販の鎮痛薬では、こうは行かない。本物の医学の知識と、それを活かす器具や機材と、それを使いこなす医者がいてはじめて命は救われるのだ。
———その奇跡を噛み締め、アントニー中尉はロベルタの髪を顔から退けて流すと、そのまま何度か頬を撫でた。
そうして暫く無言の時間が流れると、風が止んだ。柔らかな風に煽られて踊っていたカーテンもいつしか動きを止めていた。中尉は、それを合図だと直感する。
「中尉?」
撫でるのをやめて、中尉は懐から小さなメモ帳を取り出した。不安げにこちらに顔を向けるロベルタと一瞬目が合う。
中尉はペンを持ち合わせていなかったので、近くに転がっていた適当なペンを借りてページの上を走らせた。
「僕はさ、ロベルタ———」
書き終えるとページを破いてメモ帳から切り離し、二つ折りにして見舞いの花が入った花瓶を重しに机に置いた。
風で飛んでしまわないように・・・というのは方便だ。本当は、それを直接渡すのがあまりにも気恥ずかしかっただけ。
「僕はね、君を助けられて本当に良かったと思ってるんだ。こうして二人無事なのは、やっぱり何かの縁で・・・いいや違う、そういう事が言いたいんじゃなくて・・・!」
痒くもないくせにせわしなく動き、顔を背けたり、頭の後ろを掻いてみる中尉。ロベルタはそんな姿を静かに、しかし嬉しそうに見ていた。
「いずれ元気になったら連絡してくれ。その時はメソ・キャピタルの方にでも遠出して、何か良いものでも食べに行こう。」
ロベルタが静かに頷くと、アントニー中尉は病室を後にした。無免許医と何か二三言葉を交わしていたようだが、ここは存外壁が厚くてよく聞こえない。しかし、あの中尉の事だから律儀にお礼やら挨拶やらを言いに行ったのだろう。
本当はまだ動かすべきではないのに、そうすれば痛みが走って、患部が刺激されて治りが遅くなると———衛生兵の彼女は———わかっているのに、ロベルタは一生懸命に手を机に伸ばしていた。中尉のメモに触れたかった。こんな包帯でぐるぐる巻きの手では花瓶を退かして何が書かれているかを確認することは出来ないが、それは退院までの楽しみに取っておこうと思う。
「・・・意気地なし。」
ロベルタが小さな声で呟いた。
指先に、粗悪な再生紙の手触りを感じる。そこには、まだ中尉の温もりが残っていたような気がした。
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あれほど連続していた爆発も、あれほど轟いていた砲撃も、あれほど戦艦を力強く揺さぶっていた戦闘の余波も、もはや何処にもありはしない。嘘のような静寂が、この夜闇に溶ける漆黒の艦内をも支配していた。
———これはまだ、VOLTと同盟軍艦隊の戦いが終結して五分もしない頃の出来事だ。
ライトウッド少尉は、ようやく目的地にたどり着いていた。長い道のりを、彼は彼なりに、諦めずに踏破してみせた。いつ潰れるかもわからないひしゃげた通路、黒鉛が充満して呼吸さえままならない排熱ダクトの中、高熱化した金属壁に売れた腕や身体を焼かれながら、それでもこの場所を目指していたのだ。
———それこそが『兵士の務め』と信じて。
そこには僅かな照明があった。艦のシステムの照明ではなく、何者かが持ち込んだライトの光だ。壁面には、大きなヒトガタの影が映し出されている。
この辺りの構造はほとんど歪んだり、破壊されたりしていなかった。いくつもの砲撃を受けても、それでどれほど表層の隔壁や通路や施設がやられても、やはりここに攻撃は届かなかったという事なのだろう。少尉は自前の通信デバイスの明かりで足元を照らしながら、最後の通路を靴音をカツカツと立てて進んだ———それはもはや意味のない巡礼、あるいは殉教の道だった。
「・・・若いな。」
少尉が『そこ』にたどり着くと、先客が絞り出すような声で言った。壁に背を凭れ、足をだらりと伸ばした男の姿が、ライトウッド少尉にもようやく見て取れた。
光は彼の脇の大きなライトから発せられたものだった。反対側には自動小銃が乱雑に投げ捨てられていた。男は見たところ老齢。マントのように羽織っていた軍服の上着の階級章を確認すると、ライトウッド少尉は勢いよく踵を打ち合わせて背筋を伸ばし、美しい敬礼をしてみせた。
「観測班所属、ライトウッド少尉であります。大尉殿!」
聞き届けると、大尉は静かに頷いた。
「ご苦労、休んで良し。・・・だが、少し来るのが遅すぎたな。もう終わってしまったぞ。」
「は。申し訳ありません。奮戦虚しく・・・いえ、ひとえに私の力不足であります。」
労う大尉に、少尉は敬礼の姿勢を解かないまま言葉を続けた。少尉はそれで、大尉は目が見えていないことを確信する。
「変わらんよ、俺も。ここへ来ればなんとかなるかと思ったが・・・こいつじゃなぁ。」
自嘲気味に笑いながら、大尉は傍らの自動小銃を持てる限りの力で引っ叩いてみる。すると、銃は少しだけ置かれた角度を変えて見せた。
———そう、意味はないのだ。何せここにあるのは戦艦の心臓部、小型原子炉なのだから。
小型とは言っても、それは通常の原子炉と比べた話だ。広い施設と巨大建造物を用意してようやく成立する発電所の原子炉に比べれば、この戦艦に詰め込める程度の大きさにまで圧縮された原子炉は十分小型と言える。しかしそれでも、その膝元から見上げて頂上が見えないほどには、小さな人間の身体からしてみれば十分巨大な建造物と言わざるを得ない代物なのだ。
ライトウッド少尉がここへ持ち込んだ武器は拳銃、大尉が持ち込んだのは自動小銃。まるで話にならない。そんなものでは原子炉の外装に穴の一つも開けられないだろう。———これを爆弾として使って一か八か、VOLTを吹き飛ばす爆弾に利用しようなどと、夢のまた夢である。
「悔しいなぁ、少尉。とはいえ・・・俺たち兵士は、」
その先の言葉はない。敬礼したまま最後まで聞き届けるつもりのライトウッド少尉だったが、待てども待てども先がなければ、年若い少尉でもその意味を理解するのは難しくなかった。
静かに、しかし確実に一歩一歩大尉の方へ足を運ぶ。カツカツという靴音がぴちゃりという水音に変わった時、少尉はたまらず駆け足になっていた。大尉のそばまで駆け寄ると、少尉は片膝をついて大尉の脚に触れる。それはちょうど膝あたりで口を結んだ砂袋のようであった。その先は何もなく、大尉の周囲を満たす液体は、彼自身の夥しい流血だったのだ。
そこから腕へ、腕から肩の方へ。順番に指先を這わせて行く。暗闇で指が引っかかったのは、上着の袖に縫い付けられた腕章だった。
「技術士官の特殊章・・・それじゃ、あなたは技術大尉だったのか。」
元来、技術士官は戦闘員ではない。技術者である事———電気室や機関室、GS格納庫の整備ドックで日夜兵士たちをサポートする事こそが、彼ら技術士官の最大の戦いなのだ。
———そんな技術者たちの長が、自動小銃で原子炉を破壊できない事ぐらい知らないはずがない。
「あなたは勝てないと知って、無意味に散ると知って、それでも———」
———それでも立ち向かった。『技術者』としてではなく『兵士』として。
そのあり方に敬意を表し、少尉は今一度敬礼する。鎮魂の静寂の中、ライトウッド少尉は思いをはせる。同じ戦艦にいて、同じ結論に至った偉大な先輩の事を想う。同時に、二人はこんなにも似ているのに、結末は何故こうも違うのかと。
理屈の上ではいかようにも説明できる事だ。技術士官なら機関室やその周囲に、つまり戦艦の撃沈とともに真っ先に潰れたエリアにいた可能性は高い。そこできっと、奇跡的に潰れたのは片足だけだったのだ。一人だけ生き残ったなら、自分だけがまだ動けるのなら、兵士として成すべき事は決まっている———最期の刻まで戦い続けるのだ。標的を撃滅せしめるまで、あるいは、其の命尽きるまで。
持ち場にいたからこそ、『兵士の矜持』に突き動かされた大尉と———
———持ち場を離れて奇跡的に難を逃れたからこそ、この場に辿り着いた少尉。
対極の二人がこの場所で邂逅した意味は、本当に理屈で説明できるだろうか。
少尉は、ふと大尉の首元に輝く違和感に気がついた。恐る恐るその輝きに手を伸ばすと、それは細くデリケートな鎖の一部だと分かった。ペンダントか何かだろうか。少尉はそれを手にとってよく観察してみる。
鎖を手繰ると、卵のような楕円形の平べったい物体があった。留め具とスプリングの簡単な仕掛けで開くロケットらしい。少尉は片手でそれを持ち上げると、親指で器用に開けてみる。
”ISAAC & MARRY SAMSON, PRECIOUS DAYS START HERE (イサークおよびメアリー・サムソン夫妻、かけがえのない日々がここから始まる)”
そんな文字に縁取られた、若い二人のカップルの写真があった。男は生真面目そうな顔立ちでタキシードを着ていて、相手の女はお姫様抱っこに浮かれていたのか、その仏頂面を抱き寄せて口づけしていた。黄ばんだ古い写真なのに、そのドレスが艶やかで真っ白なウェディングドレスだとひと目で分かった。
その写真の隣には、後から貼り付けたのがすぐに分かるもう一枚の写真があった。蓋の裏についていた上に、明らかに材質が違ったからだ。端的に言えば、先の写真の埋め込み方より明らかに出来が悪い、素人の手作業丸出しなのだ。そこにはまだあどけない顔立ちで、精一杯の凛々しさを演じる少年の顔が写っていた。
「すみません、イサーク・サムソン技術大尉殿。せっかく兵士の生き様を、そして死に様をも教えていただいたのに。」
パタリとロケットを閉じると、少尉はそれを強く握り込んで勢いよく引っ張った。
鎖が音もなく切れると、首を引っ張られて大尉の身体が頷くように跳ねた。
「———自分はまだ、あなたの元にはいけません。」
ペンダントを強く握って、この区画の天井を見上げる。しかし、見ているものはいくつもの鉄板をボルトで打ち付けた、そんな天井そのものではない。
より高く、
より彼方の、
甲板の更に向こうの———赤い悪魔。
———少尉の相貌には、いつしか決意の黒い炎が宿っていた。
——————―
———――
———――
——————―
戦いの日、その晩———
ジョーとニナは既にねぐらに戻っていた。決戦の地が工業都市という事もあり、壊れたGS用トレーラーの変え部品や修理機材を見つけるのはそれほど難しくなかったのだ。無論、それはニナのメカニックとしての類稀な才能と技術あっての事ではあるが。
二人のドックに帰ると、ジャンクパーツや組立中のモジュールブロックの並びにVOLTも安置される。
「ジャンクじゃないGSがうちのドックにいるなんてね。壮観だね。」
片膝を付いてうなだれる赤い巨人を見上げてニナが言うと、ジョーも同じ方を見上げながら「ああ。」と短い返答をした。
こういったGSの整備用ドックには巨人を直立させて置くためのレーンや、直立させた状態で整備するための可動式ブリッジがよく用いられる。その例に漏れず、このドックにもレーンやブリッジは用意されているのだが、十五メートル級GS用の機材は備わっていないのでVOLTはしょうがなく座らせているのだ。VOLTを整備するより先に、まずは整備環境そのものを整備しなければならないとは。改めて『とんでもないプレゼント』を渡されたものだ、と二人は呆れ混じりに居間の方へ向かうのだった。
居間に戻るなり、ジョーは汗が染みたシャツを煩わしそうに脱いでソファーに放る。そして奥の方に敷いたブルーシートにあぐらをかくと、ガラクタの山から手頃なバネと筒を手に取り、指で抵抗を確認したり中を覗き込んだりしてみる。こんなゴミの山でも、工夫すれば手頃な武器や日用品が出来る事もあるのだ。
「ジョー!ちょっと来て。」
背後でニナが呼んでいる。しかしジョーはガラクタいじりを始めたばかりで作業の手を止めたくなかったので、ここは聞こえないふりで乗り切ろうとする。
「・・・もう。」
呆れ混じりの溜息をついて、ニナの方からジョーへと歩いていく。
極度の面倒くさがりで、多着で、だらしなくて・・・あれほどの戦いを乗り越えたというのに、この男は何も変わっている様子がない。そんな姿にどこか安堵のようなものを感じながら、ニナは無言の背中に向かっていく。
———バサリと、何か大きな布がジョーの頭と背中に覆いかぶさった。
「これは?」
作業の手を止めて、ジョーはニナの方に向き直りながら布に触れてみる。
それは軽くて丈夫な黒い布だった。表面と裏面で別の生地が使われている。表の生地は傷や汚れに強く、裏側はしなやかな手触りだ。それでいて、二層構造なのに風通しも良い。頭に被さったものはフードのようで、ジョーの方から胸にかけて紐が垂れ下がっていた。
「ロングパーカーっていうの?ほら、ジョーはおしゃれとか全然しないじゃん・・・だから・・・作った・・・」
照れくさそうに言うニナの声は、言葉を紡ぐ都度に少しずつ小さく、弱々しくなっていく。そんな彼女の変化に全く気付かない様子で、ジョーは左右の腕を袖に通していく。
「うん。これ良いな。軽いし丈夫そうだ。」
「そう!生地選ぶの大変だったんだよ!あと寸法!あんた本当に服のバリエーション少ないから参考になるものがなくって・・・ほとんど目分量でやったんだから・・・!」
封を切ったように吹き出るニナの文句を、当のジョーは聞いているのやら聞いていないのやら。腕を伸ばしたり、肩を回したり、胸を張ってみたりする。
「ぴったりだ、ありがとう。似合ってるか?」
何か気の利いたポーズでも取ればいいのに、ジョーはいつも通りの無造作な立ち姿で言った。
相変わらずの抑揚のない声だが、角度のせいか、それとも光の辺り具合がそうさせるのか。鉄面皮のジョーの口元が、少しだけ緩んだようにみえる。
「うん、想像した通りかっこいいよ!・・・それから、お誕生日おめでとう。」
その晩、ロングパーカーは上着だと言うのに、ジョーは就寝の時まで着用し続けていた。
それから、いつもよりはほんの少しだけ、ほんの僅かにではあるが———少しだけ素直にニナの言うことを聞いていた。
———その数日後、早朝。
ジョーは昨晩中断した機械いじりを再開し、ジョーより遅い時間に起きるニナはようやく目を覚ましたところだった。簡単な挨拶を交わしてから、ニナはボサボサの髪を手ぐしでとかしながら洗面所に向かう。眠気はまだまだ抜けきらず、こすっていた目元が少しだけ赤くなっていた。
コンコンッ———
珍しい事もあるもので、誰かがこんな早朝からドアをノックした。
ジョーとニナは表向き様々なジャンクの修理屋を営んでいる。日用品から護身用の武器に至るまで、ほとんど何でも修理する業者だ。こういう業者は非常に多い。特に戦いが延々と続くこの土地ではジャンクパーツはいくらでも手に入るので、拾ったジャンクを修理して欲しいという客やら、ジャンクから何か有用なものを組んで欲しいという客やら、そういう需要で溢れているのだ。それでも、表の看板に書かれた始業時間より何時間も早く門戸を叩く客というのはやはり珍しいものだ。
「ジョー!出てー!」
洗面所から聞こえる声を、ジョーはやはり聞こえないふりでやり過ごそうとする。素直に言うことを聞いたのは期間限定の珍事らしい。
洗面所の鏡に映った自分を見るニナ。髪はボサボサだし、身につけてるのは寝巻き代わりの大きめのTシャツ一枚だし、眠そうな顔もだらしない。本来他人に見せられるような状態ではないが、これ以上客をまたせるわけにも行かないのでしょうがなく自分が向かう。
「はーい。誰ですかー?」
眠気を隠す気もない声色で言いながらドアをゆっくり開くと、そこには軍服の男が立っていた。
男は丁寧に会釈をすると、懐から軍人手帳を取り出す。
「こんな早朝からすみません。アントニー・アンダーソン中尉と申します。少しお話、よろしいでしょうか?」
赤銀の死神編 エピローグ 終




