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機甲大戦記VOLT  作者: 無銘
決別のシルバーバレット編
35/36

第三十五話『決別のシルバーバレット その④』






「・・・どうしましょう、これ。」


 居間から通信デバイスを持ってきたアントニー。画面を点灯したまま、長方形の薄い板が食卓の中央に置かれていた。メッセージは、たった一行。


”会いたいです。”


ジョーは大した関心を示さず、串に残った揚げ物の衣を歯先で削ぎ取っている。

 反対に、ニナとアントニーは困ったように腕を組んでいた。これが単に男女の逢瀬の問題なら、少女は迷わず茶化していただろう。それでひとしきり笑ったあと、二人を応援しただろう。


しかし、『これ』は少々事情が違う———。


同盟軍と完全に袂を分かったわけでは無い男と———、


———そんな同盟軍の女の、逢瀬。


 包み隠さない事が、せめてもの『誠意』か。今度の事案に始まった事では無いが、アントニーは自身の通信デバイスの内容を全て、ニナとジョーに公開している。二人が彼をある程度信用している一因もそこにある。この一ヶ月間、青年が二人を裏切るような、妙な通信をした形跡はない。

 アントニーはここまで、MIA(戦闘中行方不明)の体を貫き続けている。それは青年自身が抱き始めた同盟軍、そして同盟国への不信感故であり、ニナも重々理解しているつもりだ。


それでも、———『もしや』という事はある。


罠に飛び込んでも、むしろ食い破るほどの暴力。

裏切られても、むしろ返り討ちにするほどの殲滅力。

全てを事の成り行きと納得出来る、凪の精神。


傍らのジョーを、横目で見る———。

 彼にとっては、悩むほどの事でも無いのだろう。


腕を組み、もうしばらく考えるニナ。


———やがて、顔を上げる。


「ま、良いんじゃない?」


拍子抜けなほど軽い口調、シンプルな結論。

 どのような結論でもひとまずは受け入れる覚悟で黙っていたアントニーではあったが、これは予想外だと目を見開いた。


「・・・良い、とは?」


恐る恐る聞いてみる。

 するとニナは、苦笑しながら返答した。


「そりゃ、まあ・・・疑うべきなんだけどさ。」


そうと前置きして、改めてまじまじとアントニーを見るニナ。

 青年は面映ゆそうに顔を反らす。


「愛しのロベルタちゃんに私たちを紹介してくれるなら、って事でどうよ?」


「それが良いです。」


茶化されながらも、反論する気にはなれず。むしろ安心したように、アントニーは胸を撫で下ろして答えた。

 ロベルタと再会したい気持ちは本物だ。しかし、無条件で行って良しと言われるのは、それはそれで健全な気がしない。何より、ニナの申し出はアントニーが提案しようとしていた折衷案とも一致する。断る理由はなく、むしろ青年の心は納得と感謝で満たされていた。


「で、そのロベルタって人、どこにいるの?」


ニナが質問すると、アントニーは食卓から通信デバイスを拾い上げる。


「そんなに遠くないですよ。」


言いながらデバイスを操作して、マップ機能を起動するアントニー。何度か画面に触れると、周囲の地形を上空から見た様子がデバイスの画面に映し出された。


「僕たちが今いる、ズィーベン・アウゲがこの辺り。」


 テーブルに身を乗り出すニナ。ジョーも片眉を吊り上げ、盗み見るようにアントニーのデバイスの画面を確認する。

 アントニーが人差し指の先で示した『ズィーベン・アウゲ(七つ目の目)』という土地。それはジョーとニナがねぐらとする場所で、中洲そのものが町になっている。『アウゲ(河川の目)』とは、天然の河川と人工水路を繋いで作った人造の中州。元々は流水を工業に効率良く利用する為に作られた小規模な町だったが、それも過去。四方を水路に阻まれた地形がそうさせるのか、アウゲはどこも、独自の文化と秩序を持つ陸の孤島と化している。言わば、非公認の自由都市。

 土着のマフィアに、レジスタンス、過激な自警団、同盟国の私服捜査官など。様々な勢力が互いに知らないフリを貫き通し、無法の秩序を守って共存する。このズィーベン・アウゲもまた事実上の自由都市として、最長の河川の一つと名高いライン川に浮かんでいる。


「そこからライン川沿いを上流の方へ進んで行けば、彼女がいるルンデンベッケンの街ですね。この辺りだと、ここが一番大きな街かな。」


 画面上のライン川を指先でなぞるアントニー。蛇のように曲がりくねった大きな川の周囲には、太さも長さも様々な直線が格子状に広がっている。それらは全て街道だ。

 ライン川を上流の方へ遡った先、いくつもの街道が交差する場所。柔らかな砂地に巨大なスプーンを押し当てたような、そんな円形の盆地をこれでもかと開発した都市がある。ルンデンベッケンと呼ばれる、この辺り一帯の商業と歓楽の中心地だ。

 そうした人間が住める街は、広い荒野や山岳地帯、平原や高原、湖や大河など、様々な地形に隔てられ、何十キロメートルもの飾り気のない都市街道で接続されている。


統一国家・同盟国という支配の限界だ———。


 各地の河川に点在するアウゲだけではない。今や、ほとんどの大都市が『都市国家』の体を成している。

 同じ『同盟国』の旗印の元に統一されていながら、それぞれが固有の都市法を有し、固有の市長を有し、公認・非公認の自警団を有する。それぞれの違いを無視して世界を一つにした弊害だ。

 各都市が必要以上の接触を嫌い、互いの物理的な距離を保ちたがるのは道理であった。


———そんな『エゴ』が環境保全に一役買っているのは皮肉である。


「ルンデンベッケンかぁ・・・行って帰れなくもないけど、ちょっと遠いな。宿、取れるかな?」


デバイスの画面を見ながら、腕を組んで難しい顔をするニナ。


「どうせ移動はトレーラーなんだ、車内で良いだろ。」


「絶対やだ。」


悩む事はないと言いたげなジョー。

 しかしニナは、強い口調で反対した。組んだ腕はより強く、表情は険しく。狭い運転席か、硬い荷台か。どちらの選択肢も選ぶ気はないと、少女は態度で訴えている。

 そんな二人を見かねて、アントニーが溜息混じりに割り込んだ。


「三部屋ぐらい即日でも取れますよ。お金は僕が出しますから。」


「へぇ〜、流石中尉さん!お金持ってるね〜。」


アントニーの言葉を聞いて、途端に機嫌を直したニナ。軽く肘を当ててからかうと、青年は顔を反らしてしまった。


「茶化さないでくださいよ、もう・・・」


肯定も否定も、どちらもしづらい。それだけ、ニナの茶化しは的を射ていた。


 つい先日まで現役の中尉だったアントニーは、金だけは有り余るほど持っている。同盟軍の兵士というだけで平均以上の稼ぎは約束されるが、その将校ともなるともはや別格。独り身ではとても使い切れないほどの収入が毎月口座に流れ込んで来るので、気がつけばまとまった額が貯金されていたのである。

 そして事実上のMIAとなった今でも、口座の金が消える訳では無い。特にルンデンベッケンのような、ほとんどの事柄に金で話が付く世界では、彼の口座は最も有効な武器になるだろう。


 それから三人は少しずつ意見を出し合いながら、数日後に控える小旅行の計画を立てた。長くても二日そこらだが、ねぐらを空ける事になる。それ相応の計画と準備は必要だった。


「VOLTの本体と、今日取ったデータは持って行くべきだ。置いて行く訳にはいかないからな。」


切り出すジョー。その意見に、ニナも深く頷いた。


「大きい荷物になるけど、しょうがないね。ジャンクパーツと一緒にトレーラーの荷台に詰めて、いつも通りハゲタカのフリで誤魔化すかな。」


 戦場跡を物色し、売れそうなジャンクを収集し、横流しする業者。ハゲタカ。

 決して好意的に見られる職業ではないが、大きな荷物を運んでいても怪しまれない。似た者同士のジャンク修理屋だからこそ、二人がよく用いる偽装である。


「じゃあ、僕は大型車両でも泊まれる施設を探しておきます。GS用の大型トレーラーともなると、流石にどこでもって訳には行きませんから。」


 意見を出し合い、計画を形にし、各々の役割がはっきりしていく。やがて三者三様に成すべき事を見つけ、それぞれが準備に取り掛かった。


またたく間に、数日の時が過ぎ去った。





———

—————


———————




そして、当日———。





 天まで届くかという摩天楼。地上三十階を超える建造物の林が立ち並ぶ街並みは、何度見ても見慣れるものではない。GSという巨人の背丈でさえ、その足元に及ぶのがやっとなのだから。


ここは大都市、———ルンデンベッケン。


大型のGS用トレーラーさえもが、極一般的な車両に錯覚される。


 つい十数分前までの、延々と続く荒野とは世界そのものが違うかのよう。どこまでも続くかに思われた荒野の都市街道が滑り台のような傾斜に入った時から、その片鱗は視えていた。分厚い壁に守られた街は、むしろ砦を思わせる。そんな壁すらも突き抜けて、無数に天を目指して伸びているのが、この街を代表する摩天楼の大群なのだ。


 ルンデンベッケンの街は、三百四十平方キロメートルの範囲に、四方を正二十角形の壁で囲って築かれた大都市である。商業と娯楽の中心地。そして、見る者を圧倒する景色がそのまま観光資源にもなっている。

 これほど人や物の往来が激しい街ともなると、交通網も一工夫されている。地上を走るのはもっぱら、超重量級の大型車両や多脚歩行機。通常の車両や軽量の乗り物には、地上二階程度の高さに位置するショートカット回廊が用意されている。過密都市でありながら驚くほど交通の便に優れた、ルンデンベッケンならではの景色である。


 車両を専用駐車場に止めたジョー、ニナ、アントニーの一行。アントニーに案内を任せて、三人はなかなか訪れる機会がない大都会の大通りを歩いていた。頭上には半透明のレーンと、エンジン音を上げて通り過ぎていく軽車両が走っている。


「空中回廊・・・何度見ても心もとないですね。」


片手を額に。帽子のツバのようにして真昼の陽光を遮り、アントニーは透明のレーンを見上げていた。


「まあね。おっこちて来そうだよね・・・」


同じくレーンを見上げたニナも、アントニーの言葉に同調する。

 空中回廊と呼ばれる半透明のレーンを見上げると、過ぎゆく車両の底面までもが見て取れた。いずれもホバー装置で浮き上がり、地面スレスレを飛行するような非接触走行車両である。

 ジョーも二人のように見上げてみるが、二人の言うような恐怖は全く感じない。そもそも非接触走行なのだからレーン自体への負担は限りなく少ないし、途上でアクシデントが起こっても壊れないように設計されているのは周知の事実だ。頭上に限らず、どの空中回廊のレーンを見ても問題なく車両が行き交っているのが、安全性の何よりの証左だろう。

 しかし、そんな感想を敢えて口に出す意味はない。ジョーは黙したまま、視線を頭上から真正面に戻した。


 それから暫く、人混みの中を掻き分ける。行き交うのは、実に多様な人々。私服姿の住人たちや、着飾った男女。派手な装いの客引き。肉体労働者や軍属、そして物乞いまで。実に雑多で、互いに関連性のない面々。そういう者が大通りを埋め尽くしていた。

 そんな大通りを絶壁のように、左右から挟み込むのは無数の商業施設。数限りないほどの看板が立ち並び、戸は客を迎えようと開いている。衣服のブランドチェーンに始まり、装飾や金属類の店、美術品や伝統工芸品の店、大陸各地の料理専門店などが、広い街を狭苦しく埋め尽くしていた。


 大通りを抜けて、一行は人が少ない方へ。何度か交差点を曲がり、人混みがまばらになった頃、景色はより落ち着いたものになっていた。


「この辺は、ズィーベンにもありそうな感じだよね。」


周囲の住宅街を見回しながら言うニナ。

 環状交差点を渡った先は、いくつもの集合住宅が立ち並ぶ住宅街になっていた。灰色やクリーム色の、無数の立方体のようなマンションは、それも地上十階前後。中心街の摩天楼ほどの圧倒的な存在感はない。


「どうだかな。こっちの方が幾分小綺麗だ。」


ニナの視線を先を見て、僅かに首を振るジョー。

 ありふれたマンション群ではあるが、ジョーらのねぐらの街並みとは清潔感が違う。壁の落書きも、道路のヒビ割れもない。耐久性よりデザイン性を優先したような近代建築様式の建物は、住宅よりむしろホテルを思わせる。

 そんな景色を眺めながら、二人は環状交差点に足を踏み出した。


「ああ、ちょっと・・・!」


 止めようと手を伸ばすアントニー。しかし、一歩遅い。車両が道路を走っていない事を良い事に、ジョーとニナはいつの間にか中央の円形の島まで辿り着いていた。本来なら二つほど横断歩道を渡る必要があるのだが、二人はそんな回り道をする気はないらしい。

 一人だけ離れるわけにもいかず、アントニーも少し遅れて二人に合流する。道路の此岸から島へ、そして島から対岸へ。住宅街の方へ渡り切ると、目的地はもうすぐそこだった。


「この住宅地の並びの・・・ああ、あそこです。」


 同じ住宅街にありながら、他より少しだけ背が低く、少しだけ古そうな棟を指さすアントニー。無免許医のジョージと、そしてロベルタはそこにいる。外見からは判別が付かない、秘密の診療所。そこにはひっそりと明かりが灯っていた。


今更になって、アントニーの手は震えていた。


「何よ、緊張してんの?」


先に変化に気付いたのはニナだった。

 アントニーが小さく頷くと、少女は溜息をつく。そして軽く青年の背中を叩いた。


「会って、話して、帰るだけでしょ?どうって事ないよ!ほらっ!」


落ち着きのない手を、握り込んだり開いたりするアントニー。そして一歩一歩目的地に近づきながら、小さな弱音が口を突いてポロポロとこぼれる。


「そうですけど・・・でも僕、彼女の事あまり知らないし・・・なんなら二人との付き合いの方が長いぐらいだし・・・」


言っている間に、三人はもうドアの前。


もはや後戻りも、猶予もない。

約束の時間にも、ピッタリ。

整理が付かない心と、震える指先。


———乱れゆく呼吸で、呼び鈴に触れる。


「難しく考えるな、アントニー。やる事済ませて帰ってくれば良い。」


 風情も情緒もあったものではない。タスクの一つを熟すだけのような、ジョーの言葉。どういうわけか、そんな乾いた心意気が、今のアントニーには妙に馴染む。


深呼吸を一つ。


それで青年は、呼び鈴のボタンを奥まで押し込んだ。





ジリリリリリッ———、


———今日日珍しい、モーターベル方式だ。





 ほんの数秒か、十数秒か。しかしアントニーには、時間が延々と引き伸ばされたような錯覚があった。その果てに、ロックが外れる小さな音。そしてドアが開いた。


「・・・フン。ひと月見ないうちに、呼び鈴を鳴らすだけの知恵は身につけたらしいな。それともお友達の入れ知恵か?」


 ドアを開いたのは、しかめっ面の初老の男。無免許医のジョージ。初めて会った時の事をまだ根に持っているのか、挨拶代わりの皮肉がアントニーを出迎えた。

 当時のアントニーは、誰彼構わず、時間も顧みずに助けを求めていた。焼け落ちる戦艦の残骸からようやくロベルタ二等衛生兵という唯一の生存者を救出したというのに、当のロベルタは酷い高熱に浮かされていた。全身何十箇所にも渡る打撲と骨折を抱え、意識も曖昧なままに生死の境を彷徨っていた。


助けるためなら、何だって———。


そんな願いが天に届いたのか。

 虱潰しに門戸を叩き、水や応急処置の薬を集めていたアントニー。そんな時、彼が奇跡的に辿り着いたのが無免許医ジョージ・フレンスブルガーの住処だったのだ。


「その節はどうも・・・」


会釈し、そのまま足元の紙袋を取るアントニー。


「あの時は、本当にありがとうございました。これはほんの気持ちです。」


 手渡したのは、高級茶菓子の詰め合わせが入った紙袋。そこそこ名の知れた、老舗のチェーン店が誇る逸品である。手ぶらで来るわけにもいかないが、ズィーベン・アウゲは何せ飾り気のない町だ。土産物の一つも見繕うのは難しい。そこでアントニーは、先ほど観光がてら大通りを歩いていた時に土産の菓子を買っておいたのだ。

 ルンデンベッケン在住の相手にルンデンベッケンの街の土産を渡すのは何やら場違いな気がしないでもないが、何も無いよりはマシだろう。大事なのは気持ちなのだから。


紙袋を受け取る。

 ずっしりとした重み、———菓子だけじゃない。


「気を遣わせたな・・・ありがたく。」


中身の正体を察し、ジョージも小さい会釈を返した。

 決して要求したものではないだけに、妙に気を遣わせてしまったらしい。若者にタカるようで癪だが、ありがたいと感じるのもまた事実。先立つものがなければ世渡りは叶わず、如何なる額でも背に腹は代えられないのだから。


 ジョージは三人を家の中へ通すと、ドアを閉じながら玄関のフックを指さした。一列に並んで、壁から生えた五つのフック。うち一つには、古びたコートが引っ掛けられている。その下に目をやると、ジョージのものであろう、使い古された小汚い革靴が踵を揃えて置いてあった。

 アントニーとニナはそれぞれの上着と履物を脱ぎ、ジョージのものに習って玄関に置いていく。不意にニナが振り返って見ると、ジョーは靴だけ脱いで上着は着たまま。


「・・・ジョー!」


ニナは肘でジョーを小突き、纏った黒いロングパーカーの袖を引っ張る。

 僅かに躊躇うジョー。これもマナーの一つだと、ニナは眼差しで訴えている。そんな彼女の表情を見て、ジョーは諦めて上着に手をかけた。過剰なまでに発達した筋肉に、多種多様な無数の傷跡。否が応でも目を引いてしまう。

 努めて見ないように、目をそむけながら奥の部屋へと案内する無免許医。それでも、横目で確認せずにはいられない。長く人体と向き合ってきたジョージであっても、あんな『腕』は見た事がないからだ。


皮膚と言うには、あまりにも分厚く。

筋肉と言うには、あまりにも力強く。

骨格と言うには、あまりにも頑丈な、———五体。


触れなくても分かる、———ヒトの身体じゃない。


刺傷、切傷、裂傷、

挫傷、挫滅傷、剥皮傷、

咬傷、貫通傷、腱断裂傷、


診なくても分かる、———ヒトの傷じゃない。


 そして扉が開くと、窓際にはベッドが一つ。長く美しい黒髪をそよ風になびかせ、端正な顔立ちの女が来客を待ち侘びていた。新品と錯覚するほどに綺麗に洗濯された軍服は、しかしあの戦いでほつれた糸はそのままに。パリッとアイロンを掛けたシャツもズボンも、一切のシワやたるみは無く。


「中尉、会いたかったです。」


おぼつかない、危なげな足取りで立ち上がるロベルタ。

 アントニーが何か言葉を紡ぐ前に、二等衛生兵は深く頭を下げていた。


「ロベルタ、———僕も。」


言葉を返すアントニー。

 顔を上げたロベルタの表情を見ると、脳内で紡いでいた言葉が霧散する。それだけ彼女の笑顔は眩しく、青年を圧倒するものだった。


「私の我儘ばっかり聞いてもらっちゃって。」


言いながら、ベッドに腰を降ろすロベルタ。今はこれが限界だ。

 僅かに肩を上下し、項垂れて呼吸を整えるロベルタ。そんな彼女の隣に座って、アントニーは彼女の手の甲に自分の手を重ねた。


「元気になってくれて良かったよ。先生のお陰だね。」


静かに、しかし深く頷くロベルタ。


「一度、ちゃんとお礼を伝えたかったんです。あの遺体の山の中から引き上げてくれた時も、お医者様を見つけてくれた時も、慌ただしくて言いそびれてしまった。その後は、あなたの方が遠くへ行ってしまったから。」


 手のひらを翻し、アントニーの手を握るロベルタ。震える程に力を込める。絶えず微動する頼りない指先を、離すまいとアントニーも力を籠めた。優しく包み込むように。

 青年の手の感覚を確かめながら、ロベルタは真っ直ぐに向き直った。


「ありがとうございます、アントニー・アンダーソン中尉。何もかも。」


ロベルタを見つめるアントニー。

 軽く目を瞑り、静かに首を振る。


命を救ったのは、無免許医のジョージ。

焼け落ちる戦艦から逃げ遂せたのは、ジョーが戦っていたから。


アントニーは、ただ走っただけ———。


———彼女を連れて、我武者羅に。


あの地獄を、———生き延びる為に。


「僕は大した事はしてないよ。良い人に沢山巡り合ったから、運良く迷わずに済んだ。」


ジョーとニナに目配せし、先を続ける。


「・・・それだけなんだ。」


そんな『良い人』たちに、ロベルタも目を向けてみる。

 小柄な少女は、まだ成人したばかりという風貌。その傍らにいる男は、用心棒だろうか。軍人でも滅多に見ないような超然とした肉体に、身の毛がよだつ程の傷の数々。恐ろしくなったロベルタはすぐに視線を少女に移し、小さく会釈する。


「座ったままでごめんなさい。二等衛生兵のロベルタ・スーと申します・・・今は、ただの病人ですけど。お二人が、中尉がおっしゃっていたお友達ですね?」


笑顔のまま、困ったように眉を寄せるロベルタ。そのまま立ち上がろうとすると、ニナが急いで静止した。


「ああ、いいよ座ったままで。聞いてた通りというか、なんというか・・・これで「立て」なんて言ったら鬼でしょ?」


 アントニーもロベルタを静止しながら、ベッドから立ち上がる。そして平手をニナとジョーの方に向ける。


「ごめん、紹介が遅れた。この人たちがメッセージの方でも伝えた、最近知り合ったメカニックの二人だよ。」


「私はニナ・ゲッペル。で、こっちがジョー。よろしくね。」


 紹介されて、軽い口調で挨拶をするニナ。ジョーは黙って、壁際に立ったまま。それを見越して、ニナはジョーの紹介も済ませてしまう。そして肘で青年を小突くと、ジョーは申し訳程度にロベルタを一瞥し、コクリと頷いた。

 そんな相棒の様子に頭を悩ませながらも、今に始まった事ではないと溜息をつくニナ。


「ごめんね。悪いやつじゃないんだけど、ちょっと口下手でね。」


フォローするニナ。ロベルタはチラチラと横目で見てジョーを気にしながら、問題ないと首を振った。

 ジョーはそれでも黙ったまま。しかし、視線にはしっかりと気付いている。背後から感じるジョージの視線と、正面から向けられるロベルタの視線。いずれも、青年の身体を見て怯える者の視線である。


「・・・事故の古傷だ。気にするな。」


たまらず、いつもの言い訳を口にするジョー。


 そうと言われれば、ロベルタはそうと納得する他ない。どのような事故に遭えばあれほどの恐ろしい傷を負うのか。どうやってそんな事故から生還したのか。問い質せばいくらでもボロは出るだろうが、そうする意味も勇気もない。


ジョーはアントニーの友人のメカニック。


それで、———充分なのかも知れない。


 ジョーの事は、詮索しても仕方がないのだろう。この『友人たち』の事も、今アントニーが何をしているのかも、ロベルタの窺い知るところではない。これもまた、詮索しても仕方がないのだろう。そうと己を納得させて、女は思考を切り替えた。


「あっ、そうだ。これだけは絶対にお渡ししたくて。」


 ワイシャツの第一ボタン、そして第二ボタンと順に外していくロベルタ。首元を締め付けていた襟が緩み、鎖骨辺りまで肌が露出する。そこには、銀色の細いネックレスが煌めいていた。

 そんなネックレスの『飾り』は、装飾というには少々物騒な姿。親指程の長さの、円筒形の、丸みがかった先が鉛色であれば誰もが見慣れたもの。銀色のボディーに彫り込まれたなだらかな流線の意匠は水紋のようでも、鳥の羽のようでもある。


「シルバーバレット・・・?」


アントニーにとっては見慣れた物。

 思わずその名を口にすると、ロベルタは小さく頷いた。


銀色の、———実弾。


首元でキラキラと輝くシルバーバレットを手で包み込み、ロベルタは勢い良く引っ張った。



つづく


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