第三十三話『決別のシルバーバレット その②』
VOLTのコクピット、慣れたものだ。それでも、奇怪である事は間違いない。生物的な手触りの内装は、怪物の腹の中を思わせる。
他のGSとの決定的な違いは、外界を映すモニターが存在しない事だ。
真っ暗闇の只中に、各種計器の明かりだけが明滅する狭い空洞。肘掛けの位置には、左右に操縦桿。合計一対のグリップタイプコントローラーと、足元にはやはり一対のコントロールペダル。人型兵器を操縦する為の装置としては、拍子抜けなほどシンプルだ。
そして、———ビジュアルコネクトヘルメット。
後ろ髪のように、いくつもの太いケーブルを伸ばしたフルフェイスのヘルメットである。パイロットと外界を完全に遮断する、異界への扉。バイザーはおろか、僅かな覗き穴も亀裂もない。そればかりか、空気穴さえ存在しない。
———それらは、必要ないからだ。
「あー、あー。聞こえる?」
ニナが徹夜で作った装置のイヤピースから、少女の声が響いてきた。VOLT稼働中のバイタル情報を拾う受信機の生体コネクターでありながら、律儀にも通常のイヤホンの機能まで付いているらしい。道理で制作に時間が掛かったのだと納得するジョー。
そして、イヤピースの位置を指先で調整しながら返答する。
「ああ。こっちは良好だ。」
少し離れたところから、アントニーの声。
マイクから遠いので聞き取りづらいが、バイタル情報の受信はメインコンピュータの方でも上手く行っているらしい。
「・・・だってさ。それじゃあ、ジョー、良いかな?」
最終確認———。
ジョーは操縦桿から手を離し、ヘルメットを胸元に抱える。
「ああ、いつでも。」
覗き込む先は、真っ暗な兜の最奥。
VOLTという異界に続く、暗黒の門である。
「・・・テスト、開始!」
「了解。」
号令と共に、ヘルメットを被る。
VOLTの起動、———それは意思一つで。
キュッと締まる首元。
次いで、口を覆うマスクから酸素が供給され始めた。
『VOLT 3 ACTIVE』
真っ暗な視界に浮かび上がる、青白い文字。
飾り気のない、極ありふれた書体の文字が真正面に表示され、明滅する。そして数秒の後、文字が消えると同時に、暗黒の視界が色を帯びていく。
二つの映像が、『重なる』———。
一つは、コクピットの内部を映した映像だ。薄暗くて、狭い空間。計器の明かりだけが明滅する場所だ。手元の操縦桿も、足元のペダルも、肉眼で見ていた時よりよく見える。
パイロット、———ジョーの目で見た映像だ。
VOLTの視界は、レイヤーとして管理されている。パイロットは都合、いくつもの別々の映像を、全く同じ瞬間に見せられるのだ。
基底となる『パイロットの視界』。そこに重ねて、『外界の視界』が広がっていく。
機体、———VOLTの目で見た映像だ。
システム起動時に現れた文字と入れ替わりに、鮮やかに広がる外界の景色。眼前の暗黒が、色という色に押しのけられる。
垂直視野角、———およそ百三十度。
水平視野角、———およそ百八十度。
人間の視野は、だいたいその辺り。VOLTの視野は、その先へ先へと貪欲に広がっていく。
いとも簡単に塗りつぶされて、景色は更に『向こう』へ。
頭上が、
足元が、
左右から、———背後さえも。
三百六十度、———全ての『死角』が、『景色』に消えた。
こうして『人間の視野の映像』に、『VOLTの視野の映像』のレイヤーが重ねて映し出されるのだ。
脳波コントロールパイロットシステム(BCP=Biological Control Pilot system)で機械の身体と直結した脳が知覚するのは、特殊な視覚ばかりではない。
パイロットの脳と、全身を覆い尽くす神経網。VOLTの全身に張り巡らされた、別の神経網。パイロットの脳を橋渡しに、二つの大いなる回路が絡まり、繋がり、一つの束を成すように接続されていく。
刹那、———開通する感覚。
それは発見、あるいは発掘に近い。
腕の先に、———腕がある。
脚の先に、———脚がある。
顔を上げて、拳を握る。
首筋から脊髄を通って、———足先まで。
力を込めて、立ち上がる———。
加速度的に地面が離れ、整備ドックの天井はすぐ直上に。
気付けばジョーは、ニナとアントニーを見下ろしていた。
塔を見上げるように、立ち上がる巨人を目で追っている二人。VOLTの足元に立って、起動する巨人の様子を見守っていた。
「起動完了。ニナ、聞こえるか?」
稼働テストの第一関門、無線通信。打撃、斬撃、砲撃、爆撃ばかりか、電子的な干渉をも許さない、VOLTの絶対防御。
しかし、過去のテストでは意思の疎通に成功している。
あれがマグレでないのなら、ニナの仮説が一つ、証明されるだろう。
「うん、聞こえる!って事は・・・」
通信デバイスを片手に、メインコンピュータのモニターの方へ振り返るニナ。手ぶらのアントニーが、駆け寄って確認する。
「信号、入ってます!変わりなく!」
真っ黒い画面に、白い文字。無機質な短文が一行、また一行と追加されていく。
「よしよし、ここまでは順調だね・・・」
耳に通信デバイスを当てたまま、一足遅れたニナも、モニターの前にやって来た。視線の先には、確かに刻まれていく、バイタル情報の受信記録。およそ一秒に一行ずつのペースで、ニナの装置はメインコンピュータに記録を送信していた。
更新されていく記録を眺めながら、ニナはそっとモニターに人差し指を向ける。そして静かに、アントニーに説明し始めた。
「ガクって段差になってるの、見える?」
ニナが指し示した先を、アントニーは注意深く見据える。
「段差・・・ああ、文字列の長さが違いますね。」
「そう。VOLTが起動したのが、多分あの辺り。その前と比べると、明らかに大きなデータファイルが送られてきてる。」
「大きなファイル・・・!じゃあ、やっぱり成功ですね!」
目を輝かせてニナに視線を移すアントニー。
しかしそこには、腕を組んで眉を寄せて、首を傾げた少女がいた。
「・・・だと良いんだけどね。」
装置は動いた。
通信も出来た。
暗号化信号も受信している。
ここまでは順調———。
しかし、———少女は知っている。
———解読するまでは、何も分からないと。
そんな二人の視線の先には、赤銀の巨人。両の手のひらを肩ほどの高さまで持ち上げ、開いたり閉じたりして動作を確認している。
一抹の不安を表情に滲ませ、VOLTを見上げる二人。そんなニナとアントニーに、ジョーは操縦席から語りかけた。
「特に動作不良はなさそうだ。」
スピーカーから響いたその一言で、ニナは思考を切り替える。
「了解。じゃあ、折角だからね・・・色んな動きを試してみたいよね。」
言いながら、顎に指を当てるニナ。
様々なポーズや動作のアイディアを、矢継ぎ早に連想しているようだ。
「動作かぁ・・・じゃあ思い切りパンチする!とか、どうでしょう?」
触発されたアントニー。拳を作って、パンチの真似をしてみる。
「それも良いけどね。やるなら最初は、簡単な動きからだよ。」
苦笑しながら言うニナ。
その後、すぐにVOLTの方へ向き直る。そして再び、通信デバイスを横顔に当てた。
「ジョー!これから動作を順番に言っていくから、聞こえた順にやって。」
「了解した。」
短いやり取りの後、VOLTのテストが開始された。
———右腕を持ち上げる。
次いで、———左腕。
両腕を前に。後ろに———。
———可動域は、人間と大差ない。
———両手を腰に。
そして倒れ込むように———、
———腰を反らす。
———腰を回す。
———腰を屈する。
両膝も屈し、———伸ばし。
———都合、四、五度。
そんな動きを、巨人は繰り返していた。
「なんか、準備体操みたいですね・・・」
傍らで眺めていたアントニーがぼやく。
すると、ニナも思わず苦笑した。
「だって・・・つまんないのは先に終わらせたいじゃん。」
そうして、もう暫く『つまらない』動きは続いていた。
メインコンピュータのモニターを確認しながら、次々に指示を出すニナ。あれこれと気がついた事をメモ用紙に殴り書きしながら、ニナは脳内のチェック項目を埋めていく。言われるがままに動き、言われた通りのポーズを取るVOLTは操り人形のようだ。
そんな、少し滑稽な稼働テストの様子が、それから十五分ほど続いた。
「よし、こんなもんかな。」
基本的な動作もひと段落。そのままニナは、アントニーの方に振り返る。
「・・・じゃあ、やる?パンチ。」
頷くアントニー。
しかし何かを言う前に、通信デバイスのスピーカー越しにジョーが割り込んだ。
「パンチと言っても色々あるだろ。何をすれば良い?」
グーで殴るだけの野蛮な動作に、色々も何もあるのだろうか。
困ったニナは、無言で通信デバイスをアントニーの方に突き出した。
「えっと・・・思い切り、こう・・・腰を入れた右ストレートをッ!」
突き出されたデバイスに顔を向けながら、例の右ストレートを演出して見せるアントニー。言葉の節々から、少なからずの興奮が見え隠れしていた。
流石に、軍にいただけの事はある。動きは機敏に。重心は真っ直ぐに。お手本のような、綺麗なストレートパンチを突き出していた。
「・・・了解。」
少し考えて、了承するジョー。
僅かな間には、少なからずの葛藤があった。
ニナも———、
アントニーも———、分かっていない。
巨人が『パンチを放つ』という事の、———本当の意味を。
ボクサーのパンチは、およそ時速四十五キロメートル。つい最近まで現役の軍人だったアントニーも、それぐらいのスピードで拳を突き出していた。生真面目な性格ゆえ、多くの兵士が適当に流す対人格闘訓練にも、彼は真面目に取り組んでいたのだろう。
しかし、記録史上最速のボクサーはそんなものではない。
時速七十二・四キロメートル———。
———ジョーの『最速』は、
———VOLTの『最速』は、
それをも凌駕する———。
たった時速百キロメートルまで拳を加速させるだけで、それを格闘とカテゴライズする者は居ないだろう。災害である。
無論、———それでも『限界』には程遠い。
何を叩くまでもなく、空気を圧して引き裂く巨拳は暴風を纏うだろう。足元の二人はおろか、十数メートル離れた位置のものをも吹き飛ばす程の。
そして災害級の暴風は、ドックの中をミキサーのようにかき混ぜる。
ハンガーやタラップを引き裂き、
機械類を打ち砕き、
散乱するジャンクパーツが飛翔する。
『音』という狂気も、無視できない。
ジェット機のエンジンにも匹敵する轟音。度を超えた大音量は、それだけでも殺人兵器足り得る代物だ。
『思い切り腰を入れた右ストレート』など、出来るわけがない———。
左足を、———半歩前へ。
拳を持ち上げ、———僅かに中腰。
溜め息を一つ———。
軽く、寸止めをするように———、
『雷霆』が、———ドックの隅々まで駆け抜けた。
ニナの悲鳴を、掻き消して———。
散乱した機械類を、揺さぶって———。
爆音が周囲を激震した。
アントニーは、むしろ己の心音を聞いていた。
高鳴る鼓動、高揚している証拠だ。たった一振りの、たった一撃の拳打が、周囲を地震のように揺さぶる程の『力』。そんな純粋な『力』を見せられた青年は、もうその姿から目を離せない。悲しくも純粋な、男の性である。
そんな感慨を遮ったのは、ハッとして声を上げたニナだった。
「あっ!私のコンピュータ・・・!」
駆け出した先は、自身の巨大なコンピュータ。それぞれをアームで固定した、五枚の大型モニター。クローゼットのように巨大な筐体。様々な機械が半壊し、散乱したデスク。いつもながら雑然としたデスクではあるが、この時はいつも以上。数瞬前の衝撃と突風に煽られて、紙束や細々としたネジや部品が、デスクからこぼれ落ちて床にバラ撒かれたのが見て取れた。
紙束と共にデスクから落ちてしまったキーボード。心配そうに拾い上げ、指を走らせてみる。フラフラと揺れているアームや筐体のケーブルが、ここまで衝撃が届いて来た事を知らせていた。
「大丈夫そう、かな・・・」
モニターの角度を直しながら、何か異常は無いか慎重に調べるニナ。
「・・・加減はした。」
デスクに置いた、通信デバイスからの声。ジョーである。通信デバイスの画面を睨みつけ、奪い取るような動きで耳に当てる。そしてニナは、怒りを噛み殺した声で返答した。
「二度とやらないで。」
短く言うニナ。
ほどなくして、視線の先のVOLTはゆっくりと拳を下ろす。そして構えを解き、直立の姿勢に戻ってしまった。
溜息を一つ。耳に通信デバイスを触れたまま、ニナはVOLTの方へ歩き出す。そしてアントニーとすれ違う時、キッと青年を睨めつけた。
「あんたもだよ!次こんな事やらせたら、怒るから。」
一喝されて、縮こまるアントニー。
スピーカー越しに、ジョーの声が響く。
「あまりいじめてやるな。」
「別に、私は・・・!」
何か言い返そうとするニナ。
しかし、ジョーはその隙を与えない。
「お前も、勉強になっただろ。」
そんな言い方をされては、黙るしかない。確かに、充分な被害想定をせずに指示を出したのは、他ならぬニナ自身だ。知らなかった、など言い訳にもならない。実験対象が意思を持って力を加減できる『人間』だったから良いものを。
これが物理法則でのみ動く機械か、化学反応のみで顕現する現象だったなら・・・想像もしたくないと、ニナは小さく首を振った。
「そうだね。ごめん・・・ちょっと興奮してた。」
覇気の抜けた声色で、ジョーとの通話を再開するニナ。申し訳なさそうにアントニーの方を一瞥し、先を続ける。
「頭冷やすよ。今日のところは、お開きに・・・」
「あのっ!」
ニナの言葉を、アントニーが声を被せて打ち切った。
「ジョー。さっきのパンチ、全力じゃないですよね?」
ニナの方へ近づきながら言うアントニー。スピーカー越しに、向こう側にも届くと知っている。
「全力って・・・あんた正気!?加減してもこれなのに・・・!」
「僕は正気です。ニナ、あなたこそ『らしく』ない。VOLTの全力のデータ、欲しくないんですか?」
何か言い返そうとして、ぐっと飲み込むニナ。
思うところはあるものの、青年の言葉は紛れもない事実だ。僅かに躊躇の仕草を魅せるニナではあったが、根負けするようにアントニーに通信デバイスを突き出した。
「・・・今度はキック、なんて言い出すんじゃないでしょうね?」
ニナは、僅かに眉間にシワを寄せる。
首を振りながら、小さく笑うアントニー。ゆっくりと通信デバイスを受け取ると、デバイスの画面を横顔にあてがった。
「ジョー、考えがあります。」
言いながら、アントニーはおもむろにジャンクの山を指さした。
整備ドックの一角。沢山のジャンクパーツが乱雑に山積みにされた場所を指さすアントニー。そこにはGSの腕や脚のパーツ、エンジンの一部、斧や剣などの武装の類い、車両のタイヤなど、実に雑多なパーツが規則性もなく置かれている。唯一の共通項は、全て壊れていて、そのままでは使い物にならない事だろう。
「そうですね・・・あの斧が良いかな。VOLTなら、曲げられますか?」
斧、———正しくは『ジャゴアックス』。
タングステンを超高温で錬成し、持ち手やヘッド部分を耐衝撃構造で補強した、全長五メートル大の巨大な斧である。
それは、GSを破壊する為に設計された近接武装だ。
装甲を食い破る、刃。
食らいつき、引き裂くだけの重量。
それだけの遠心力と、衝撃を受けても壊れない耐久性。
———アントニーは、これを素手で破壊しろと言っている。
「・・・面白い。」
少し考えて、ジョーはアントニーに返答した。
確かに、それなら全力を出せるかも知れない。当然ではあるが、人型兵器が扱う近接兵器は、その腕力によるフルスイングに耐えられるように設計されている。それも、一度や二度ではない。何度振っても、何度叩きつけても、絶対に壊れないように設計されているのだ。
武器とは、———戦士の生命線なのだから。
整備ドックという密室では、あの『パンチ』以上の激しい動きをするわけにはいかない。
———ならば、激しく動かなければ良い。
ゆっくりと、
じっくりと。
限界まで腕力を引き出す手段。
ウェイトトレーニングの中でも特殊な、スーパースロートレーニングの理屈。それを人型兵器の稼働テストに応用しようという発想は、残念ながらニナのような生粋の技術者は持ち得ないものだろう。
そんな事を考えながら、ジョーはジャンクの山に進路を決めた。
そして、ゆっくりとした足取りでジャンクの山へと歩き出した。巨人が一歩一歩と踏み出す度に、一歩一歩と踏みしめる度に、ニナとアントニーは振動を肌身で感じる。どれほど巨大な超重量が眼前で躍動しているのか、一歩踏みしめる毎に思い知っていた。
ジャンクの山にまで辿り着いた巨人。山を前にしてしゃがみ込む。そして、互い違いに覆い重なった機械部品に手をかけた。下手に崩せばドック中にジャンクパーツを散らかしてしまうので、どれを先に退かすかは慎重に。パズルか何かを解いている気分である。
巨大なGSの腕をどかす。バランスを崩して転がり落ちかけたエンジンパーツの下部を受け止め、腕とともに慎重に床に。そうして大型のパーツをどかすと、より細かなパーツが露わになった。巨大な開手で鷲掴みにし、引き千切るように崩していく。そうやって周囲に余白を作る巨人。暫くの格闘の末に、ようやく斧の柄に手をかけた。
慎重に、———斧を山から引きずり出す。
軽く振って、絡まった配線やらパイプやら、細々としたゴミを払いのける。
右手は、ジャゴアックスの柄の一番端の辺り。左手は、斧刃の根本。弧月の刃を斧の頭に見立てるなら、ちょうど首根っこの辺りを力強く握りしめるVOLT。そのままニナとアントニーの二人を見下ろすように向き直り、片膝を付いて屈んだ。
見上げる斧———、
———建物の二階、と言ったところか。
高くはある。
しかし、見上げる二人はいたく近くに感じていた。目と鼻の先、とさえ。
「・・・それじゃあ、始めるぞ。」
ジョーの声が合図だった。
斧を握り込んだ両拳の五指が、これまでに増して柄をきつく締め付ける。それは、タングステンの巨大塊を容赦なく挫滅させる程に。
肘が、
肩が、
首元が、
段階的に強張って異音を上げる。
VOLTの腕力と、巨大な斧の強度が拮抗していた。
———それが、通常の腕力。
「・・・!」
注意深く睨みつけていたニナの目が、思わず見開いた。
斧の柄が、———負ける。
アーチを描く、巨大塊。
そこからは早かった。得体の知れない、腹に響くような重低音。鼓膜を震わすタングステンの悲鳴が、整備ドックの空洞内に充満する。
漆黒の巨大な鉄棒は、堅牢な直線から柔らかな曲線にシルエットを変貌させていた。膨れ上がったアーチは、その頂点から順にパキパキと亀裂を走らせている。
ジャゴアックスの表面に塗布された漆黒の特殊塗料の層が引き伸ばされ、内に潜む白銀のタングステン層が顔を出しているのだ。折り曲げるほどにアーチの中心から斧の全身へ。広がっては繋がり網目模様を成していく銀色の筋は、あたかも毛細血管か稲妻のよう。
「あ、あれ・・・!」
先に気がついたのはアントニー。
指さす先を、ニナも凝視する。少女には、その異変の正体がすぐに理解できた。
———だからこそ、息を飲む。
赤銀の巨人が両腕で曲げた、斧の柄。アーチを成して曲げられたその身に、薄っすらと白い靄が掛かっている。
頭上の光景を見上げ、ニナの口は自然と言葉を紡いでいた。
「ガスだ・・・」
解説を求めるように、アントニーはニナの方へサッと振り向く。
「GS用の斧なんてでっかい金属の塊を、あんな簡単に曲げようと思ったらさ・・・ものすごいエネルギーが必要なんだ。」
VOLTの手元から、そして湾曲した斧の柄から目を離さないまま言うニナ。
その意図を探りながら、アントニーは少女と巨人を見比べる。そんな青年に構わず、ニナは自論の先を続けた。
「あの両腕から発生したエネルギーはさ、圧迫にだけ使われるわけじゃない。結構な量が音と、そして熱に変換されたはず。」
ニナの言う通りだ。
治りかけのカサブタのようにヒビ割れた塗料、中から覗いた金属色の肉。その黒色と銀色の境目が、プツプツと膨らんでは弾ける『泡』を成していたのだ。湾曲の瞬間にタングステン層に蓄えられた超高温が、特殊塗料の内層を瞬間的に融解し、蒸発させた。しかし外層は温度差で融解・蒸発には至らず、高温のガスを蓄えたまま薄皮を腫瘍のように膨らませるのだ。
そして、張力の限界を迎えた塗料の腫瘍がパンッと弾ける。
気化するほど瞬時に加熱された塗料。乳白色のガスが、柄のあちらこちらから連続して吹き出す。それが、湾曲した斧が蒸気に包まれて見えるカラクリだった。
「こんなものじゃない・・・こんなものじゃッ・・・!」
通信デバイスのスピーカーから聞こえる、ジョーの声。奥歯を食いしばっているのか、いつもの小声が、いつも以上に低く小さく感じられた。
そんな声に、真っ赤な巨人が呼応する。
斧を握る拳は、更に力強く———。
指や、肘の関節。
肩関節から、
胸部と首元の装甲の輪郭にかけて———、ほのかに。
赤く、———発光したような。
脇を締め、
肘を立てる。
異音を上げて、ネジ曲がる斧の柄。
その螺旋は、雑巾か粘土を思わせる。
その光景に驚きの声を上げる暇もなく———、
———爆音。
巨大な斧は、左右真っ二つに引き裂かれてしまった。
つづく




