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機甲大戦記VOLT  作者: 無銘
金腕のニナ編
31/31

第三十一話 『金腕のニナ エピローグ』

本エピソードを開いていただき、ありがとうございます。


このエピソードは全話の”第三十話 『金腕のニナ その㉒』”に続く話として位置づけられていますが、直接的に接続しているのは”第九話 『金腕のニナ その①』”に対してとなっております。


本エピソードが本作初見の方、久しぶりに本作を開いていただいた方などおりましたら、先ずは『金腕のニナ その①』を読んでいただく事を強く強くおすすめ致します。


作者として、良い読書体験になればと切に願っております。






 朝から話しはじめて、どれほどたっただろう。突然の来訪者、アントニー・アンダーソン中尉は、ソファーに座ったまま顔を両手で覆っていた。ニナ・ゲッペルの壮絶な過去は、彼が『レジスタンス』に抱いていた印象からは、想像も出来ないものだったからだ。

 反対に、ニナは淡々と語っていた。それはあたかも、第三者の視点から語るように。努めて冷静に、そして静かに。


「長くなって悪いね。えっと、結局何の話だっけ?」


あれもこれもと過去のエピソードを語る内に、ニナは自ら本題を見失っていた。

 相変わらずの無表情。相変わらず壁に凭れたまま腕を組んで、ジョーは溜息をつきながら言う。


「戦う理由だろ、ニナ。」


「ああ、そうそう。それ。」


 言いながら、ニナはジョーにカップを突き出した。話し疲れたから、もう一杯淹れて来いという事らしい。緩慢な動きで壁から背を離し、ニナからカップを受け取るジョー。そしてそのまま台所の方へ消えていく。


 このようなやり取りを見るのは、これで三度目か、四度目か。アントニーの目は次第に、この倒錯的な景色にも慣れ始めていた。そして話しを戻そうと、ゆっくり顔を上げながら問いかける。


「では、あなたは・・・ご両親とお兄さんの敵討ちの為に?」


今からおよそ二年前———、

 ニナがまだ十三歳の頃。少女の家族は、同盟軍によって虐殺された。


 アントニー自身も、都市伝説の一つとして聞いた事ぐらいはある。

 同盟軍のレジスタンス狩りには、レジスタンスとは関係ない者も数多く含まれている。『討伐手当』などという非公認の報酬まで発生するので、虐殺に手を染める部隊もあるとか。

 そうやって社会に隠れ潜むレジスタンスを炙り出し、見せしめをするのだとか。


目の前で、———射殺された父と母。

酷く暴行され、———連れ去られた兄。


復讐を誓うには充分だ———。


「許さないよ、絶対に。」


鋭い目つき。

 刃物のような視線が、アントニーの眉間を射抜いた。


「でもさ、それが同盟軍と戦う理由かって言われると・・・ねぇ?」


気のない声色で先を続け、ちょうど茶のおかわりを注いで来たジョーに向き直るニナ。

 しかしジョーは何も答えない。カップをニナの前に置くなり、黙って定位置の壁際に戻ってしまった。「もう。」と呆れながら、ニナは早速淹れて貰った茶を一口飲んでみる。そうして正面に向き直ると、そこには釈然としない顔のアントニーがいた。


聞いて良いものか、———否か。


———そんなところだろう。


「だってさ、そうじゃない?」


 カップを机に置きながら、ニナは親指と人差し指を立てて銃を作ってみる。そしてニナは、人差し指を後頭部に宛てがった。


「父さんと母さんは、こんな感じで撃たれたよ。兄ちゃんも、あの感じだと懲罰作業所送りだね。多分もう死んでるよ。だから、あんな酷い事をした同盟軍の奴らは絶対許さない。」


そして僅かに口ごもり、先を続ける。


「・・・許さないけどさ、あんたは違うじゃん。」


ハッとするアントニー。


 ニナは軽く目を瞑り、訓練キャンプの事を思い出す。その瞼の裏には、いくつもの顔が入れ替わり立ち代わり、同盟軍の制服に身を包んで映し出されていた。


「医者のレイモンドさんはさ、苦手だったけど・・・悪い人じゃなかった。」


老軍医の診察を思い出して、腹を擦ってみる。

 今思えば、もう少し愛想よくしても良かったかも知れない。


「トビー、シーザー、ニック。あの三バカはちょっと鬱陶しかったけど、やっぱり悪人ではないよね。」


鬱陶しいなどと言いながら、少女の口元は懐かしそうに笑っている。


「あとは・・・アルベルトとか、ウルススとか。もし今でもどっかで生きてるなら、次に会う時は殺し合う時だろうね。」


物騒な事を言う。

 そんな少女が思い出していたのは、あの社交パーティーの映像だ。沢山の女たちに取り囲まれて、少し困った様子のアルベルト。童顔に似合わない癖に、パリッと髪型をオールバックで決めて来たウルスス。


一曲ぐらい一緒に踊ってやっても・・・と考えて———、


———『やっぱり恥ずかしい』と首を振る。


「施設長のナントカって奴は・・・あいつは嫌いだよ。次に会ったらぶん殴ってやる。」


 酒に溺れ、権力に溺れた訓練キャンプの最高幹部。自分なら、訓練キャンプという王国でなら、何をしても許されると思っていたのだろう。そんなウィンストン施設長は気に食わなかったが、ヘコヘコと媚びへつらうだけの周囲はもっと気に食わなかった。


だから、———冷や水をぶっかけてやった。


権威なんか知った事じゃないし、今でも間違いだとは思わない。


「・・・まあ、そんなわけだからさ。同盟軍って一口に言っても、色々いるんだよ。憎い奴は、殺したいぐらい憎い。でも、良い奴もいた。どうでもいい奴もね。」


言われてみれば、その通り。

 アントニーは顔から手を離し、顔を覆っていた両手を見つめていた。


正直、———恥じている。


同盟国。

レジスタンス。


共に、———一緒くたなわけがない。


同じような『人間の集まり』である限り、『皆同じ』なわけがないのだ。

 なのに何故、そうと気付かなかったのか。こうしてジョーに会いに来て、ニナと語って、何故こんな当たり前の事に、ようやく察しがついたのだろうか。


「では・・・『人』じゃないなら・・・そうか、扱いだ!」


これだ!と思いついて、アントニーは勢い余ってソファーから立ち上がった。


家族を奪われ、———暴行された。

暗いコンテナに押し込められた。


飢餓を、 

痛みを、

苦しみを、

怒りを、

絶望を、———知った。


柱に縛り付けられた。


———死の淵まで、追いやられた。


復讐を誓うには充分だ———。


 これだと確信してニナを見るアントニー。その時の無念と苦しみが、少女の復讐の理由だと。『戦う理由』の正体に違いないと。


「あなたは、頑張ったのに報われなくて、酷い事を沢山されて・・・贖罪の柱では、死ぬような思いまでして・・・」


 最後まで言い終える事もなく、アントニーの言葉は尻すぼみする。呆れたような、あるいは可哀想なものを見るような、そんなニナの目が痛く突き刺さったからだ。


『そういう事じゃない』などと———、


———言うまでもなく。


しゅんとしてソファーに座り直すアントニー。

 見かねたように、ニナは贖罪の柱に縛られた当時の事を思い出して捕捉する。


「・・・痛いし、疲れるし、息もろくに出来ないし。ありゃ二度と御免だね~。」


あの時の息苦しさを思い出してか、指でシャツの襟元を引いてなぞる。

 すると、聞いているのか聞き流しているのか。そんな様子で腕を組んで黙っていたジョーが、片目だけを開いて指摘する。


「二度も都合よく救われるものか。次は死ぬぞ。」


「うっさい。」


間髪入れずにニナが一喝すると、青年は再び黙ってしまった。

 再び腕を組んで壁に凭れ、石像のように動かなくなる。それだけ見届けて、ニナはアントニーに向き直った。


「勿論辛かったし、二度と御免だけどさ・・・あれは、まあ・・・自業自得、みたいなモンじゃん?石頭野郎をぶっ飛ばしたら、自分の手も怪我しちゃった———みたいな。」


 拳を握って見せるニナ。目立たないながら、その両手首には擦り切れたような古傷が、ブレスレットのように一周していた。


———手錠の痕だろう。


「・・・けどね、あんたの言い分も間違いじゃないよ。」


その一言で、アントニーの思考は強制的に打ち切られた。

 呆気に取られた様子でニナを見上げると、少女は困った顔をして、どう説明したものかと悩んでいる様子だった。


「レジスタンスが同盟国と戦うのは、同盟国の成り立ちそのものが納得できなくて・・・」


指を折りながら、ニナは話の先を続ける。


「同盟国がレジスタンスと戦うのは、終わったはずの昔の戦争を蒸し返す奴らがいるからで・・・そういう奴らがゲリラ戦なんかするから、関係ない民間人までレジスタンスだって疑われて・・・それで同盟国は面倒くさくなって街ごと消しに来て・・・」


親指、人差し指、中指、薬指、———順番に折って例を挙げる。


「ほら、元はと言えばレジスタンスにも原因があるわけだ。だからさ、私はあんたも否定しない。」


数え終えて、言い切るニナ。

 それは、彼女が胸中に抱く『一抹のわだかまり』である。ニナ・ゲッペルの両親も、兄も、レジスタンスとは何の関わりもない、ただの下町のメカニックだった。ニナ自身も、レジスタンスなど、ニュースでたまに聞く程度。


———とばっちりと言うには、


あまりにも惨すぎる。

あまりにも無責任。


だから、———レジスタンスだって許せない。


項垂れて震えながら、アントニーは言葉を絞り出す。


「・・・なんで。」


 『過去に折り合いが付けられない』とは、ニナの言葉だ。今のアントニーなら、その意図が少しは理解できる。


直接の仇、———同盟国。

間接の仇、———レジスタンス。


そのいずれも、許せるものではない。

 ならばこそ、真意を理解するには、核心を問い質さなければ意味がない。


ニナと、そしてジョーの視線が、震える青年に集中した。


「なんでそんな、平気そうに言うんですか。じゃあ、あなたが戦う理由って・・・結局何なんですか?」


互いに顔を見合わせる、ジョーとニナ。

 そしてニナが何か返答するより先に、ジョーの背中が壁から離れた。


「だから、ニナが最初に言ってただろ?『私は過去に折り合いをつけられない人間だ』って。憎いのは同盟軍、しかし遠因はレジスタンス。今となっては、もはや復讐の相手も定まらない。それでも前に進むしかないんだ・・・生きてる限りはな。」


「・・・もう。えらく簡潔にまとめてくれちゃって。」


不満そうに腕を組んで、ジョーの方に向き直るニナ。

 しかし当のジョーはどこ吹く風。言いたい事だけを言い切って、後は成るように成れとでも言いたげに、黙って定位置に戻ってしまった。


「身も蓋もない事言うとさ、我儘言ってるだけなんだよね。あれもこれも気に食わないって。」


あれも、これも———。


———民間人虐殺も、

———焦土作戦も。


 一泊置いて、少女はジョーの方を見やる。当のジョーは腕を組んだまま。定位置の壁際で、背を凭れて窓の外を呆っと見ていた。


「・・・でも、私にはあいつがいる。あんなんでも、腕っぷしだけは最強だから。」


そう言って、ニナは細い腕を曲げて小さな力こぶを作ってみる。

 一瞥し、再び窓の外に視線を戻すジョー。ただ黙して、石像のように佇んでいた。



『過去に折り合いをつけられない』

『それでも前に進むしかないんだ・・・生きてる限りは』


信念でも、執念でもない。

憎しみでさえ———。


しかし、———何故だろう。

 アントニーには、それが空虚には思えなかった。







であれば、———問わねばならない。


恐ろしいが、勇気を出して。


その為に、ここまで来たのだから———。



 ニナにならって、ジョーの方を見るアントニー。脳裏に過ぎるのは、彼の戦い。巨大な敵にも、その数にも、臆する事は無く。いくつもの死線を超えて、屍を積み上げて。躊躇無く、容赦なく、勝利を手にする修羅そのもの。


———抜き身の刃だ。


 折れず、曲がらず、錆びず、傷付かず。鏡のように冷たく滑らかな金属光沢までもを幻視する。見ている分には美術品、しかしみだりに触れようものなら容赦なく切り刻む。


 そんな高貴な野蛮さを纏う青年は、———何を思って戦うのか。


「じゃあ、あなたは・・・」


———言ってしまった、もう戻れない。


「ジョー、さん・・・は何故、戦うの・・ですか・・・?」


震える声、なんとか絞り出す。

 ブサイクに歪む表情筋は、『本能』の最後の抵抗か。


フラッシュバックするのは、今朝の映像———。


 スナップガンをジョーは流れるような動きで構え、弾道がちょうどニナの頭上を通ってアントニー中尉の喉を貫く角度に銃口を固定する。

 その間、男は一言も発さない。激情も、恐怖も、焦燥も、葛藤も、モタモタしていた相棒への怒りもない。表情筋の繊維一本たりとも動いている様子がない。


それはもはや兵士でも狩人でもなく、————殺人という現象そのものだった。


銃を構える彼の有様には、まるで生命の温度が伴っていない。


———そんな男が振り返り、相貌の照準をアントニーの眉間にセットした。


「そうだな・・・」


組んでいた腕を解く。

 そして考え込むように拳に顎を乗せると、そのまま暫く黙り込んでしまった。瞼を閉じて脳裏に再生されていたのは、やはりあの日の出来事だ。


———


気さくな口調、若い女性研究員———。


「すごいですよ、VOLTは。アインハルト博士の最高傑作、戦いの歴史を終わらせる兵器ですよ。誰にも使えないですけどね~。」


———


 研究員達は思い思いの武器を持って、タラップの手すり付近に整列する。


———壁が崩れる。

———火の手が上がる。


 見るも悍ましい光景が、———ジョーの眼前に広がっていく。


  研究員達は自分自身の身体をハーネスで手すりに固定し、隙間無く身を寄せて武器を構えた。


それが何を意味するのか———、

———分からないジョーではない。


マシンガンを構えるもの、

拳銃を構える者、

巨大なバズーカを構える者、両

手に手榴弾を持つ者、


それ以外にも、———実に様々な武器を研究員達は構えている。


 最後に鉄仮面の研究員がその行列に加わると、外部ハッチからVOLTの足元まで、隙間無く真っ赤なレーザー網が展開されて鉄壁の防御を展開した。



鉄仮面の研究員———。


 機械仕掛けで強化された肉体の恩恵か、彼はマシンガンを二挺同時に構えていた。


「ジョー君。我々の希望、我々の意地、我々の命、君に託そう。アハト・ゼムに栄光あれ!」


———


容赦なく降り注ぐ鉛の雨が、頭蓋を砕く。

腹を食い破る。

胸に風穴を開ける。

肉を散らす。


―――それでも彼らは倒れない。


意識も、命もないのに、倒れる事だけは決してしない。


それは、———『レジスタンス』と呼ばれる狂気の徒。


無声の激励を受けて、あのタラップを駆け抜けた・・・


———


そういう事は今までにもあった。


数、限りなく。


何度も、

何度も。


———懇願された。

———怨嗟された。

———見送られた。


託された———。


———


そして暫くして、ジョーはようやく目を開いた。


「・・・あれもこれもと、受け取り過ぎた。今更降りられるものじゃない。」


———その言葉の真意を、アントニーはまだ理解出来ない

———その言葉の真意を、ジョーは説明するつもりもない。


短く、奇妙な会話。

 それがアントニーとジョーの、はじめての会話らしい会話だった。





———

—————


———————




それから暫く、なし崩し的に。アントニー、ジョー、ニナの三人は共同生活を始めていた。


 行方不明扱いで、推定死亡扱いのアントニー中尉。今更軍に戻って生存報告をしても、身を眩ませていた間の事を説明できる気がしない。第一、彼の同盟軍に対する不信感は、もはや蓋をして見て見ぬふりできる違和感では済まないところまで来ているのだ。

 ジョーとニナの立場に立って見てもそうだ。二人の表向きの素性も隠れ家も知ったアントニーを、ただで何処へなりとも行かせるほどお人好しではない。しかし、殺す為にあれもこれもと語り聞かせたわけでもない。

 そしてそんな事情とは関わりなく、時は前に進んでしまう。腹は空くし、眠気もいずれやってくる。ジャンク屋の客だって、相変わらずやってくる。


日常という荒波に、———宙吊りの関係が流されていく。


———日が落ちて、


———二日。あるいは三日経って、


気がつけば、———およそ一週間。








「ジョー、ニナが呼んでますよ。」


 ブルーシートにあぐらをかいて、相変わらず一人で作業に没頭しているジョー。静謐のリビングの一角で、規則正しい摩擦音だけが響いていた。しかしあたかも、それは対話のように。己と『ソレ』以外、世界は存在しないかのように。

 アントニーが声を掛けてもまるで気付いていない風に、ジョーは床に座り込んで背中を向けていた。


「あの、聞いてますか?」


 聞こえていないはずがない。存在に気づいていないはずもない。努めて無視されているのだと気づいていながら、アントニーはジョーのすぐ背後までやってきた。

 その肩口から覗いて見ると、ブルーシートには大量の刃物。アーミーナイフのようなものから、家庭用の台所包丁まで。家中から集めて来たであろう刃物が並べられていた。そしてあぐらをかいたジョーの前には、水を張ったいくつかのたらいや、布切れ。分厚い皮切れ。大きくてザラザラの石など、ガラクタかゴミにしか見えない、彼なりの道具一式が揃っていた。

 ジョーは項垂れて。ただ黙って。機械作業のように、手に持ったナイフの刃を皮切れの上で滑らせていた。そして時折刃を光に翳しては、納得いかないと首を振る。


「ん。」


 不意に刃を持ち、背後のアントニーにグリップを差し出すジョー。やはり、振り向きもせず。しかし声を掛けていた事も、背後に近づいていた事にも気づいていたらしい。


「これは・・・えっと・・・」


困惑しながら受け取る。


 綺麗に磨かれた刃だ。眩しく光を照り返している。グリップ部分を握っているというのに、気を抜けば指を切ってしまいそうなほど。そんな錯覚に襲われるほど、よく研ぎ澄まされた刃に見えた。

 しかし、少しして。振り向いたジョーが『返せ』と、ナイフの刃を取った。


「分からないか。」


言いながら、ジョーは刃を光に翳す。そして片目を瞑って、僅かに顔を傾けながら続けた。


「刃物ってのは、滑らかじゃなきゃいけないんだ。僅かなバリも、キズもあっちゃいけない。そこから錆びて切れなくなるからな。」


そんなものがあったとは。


研ぎ澄まされたように見えた刃。

 しかし、ジョーが言うには『その先』がある。それを是非見てみたくて、アントニーは自然とジョーの傍らに膝を降ろしていた。ジョーが覗き込む先を、アントニーも覗き込んでみる。身を乗り出し、眉を寄せて、二人は吸い込まれるように刃物と向き合っていた。


しかし、———それも終わり。


 どすどすと近づく足音で、アントニーは少女が諦めていない事を察する。アントニーはおろか、こうなってはジョーにさえ勝ち目はない。相手は頑固で、意地っ張りで、困った事にほとんどいつも正しいからだ。


「ジョー!」


驚いて振り返るアントニー。

 ジョーは対照的。やっと『バリ』を見つけたのか、刃を皮切れに擦り付ける作業に戻っていた。


「あんたもだよ、アントニー!呼んで来いって言ったのに、何で一緒に雑談してるのさ!」


何か言い訳しようとするアントニー。

 しかし声を発するより先に、ニナは先回りして畳み掛ける。そんな二人のやり取りを聞き流しながら、ジョーは再び刃を光に翳していた。


「最近包丁の切れ味が悪いって言ってただろ。バリやキズがあると、そこから切れなくなるんだ・・・」


言いながら、ジョーは刃とのにらめっこを続けている。


「ふーん・・・」


そんなぼやきをしたような。そうでもないような。

 そんな事を考えながら、ニナはジョーの両肩に手を置いた。そういう配慮は好ましいが、そんな事で彼女の不満は消え失せない。じわりじわりと体重を掛けていく。


「で、私との約束は?」


ピンと来ないジョー。

 僅かに首を傾げる。が、すぐに角度を戻してしまった。


溜め息。


———呆れ、半分。

———怒り、もう半分。


ニナの爪が、ジョーの肩に食い込んだ。


「今日の午後!早めに店閉めて、VOLTのテストするって!あのポンコツ、あんたが乗らなきゃ動かないんだから、来てくれなきゃ始まらないでしょうが!」


確かに、———そんな約束をした。

したような、———気がする。


「じゃあ、これが終わったら・・・」


ナイフを置いて振り向くジョー。


「・・・それと、私の約束と、どっちが大事なの?」


腕を組んで睨むニナ。


———ブルーシートと、

———怒ったニナと、


見比べて———。


ジョーは諦めて、緩慢な動きで立ち上がる。


「ほらほらっ!モタモタしないっ!」


 手を叩いて、急かしながら。服を引っ張って、声を掛けながら。猛獣のような風貌の男を、少女はまたたく間に整備ドックの奥へと連れ去ってしまった。


嵐のような時間。

過ぎれば静か。


 一人でリビングに残されてしまったアントニーは、未だにブルーシートの際で腰を抜かしたままだった。

 やがて座り直し、周囲を見回してみる。そしてジョーが座っていた場所に、ジョーを真似てあぐらをかく。沢山の刃物がある中で、手にとってみるのは、ジョーが残して行った最後のナイフ。先ほど渡された時は、完璧に研ぎ澄まされたものだと思っていた刃だ。


「こんな感じ、だったかな。」


ナイフを手に取り、望遠鏡のように構える。

 そして光に翳し、眉を寄せて顔を傾け、慎重に刃筋を観察し始めた。






金腕のニナ編 終


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