第二十一話『金腕のニナ その⑬』
パーティー会場の南口。正しくは、そこに至る通路。四、五人で並んで歩いても余裕があるほど広い通路が、今宵だけは狭苦しい。足元には下から照らす柔らかな暖色系の照明が配置されているものの、沢山のドレスに遮られて、全体的には薄暗い印象を醸し出している。そんな通路の突き当りは大きな扉で、閉め切った分厚い木製のそれが、巨大な石造りの外枠に収まっていた。扉と外枠には、二つのパーツが重なって初めて完成形を成すように、一つの大樹の彫刻が彫り込まれている。そんな彫刻に触れたり、周りの者と暇つぶしの小話をしながら、沢山の着飾った女たちが『その瞬間』を今か今かと待ちわびていた。
彼女らが動く度に、色とりどりなドレスがふわふわと揺れる。もし彼女らを見下ろす事が出来たなら、それこそ今宵の通路は花畑に見える事だろう。弾ける若さをこれでもかと見せつける扇情的な衣装、宮廷絵画の額縁を踏み越えてやって来たのかと錯覚するほど気品高い衣装、それらの対極にあるがゆえに、落ち着き払った包容力が魅惑的な衣装。様々な姿、様々な歳、様々な人種の女たちが今宵は一堂に会していた。
絹のつやめきは、若草の新緑。低い身長を爪先立ちで補いながら、ニナもまた、扉が開くのは今か今かと待ちわびていた。
「んー、あんまり、見えないね・・・!」
必死に背伸びをしながら扉の方を見ようとする少女。しかし沢山の後頭部に視界は遮られ、極端に動きづらい靴も相まってニナは早速苦戦を強いられている。
そんな少女を見て、アガルタは小さく笑っていた。アガルタの視点からは問題なく先が見渡せるが、「そうね~。」と落ち着いた様子で同調する。そして、手首のきらびやかな装飾と一体化した腕時計を見ながら、開放の時はもう間もなくだと察していた。今宵のアガルタの衣装は、黒一色のシンプルなドレス。
身体に張り付くような薄い生地が、端正なボディーラインをこれでもかと強調している。肌色の白と、生地の黒色のコントラストは過剰なほどに。しかし、布と肌の境界は曖昧に。そんなチグハグさがまた、人の目を惹きつけて離さない。大きく扇情的に開いた胸元を見え隠れさせる黄金のネックレスをいくつもきらめかせ、アガルタもまたその時を待っていた。
ゴンッという、短くも大きな、腹に響くような金属音———
———扉が遂に、解放される。
重厚な扉が、音を立てて内側へと開き始めた。薄暗い通路が、一気に音と光で満たされる。星のようなシャンデリアの輝きと、万雷の拍手が一気になだれ込む通路。女たちはその歓迎に圧倒され、同時に心を決めて一歩前へと踏み出した。
決意の表情を笑顔の仮面で包み隠し、女たちは一人、また一人と花道の絨毯に足を踏み出した。トップモデルのように胸を張り、足取りは踊るように軽やかに。シャンデリアに照らし出される笑顔は、その一つ一つがダイヤモンドの輝きを放っていた。ふわりと浮き上がり膨らむドレスは咲き誇るブーケの花弁のよう。
一人、また一人と花道を通り抜けていく都度に、ニナの番も近づいて来る。
「・・・さん、しー、ご・・・五歩目でターン・・・着地でお辞儀・・・」
真剣な眼差しで花道の様子に集中するニナ。
厳密なルールが決められている訳では無いが、先行した女たちが取った行動は概ねパターン化されていた。およそパーティーに臨む者とは思えない、睨みつけるような視線を向けている少女を見て、アガルタは思わず苦笑する。
「ふふ、作戦はイメージ出来たかしら~?」
「・・・だまって。」
軽口でニナをからかうアガルタ。集中を邪魔されて気が立っているのか、ニナは短い言葉でアガルタの軽口を打ち切った。
「んもう、釣れないわね。ほら、そろそろあなたの番よ。笑顔を忘れずにね?」
アガルタの手がニナの背に触れる。すると少女は頷いて、一歩踏み出した。
先行していたのは、望んでこのステージまでやって来た女たちや、セレブ崩れの女たち。そんな彼女らとは違って、あたかもスイッチを切り替えるように、表情を塗り替える技術はニナにはなかった。とにかく身体の使い方に集中する。足腰の動きは、一つの流れを成すように。つむじから糸で吊り上げられている事をイメージして、背筋は常に真っ直ぐに。堂々と胸を張り、見つめる先は僅かに上。つい数分前まで反復練習で身体に染み込ませた動きを、出来る限りの精度で再生する。
短時間の練習にしては上出来。しかし、こういったパーティーにこなれた他の女たちと並んでしまうと、やはりニナの動きはぎこちない。素人臭さ。見様見真似感。固く引き締まった表情も相まって、少女は他の女たちより多くの視線を集めていた。
———それが良い。
アガルタは、心の中でガッツポーズをする。
悪目立ちする事もまた戦術の一つだ。ビギナーにのみ許された特権だ。
ニナのような初心者に『上手さ』を期待する事は出来ないが、『努力する様』なら話は別だ。健気さと不完全さは、時に『完璧』にさえ勝る事がある。
ぎこちなくも堂々と。
大きく身を翻して、ふわりと。
ターンをしてお辞儀をする度、緊張に固まった顔を晒す度、少女はその場に集まった来賓や訓練生たちの庇護欲を掻き立てていた。
動きながら、ニナは会場内を観察する。まず通り抜けるのはテーブルと椅子のセットが何セットも配置されたエリア。各テーブルには訓練生がまばらに座っており、そのうち幾人かの顔は公開模擬戦の観戦に来ていたメンバーだと判別できた。階級章を見る限り、この場に招待された者は一〇四期生と一〇三期生のパイロット候補生のみ。人数の少なさから、その中でも選りすぐりのメンバーだと想像できた。
「あっ・・・」
思わず声が漏れるニナ。
すぐに「いけない!」と思って口をつぐむが、その声さえ拍手喝采の荒波に揉み消されてしまった。ニナが見たのは、花道から少し離れたテーブルに座っていた二人組の訓練生。一〇三期生と一〇四期生の、先輩と後輩。二人は何やら会話をしながらこちらを見ていて、拍手の手は小さく疎かになっていた。
針で引っ掻いたような糸目と、茶褐色の肌が特徴的な、癖毛で長身の男。アルベルト・フーバー。儀礼用の制服を纏っている事以外は、至って普段通りの風貌をしている。あちこち指差しながら、後輩に何か細々と説明しているのが見て取れた。
同じテーブルに座って、しきりに頷いているのは、先日の公開模擬戦でアルベルトと覇を競っていたウルスス・ヤスタル。短く切り揃えた無造作な髪は、今日ばかりはジェルでオールバックに固めてあった。童顔に似合わない髪型が、今宵纏った儀礼用制服には良く似合っている。
他にも知り合いか、せめて顔見知りはいないものかと目を凝らしてみるが、他に顔と名前が一致している者は誰も来ていないらしい。
少し残念に思いながら椅子とテーブルのエリアを抜けると、料理と酒が並んだ長テーブルの間に、何も無い空白の空間がしばらく続いている事に気がついた。ニナはまだ知らないが、パーティーの後半には、ちょうどこの辺りがダンスホールとして使用される。こういったパーティーは前半戦が顔合わせと会話の時間、後半には前半に誕生したカップルが舞踏を楽しんだり、会場から少し離れた通路や休憩室でプライベートな関係を深めていくのが定石である。
故に、———戦いは既に始まっている。
美女たちの入場は、言うなれば前半戦の前哨戦。花道をゆく道すがら、パーティーの参加メンバーを確認しているのは、何もニナだけではないのだ。好みの男を探すフェーズも、見定めた相手にアピールするフェーズも、既にここから始まっている。むしろ、知り合いがいるかいないか程度の呑気な気持ちで花道をゆく女こそ、ニナただ一人かも知れない。
ダンスホールの空白を抜けると、景色はところ狭しと並ぶ長テーブルの模様に移り変わった。純白のテーブルがシャンデリアの輝きを照り返し、白銀と見紛うほど眩しい。そんな長テーブルには奇妙奇天烈な外観の前菜がところ狭しと用意されている。楕円形の大皿に、一口大の玩具のような料理たち。初めて見るニナには味の想像も付かないが、不思議と、あまり美味そうには見えなかった。『ピリ辛の合成タンパクバーをまるかじりした方が美味そうだ』などと呑気に考えながら、宝石のような高級料理と酒の林を風のように抜けていく。
そして最後は、北側に位置する幹部組と来賓の監査団専用の座席が並んだエリア。一段高い台座の上に、VIP用の雛壇が用意されていた。
絨毯の花道はここで突き当りになっており、来賓らの眼前で直角に曲がっている。パーティー会場の中央を真っ直ぐに通り抜けた女たちは、ここから何度かターンとお辞儀を繰り返して来賓たちの前を通り抜けるのだ。目が回りそうになり、足元がおぼつかないニナ。慣れないハイヒールがただでさえ足を引っ張っているというのに、立て続けのターンで平衡感覚は限界を迎えていた。
しかし、ここがラストスパート。
ここを切り抜ければ、あとはテーブルと椅子のエリアで一休み出来る。ターンにかこつけてそちらの方に視線を投げると、既に先行した女たちは訓練生たちとともに拍手する側に回っていた。
とにかく転ばないように、慎重に。アガルタの教えを思い出して、相手の視線も意識してみる。
施設長と監査団長は、拍手をしながら何か会話をしていてこちらを見ていない。逆に、施設長補佐の連隊長は真っ直ぐ向いて会場全体を見渡しているようで、本当はこちらを凝視しているのが感じ取れた。その他の幹部らの視線はまばら。監査団メンバーの方も、入場スペクタクルを楽しんでいる者もいれば、飽きてしまって天井の模様を眺めている者もいた。
そんな花道の来賓通路さえ抜けて、ニナはようやくパーティー会場の絨毯に足を下ろした。ここからは普通の歩き方で良い———そう思うだけで気が楽になる。まだ料理にも飲み物にも口をつけていないというのに、ウォッカのショットグラスを一杯飲み干したような気分だ。
「ふぅ・・・」
空いたテーブルに一人で腰掛けると、ドッと疲れが四肢にのしかかる。大した運動はしていないというのに、慣れない格好と、慣れない動きと、慣れない雰囲気がそうさせるのだろう。一息つくと、テーブルに用意されたいくつかの空のグラスと、中央に置かれた銀色の器が目に入る。
パンチボウル。盃のような形をしていながら、銀製の器は鍋のように巨大。座ったまま身を乗り出してみると、器は透明な水で満たされていた。そしてスープの具材のように、輪切りの檸檬やミントの葉がプカプカと浮いているのが見て取れる。その銀製のパンチボウルが同じく銀製のトレイに乗っており、ボウル内にはお玉が入っていた。
「・・・」
空のグラス。満たされた器。これみよがしに用意されたお玉。上流階級の作法を知らないニナでも、流石に何をどうすればいいかは予想が付く。喉を潤そうとグラスを一つ選び、銀色のお玉に手を伸ばしてみる。
しかしニナの手がお玉に届く前に、無骨な男の手が先に取ってしまった。
「失礼。」
男の動きは決して素早かったわけでも、増してお玉を奪い取るような、暴力的な動きだったわけでもない。あまりにも鮮やかな作法ゆえ、ニナは男の手が伸びていた事にさえ気付けなかったのだ。
突然の事で固まってしまったニナ。そんな少女の前で、男はゆっくりお玉で水をよそい、音もなくグラスに注ぐ。
「こうしたパーティーは初めてかな、レディー?」
老齢の男。髪も髭も真っ白で、良く手入れが行き届いている。明るいグレーのタキシードは特徴的でありながら、男の雰囲気に良く馴染んでいた。そんな男の、あまりにもこなれた動きに戸惑いながら、ニナは何も返答できず小さく頷いていた。
「困らせてしまったか、申し訳ない。アウグスト・シュタインハイム、今日は監査員としてお邪魔しているよ。」
言いながら、アウグストは小さく音を立ててニナの手元にグラスを置いた。
男の手元を見ながらグラスを目で追っていたニナは、グラスが置かれてからようやく顔を上げた。
「ありがとうございます!あの、私は、ニナ・ゲッペルで・・・えっと、支援課で・・・」
緊張からか、脳が上手く文章を組み立てられない。舌が回らず、言葉選びを間違えたと思うほどに頭の中は真っ白に塗りつぶされていく。
そんな少女を見て、アウグストは我慢できずに笑ってしまった。
「ハッハッハッ!若いな、ニナ嬢よ。・・・まあ、夜は長い。ひとまずこれを飲んで落ち着きなさい。お互い、良き出会いに恵まれると良いですな。」
言い終えると、アウグストは自分の名刺をテーブルに置いて、手を振ってニナから離れていった。立て続けに色々起きて思考が追いつかないニナ。まずは言われた通り、グラスの水を一口飲んでみる。さっぱりとした檸檬の香りが鼻腔を撫でる。常温なのにひやりとした涼しさが喉を抜けていくのはミントの葉のお陰か。
少し気持ちが落ち着いたニナは、アウグストが残していった名刺を手にとってみた。
”内務省統合情報統括局 国防機関監査部
二級監査室 第一課
上級監査員 アウグスト・アベル・シュタインハイム”
早速、とんでもない大物とのコンタクトを取り付けてしまった。ニナの脳は既にオーバーヒートしていて、グラス一杯分の水では冷却が間に合いそうにない。少女はしばらく名刺と見つめ合いながら、再び椅子の上で固まってしまった。
「ニ〜ナ?」
「ひゃんっ!?」
名を呼ばれるや否や少女は、喉のいったいどの辺りから出たのか首を傾げたくなるような声を絞り出して返答する。
名刺とのにらめっこを打ち切ったのは、いつの間にか背後にやって来ていたアガルタだった。女は椅子の背もたれからニナの顔を覗き込み、ニナの両肩を軽く叩くようにして手を置いた。
「アガルタ?もう入場したんだ・・・?」
「そりゃそうよ。あなたのすぐ後ろだったもの。」
ニナの背後から回り込み、すぐ隣の椅子を引くアガルタ。そのまま浅く座り、ゆったりと脚を組む。
「それで〜?いったい何とにらめっこしてたのよ?」
それが要人の名刺と知っていながら、アガルタはわざとらしく聞きながら紙切れにツンツンと人差し指を触れる。ニナは名刺とアガルタを交互に見比べながら恐る恐る説明した。
「なんかさ・・・なんか、すごい人に声掛けられちゃった・・・どうしよ・・・」
「どうって、ポーチにしまっとけば良いのよ。良いじゃない。人脈一つゲットってところね。おめでとう。」
脚に続いて腕まで組んで、完全に他人事のように。そんな姿を見て、だんだん腹が立って来たニナは、静かに眉を寄せて頬を膨らませていた。
ようやく本調子が戻って来た少女の顔を見て、アガルタは小悪魔的な笑みを浮かべる。
「何よ〜?」
再びからかい始めるアガルタ。ニナは言われた通りポーチに名刺をしまいながら、アガルタに小さな声で返答する。
「・・・他人事だと思って。」
「むくれないの。」
困ったような笑みを浮かべ、ニナの膨らんだ頬を人差し指でつつくアガルタ。
「・・・まあ、確かにその人微妙よね。彼氏にするのは論外だし、愛人・・・も一発目じゃきついか。」
自分の口元に人差し指を当てながら、宛もなく天井を見上げて思案するアガルタ。傍らのニナは再び首から上がオーバーヒートを起こし、頬から耳まで真っ赤に染まる。
「か・・・かれ?・・・愛人??」
「そうよ。いつまでもこんなキャンプに居られないでしょ?『キャンプから出ていく誰か』にくっつくのが一番手っ取り早いわ。」
カラクリを説明するアガルタ。オーバーヒートした頭をちびちびと水を飲んで冷ますニナ。話についていくのが、今は精一杯だ。
「そうね、歳が近いパイロット候補生なんかベストだろうけど、モタモタしてると取り尽くされちゃうわよ?」
「・・・男の子と付き合った事なんかないよ。何て声掛けたら良いのさ?」
そんなところだろうとは察していたアガルタ。
顔や身体こそ可憐そのもののニナではあるが、少女が纏う空気は寧ろ、少年のそれである。それは表情であり、口調であり、目付きであり。そういうピースを掻き集めれば、アガルタにはニナが男性性を求められる半生を送ってきたのだと理解できる。
「そうね。偶然肩が触れたとか、足元にナプキンを落としちゃったとか。あ、遠くの料理を取ってほしい、なんてのも良いわね。・・・きっかけなんて何でも良いのよ。とにかく話し掛けてみるのが大事。あとはノリと機転でどうにでもなるわ。」
簡単な事のように言うアガルタ。ニナにとっては雲を掴むような話だが、弱気になっている暇はないと、己に喝を入れて立ち上がる。
座ったまま、少し驚いてニナを見上げるアガルタ。ニナはグラスに半分ほど残った水を一気に飲み干すと、テーブルに叩きつけるように空になったグラスを置いた。
「肩ぶつけて、ナプキンと料理だね。ありがとう。やるだけやってみるよ、アガルタ!」
ぎゅっと拳を握り、意気揚々と振り返るニナ。一人残されたアガルタは、一抹の不安を拭いきれないまま、小さく息をついて少女の背中を見送った。
『雲を掴むような話』とは言え、全く宛がないわけでもない。入場の時に会場を見回して、ちょうど知り合いのウルススもパーティーに来ている事が見て取れた。
まずは人混みの中からウルススを見つけ出すところから。入場セレモニーの時に一瞬見た限りではあるが、アルベルトと一緒に座っていたテーブルの位置は記憶している。探しだしたら、その後は肩か料理か。ナプキンを使うなら、小道具もどこからか調達しなければならない。気を抜けばぐちゃぐちゃになってしまいそうな脳内をなんとか整頓し、せわしなく左右に視線を投げる。
テーブルからテーブルへ、早足で。少女は話しかけられる事も躊躇われるほどの剣幕であちこち歩き回っている。遠目にニナを見ていたアガルタは、頭痛薬を準備していない事を早速後悔していた。
アルベルトとウルススが座っていたテーブルは、今は空。しかし二脚の椅子には、上着がそれぞれの背もたれにかけられている。一〇三期生と一〇四期生の階級章———ここで間違いない。
「席を取ってる・・・じゃあ、あっちか。」
わざわざ席を取っているという事は、帰ってくる予定があるという事。
であれば、ここからまた行き違いになるリスクを負う事はない。大方料理でも取りに行ったのだろう。ここで待ち伏せていればいずれ鉢合わせるだろうと、ニナは予想した。ゆったりと腰掛けて二人が戻ってくるのを待つ。帰ってくるタイミングで席を立って、偶然を装ってウルススに話しかける。それが一番、効率的だろうと。即興とは言え、完璧な作戦を思いついたニナは、ようやく一息付いて余裕を取り戻しはじめていた。
周囲の様子を観察しながら、二人の帰還をしばらく待つ。人混みが此方から彼方へ、そして反対へと行き交いながらも、少しずつ決まった顔ぶれのグループが確立していく。近い年齢層の者同士で、五、六人ほど。用意されたテーブルのサイズから見ても、それが適正な人数だと見て取れた。
そうしてしばらく待っていると、ニナが座っているテーブルに向かう一団が見えてくる。
「やばっ・・・!」
思わず呟いて、急いで椅子から立ち上がるニナ。男二人組がやってくるものと予想していたが、一団はやけに大所帯だ。
ワイシャツ姿のアルベルトが、料理の皿を持って戻って来たところまでは予想通り。しかし、一緒にいたはずのウルススの姿は見えなかった。加えて、アルベルトはウルススの代わりに、目算で五、六人ほど美女を引き連れて戻ってきたのだ。いそいそとテーブルから離れるニナ。後頭部から首の後ろに冷たい汗が吹き上がるのを感じながら、素知らぬ顔でアルベルトとすれ違おうと歩き出す。とにかくこの場を離れようと、目線も顔も男とは反対方向を向きながら。気付かれていないと思っているニナ。事実、アルベルトの取り巻きたちには気付かれていない。しかし当のアルベルトには、挙動の全てが見透かされていた。
折角取っておいたテーブルに誰かが座っている事は遠目にも見えていたし、そのシルエットが少女のものだとも気付いていた。随分と個性的なアプローチがあったものだ、などと思っていたアルベルトだが、どうも待ち人違いだったようだと、すれ違うニナの姿を見て察する。
「そこの君・・・」
すれ違いざま、アルベルトがニナに声を掛けた。ビクッと背筋を伸ばして立ち止まるニナ。ようやく少女に気付いた取り巻きの女たちの視線が、一挙にニナに集中する。
いくら効率的とは言え、流石に待ち伏せは不味かったか。立ち止まったニナは恐る恐る振り返り、視線を合わせないままアルベルトに顔を向けた。
「彼ならまだ向こうだよ。果物が好きみたいでね・・・よろしく伝えておいてくれたまえ。」
それだけ言って、アルベルトは事も無げに歩き出した。豆鉄砲を食らった鳩のような顔のニナを置いて、青年の足はテーブルへと向かう。
「あ、アルベルト様・・・!」
「お待ち下さい、アルベルト様!」
ニナの方を警戒して見ていた取り巻きの女たちも、こうなってはアルベルトを追う他ない。意中の男に置いていかれないように、小走りでアルベルトの脇を固めようと急ぐのだった。
状況を理解するのに数秒要したニナ。それが助け舟だったと察し、その場で頭を下げる。
「ありがとうございます!」
そして感謝の言葉を伝えると、少女は踵を返して料理が並ぶ長テーブルの方へ向かった。
青年を囲む女たちをテーブルに案内しながら、アルベルトは入場セレモニーでウルススと交わした会話を回想する———
見目麗しい美女たちが次々と入場する喝采の嵐。そのスペクタクルに大して興味を示さないウルススだったが、ニナ入場の時だけは違っていた。
「あれは、ニナ・ゲッペルか・・・!」
少し驚いたように少女の名を口にするウルスス。しかしその表情からは、ある種の安心感も伺い知れた。
「彼女を狙ってるのかい?」
後輩の珍しい一面が見られそうだと、気分が高揚するアルベルト。いたずらげに口元が吊り上がる。
「いえ、そういうわけでは。」
静かに首を振るウルスス。
「ただ、彼女は、他とは違う気がして。」
礼儀正しい朴念仁のウルススがアルベルトの方も見ず、その時ばかりは姿が見えなくなるまで少女の背を目で追っていた。
———あの時はウルススなりの照れ隠しかと思っていたが、どうもそれだけではないらしい。実に短い『たった一言のやりとり』ではあるが、アルベルトにも少しだけ『他とは違う』ように感じられた。
少女には、この訓練キャンプにあるまじき素朴さがある。それが似合うのは自分ではないと、最強のパイロットは自嘲気味に微笑んでいた。
一時はどうなる事かと思ったニナではあるが、アルベルトが想像以上に物わかりの良い人間で助かった。今ならどこを探せば良いかもよく分かる、果物のテーブルだ。これなら下手に警戒せず、素直に聞けば良かったと反省するニナ。模擬戦の戦い方から受けた印象とはかなり違う。
そんな事を考えながら一口大の前菜が大皿に敷き詰められたテーブルのゾーンを通り過ぎて、果物のゾーンに差し掛かる。各テーブルにはところ狭しとカットフルーツが盛り付けてあった。三つほど等間隔に並んだ、透き通るような硝子のコンポート。盃のようなそれには、比較的大きな果物が立体的に盛り付けられている。その足元には、大小さまざまなガラスボウルが敷き詰められていた。教会のステンドグラスのように、放射状に並べられた美しいカットフルーツの皿たち。その合間を縫うように、フルーツゼリーや生クリームと果物を和えたデザートなど、実に様々な趣向を凝らした果物が視界をいっぱいに埋め尽くす。
そんな景色に目を奪われるのも束の間、視界の端に、ニナは遂にウルススを発見した。青年の皿にはまだ半分ほど余裕があり、他にどれを食べてみようか迷っている様子だ。
———話しかけるなら、今。
心を決めて、アガルタの助言を思い出す。
『偶然肩が触れたとか、足元にナプキンを落としちゃったとか。あ、遠くの料理を取ってほしい、なんてのも良いわね。』
肩はダメだ、———皿の物が溢れて大惨事になってしまう。
ナプキンは、———持ち合わせていない。アルベルトのテーブルからワンセット取ってくれば良かったが・・・もう遅い。
———普通に話しかけるしかない。
深呼吸を一つ。それで頭を切り替え、ニナは一歩先へ踏み出した。
つづく




