第十九話『金腕のニナ その⑪』
唐突な質問。
脈絡も何もあったものではない。普通は困ってしまう。この状況で返す言葉があるとするなら、それこそ『何か適当な賛辞』だろう。
しかし、ニナはその点普通ではなかった。ほんの十秒か、十数秒か。手を掴まれたままで考えた末に返答した。
「・・・惜しかったよ。けど、もっと上手く出来たんじゃない?」
それはウルススが、今日初めて聞いた称賛ではない評価である。
空虚な称賛。吐き気を催す無価値にばかり囲まれて、ウルススは呆れを通り越して疲れ果てていた。観戦しに来た人間のほとんどが『勝敗』と『派手さ』しか見ていないと察した時、その薄皮一枚隔てた向こう側に渦巻く葛藤や駆け引きには興味がないと理解した時、男は言い知れぬ脱力感に苛まれてしまったのだ。
そんな中で、初めて聞いた———『称賛ではない感想』。
「キャッ!ちょっと、何・・・!?」
掴んだ手を本能的に引き、部屋の中へニナを入れるウルスス。気圧されて後退るニナだったが、それが災いして背中でドアを自ら閉めてしまった。
警戒して硬直する少女、しかし青年はその様子に気付かない。それほど力を籠めたつもりは無かったが、両肩を掴まれてドアに押し付けられたニナは、恐怖を感じて顔だけでも逃れようと背けていた。
「教えてくれ。あんたは試合で、何を見た?」
観念して男の方に顔を向けると、そこには迷子の子供がいたような気がした。図体ばかりがニナより大きくて、肩を掴む腕の力はなおも強くなっていくというのに、少女がウルススに感じた恐怖や困惑がスッと希釈される。
「最初から飛ばしすぎ。三対一は、まあ・・・難しいんだろうけどさ。それで後半ガス欠してるようじゃ、アルベルトには勝てない・・・と思うよ。」
厳しい。が、的確な指摘だ。
ウルススは手の力を緩めながら、しかしニナの肩からは離さずに問う。
「コクピットにいたわけでもないのに、なぜ分かる?」
「見れば・・・というか、考えれば分かる事だよ。ナイトのバックパックの体積は上半身の三分の一もないんだ。ガンガン使って飛ばす設計じゃないんだよ・・・。」
理路整然と根拠を並べるニナ。そんな彼女と話していたウルススは、もはや多目的支援課の一人と話している気はしなかった。しかし、同期の整備士候補生と話している感覚とも違う。奇妙な話ではあるが、少女はウルススが知る整備士たちよりも一段深層を見通しているような気がした。
「だったら・・・だったら俺は、どうすれば良かったと言うんだ?」
弱音のようにも聞こえる問い。ニナは真っ直ぐにウルススを見据えると、短く答えた。
「アルベルトみたいに戦えばいいよ。」
「言ってくれる。それが無理だから、俺は・・・」
———色々試した、と言いかけるウルスス。
「出来てたよ。」
———まただ。ウルススは、アルベルトとの会話を回想する。
『君と僕の間に、技能の差はないと感じた。』
ウルススが見込んだ人が、二人ともおかしな事を言う。
そんなはずはないのだ。ウルススの動きは完全に読まれ、何を企てようと後手後手に回らざるを得なかった。先読みさえも先読みされるという矛盾。こちらの攻撃は虚像でも相手取っているかのように当たらず、相手の攻撃はシールド越しにすり抜けてくる。しかしそれは、魔法でもまじないでもない。至ってつまらない物理法則だ。縮尺比さえ正しく認識出来ないほどの実力差が、あんな魔法じみた不条理を演出して見せたのではないのか。
ぎりりと奥歯を噛み締めて睨むウルスス。それでも臆さず男を見据えていた為か、ニナとウルススの視線が一致した。
「無我夢中で気付いてない・・・って事はないんじゃない?」
「なんだと・・・!?」
肩を掴んでいる男の手首を、ニナは逆に掴み返して持ち上げる。
腕力で勝負すれば今すぐ組み伏せられるほどの細腕だというのに、ウルススの腕はじわりじわりとニナに押し返されていた。
「そりゃさ、私だって最初は面食らったよ。攻撃がすり抜ける・・・とはニュアンスが違うよね。あれは『当たったように見える』が正しい。」
筋弛緩剤でも打ち込まれたように、ウルススの両腕に力が入らない。ニナに押されるがままに、男は背後に後退る。
「けど、それはあんたも同じでしょ。『当たったように』避けて、岩山に突っ込もうとしちゃってさ。危なっかしくて見てられなかったよ。同類なんだよ、あんたら二人は。だから出来る。アルベルトに出来る事は、あんたにだって出来るんだ・・・やり方を知らないだけでね。」
気がつくと、壁に押し当てられていたのはウルススだった。パイロットでも、訓練生でもない少女だというのに、その言葉はすべて正鵠を射ていた。ウルススにはめぼしい反論が見当たらない。
アルベルトとの試合、そして問答。時間差で答え合わせをされている気分だ。言うだけ言い切ったニナは、ハッとして我に返る。そしてウルススの手を離し、一歩引いた。
「ごめん、調子乗った。けどさ、『どう見たか?』で言うなら、『そう見た』よ。」
それだけ言うと、ニナは踵を返してドアノブに手を掛ける。
ウルススは俯いて、黙ったまま脳内で、アルベルトとニナの話を交互に再生していた。思考が追いつかない体験をなんとか咀嚼して消化しようとするウルスス。しかし、開き始めたドアが青年の思考を強制停止した。
「じゃあ。私は、これで。」
ドアの向こうに消えゆく少女。その映像が、ウルススにはいたく名残惜しいものに感じられた。今生の別れかと、不合理な錯覚が頭蓋を支配していた。
「待て・・・名前を、聞きそびれた。」
ニナの身体と、その肩に凭れたドアが動きを停止する。
「ニナ・ゲッペル。ニナでいいよ。」
「ニナ。覚えておく。」
振り返りながら名を告げるニナ。ウルススの返答を聞き届けると、ニナは半分閉じたドアを更に引いた。少女の姿を覆い隠すように、閉じゆく扉がウルススの視界を塗り潰してゆく。
———違う。言うべき言葉はこれじゃない。
「次は、勝つ。」
ドアが閉じてロックが掛かる。
その瞬間に滑り込ませるように、ギリギリであっても届くように。もはや姿さえ見えない少女に、青年は誠実な決意表明をするのだった。
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その晩、司令官官舎区画の豪邸の一室にて―――
しなやかで艶めかしい女の脚が、スイートルームの温かな光を照り返している。シーツのシワには未だに激しい夜の跡がありありと刻まれているが、それはつい先ほどまでの事。熱冷めやらない紅潮を頬にも身体にも残しながら、男と女は見つめ合っていた。
アラン・コナー連隊長。特徴的な口髭を置いて、全ての毛を剃った輝くようなスキンヘッド。細身ながら、鍛え抜かれた身体は全く実年齢を感じさせず、骨ばった硬い腕は傍らの愛人を優しく抱き寄せて撫でている。この第一◯◯八番新兵訓練キャンプに於いては、鬼の教官連中よりも更に恐ろしい、神の如き権力を有する幹部組の一人である。そうでもなければ、綿雲のように上質なダブルベッド、美しい文様の真っ赤な絨毯、柔らかな暖色系の明かりがロマンチックなスイートルームを兼ね備えた豪邸で、贅沢の限りを尽くす事など出来ようはずがない。
そんな連隊長の心を射止めたのは、彼の愛人アガルタ・ファム。何人もの権力者を籠絡して世間を風のように渡り歩いて来た彼女は、今度も己の女としての武器を遺憾無く発揮していた。澄んだ秋晴れにたわむ麦畑のような黄金の髪。よく手入れされた柔らかな髪が、連隊長の手のひらに触れて楽しませている。華奢で柔らかな身体は未だに連隊長の激しさを忘れられず、火照ったピンク色の胸郭は重たく息をしていた。
アガルタの長くしなやかな指が、連隊長の胸から腹にかけて、一筋の窪みを悪戯気になぞる。すると連隊長は腹筋に力を込め、腹には六つの硬い島が規則正しく浮き出た。
「ふふ、かた〜い。」
「好きだろ?」
「愛してますわ。」
二人は自然に目を合わせると、そのまま熱い口づけを交わした。
連隊長の肩口の向こうには、小さな木製のテーブルと、その上のワインボトルが柔らかな暖色系の照明を照り返している。ボトルの残量は三分の二ほど。その傍らには一組のワイングラスが並んでいた。グラスの底に溜まった数滴分の飲み残しが、輝きを明滅させるルビーのよう。
そんな真紅の輝きを目に映すアガルタの表情が、次第に曇っていくのが見て取れた。
「どうした、何か心配事か?」
上半身をムクリと持ち上げながら、覆いかぶさるようにして連隊長が問う。
「いえ、そんな事は。私の心は満たされております・・・」
表情と言葉が一致しない。
アガルタは連隊長から目をそらし、ベッドサイドのテーブルとは反対側に位置する、簡易的なデスクの方を見る。そこには、近日中の監査団訪問に関する資料の束が置かれていた。
「嘘は良くないな。君の心配事は、———パーティーか?」
言い当てられて図星とばかりに、アガルタは目を泳がせた。
「ごめんなさい、アラン様。おっしゃる通りですわ。」
甘えるように身を寄せながら、アガルタは先を続けた。
「私ね、パーティーそのものはとても楽しみなの。本当よ?きっと素晴らしい音楽と、美味しい料理と、素敵な人々に囲まれて有意義な時間を過ごせると思うの。」
「そうだとも。最高の夜になるはずだ。」
間髪を入れずに言う連隊長。それを見て、アガルタは小さく笑った。
「ふふ、そうでしょう?———そうなってしまえば、もしかすれば、あなたは私より素敵な女性に巡り合ってしまうかも知れないじゃない・・・それが、恐ろしくなってしまったの。」
潤んだ瞳が連隊長を見上げる。
当の連隊長は呆れ混じりの溜息を付き、愛いやつと思いながらアガルタを優しく抱き寄せた。
「バカな事を言うな、私のアガルタ。君以上に魅力的な女がこの世にいるものか。」
「光栄ですわ・・・」
アガルタの声色は、未だに不安を拭いきれないものであった。
「・・・何か、特に不安な事でもあるのかね?」
「以前に資料を見せてもらったでしょう?素敵なお友達の名前を見てしまったの。ニナ・ゲッペル、というのだけど。」
その名を聞いて、アガルタを撫でる連隊長の手が止まった。
「・・・リストに載っているのは、知っている。」
煮えきらない、連隊長の答え。
アガルタは、ここからが正念場だと理解する。
「若いのにしっかりした子よ。少し嫉妬してしまうぐらいに。」
僅かに口ごもり、言葉を選びながら連隊長は返答した。
「・・・評判は聞いているとも。」
近日中に開催される秘密のパーティーの招待候補者は、キャンプの隅々に張り巡らされた監視網を根拠にリストアップされている。それはカメラ映像であり、盗聴記録であり、訓練生たちの間に紛れ込ませている密偵の情報の塊でもあるのだ。
パーティーに招待されるという事は、その後の人生の成功について、ある程度の内定を賜るようなものだ。実力を認められるのは当然として、その個人が特別に有能―――正しくは有用―――と判断された事を確約する証が、すなわちパーティー招待でもあるのだ。
使える事―――、それが重要なのである。
戦闘行為における実力と同じ程度に重要視される事、それは本人が『弱みを抱えている事』なのだ。将校課程を見据える者の中でも、より中枢を目指す者ほど、皮肉にも『そちら』の方が重要視される。
どれだけ修練を積み重ねようと、才能に恵まれようと、ヒトとヒトとの間の差などはたかが知れている。戦闘行為がどれだけ上手かろうと、そうでなかろうと、所詮兵士は鉛玉一つで命潰える消耗品でしかないのだ。そんな消耗品の微妙な性能差に、大した価値はない。
であれば―――有用な人材とは、何か?
―――それは、絶対に逆らわない人材である。
性能が高いのは当然として、機械部品のように従順で扱いやすいモノ。
決して想定外の動きをしないモノ。
我が身可愛さで精進し、システムの一部として完璧に機能するモノ。
つまるところ、軍はそういう者を求めている。
だからこそ抱えたスキャンダルの存在が重要なのだ。それが世間的に大きなものであればあるほど、卑劣なものであればあるほど、『パーティーのメンバー』としては都合が良い。
過剰なまでの暴力と理不尽を奨励して倫理観を麻痺させる訓練キャンプの風紀、フラストレーションを効果的に蓄積させる為に綿密に設計された環境やカリキュラム、これみよがしに配置された、弱者と女。
―――全ては、優秀な人材が世間一般で言うところの『スキャンダル』を抱え込む為のお膳立てなのだ。
―――リストアップされた訓練生は、そのほとんどが『その条件』を満たしている。
「そう言えば君は、あの支援課の作業員と一緒にやってきたそうだね。そこで仲良くなったのかい?」
努めて、連隊長は優しい口調を崩さない。しかし、アガルタとは目を合わせられないでいた。
「懐かしいわね、もう三ヶ月近く前の事になるのですね。」
アガルタは目を閉じると、あのコンテナの中の事を思い出す。
足元から衝撃が突き上げる最低な場所。暗くて、狭くて、痛くて、ひもじい牢獄。そして、その最奥に封じられた獣の眼光。鉄鎖で厳重に繋ぎ止められたソレは、痩せこけた枯れ枝のよう。
錐で板に彫り込んだような深い、眉間を二分する一筋のシワ。
瞬きさえも忘れてしまったのか、渇き切って充血した真っ赤な相貌。
頬は赤く擦り切れて腫れ上がっていた。それはあたかも、口そのものが耳まで裂けているように。
アガルタは閉じた目を開くと、連隊長の肩に身を預けた。
「・・・まさか。あの時の彼女とは、まともにお話も出来なかったわ。暗くて、怖くて、泣いてしまいそうだったもの。」
身を寄せながら訴えるアガルタを、連隊長は優しく抱き寄せて肩を撫でる。
「けどね、ここに来てからは、徐々に彼女が変わっていくのを感じたのです。私にも、私のお友達にも、あの子はとても良くしてくれたわ。恐ろしかったあの夜が嘘のよう。」
アガルタの話を聞き終えると、連隊長は彼女に向き直る。
「・・・正直なところ、私は判断を下しかねている。」
そう前置きした上で、男は話の先を続けた。
「君になら言っても問題ないだろう。詳細は省くが、アレは家族が戦争主義者だったようでね。下手をすれば一家丸ごと命はなかったのだろうが、どうやら幸運にも命拾いしたらしい。」
「戦争主義者の・・・恐ろしいわ。」
「だからこその処置だろう。戦争主義者と断じるには若すぎる・・・が、野放しにするわけにもいかない。その結果が、こうした辺境の軍事施設で監視下に置く事だった。」
ベッドから立つと、連隊長は二三歩ほど歩いてデスクの書類を取る。
「しかし前評判に反し、アレはとても良く働いている。軍医のノルトン大佐が多少目をかけていたようだが、それで何か恩義でも感じたか。あれが本性なのか。はたまた環境に適応しただけなのか。」
「どうでしょう。私はあの子の過去を知りませんから、現在の事でしか評価出来ません。その意味なら、とても優しくて、気立てが良くて、嫉妬してしまうほどに見目麗しいと思うのです。」
「君は・・・相当にアレを買っているのだな。」
ベッド端に座って資料をパラパラと捲る連隊長。アガルタは、そんな彼の背に抱きついて密着し、肩口から顔をのぞかせて資料のページを目で追っている。
「では、あなたはあの子を推し量ろうと?」
連隊長は静かに頷いた。
ニナが本訓練キャンプに、ある種の監視対象として押し付けられたのは間違いない。そのバックボーンを知る限り、監視理由にも一応の納得がいく。多目的支援課での飼い殺しが現状の方針ではあるが、連隊長は別の可能性も模索している。
例えば、共犯関係———
もし、ニナ・ゲッペルを誰か有望な訓練生に愛人としてあてがう事が出来たなら?
もし、この訓練キャンプという場にあって、その場にあるまじき贅沢———他者を踏みつける事でのみ口にできる果実———を享受する側に引き込めたなら?
———それは、いかなる金属で打った鎖より強力な、一生外れない首輪を掛ける事になるだろう。連隊長はじめ、幹部組や施設長さえもが『そうである』ように。
ヒトは理不尽相手なら戦える。しかし、差し出された特権相手には戦わない。将校の愛人になれば、自ずと監視の目がついて回る事にもなるだろう。その上で、能力が高くて軍の役に立つ人材だと言うのなら、是非十二分に役立てばいいと連隊長は思うのだ。
「まずは君の誤解を解いておこう。職務について考える事は色々あるが、女性について私は一筋だ。私はね、年甲斐もなく君に夢中なのだよ。君の責任だ。」
言いながら、連隊長はレポートをわきに置いた。今一度アガルタに向き直り、ゴツゴツと骨ばった腕が女を抱き寄せる。
そして独白するように、囁くように先を続けた。
「皮肉なものだな。高い位置は広い視野を約束してくれるが、細かい場所までは目が届かない。見定めるなら、近づくほか無い。」
「アラン様の御心、理解いたしましたわ。有能であればチャンスを与えたいけど・・・」
「そうだ。それには、私が直々にひととなりを知る必要がある・・・レポートの文字列だけでは量れない事もある、という事だ。」
お互いの身体を確かめあうように密着し、背をさすりあう二人。連隊長の言葉は、事実上ニナ・ゲッペルのパーティー招待を確約するものだった。アガルタは口元が吊り上がるのを抑えられず、連隊長にはその表情が伺い知れない。
やがて二人は抱き合った姿勢のままベッドに倒れ込み、激しい夜の続きにのめり込んでいくのだった。
つづく




