第十八話『金腕のニナ その⑩』
試合はアルベルト訓練生の勝利に終わり、祭りの空気も露と消える。最強の座は依然揺るがず。しかし、ウルスス訓練生の健闘は誰もが認め、称賛するところだった。すれ違う度に「ナイスファイトだった。」と褒められ、その度に作り笑いで返すウルスス。しかし、その胸中は穏やかではなかった。
———悔しい。
ウルススには、決着の瞬間に『殺された』という自覚があった。
あれは比喩でも誇張でもなく、真の意味で死闘だったのだ。ウルススも、アルベルトも、互いに殺し合う事を良しとし、死亡事故さえ厭わない危険な攻撃をぶつけ合った。だからこそ、敗北は死だ。未練を残してこの世から途中退場する。その感覚を、生きながらに噛み締めているのだ。
試す機会が無かったテクニックの数々、もっとこうすれば良かったという後悔、ミスを重ねた自分への怒り。様々な思いが交錯する脳内に、不思議と殺されかけた事への怒りだけは無かった。ウルスス自身も奇妙に感じる事ではあるのだが、一線交えた末のアルベルトへの感情は、漠然とした憧れから好感に変わっていたのだ。
だからこそ、四方八方へと散りながら入り混じる人だかりの中で、ウルススは必死にアルベルトを探していた。
「いた、あの・・・!」
遂に発見した上級生の背中。アルベルトは、一〇三期訓練生宿舎の門をくぐろうとする真っ最中だった。呼び止められて振り返った長身の男は、ウルスス訓練生を見てパッと表情を晴れやかにする。
「ウルスス君か!どうした?」
ウルススは勢いのままに音を立てて、深く頭を下げて礼をした。
「今日は貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました!」
その姿を見て、アルベルトはすぐにウルススの両肩に手を当てる。そして顔を上げるようにと、軽く力を入れて促した。
「いやいや、感謝すべきなのは僕の方だ。我儘を聞いてくれたのは君なんだからね。」
「とんでもないです。」
なかなか顔を上げようとしない後輩を、少し困った様子で視るアルベルト。周りの視線が少しずつ増えてきて、こちらに集中しているのも気になってしまう。
「・・・時間の方はどうだろう。少し、僕の部屋で話をしないか?」
それでようやく頭を上げたウルスス。二人はそのまま宿舎に入っていくと、アルベルトは自分の部屋に後輩を通した。
訓練生宿舎は基本的に二三人程度の班で一部屋と決まっているが、パイロット候補生はその限りではない。アルベルトやウルススのような、花形のパイロット候補生たちは特別に個人部屋を用意されるのだ。
アルベルトの部屋は、明日引っ越しでも控えているのかと思うほど空っぽだった。必要最低限の家具とベッド、そして部屋の隅に設置された無骨なデスクのみ。パイプ椅子が一つ畳まれたまま壁に立てかけられているが、滅多に使わなさそうな位置に押し込まれている。驚く事に、この部屋には照明器具が一つもない。室内を照らすのは、カーテンを取り払った窓から指す自然光のみ。
それでも人は生きていける。が、ウルススには奇妙奇天烈に思えてならなかった。無駄を省いた部屋というよりは、執拗に機能を削ぎ落とした成れの果てに見えてならなかったからだ。
アルベルトは簡易キッチンの戸棚から紙コップを二つ取り出すと、代用コーヒーを淹れながらウルススに声だけで指示を出す。
「椅子がある。掛けて待っていたまえ。」
水道の蛇口から急速沸騰ポットに冷水を注ぎ、スイッチを入れる。すると、黒い円筒状の容器を置いた土台に数字が表示され、二十秒のカウントダウンを始めた。その間にアルベルトはビニール袋に大量に入った代用コーヒーの小袋を二つ取り出し、一つずつ指で封を切る。真空パックされた正方形の小袋を開くと、中には円形のタブレット状に固まった焦げ茶色の物体が入っていた。これを紙コップに入れ、ちょうど沸騰した湯でふやかせば代用コーヒーの完成である。
二人分のコーヒーを淹れたアルベルトが簡易キッチンから部屋の方へやってくると、物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回すウルススがいた。
「気になるかい?」
コーヒー入りの紙コップを渡しながら問いかけるアルベルト。ウルススは起立して受け取ると、静かに頷いた。
「何もないように見えます。不便ではないのかと。」
「不便は悪じゃない。こちらが柔軟に合わせてやれば、案外楽しく付き合って行けるものさ。我儘な女の子と夜を共にするようなものだ。そう考えれば、君にも覚えはあるのではないか?」
「・・・どうでしょう。凡才にそんな余裕はありませんよ。」
少し驚いたように眉を吊り上げるアルベルト。しかしすぐに、「そういう事か。」と納得する。
「君と僕の間に、技能の差はないと感じた。であれば、勝敗を分けた違いは何なのか?話してみれば何か見えてくると思ったが、見えてきた気がするよ。」
「そんなはずはありません。自分は終始圧倒されていました。何度も手心を加えられ・・・遊ばれていたように思います。」
反発するウルスス。少しずつ語気は強くなり、表情には不満が色濃く滲み出る。
「おや、バレてたか。」
そこまで見抜かれていたと知り、とぼけたように天井を見やるアルベルト。しかしウルススの指摘は、むしろアルベルトの考えを補強するものでしかなかった。
力量差の乖離を示すもの、それは勝負の行方ではない。勝負の結果など、複雑に絡まった因果の最終回答でしかないのだ。どんなエースにも油断はあるし、未熟者が格上を機転で出し抜く事もあるだろう。連戦の疲労も無視できない。整備済みで同じように見えるGSにもコンディションの差はあるし、工業製品である以上は元から細かい個体差も存在するのだ。だから勝負の結末だけで力量差を測る事はナンセンスだと、アルベルトは常々思っていた。
それでは、力量差はいったいどこに現れるのか。アルベルトは、自分と相手の認識と理解、その乖離が力量差を測る上で最も重要なファクターだと感じている。その定義に従うなら、アルベルトとウルススの間に、戦況認識の乖離はほとんど無い。
「確かに、少し遊びすぎたかな。君との試合が想像以上に楽しくなってしまったのがいけないよ。何せ君には何度か肝を冷やされたからね、あれだけ刺激的な個人戦はいつぶりだろう。」
本当に楽しそうに回想しながら、アルベルトは先を続ける。
閉じた瞼の裏に再生される映像は、アルベルトがモニター越しに見たウルスス機の姿だった。荒削りながら真摯な殺意を向ける白銀の騎士。追い込まれる度に機転と度胸で状況を覆し、何度でも立ち上がって食らいつく。受けた傷を忘れず、相手の技を貪欲に吸収しながら成長する姿には、身震いするほどの興奮を覚えたものだ。
「ところで君は、舞踏の経験はあるかな?」
「・・・はい?」
脈絡のない質問に、呆気に取られるウルスス。
「美女を伴う舞踏だよ。夜会には付きものだ。」
「いいえ。そういう経験は、全く・・・」
予想通りの回答を聞いておきながら、アルベルトは大げさに残念そうなジェスチャーをして見せる。
「それはいけない。あれはあれで悪くない刺激だし、何より・・・僕に『勝っていた』かも知れない。」
舞踏会の話になって興味を失いかけていたウルススだったが、最後の一言だけは聞き捨てならなかった。目を見開いてアルベルトに視線を縫い留めると、上級生はそれだけで満足そうに腕を組んだ。
「APSはね、僕に言わせれば、あれこれと気が利く侍女のようなものなんだ。彼女はとても気立てが良くて、色々な事を敏感に感じ取ってくれるんだ。とても出来たパートナーさ。」
持論を展開するアルベルト。
荒唐無稽に思える話だが、的外れとまでは思えなかった。要は見方の違いだとウルススは理解する。ナイトの操縦はパイロットとAPSが二人で一人、二人三脚で行うものだと。そういう見方も、間違いではない。
「・・・操縦支援システムをそのように扱った事は、ないですね。」
「だろうね。とは言え、優秀な彼女も万能ではない。・・・正確に言うなら、万能な優等生であるが故に視野が狭い、と言ったところか。」
APSは操縦の簡略化と高度な情報処理を目的に設計されたパイロット補助システムだ。姿勢制御や火器管制を初めとした、旧来機ではマニュアル操作を必要とした操作を高い次元で遂行し、インターフェースを通じて能動的に様々な必要情報を提供する。パイロット同士の円滑な連携を促し、各機パフォーマンスのアベレージを上げてビギナーとエースの垣根を曖昧にする。
機動兵器として完成したGSという兵種を、戦術兵器として確立させるには必要不可欠なシステムである。しかしそれ故の限界もある。凡庸なパイロットを底上げする技術が、エースパイロットにとってボトルネックとなる事もあるのだ。
「愛しいじゃないか。そういう時はこちらが手を引けば良い。無理にリードしようとせず、むしろエスコートしてやるのさ。」
「・・・」
理屈の上では理解できる。しかし女性経験のないウルススにとって、アルベルトの説明は雲を掴むようなものだった。システムを無理に擬人化しているような、釈然としない居心地の悪さを感じる。
そんな思いを察して、アルベルトは小さく笑った。
「まあ、言葉で説明しても要領を得ないか。試しに誰かと付き合ってみると良い。」
「・・・先輩は本当に厳しい人ですね。とても難しい宿題をくださる。」
短い付き合いではあるが、これまでで一番弱気な事を言うウルスス。そんな後輩に困ったような笑みを向けると、アルベルトは軽く肩に手を置いて言った。
「見識を広げる事を恐れちゃいけない。一つの事に愚直に打ち込む姿は美しくはあるけどね、成長の種は得てして寄り道の方に転がっているものだ。次の公開模擬戦は半年後、僕にとっては最後の模擬戦になる。それまでに、一回り大きく成長してくれる事を期待するよ。」
アルベルトに発破をかけられ、新たな目標が出来たウルスス。いったい何から始めるべきか見当も付かないが、『成長の種は得てして寄り道の方に転がっている』という言葉には妙な説得力を感じていた。もし本当に、アルベルトとウルススという二人のパイロットの間にそれほどの力量差はないと言うなら。パイロット技術とは関係ないように思える人生経験にこそ、成長の可能性が秘められているというのなら。次の公開模擬戦までに、その真意を知らなければならないと強く思うのだった。
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夕日が傾く日暮れの頃、訓練キャンプは日中の熱狂を忘れ、日常の繰り返しに戻っていた。訓練生は各期が別々の訓練に励み、多目的支援課も任された仕事を全うした。そして時刻は訓練時間の終了時刻を過ぎた頃、中央広場や訓練生宿舎付近にも、徐々に人通りが増え始める。
例に漏れず、ニナも日課の仕事に従事していた。数ある雑用の中で、今回ニナが任されていたのは、一〇四期訓練生に支給される布団カバーや枕カバー、タオル類などを交換する仕事である。訓練生たちは交換して欲しい布類をあらかじめ自分の部屋の前に出しておき、支援課の作業員はそれに応じた洗濯済みのものに取り替える。
少女の身体と比べると、何倍も大きなステンレスの台車のハンドルを両手で掴んで引くニナ。しかし見た目に反して、台車はそれほど重くない。過剰なほど大きなタイヤに加え、重心が真下ではなく進行方向に偏った設計になっているからだ。台車の収納部分には圧縮された状態で沢山のカバー類やタオル類が収納されており、一台分で宿舎のふたフロア程度は賄える計算だ。
そんな台車を押していると、向かいの路地から見知った男が顔を出した。
「よっ、おつかれさん。」
手を上げて軽い挨拶をするのは、昼間の公開模擬戦をシーザーたちと一緒に観戦したトビーだった。いつの間にかトビーからニナへの苦手意識は薄れていたらしい。青年は訓練を終えたばかりなのか、赤らんだ頬から首筋にかけてバケツの水を被ったかのように汗を垂らしており、深緑色のシャツも首元を中心に黒黒と濡れていた。
「おつかれ。悪いけど、タオルはあげないよ。これ一〇四期のだから。」
「いらねぇよ・・・というか、取ったら殺されるわ。」
冗談めかしてニナが言うと、トビーもそうと理解して表情がほぐれる。そしてシャツのボタンを一つ余分に外すと、襟を引いて顔に垂れる汗を拭った。
その姿を見て、仕方ないと溜息をつくニナ。スカートのポケットからハンカチを取り出し、四つ折りのままトビーに投げて寄越す。
「ほら。」
反射的に受け取るトビー。驚いた表情で言葉を詰まらせ、ハンカチとニナを交互に見やる。
「シャツで拭かないでよ、下品だから。」
腕を組んで睨むニナ。頭二つ分も背が低い小柄な少女だと言うのに、トビーは反発できない強制力を感じていた。
「・・・いいのか?」
「いいよ。私のじゃないし。」
どの道、数日以内には何かしらの役に立ち、ニナたち支援課のメンバーが洗濯させられる支給品だ。ならばここで役に立てば良いと。
綺麗に畳まれたハンカチを開くと、トビーは顔や首にこすりつけるように当てて大量の汗を拭いた。真っ白のハンカチは、またたく間に汗と砂埃が入り混じった茶褐色に汚れてしまった。
「お前さ、もっと冷たいやつだと思ってた。」
「別に。多目的支援しただけですよ~。」
目を泳がせながら、何処ともなく見つめて言うトビー。ニナもトビーの目を見ずに返答し、台車のハンドルに手を掛ける。そのまま行ってしまいそうな彼女を見て、トビーは何でも良いから会話を続けなければと、未知の衝動に背中を押されていた。
「昼間のシーザーじゃねぇけどさ、お前、本当に機械の事詳しいんだな。」
「うん、まあ、実家がね。」
曖昧な返事をするニナ。少しでも意識が過去に向いた時、ニナは否応無く『そこ』に引き戻される。
ちょうどこんな夕焼けの時だった。火を炊いているかのように真っ赤な光が全てを染め上げる黄昏の時、同盟軍の兵士たちは実家の町工場に踏み込んだ。疑惑と言うにはあまりにも拙い、揚げ足取りの為に一家は蹂躙された。
新しい人々と、新しい経験、新しい景色。そういうもので視界を誤魔化してはいるが、瞼さえ閉じれば、ニナの脳は常にあの日の出来事を再生している。
壁に手を付いたまま、流れ作業で射殺された両親。
何人もの兵士にリンチされ、生死不明のまま引きずられる兄。
———『女は何かと使えるからな。くれぐれも『顔』にはあまりキズをつけてくれるなよ?』
中年の兵士が吐いた言葉、ニナが五体満足でいられる理由だ。
同盟軍の訓練キャンプにて多目的支援課に従事しているのも、全く彼女の意志ではない。他に選択肢がないだけだ。歳に似合わず聡明な少女には、今の処遇に至るまでの経緯が手に取るように分かる。
大方、軍は結局ニナ・ゲッペルを『レジスタンス』と決定づける根拠を何も見つけられなかったのだろう。しかし、それはそれとして『ニナ・ゲッペル』は自由にさせておけるような経歴の人間ではない。だから、生かさず殺さず、辺境の訓練キャンプという牢獄に幽閉する。
———終身刑だ。
虐待はない、
自由もない。
夢見たメカニックにも、
復讐のレジスタンスにも、
何者にもなる事なく、真綿の鎖に縛られて朽ち果てる。
———それが、少女に許された唯一の生きる道だ。
そんな事情など露知らず。
遠ざかろうとする少女に、トビーは頑なについて来る。
「実家?もしかしてどっか有名な工業都市の出身なのか?」
トビーやニック、シーザーのような同年代の訓練生たち。アルベルトやウルススのようなパイロット候補生たち。少女を慕う、テレサのような多目的支援課の仲間たち。
そういうものが『あの日の兵士たち』とは別人なんだと、ニナとて頭では理解している。傍らの鬱陶しい男も、それ以外の訓練生も、怒りをぶつけるべき相手ではない。しかし、彼らもまた同盟軍。階級章が違うだけの同じような姿をしていて、いつか正規兵になったら同じ事に手を染めるのだろう。
そう思うだけで吐き気がする。
大声で叫んで、暴れて、全部ぶっ壊したい衝動———
———それは不可能だと、冷静に蓋をする頭脳。
その間で押しつぶされて歪む顔を見られないように、ニナは俯いて早足になっていた。
仕事に没頭している———自分の機能に集中している———時だけは、過去が曖昧になるから。そんな思いさえも振り払うように、ニナは煩わしそうに顔にかかる髪を退けるふりをしてトビーに振り返る。
「別に有名でもないけど、まあ、そんなところだよ。」
「そうだと思ったんだ!じゃなきゃ、GSの仕様とか造りとか、詳しすぎるからな。」
顔を合わせようとせず、先を急ぐニナ。
少女が乗り気でないと気付いていながら、トビーは尚も話しかける。
「手、貸そうか?」
「いいよ。出来るから。」
「あ、じゃあ、今度・・・」
「油売ってていいの?」
ニナと台車は既に一〇四期訓練生の宿舎前まで来ていた。一〇五期生であるトビーの生活圏とは反対方向だ。内容のある話を何も出来ないまま終点まで付いてきてしまったトビーは、ニナの一言で黙ってしまう。確かに、油を売っている暇はない。訓練生のカリキュラムは分単位で厳格に決められており、どんな些細な遅れも許されないのだから。
こと下っ端の前期生なら、なおさら。
「じゃあ、またね。」
「・・・ああ、また。」
半身を捻って振り向き、小さく手を振るニナ。少し遅れた返事で、トビーは少女を見送った。
大きな台車を引きながら、少女は宿舎の門の中に消えていく。その後ろ姿を最後まで見送る事も叶わず、青年は小走りで次の訓練場へと向かう。短い休憩と着替えの時間を全く内容も成果もない話に浪費してしまったと自覚していながら、その表情は晴れやかになっていた。
一〇四期訓練生たちのような、中期生に分類される訓練生の生活リズムは、トビーたち前期生とは一風違うものになっている。前期の総合評価と、その範疇での個人の希望に合わせて、『GS操縦士課程』、『整備士課程』、『艦船士課程』、『衛生士課程』、『総合士官課程』から目指すべき専門分野を選択する事になる。それぞれの課程には少しずつ違うカリキュラムが組まれるので、必然的に生活リズムにもばらつきが生まれるのだ。特別な希望がない場合は『総合士官課程』が最も好まれる進路であるが、訓練生たちのヒーローはやはり『GS操縦士課程』に進む者だろう。特殊カリキュラムに加え、魅力的な優遇措置、性別問わず同年代から向けられる憧れ。この時代、GSの操縦士は全ての兵科で最も死亡率の高い兵科でありながら、パイロットを目指す若者は後を絶たないのである。
多様なカリキュラムの都合上、支援課の作業員が宿舎に来た時、部屋にいる者もいない者もいる。ノックして返事があれば、そのまま希望された支給品を手渡せば良し。反対に、外出中なら室内の収納ケースに入れておく必要があるのだ。
「三◯四号室は・・・タオル四、カバー三・・・っと。三人部屋かな。」
通信デバイスで支給希望を確認しながら、新品同然に洗濯された支給品を用意する。台車内の収納部で真空圧縮された物を取り出して専用バスケットに入れると、干からびた布類が、オーブンで焼かれるパン生地のように、徐々に空気を吸って柔らかさを取り戻していく。
ノックをしても返事はない。外出中だと判断し、通信デバイスの画面をドアのバーコードに翳す。すると鍵がカチッという音を立てて開き、ドアは自重でゆっくり部屋奥へと傾いていった。
「よいしょ。おじゃましまーす。」
言いながらバスケットを持ち上げ、玄関を兼用した簡易キッチンを横切る。予想通り部屋内には誰も居らず、しかし生活感は色濃く見て取れた。
室内の整理整頓は訓練生の義務だ。コの字型に配置されたベッドは、決して丁寧ではないが一応のベッドメイキングをされた状態で並んでいた。抜き打ち検査の時に合格するかどうかの微妙なラインだ。バスケットから収納ケースに洗濯済みのタオルと枕カバーを入れると、ケースの蓋をして出入り口の方に戻っていく。
「あ、これ・・・」
帰り際、トイレのドアが半開きな事に気付くニナ。
各部屋に付いているトイレはユニットバスになっているのだが、規定ではシャワーの使用後は、窓を開けて換気扇を回さなければならない事になっている。結露が発生し、それがカビの増殖を招くからだ。よほど急いでいたのか、単純にうっかりしていただけか、はたまたバレないとタカをくくったか。規定違反がバレれば当然罰がある。グラウンドを何周も走らされたり、拷問のような荷重で筋トレをさせられたり。無視して通り過ぎても良いのだが、ニナはこういう時、どうにも素通り出来ない性分だ。トイレの小窓を開け、パネルを操作して換気扇を起動する。
そして部屋を後にする。ドアを強く引く事でロックがかかる仕組みだ。次の部屋を目指しながら少女は再びデバイスの画面を起動し、支給希望を確認した。
「次は上の階・・・一人部屋の人か。」
デバイスを見ながらタオルを二枚用意し、バスケットに入れて階段を登る。幸い部屋は階段を登り終えて曲がったすぐのところだったので、少し得した気分でドアをノックする。
「いますか~?」
「・・・今開ける。」
どうせここも外出中だろうと思いながら声を掛けると、少し遅れて返事が返ってきた。住人は声を張ったようだが、ドア越しだった為か、声はいたく遠くの方から響いて来たような気がした。程なくして床を踏みしめる音と共に、部屋のドアがゆっくりと開いた。
「待たせた。要件は?」
言いながら姿を表したのは、ウルスス・ヤスタル。昼間に試合を見たばかりなので、特段他人に興味がないニナでも、面識がないのに顔と名前が一致している数少ない人物だ。
「タオルの支給です。二枚、でしたよね?」
前屈みになってバスケットから少女がタオルを取り出すと、目の前の青年に差し出した。短く切り揃えられた飾り気のない茶髪に、歳の割に幼さが残る童顔の青年。服の上からでも分かるほど痩せ型の骨ばった身体だが、決して華奢ではない。
「ああ、助かる。」
彼なりの謝辞を述べながら、青年は差し出されたタオルを受け取った。
———『試しに誰かと付き合ってみると良い。』
数時間前の、アルベルトとの会話を思い出す。
いったい何から始めるべきかさえ分からない『宿題』だが、ウルススには早速チャンスが舞い込んできたような気がした。
「えっ・・・あの・・・?」
迷うぐらいなら前進する、それがウルススの生き方だ。正しくは、それ以外の道を男はまだ知らない。そんな不器用な人間なので、気がつくとニナの手を掴んでいた。
「・・・」
行動こそ早かったが、ウルススの頭には気の利いた誘い文句の一言さえ浮かばない。掴んでしまった以上は離すわけに行かず、かと言ってここからどうすれば良いかも分からず。
小脇にタオルの束を抱えたまま少女の手を取った男と、意図を理解できずに固まった少女は、しばらく居心地の悪い静かさを共有していた。
「あの、何か・・・?」
困惑しながら質問するニナ。
困らせている事に、ウルスス自身も困ってしまう。
「・・・・・・・・・試合。」
そして、酷く延々と続くかに思えた静寂を、ようやくウルススの一言が打ち切った。
「試合、見たんだろ。どうだった?」
つづく




