第十七話『金腕のニナ その⑨』
一時的な膠着状態が見せた静寂は、長くは続かなかった。戦況は容赦なく急変し、場を支配していた停滞が、ブースターの爆音とともに大きく動き出した。
「誰のブーストが・・・こっそりだって・・・?」
喉から絞り出すように言うトビー。その目は、模擬戦場の出来事に釘付けだった。彼以外のギャラリーも、ニナも、別人が乗っているかのように変貌したアルベルト機の挙動から目を離せなくなっている。
それは、僅か一秒にも満たない間の出来事だった。アルベルト機の背部ブースターが白炎を爆発させると、光と粉塵だけを残して二機の巨人が消滅した。そんな事はあり得ないのだが、少なくとも観覧席からはそのようにしか見えなかった。
―――爆音、再び。
僅か瞬きを一度分挟んだほど後の事、エリアDの岩山の一角が、爆ぜたように見えた。
それもそのはず。二機のGSは瞬間的に時速百キロメートル以上の速さでエリアAを斜めに横切り、対角線上のエリアDに突入したのだ。いくつもの小高い岩石とすれ違い、二機の巨人は猛スピードで背後の巨大な岩山に激突しようと急接近していた。
「ぐうッ、正気かッ・・・!?」
危険信号が荒れ狂うウルスス訓練生のコクピット。
それもそのはず。この姿勢、この速度のまま背後の岩盤に激突してしまえば、これまでのような『仮想のダメージ』では済まないだろう。いくら模擬戦とはいえ、実機を使う以上は、機体の材質も重量も燃料も、何もかもが本物である。重大な損傷による即時機能停止、パイロットへの重大なダメージ、最悪の場合は爆発事故にも繋がる危険な一手だ。
その手札をアルベルト訓練生は一切の躊躇なく切って見せた。そのヘルメットに隠された笑みは、実年齢の十九歳とは思えないほどに屈託のない、悪辣なものだった。
「さあウルスス君、今度はどうする———ッ?」
未就学の子供が、捕まえた蝶の羽根をもいでみる。糸目を見開き、口元を吊り上げたアルベルト訓練生の表情はまさにそれだった。
充分にブースター加速をしたと見ると、アルベルト機はウルスス機からふわりと離れた。敵機は直線的な加速で発生した慣性に任せ、自分自身はブースター噴射角を調整して背後の岩山に飛び乗ろうと上昇したのだ。
———激突すれば、木っ端微塵。
観覧席の訓練生たちはおろか、教官組までもが、どよめく事さえ忘れて息を飲んでいた。模擬戦とは、あくまでも訓練の一環である。心身を極限まで厳しく追い込んで鍛錬する事と、本当に相手の命を奪う事も辞さない行為とは、根本的に意味合いが違う。
「・・・やりすぎだよ。」
上級生が下級生に稽古をつける。そういうありふれた光景なのに、誰の目にも命がけ。その危険性を機械工学の観点から否が応でも理解出来てしまうニナは、歯をきつく食いしばったまま、自然とそんな言葉を絞り出していた。
顛末が気になって仕方ないアルベルト訓練生は、着地動作を完全にAPSにまかせて、ウルスス機の様子を見下ろしていた。高度が上がるほど、ウルスス機の激突の瞬間が近付くほど、二機の距離は離れていく。
わずか数秒以内の出来事を、パイロットたちの脳は何十秒にも引き伸ばして処理していた。
「死んで、たまるかッ———!」
———逆噴射。最大出力へ。
暴走機関車のように絶壁を目指す鋼の巨人。それを止められるのは、ウルスス機自身の推進力のみである。
———背後へと突き動かす慣性の作用、
それを殺そうと、咆哮轟く反作用———。
その中心にいるパイロットにかかる負荷は筆舌に尽くしがたいものだ。負荷軽減の仕組みはパイロットスーツにも、コクピットの構造そのものにも備わっているが、それでも重圧は万力で握りつぶされるかのよう。
訓練生の限界値、三重力の重圧を超越した負荷がウルスス訓練生の骨という骨を軋ませていた。
———笑み。
充血して飛び出しそうに錯覚する眼球、パキパキと幻聴する節々の骨折、五臓六腑が押しつぶされて破裂する幻覚・・・ウルスス訓練生の脳は驚くほど冷静にその一つ一つを知覚し、表情筋は場違いにも口元を吊り上げていた。
パイロット負荷の限界値を超える急減速は無数のアラートをバラ撒いていたが、そんなものは一報たりともウルスス訓練生には届かない。減速しながらも確実に岩盤を目指す巨人は、尾を引くように白銀の反射光を煌めかせていた。
「うおおおおおおおおッ———!」
潰れかけた肺と喉から、雄叫びを絞り出すウルスス訓練生。
鋼の巨人も、また同じ。こと耐熱性においては、他のどのパーツよりも抜きんでいるはずのブースターの噴射口が赤熱する。パイロットのみならず、機体の耐久限界をも問うほどの逆噴射が、突き動かす慣性に抗っていた。
やがて、それも終わり。岩山と巨人との距離は完全に埋まり、猛スピードで岸壁に突っ込んだウルスス機の体は大きく仰け反った。空を仰ぎ見るように反った首、大の字に開いた手足、そして模擬戦場を駆け抜けた凄まじい轟音。
———しかし、爆音ではなかった。
破裂音でも、
破砕音でもない。
バーナーで炙る、侵食の音だ。
ウルスス機はGS一機たりとも入らないほどの僅かな隙間を残して岩壁を墨色に炙り、激突も大破も回避して見せた。そしてブースターは徐々に火力を失い、ウルスス機を宙吊りにしていた力も嘘のように抜けてゆく。それはパイロットも同じで、ウルスス訓練生を潰そうと絞め上げていた死神の腕が離れていく実感があった。
五体満足。死の淵から生還を手繰り寄せた巨人が、既に背後の岩山に着地していたアルベルト機を振り向きながら見上げる。
最大の危機を切り抜けたウルスス機。その姿を見て、観覧席は自然と拍手で満たされていく。期待の新星・ウルスス訓練生とはいえ、最強のアルベルト訓練生相手にこれほどまで食い下がる事は、アルベルト・フーバーの風評を知る誰もが予想していなかった事態だ。
「すごいな。あのウルススって先輩、まだやる気だ・・・」
模擬戦場から目を話せないまま、ニックは驚きを隠しきれないでいた。そしてそれは、他の誰もが同じ気持ちだった。ただでさえ最強のパイロット。侮って手心を加えているかと思えば、死亡事故も辞さない攻撃を躊躇しない、予測不能な戦い方。
ルール上は降参だって出来るというのに、それを責める者など誰もいないだろう事は明白なのに、ウルスス訓練生は試合続行を望んでいる。
「ありがとう・・・君はまだ、戦ってくれるんだね。」
眼下から見上げるウルスス機をモニターに映し、偽りなき誠実な謝辞を述べるアルベルト訓練生。マシンガンの照準は既に敵機のコクピットをロックオンしており、アルベルト機もその意志に呼応して銃口をまっすぐ向けた。
「・・・」
ウルスス訓練生は、処理しきれない感情に困惑したままだ。
今しがた目の前の上級生に殺されかけたというのに、不思議なほど怒りも憤りも感じない。脳がおかしくなってしまったのか、高揚感と幸福感、充実のようなものさえ感じている。それが開いてはならない扉だと直感しながら、後ろ髪を引く衝動に抗えない。
殺し合いは、———楽しい。
そんな不道徳を認めつつある自分自身を、ウルスス訓練生は受け入れつつあった。
アルベルト機が撃ち放ったマシンガンの掃射を、ウルスス機はシールドで受け止めない。他の訓練生なら、数瞬前の彼なら、それを当然の動きとして実行しただろう。しかしウルスス訓練生には、取るべき別の道が見えていた。
「オラァッ!」
身を捻ってメイスを振り抜くウルスス機。その動きがマシンガンによる射撃の射線を外し、振り抜いたメイスは黒焦げになった岩壁に激突した。
マシンガンのマーカー弾は外しきれず、ウルスス機の上半身にはいくつかの被弾痕が刻まれる。しかし、追撃の射撃はない。
「———ほう。」
嬉しい誤算だと、アルベルト訓練生は久しぶりに高揚していた。
岩場とは、山岳地帯の天候以上に移り気なものだ。マニピュレータで掴んでよじ登れるほど頑丈な、不滅とも思えるような自然物の塊が、砕ける時は砂の城もかくやというほど呆気ない。ことアルベルト機が飛び乗った岩山については、多方向からの度重なる衝撃や負荷で限界だったのだ。
メイス攻撃が繰り出された刹那、飛び退くアルベルト機———
アルベルト機の着地の衝撃、
ウルスス機のブースターに炙られたダメージ、
マシンガン掃射から伝達した振動、
そして、トドメの殴打———
———岩山は氷塊のようにひび割れて砕け、音を立てて崩壊した。
崩れ行く岩山だったものの岩石弾をシールドで防ぎながら、ウルスス訓練生はモニターの端を滑るアルベルト機を横目で追っていた。
「・・・そう上手くはいかないか。」
アルベルト訓練生の技、接近運動でマシンガンを受け流す技術を真似たつもりのウルスス訓練生ではあったが、見様見真似だけで再現できるような技術ではなかった。真に迫りつつある手応えと、何かが決定的に足りない感覚。その両方を噛み締めながら、ウルスス訓練生は操縦桿を握る手に今一度力を込めた。
飛び退いた先もまた、岩山の上。斜面に張り付くように器用に足裏を凹凸に合わせ、アルベルト機は再び銃口をウルスス機に向ける。完全に背後を取る位置取り、狙いはバックパック。ウルスス訓練生とて、アルベルト機の位置取りも、その狙いも理解している。
———理解しているから、メインカメラより先にシールドを向けるのだ。
「この距離で反撃はできまいッ!」
叫ぶアルベルト訓練生。操縦桿の射撃トリガーを引く代わりに、再びの跳躍で岩山の斜面を蹴り飛ばす。
射撃に備えるウルスス訓練生。しかし、期待外れの静寂。嫌な予感が訪れるより先に、ようやくなりを潜めたかに思えた損耗アラートがまたもや溢れ出した。
Head Unit: ―――Multiple Damage Detected.
Left Shoulder: ———Sub-Critical Durability.
Left Upper Arm: ———Critical Durability.
「本当に学ばないやつだな、俺は———!」
被弾、再び。ウルスス訓練生は、間抜けな自分自身への怒りを抑えきれない。
頭上の有利を捨てたアルベルト機は、落下する事でウルスス機のシールドの死角に逃れながら、シールドの向こうに見え隠れするGS本体にダメージを蓄積させる。特定のポイントを狙わず、あえて散弾銃のように弾道をバラけさせるのもテクニックのうちだ。二度も同じ手でダメージを与えられた悔しさを噛み締めつつ、ウルスス訓練生はシールドの角度を修正するのだった。
「凌いだね。さすがだッ―――!」
ウルスス訓練生の思いとは反対に、アルベルト訓練生は対戦相手の戦いを高く評価していた。荒削りながらも、勢いと的確さを両立した戦闘スタイル。加えて、ミスに気づいてからリカバリーするまでの判断も早い。これならまだまだ試合を楽しめそうだと、期待しながらブースターを噴かして舞い上がる。
「チッ、また飛んだ!―――まずは距離をッ!」
上空で放物線を描きながら滑るアルベルト機を追って、ウルスス機も即座に動き出した。アルベルト機を仰ぎ見ながら駆け出し、急な射撃に備えてシールドを待機させつつ、次に飛びつく岩山にアタリをつける。平面上の直線移動であれば、放物線を描く三次元軌道より距離が短い。出遅れた事を加味しても、充分に距離を詰められるという判断だ。
「よし、引きずり下ろすッ―――!」
予想通り、着地を先回りに成功したウルスス機。アルベルト機はまだ宙空。勢いをそのままに、ウルスス機はブースターを噴かし、アルベルト機が目指す岩の足場に蹴りを放った。
巨大な岩石を震わす衝撃が、ウルスス機のフレームを伝ってコクピットにも伝播する。未だに原型を崩さない足場ではあるが、ウルスス訓練生は確かな手応えを感じていた。モニターが映し出している岩には、もはや六十五トンの巨体を受け止めるだけの強度はない。
ようやく間合いの壁を乗り越えて、メイスとメイスのインファイトを予感する。
「粋な事をッ!」
着地は不可能だと瞬時に判断したアルベルト訓練生は、高揚に任せて声を上げながら、着地する代わりに同じ足場を上空から蹴る。
アルベルト機の素早いリカバリーを目で追いながら、ウルスス訓練生も思わず声を上げた。
「反射ッ―――!?」
頭上からの射撃をする為の足場でなく、方向転換する為の足がかりとして岩山を利用するアルベルト訓練生。岩山の側面がひび割れて砕け、機体は既にその場から消えてしまった。
一蹴で岩山から離れたアルベルト機は、重力に任せて地面に落下する。位置はちょうどウルスス機の背後。ウルスス訓練生はそれを背面カメラで追えていながら、勢いづいた機体を急には止められない。
機体への負荷を顧みず、勢いを殺しきらないまま、振り返りざまにメイスを一閃するウルスス機。音を立てて空を裂いたメイスは、やはりアルベルト機の残像をすり抜けてしまう。
「間抜けか、俺は・・・ッ!」
フラッシュバックするのは、ほんの一時間ほど前のティモン機との戦いの一幕だ。
あの時もウルスス機はインファイトで背後を取られ、先手のつもりで放った背後への一撃が避けられてしまった。大きく振り抜いた腕がナイトの胸部を開き、一切の守りもなく露出したコクピットが最前面に突き出た格好になる。
———全く同じ格好だ。
同じミスを繰り返してしまう、学ばない自分に嫌気がさす。
モニターに映る光景もまた、あの瞬間の焼き直しだった。横薙ぎに振り抜いたメイスをやり過ごした敵機が、ガラ空きのコクピットハッチ目掛けてメイスを振り下ろす。唐竹割りに、真っ直ぐ。一切の躊躇無く。
勝つなら、前だ。ウルスス訓練生はそれ以外の方法を知らない。この局面でウルスス機に出来る事、ウルスス訓練生にとれる手段はそれしか無いからだ。
———死に者狂いの集中力で、その『瞬間』を視る。
「・・・今ッ!」
『瞬間』を逃すまいと、疾く———
直立の姿勢から、コマ飛びのように消えたウルスス機。命中したはずのメイスは虚しく空をすかし、ウルスス機は前かがみの姿勢でアルベルト機の腰を抱き込んでいた。
「何ッ———!?」
驚愕を隠せないアルベルト訓練生。低姿勢のタックルを受けて、アルベルト機のコクピット内を浮遊感が支配した。
どよめくギャラリー。それもそのはず。アルベルト機はこの試合で初めて、明確に攻撃を食らっている。まぐれでも、何かの間違いでも、その事実は変わらない。触れられざる虚像が遂に実体を持ち、異次元の存在かに思われた天才が、ようやく物理法則の世界に引きずり降ろされたのだ。
「やった・・・!」
「そうだね、やっと攻撃が当たったよ!」
興奮して、声を抑えられないニナ。そんな彼女の方を見てテレサも同調するが、ニナは小さく首を振った。
「ウルススもやったんだよ、一瞬だけブーストするやつ・・・」
「それはッ!・・・そんなはずはッ!」
ニナに被せて否定するシーザーは、あきらかに取り乱している。対するニナは冷静だった。
「でも、当たった『ように』見えたでしょ?」
シーザーは、痛い所を指摘されて黙り込むしかない。ニックもトビーも、気持ちはシーザーと同じだ。
アルベルト訓練生が当たると思って放った攻撃は、ついぞ最後まで軌道を変えなかった。唐竹割りに振り下ろされたメイスがウルスス機のコクピットハッチを叩き、試合終了のサイレンが鳴り響く。それが筋書き、それが模擬戦場を支配するリズムだった。
———それを、外した。
ウルスス機の挙動はアルベルト訓練生の拍子を外した事に他ならず、想定外の事態がこの先の筋書きを書き換える。
「今度はあんたが・・・潰れちまえッ!」
立場が反転した焼き直し。アルベルト機の腰部を掴んだウルスス機は勢いよく背部ブースターを爆発させ、背後の岩山めがけて一直線に突進する。それはウルスス訓練生が受けた、大事故をも辞さない危険な攻撃である。今度は相手が肝を冷やす番だと思った瞬間、ウルスス訓練生の口角はひとりでに吊り上がっていた。
「本当に飽きないな、君との試合はッ———!」
アルベルト機のコクピットの中、モニターは目まぐるしく景色を変えていく。早送りのように過ぎゆく歪んだ外部映像が、激突の瞬間を刻一刻と引き寄せている。そんな絶体絶命の状況にあって、男はむしろ『命の危機』を愉しんでいた。
APSの警告表示が、岩盤までの距離をけたたましく更新しながらパイロットに知らせる。その仕様は、ウルスス機も同じ事。アルベルト訓練生は叩きつけられる瞬間を、ウルスス訓練生は叩きつけるまでの刻を秒読みしていた。
「けど、悪いね。これ以上は遊べそうにない・・・」
名残惜しそうに言うアルベルト訓練生の眼差しの先には、危険域を示すプロペラント残量表示のメーター数値が映っていた。あと何度ブースターを使えるか計算しながら、アルベルト訓練生は操縦桿の加速トリガーに指をかけた。印象派絵画のように乱れる景色をモニターに映し、目を閉じる。
絡み合いながら岩壁を目指すニ機のGS。突如の浮遊感がウルスス機を襲った。舞い上がった両機は急速に高度を上げ、加速度的に地表から離れていく。
「今度は何だ!」
悪態を付くウルスス訓練生だが、ブースター噴射は緩めない。
垂直上昇しようとするアルベルト機と、真正面突破しようとするウルスス機。二つの力が交差し、融合し、岩山を乗り越えるほどの放物線を描いた。岩壁に激突するはずだった二機は岩山の頂上を見下ろしながら、何もない空へと投げ出される。
先にブースターを切ったのはアルベルト機、ついでウルスス機のブースターから炎が消えた。
「ここがどこだか分かるかい?」
モニターに映る敵機に尋ねるアルベルト訓練生、当然返答はない。しかしウルスス訓練生は、最悪の状況を直感する。
「不味い、ここはッ———!」
二機が落下していく地点、それは岩山のエリアDを抜けた先のエリアC。汎用地上戦用GSにとって最大の鬼門である、泥湖のエリアである。どこまでも水平な外観からは見分けがつかないものの、このエリアには大小さまざまな広さ、そして深さの沼地が隠れている。粘性の強い泥沼は容赦なくGSの脚を取り、身動きを大きく制限してしまう。機動兵器にとって機動性を奪われる事は、手足をもがれる事にも等しいのだ。
落下のもみ合いの中で、ついにアルベルト機の腰から腕を離すウルスス機。それでも二機の巨人たちの落下は止まらない。アルベルト機は仰向けに倒れ込むように、ウルスス機は足先から泥湖に吸い込まれるように。
そしてウルスス機の足先が泥の湖面を貫き、粘性の飛沫を上げながら沼に下半身を飲み込まれた。銀色に輝く身体が汚泥に染まり、腰の辺りまで完全に沼に浸かってしまった。眼前には、一足遅れて沼に落ちるアルベルト機。仰向けの姿勢は最後まで変えず、背中と後頭部に刻一刻と泥の湖面が接近していた。
———機体が湖面に触れる瞬間、
ブースター、最後の起動———。
それは、摩訶不思議な光景だった。最大出力のブースターが噴き出す炎が湖面を炙り、アルベルト機は宙吊りになって落下運動を止めていた。そしてコンマ数秒の間拮抗した後、滑るような動きでアルベルト機はウルスス機から距離を取り、再び中空に上昇して見せた。
遠目ながら、信じられない現象を見て思わず手で口を覆うテレサ。
「何、あれ・・・」
理解不能への恐怖、あるいは嫌悪さえもが、その声に滲んでいた。
ニナもまた、生唾を飲み下していた。理屈は分かる。が、そんな机上の空論を実用する人間がいるという事実を、脳が意固地になって受け付けない。
「ダイラタンシー現象・・・細かい粒子が均等に溶け込んだ液体は、強い衝撃や圧力で一時的に硬化する・・・けど・・・」
けど、それは———理屈の上での話だ。
たまたま投げ出された先の環境を瞬時に掌握し、
自由落下の重力加速とブースターの噴射圧を効果的に利用し、
六十五トンの鉄塊を支えうる『岩盤』を急造して、足場として使う。
めちゃくちゃだ、
———が、理に適っている。
果たして、再び舞い上がった巨人は、残りの燃料を減速にのみ費やしながら降下していた。放物線が運んだ先は、エリアCとエリアAの境目辺り。着地時には流石に泥の飛沫を上げるものの、ウルスス機のように機体の半分近くが泥湖の罠に飲まれる事は無かった。
「年の功、というやつだ。悪く思わないでくれたまえよ?」
軽口を言いながらエリアAの側に歩いていくアルベルト機。その背後で、ウルスス機は泥沼に四苦八苦していた。
「とにかく、ここを出なくては・・・!」
粘性が高い泥はまともな歩行すらも妨げ、鈍重な動きはパイロットの焦燥だけを掻き立てる。前進している実感が全く無く、動くほどに挙動が鈍化していく感覚があった。ウルスス機の周囲には大粒の気泡が次々にぶくぶくと浮かんでは弾け、泥湖を火山火口のマグマのように錯覚させる。
「ダメだな・・・ありゃ。」
つぶやくトビー。ニナも同調した。
不思議そうな顔をするテレサだが、ニックが指さしながら説明する。
「ナイトって結構隙間だらけなんだよ。熱や衝撃を逃がす為にね。だから泥のエリアみたいな局地で戦う時は、ちゃんとシーリングして局地戦仕様にしなきゃ使い物にならないんだ。」
言葉を裏付けるように、ウルスス機の動きは更に鈍くなっていく。膝関節はもはや屈する事ができず、沼底を引きずるようにして左右の脚を無理に動かしている股関節部も悲鳴を上げていた。脚が満足に動かない分を腰の回転で補うウルスス機だが、そうする度に泥は胴体部の内部をも侵食していく。
「クソ、クソ・・・!こんなところで・・・!」
悔しさで顔を歪ませるウルスス訓練生。
そんな若者を嘲笑うように、各部の機能停止を知らせるアラートが矢継ぎ早に更新されていく。パイロットが何を思おうと、機械はお構いなしだ。装甲の隙間から内部に侵入した泥がそこかしこの電装系をショートさせ、砂や小石が関節モーターに詰まって自由を奪う。毒蛇にでも噛まれたかのように、鋼の巨人は少しずつ、少しずつ動かなくなっていくのだった。
そうしている間に、アルベルト機はエリアAの一角、試合の前半で自ら放棄したシールドが転がっている場所まで辿り着いていた。
「これで弾の心配もいらないね。」
メイスを腰部にマウントすると、アルベルト機は空いた腕に再びシールドを装備した。そしてウルスス機がいるエリアCの方へ戻りながら、シールド裏に用意されている予備マガジンをマシンガンにセットする。
もはや勝利が揺るがないアルベルト機は、悠然と歩きながらウルスス機に照準を合わせる。モニターに表示された十字の目印の先に映る敵機は、鈍重な動きで必死にエリアAを目指していた。
「名残惜しいが、これで詰めだ。」
言いながら、下半身の動きを完全に停止したウルスス機にマシンガンを撃ち放つ。
ウルスス機は最後の抵抗として、シールドで頭部と胸部を守っていた。しかしアルベルト機は位置を絶え間なく変えながらシールドで防ぎきれない箇所を狙い、的確にダメージを蓄積させていく。
Right Shoulder: ———Sub-Critical Durability.
Right Upper Arm: ———Critical Durability.
Head Unit: ———Sub-Critical Durability.
———死神の鎌が、ウルスス機の首に冷たい刃を当てる。
Right Shoulder: ———Critical Durability.
Right Shoulder: ———Destroyed / Offline.
Right Arm: ———Offline.
頭部を守る腕が機能を停止し、だらりと垂れ下がる。しかし、それでも射撃は止む気配がない。
「ここまでか。」
観念したようにつぶやくウルスス訓練生。しかし操縦桿を握る腕は力を籠めたまま、痙攣しているかのように震えていた。
Head Unit: ———Critical Durability.
Head Unit: ———Destroyed / Offline.
———DEFEATED.
暗転したコクピット。
明滅する赤文字。
項垂れたウルスス訓練生は静かに歯を食いしばり、試合終了を告げるサイレンを聞いていた。
つづく




