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機甲大戦記VOLT  作者: 無銘
金腕のニナ編
14/31

第十四話『金腕のニナ その⑥』





 軍服に身を包みながら、さらにその上から白衣を纏った男が、病床に腰掛けるニナの傍らの椅子に座っている。階級章は大佐のもの。そして腕の腕章には、衛生兵を示す特殊章がピンで止められている。レイモンド・ノルトンは今となっては珍しい、大戦の時代を知る軍医である。彼はベテランとしていつでも退役出来る歳でありながら、ほとんど趣味でこの辺境の地にて勤務しているのだ。

 レイモンドは前日の朝と同じように硬い台紙に白い紙を噛ませると、鼻から滑り落ちそうな眼鏡の位置を中指で整えながらニナに向き直る。少女はそんな老人の緩慢な動きを目で追いながら、最初の質問を待っていた。


「んん・・・ゴホッ、ゴホンッ・・・失礼。」


喉の調子が優れないのか、老人はペンを持った手の甲を口に当てて咳をする。ニナは軽く首を振る事で返答した。


「今朝の調子は?」


「問題ないです。」


きっぱり答えるニナ。しかしレイモンドは紙に何かを記入しようとして、思い直したように手を止める。


「ふむ、口元の腫れはもうほとんど目立たないね。問題はお腹の方だ。」


ペンを走らせながらレイモンドが言うと、ニナはわずかに目を反らした。


「・・・平気です。」


「君の『平気』は信用ならん。たくし上げて見せてみなさい。」


医者としてのキャリアが長いレイモンドは、ニナのようなタイプの患者を何人も診て来ている。大戦中は特に多かったので、扱いにもそこそこ心得があるのだ。ベッドの上、ちょうど彼女の隣に診察用紙を置くと、軍医は聴診器を耳に入れながら少女の方に近づいた。

 当のニナはあからさまに嫌そうに顔をしかめながらも、患者衣の裾を両手でつかみ、胸辺りの高さまでめくり上げた。胸郭と腹部の境目あたりに一つ、更にその下、臍より少し高い位置にもう一つ、紫色がかった大アザと、緑色がかった大アザが色白の肌を侵食していた。


「・・・むぅ、上の方がやや治りが遅いか。下は順調だな。」


「・・・」


「痛みは?」


「ないです。」


短いやり取りを繰り返すと、レイモンドはニナの脇腹に聴診器のチェストピースを軽く当てる。思いの外冷たかったのか、少女の身体が軽く跳ねた。


「息を吸って。深くね。」


言われてニナは何度か深呼吸を繰り返す。レイモンドは目をつぶって音に集中し、何度かチェストピースを当てる場所を変えながら呼吸を続けるように促した。


「・・・わずかにまだ呼吸障害あり。特に吐く時だな。鎮痛剤と抗炎症剤は引き続き飲み続けるように。」


「・・・」


「・・・飲み続けるように。」


レイモンドは釘を刺すと、他にもいくつかチェック項目に沿った質問をしてから道具を片付け、ニナの部屋を後にした。のそのそとした緩慢な動きで軍医は部屋を横切り、あまり音を立てずにゆっくりとドアを閉めた。


 第一◯◯八番新兵訓練キャンプに連行されてきて、およそ一週間。ニナの一日はこうして始まる。患者衣の上着を脱いでベッドに放り投げると、ニナは上裸のままクローゼットを開いて衣服を物色する。そこには何セットかの、互いに変わり映えしない服装がハンガーに掛かっている。女性用の軍服を模した上着やワイシャツだが、階級章などを取り付けるスペースは用意されていない。

 そんな服をどれにしようかと指でなぞりながら、クローゼット裏の姿見に視線を移してみる。そこには酷い大アザが二つ、機械工房で暴れた時に兵士に拳で殴られた時のものと、蹴られた時のものが残っていた。しかしレイモンドの言う通り、アザは少しずつ、しかし確実にもともとの大きさよりは小さくなっている。ニナはより近くで見てみようと、腕を上げて身体を反らしてみた。


「いっ・・・!」


顔をしかめて腹をさする。

 この場にレイモンドが居なくて本当に良かったと、わずかに胸を撫で下ろしていた。如何に医者とは言え、同盟軍の軍人に弱い姿など見せたくない。だから朝の診察の時間もニナは大嫌いなのだ。どれほど顔や言葉で強がろうとも、医者という人種は何もかも見抜いてしまうのだ。


『何もかも足りないから、だからこそ私たちは———奪うんだよ、生き延びる為に。』


毎日のように、その言葉を思い出す。まぶたを閉じれば、いつだってあのコンテナの中に意識が引き戻されるのだ。

 治療も、食料も、寝床も、ニナは全て気に食わない。けど、それでも全て、奴らから奪った戦利品には違いないのだ。だからここへ来たニナは素直に治療を受けたし、出された食事は残さず平らげた。薬だって欠かさず飲んでいる。ニナの本性は、未だ少しも変わっていない。同盟軍は変わらず憎いし、そんな同盟軍の情けで生かされる事も不愉快極まりない。同盟軍の食事も吐きそうなほど不味い。———だと言うのに、あの時の言葉が鼓膜に纏わりついて離れようとしないのだ。


『大事にしなさいな、———せっかく奪ったものなんだから。』


 お陰で、腹筋と内臓への損傷による酷い内出血もこうして回復に向かっている。

絶食状態による栄養失調も脱水症状も既に安定し、ニナはいつも通りの健康と体力を回復しつつあった。それは血色の良い肌の色や、本来あるべき柔らかさを取り戻した皮膚の張りにも現れている。

 そんな身体の状態を確認しながら少女は下着をつけ、ワイシャツに腕を通し、支給されたスカートを履いて身だしなみを整える。腕には『多目的支援課』の腕章をピン留めし、ローファーを履いて部屋を出る。


———ここは訓練キャンプの別棟、多目的支援課と呼ばれる、この地で従軍する民間人の為に用意された建物の居住区画である。


 多目的支援課の仕事は、一言で纏めるなら雑用だ。確かに新兵は身の回りの雑務をやらされるが、それだけで施設の維持は完結しない。多目的支援課に従事するのは、主にアガルタのように望んでここへやってきた女たちだ。訓練兵たちが過酷な軍事訓練に身を投じる傍ら、支援課の女たちは食膳や清掃を初めとした雑務を受け持っている。

 彼女たちの目的はつまるところ、この閉鎖空間での労働を通じて未来の将校を射止める事にある。今は訓練兵でも、そのうち幾人かは将校課程に進み、肩書きと権力を得るだろう。少尉よりは中尉、中尉よりは少佐、少佐よりも大佐・・・階級が上がるほどに内地での安定した後方勤務と魅惑の稼ぎが約束されている。多くの訓練兵がそんな安定した将来を夢見て入隊しているし、そんな男たちの伴侶になりたいと望む女たちは少なくないのだ。

 だから女たちは望んで働き、尽くし、密会し、成り上がる。それがこの高山地帯の過酷すぎる訓練環境における、若き訓練兵たちの数少ない癒し、あるいは娯楽になっていた。


 どのようなコミュニティであっても起こりうる事ではあるのだが、この訓練キャンプという閉鎖空間では、上下関係と腐敗の病理が深々と根を張っている。そして、この第一◯◯八番新兵訓練キャンプのような辺境の地ほど、旧時代の悪習は深く強く残り続けるのだ。それはあたかも、全身に悪性腫瘍が転移した末期癌患者のように。しかし、当の患者は気にも留めずに酒や煙草に手を伸ばす始末。そんな救いようのない、グロテスクなヒエラルキーがこの場所には成立していた。


『上等訓練生』と『劣等訓練生』という区分がある———


 これは決して訓練生本人の素質とか、訓練の過程で見せた成果に由来するものではない。その区分は訓練キャンプに足を踏み入れた瞬間から決定しており、落ちる事はあっても、決して成り上がる事はありえないシステムなのだ。

 訓練生と一口に呼んでも、一人ひとりの出自や経歴は千差万別だ。士官や将校の家系に生まれたが故に訓練生となった者や一般公募から志願して訓練生になった者が多くを占める一方で、中には抜き差しならない事情で訓練キャンプに送り込まれる者も存在する。借金や未納税のカタであったり、不透明な経歴や犯罪を疑われた者などだ。どちらも厳しい軍事訓練の洗礼を受ける事は変わらないが、前者と後者では『それ以外』の扱いがあまりにも違う。

 『上等訓練生』に分類される者には体作りを助ける為の栄養バランスのとれたまともな食事、衛生的な住環境、適度な休息とわずかな娯楽などが用意されている。公然の秘密として、支援課の女たちと夜な夜な密会しているのも主に彼らである。彼ら上等訓練生こそが未来の士官であり、将校であり、地獄の訓練の末に華々しいキャリアを約束された若者たちなのだ。

 反対に、『劣等訓練生』に分類された者の日々は悲惨の一言に尽きる。食事は上等訓練生が食べ残した残飯に複数種類のサプリメントを混ぜて加工したレーションのみ。味の酷さもさる事ながら、その製法を知る事による惨めさと無力感を、彼らは食事の度に噛みしめる。劣等訓練生に休息の時間はほとんど与えられず、衛生管理も必要最低限の水準でしか許されない。精神的にも肉体的にも憔悴しきっている事に加え、畜生のような異臭を漂わせる生気なきヒトの抜け殻。ゾンビにも似た彼らはキャンプ全体の嘲笑の的であり、嫌悪の象徴であり、『どれほど辛くとも、下には下がいる』という心の支えになっている。


誰かを踏みつける事でのみ、己の価値を実感できる———それが『第一◯◯八番新兵訓練キャンプ』という世界の絶対的摂理だ。

 だから、中央広場には『最下層』が用意されている———


———『贖罪の柱』


 それは広大な訓練キャンプの敷地の中でもちょうど最奥、最も中心に近い場所に整備された中央広場に屹立した柱だ。およそ十メートルほどの木の幹を丸ごと使った柱で、遠くからでも目立つように台座に立てられたそれは、ともすれば処刑装置を思わせるだろう。

 柱には常に誰かが縛り付けられている。反抗か、重大な違反か、はたまた過失か。ともかく『罪人』とされた者は、その柱に鎖で縛り付けられるのだ。


———しかし『贖罪の柱』の真の恐怖は、自由を拘束されるという点にあるのでは無い。

 いかなる罰を与えるかは、全て『通りがかった者』に委ねられるのだ。この柱を前にした時だけは、誰もが平等に『上』なのだ。


罵声を浴びせるも良し、

身ぐるみを剥がして辱めるも良し。


殴りつけるも良し、

足蹴にするも良し、

備え付けの鞭で痛めつけるも良し。


将来有望な上等訓練生も、

民間人である多目的支援課の女でも、

公然と息をする事さえ烏滸がましい劣等訓練生でさえも、

例外無く誰でも、『柱の罪人』になら脈絡無く裁きを決行して良し。


『贖罪の柱』の刑は、嘆いても、叫んでも、謝っても責め苦は終わらない。

———次の『罪人』が現れるまで、刑罰は続くのだ。いつまでも。いつまでも。

 




———————


—————

———






 多目的支援課に配属されて二ヶ月が過ぎるかという頃の事。傷はすっかり癒え、ニナ自身も日々の仕事に慣れ、少しずつその振る舞いには余裕さえ生まれ始めていた。そんな日々を送っていると、いつしか怪物少女としての風評は朝露のように消え、訓練生から指導員に至るまで皆、彼女をごく普通の支援課の女として頼るようになっていた。


彼女の、並々ならぬ憎悪も知らずに———


 そう、知らないのである。この第一◯◯八番新兵訓練キャンプという世界の神であるオスカル・ウィンストン施設長、その補佐役でナンバーツーのアラン・コナー連隊長、そして二人の直下についている中隊長ら幹部組というほんのひと握りの権力者を除いて、誰もニナの出自や経歴を知らないのである。少女がここへ連行された夜に鎖を外してコンテナから連れ出す任を負った訓練生たちも、従軍キャリアだけなら最年長の軍医レイモンドさえも、ニナの身辺周りの事は何も知らされていないのだ。

 ニナがいったいどれほどの忍耐で涼しい顔をし、当たり前のように挨拶や敬礼を返し、炊事や清掃に励んでいる事か、誰一人として想像も出来ないのである。


 昼下がりのひととき、昼食休憩の二十分間は訓練生諸君にとって少しだけ肩の力を抜ける時間である。無論、それは『昼食休憩』などという贅沢を許された者に限る話ではあるのだが。青年たちは与えられた二十分という時間を食事のみに費やしてしまわないよう早々に自分の分の料理を平らげ、食堂棟の裏に三名のグループで集まっていた。彼らは、そのうちの一人の家族が仕送りで寄こしてきた一箱限りの煙草を回している。

 時間は残り十数分もないので、小箱とライターのセットを受け渡す青年たちの手は微かに震えていた。


「ニック、お前、あれからどうなったんだ?」


一人が息継ぎでもするように煙草を口から離すと、対面に座っている同期の友人に質問する。


「ドロテアの事か?ダメダメ、一◯三期の先輩が唾つけてる。殺されるところだったよ。」


この歳の若者の話題など、およそ決まっている。

 多目的支援課の女たちが玉の輿を期待するのと同じで、自ら志願して訓練生になった彼らも少なからずのユメを抱いてここに来ている。そして、この小世界を支配する絶対の上下関係の前に打ち砕かれるのが常なのだ。


「だから言っただろ、狙うなら年下だって。」


二人の会話に別の訓練生が割り込む。得意げに言う青年だが、彼もまた支援課の女たちに適当にあしらわれる有象無象の一人だ。


「うるせぇシーザー。テメェと違って少女趣味じゃないんだよ、俺は。」


「それで卒業まで童貞じゃせわねーだろ。俺は小さくても『戦果』を取るね。」


「何が戦果だよ。妥協したら敵前逃亡じゃないか!」


そんなニックとシーザーの不毛な争いを、話題の火付け人のトビーは静かに見守っていた。彼らの煙草も彼が持ち込んだもので、一巡して戻ってきたものをそそくさとポケットに突っ込んでいる。


「なぁトビー、お前はどうなんだよ。誘ったんだろ?ニナって新人の子。」


話題の腰を折ろうと、ニックは苦し紛れに矛先を変える。すると、煙草の箱をポケットに突っ込んでいたトビーの手の動きがわかりやすく乱れた。


「・・・」


青年はバツが悪そうに顔を逸らす。それがもはや、何よりも雄弁な答えだった。否が応でも、誘った夜の事を思い出す———


『おい、何が気に食わないって言うんだよ?』


 偶然を装って待ち伏せた夕暮れ。ニナはひと仕事終えて自室に帰ろうとしていた最中だった。それを呼び止めたのは、一◯五期訓練生の中でもとりわけ有望株のトビーだったのだ。

 友人グループの中でなら、きっと自分が最初に女を作るのだと、彼には少なからずの自信があった。厳しい訓練で引き締まった肉体と、生まれながらの高身長。それに加えて、彼の出身は故郷ではそれなりに有名な名家だった。訓練生たちが煙草を初めとしたキャンプに無い嗜好品を楽しめるのは、彼のような者が必ずどの期にも混じっているからだ。

 そんな自分が誘えば必ず靡くと信じていたトビーにとって、ニナの反応は完全に予想外だったので、彼は道を塞いで糾弾するようにニナに詰め寄った。


『うーんっと、ねぇ・・・』


ニナは顎に人差し指を当てると、トビーという男を顔から爪先までじっくり目でなぞる。心底興味がない相手だったので、こうしてしっかりと見るのはこれが初めてだ。こんな機会がなければ、何秒も時間を割いてやる事さえ無いだろう。

 そして遂に、ニナはトビーの顔にピタリと人差し指を向けた。


『・・・鼻がダサい。じゃあね。』


それだけ言って、ショックで固まった青年のわきをすり抜けるように、少女は多目的支援課の別棟に消えてしまった。一人残されたトビーは、しばらくしてから歩き出し、しきりに鼻を気にしながら自分の宿舎の方へ帰っていった。


———その夜の事を回想し、トビーは再び鼻に触れる。


「知らねぇよ。頭おかしいんだよ、あの女は。」


雑に話を切り上げると、時刻は既に午後の訓練まで秒読みだと告げていた。

 遅刻などすれば名家の出だろうが無かろうが洒落にならない。広場の時計が目に入った青年たちは我先に煙草を吐き出して踏みつけると、競うように必死に訓練場まで走るのだった。





その夜、施設長の宿舎にて———


 ここは『司令官官舎区画』と呼ばれる、地獄の訓練キャンプにあって、およそ似つかわしくないほど静かで快適な区画である。外観は他の区画の建物とそっくりで、景観に溶け込む無骨な灰色。高い塀と重厚な鋼のゲートに守られている事を除けば、外から通りがかる分には大した違いには気付かないだろう。

 しかし、ひとたびゲートをくぐれば、その評価は否応無く一変する。豪華なリムジン車両が問題なく通過できるほど大きなゲートを抜けると、塀の外とは全く別世界の青々と輝く美しい芝生、屋外でも快適にくつろげるテラス、芝生の緑色によく映える色とりどりの花々が眼前に広がるだろう。それは、庭の中央の巨大な建物さえも小さく錯覚するほどに。

 その無骨な建物でさえ、ものものしいのは外見ばかり。一歩でも中に踏み入れば、そこが軍事施設の一部だと言う事さえ忘れさせる。上質なカーペットに暖色系の暖かな明かり、見上げれば吹き抜けかと錯覚するほど高い天井にシャンデリア、壁にはところ狭しと鹿の角や年代物のサーベルが装飾として飾られている。

 そう言った豪邸のような建物は区画内にいくつかあるが、その中でも中心に位置する最大のものはウィンストン施設長のもの。そこから庭に砂利を敷き詰めて作った歩道を暫く歩けば、施設長のものよりひと回り小さいコナー連隊長の屋敷が、そしてその二つの屋敷を裏から取り囲むように幹部メンバーである中隊長らのコテージが並んでいる。


 いずれも、訓練生の宿舎や支援課の宿舎とは比べものにならないほどの贅沢を形にしたものだ。当然、この地にコンテナでやってくる贅沢品も、そのほとんどがこの区画で消費される。

 今宵も豪勢な食事を終えた一同は、食後の歓談がてら、使用人に上質なワインを注がせて夜を楽しんでいた。上座に鎮座して客をもてなすのは、当然ここの主のオスカル・ウィンストン施設長。年齢ゆえか多少体型が崩れてしまっているが、それでも太い腕や浮き上がった血管がくぐり抜けてきた修羅場と確かな実力を物語っている。そんな施設長は、両脇に若い女を侍らせ、花束でも抱えるように抱き寄せている。そんな女たちは彼に猫撫で声で甘え、己の主人を大いに喜ばせていた。

 豪華な木彫り細工で縁取り、透き通ったような美しい硝子を天板とした背の低いテーブルの反対側に、脚を組んでゆったり浅く座っているのはアラン・コナー連隊長だ。ウィンストン施設長と歳はほとんど違わないが、こちらは細身で幾分若く見える。特徴的な長い口髭を指で撫でながら、連隊長は傍らに侍らせている愛人のアガルタ・ファムとワイングラスを打ち合わせていた。

 そんな賑やかな笑い声が木霊する客間に、使用人の男が新たな料理を運んできた。


「失礼致します。こちらはロール・ド・プルノーになります。そちらのワインとの相性は格別で御座いますので、どうか皆々様、御賞味下さい。」


言いながら使用人はうやうやしく礼をすると、施設長の合図を受けて部屋を後にする。


「ほう、これはまた、わかっておりますな。」


真っ先に反応したのはコナー連隊長だった。


「当然だとも。取り寄せさせたワインがここ五年以内のフレッシュなものだったのでね、この私の発案で直々に作らせた逸品だ。」


アガルタを初め、この場に集まった女たちはもの珍しそうに皿を覗き込んだ。

 大きくて平べったい皿には、複数の一口大のロール・ド・プルノーが並んでいる。何やら漆黒の、墨の塊のような物体に、わずかにピンク色を残して焼き目をつけた茶色い帯が巻き付いている。そして、その帯と黒い物体をピン留めするように、小さなミントの葉を添えて楊枝が刺さっていた。そんなロール・ド・プルノーたちは一見乱雑にも思える無造作な盛り付け方をされているが、それは、どの角度から手を伸ばしても干渉せず、楊枝を取って手を汚さずに食べられるようにという料理人の技術の賜物だった。


「ロール・ド・プルノーと言ってな、プルーンという乾かした果物に、本物の肉を巻いてあるのだよ。合成タンパクなどで誤魔化したものではないぞ?本物の動物を殺して、捌いて、その肉を燻製にしたものだ!私ほど舌が肥えた美食家ともなると、これだけ離れていても匂いだけで食材の質が分かってしまうのだよ。」


「素敵!これも本物のお肉だなんて!」


「美食家のオスカル様の選りすぐりだなんて・・・愛してますわ!」


施設長が得意げに言うと、取り巻きの女たちは必死におだてながら甘えてみたり、頬に口づけをして主人を楽しませる。そんな女たちを今一度抱き寄せ、若くて華奢な身体の質感を感じようと、男の大きな手が二人を撫でていた。


「はは、そんなに嬉しいか?ソースにもこだわったのだ、檸檬と林檎のシロップソースでね・・・」


頃合いと見て、一度小さくアガルタが笑う。

 誰も気付かないほどの小さな笑みをワイングラスに残すと、グラスをテーブルに戻して、女はおもむろに立ち上がった。


「素晴らしいわ!私、こんな料理見た事ない!」


 大げさに感激して見せると、アガルタの艷やかなドレスが動いた。澄んだ赤色に染められた絹が金属のようにきらめき、シャンデリアの白い光を照り返す。ふわりとわずかに持ち上がるドレスの膨らみさえも、計算済み。腰をくねらせてヒダのたわみを調節しながら、女はテーブルの前に屈んで皿に手を伸ばす。視線誘導は、腰から肩へ。そして肩から、首筋へ。ちらりと無防備な胸元を覗かす事も忘れず、長くてしなやかな指は愛撫でもするように皿の縁をなぞる。

 ウィンストン施設長とコナー連隊長の視線は、完全にアガルタ一人に釘付けだった。施設長は両腕で抱き寄せている女たちを撫でる事も忘れてアガルタに夢中になり、連隊長はそんな彼女を愛人にしているのは他でもない自分だと誇示するように口元を歪ませる。そんな二人の反応を見て、施設長の取り巻きたちの視線もアガルタに集中する。あっさり先を越された嫉妬と、手際の良さへの羨望。両極端の感情が彼女らの脳を犯した。

 そして男たちは、アガルタがロール・ド・プルノーを口に含む瞬間を今か今かと心待ちにして見守る。


「さ、あなたたちもぜひ召し上がって!オスカル様が御用意なさったんですもの、きっと堪らないほど美味しいわ。」


 全ての視線を自分に縫い止めた事を確認すると、アガルタはその場の全員の予想を覆して皿を持ち上げる。あくまでも軽やかに。しなやかな指は赤子でも抱き上げるようなデリケートさで皿を運ぶと、眩しいほどにはつらつとした笑顔で、アガルタは施設長の取り巻きの女たちにロール・ド・プルノーの皿を差し出した。


「あら、いいの?」


「嬉しい!いただくわ~!」


言われて、女たちは少女のように、猫なで声ではしゃいで見せる。それは彼女らの苦し紛れの抵抗であったが、男たちの目は依然としてアガルタにだけ向いている。

 今宵の宴だけで、もう何度目だろう。女としての敗北を噛み締めながら、取り巻きの女たちは一つずつロール・ド・プルノーに手を伸ばしては指で摘み上げていく。とろみがかった薄黄色のソースが糸を引く。ひとしきり他の女たちが取り終わると、料理を口に含んでどれだけ美味かを必死に訴えるが、男たちは聞いていない。


コトッ———と、音を立てて皿を戻す。

 それだけで、取り巻きの女たちが必死に紡ぐ感謝と愛の詩は、その声は完全に無音になった。


やがて潤んだ唇がわずかに微笑むと、野生動物のように舌を覗かせる。


「それじゃ、私もいただこうかしら。あーん・・・」


開いた口内を見て、施設長と連隊長は生唾を飲む。

 この瞬間を待っていたのだ。わずか一分そこらの出来事だと言うのに、延々と待たされたような錯覚が二人の脳を痺れさせている。彼らの想像力が掻き立てていたのは、既に食事風景ではなかった。不覚に思う事すら叶わず、取り巻きの女たちもアガルタの姿に見とれていた。


「・・・ん、おいし。」


多くを語る事はない。そんな役割は、それこそ取り巻きの小娘にでもやらせておけば良い。

 全ての視線、全ての感情は今、アガルタにだけ向いている。今宵の『世界』は、アガルタを中心に回っている。色に狂ったメリーゴーランドのように。


「やはり君は最高だよ、私のアガルタ。」


言いながら、コナー連隊長はアガルタを自分の元へ抱き寄せる。するとアガルタも、頬への口づけで応じた。


「そうだな!来月末の監査団訪問のパーティーにも、是非参加してくれ!」


ウィンストン施設長も同調する。監査とは名ばかりの、外部の人間を呼んで『何も違法な事は起きていない』と確約して貰うだけの定期的なイベントだ。


「こんなに早くからお呼ばれされてしまうなんて。」


笑って見せるアガルタ。


「他には誰がお呼ばれされているのかしら?」


「アニーとメアリーは確定だ。」


アガルタの質問に、施設長はわきに陣取る女たちを抱き寄せながら答える。二人は少しだけホッとしたような顔を見せると、すぐに施設長の両頬に感謝の口づけをした。

 その間に、コナー連隊長はカバンの中から紙の束を取り出してめくっていく。


「まだ確定ではないが、レポートを貰っていてな・・・」


連隊長が目当ての項目を探しながら言った。

 定期的に開かれる大掛かりなパーティーに参加する権利を得る事は、その後の人生の成功を確約される事にも等しい。参加出来るメンバーはキャンプの司令部や幹部組、その愛人たち、外部から呼ばれる客賓、将校課程に進む事が確実な極めてひと握りのエリート訓練生、そして訓練生の間でもとりわけ人気が高い支援課の女たちだ。


「おお、これだ。こんなものでも本当は誰にも見せてはいけないものなんだが、君たちは特別だぞ?」


名簿を見せる連隊長の腕に、アガルタは甘えるように抱きついて中を覗く。施設長も笑って了承すると、取り巻きの女たちも気になって身を乗り出した。

 名簿には第一候補から第三候補までのカテゴリが用意されており、いくつかの名前をピックアップしただけでもカテゴリの意味が見て取れた。第一候補はほとんど確約組だろう、アニーとメアリー、そしてアガルタの名も載っている。多くを占めるのは卒業を控えた比較的年長の訓練生たちだが、中には名家やセレブ崩れの女たちも含まれていた。そこから、重要度は第二、第三と下がっていくが、リストに載った以上は招待される可能性は充分にあると言う事だ。

 そんなリストをめくっていくと、第三候補のカテゴリに見知った名を見かける。


———多目的支援課:ニナ・ゲッペル。


アガルタの口元は、わずかに笑みで吊り上がっていた。






つづく


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― 新着の感想 ―
赤銀の死神編から金腕のニナ編へと物語が深化し、ジョーとニナの出会いの必然性が浮かび上がります。兵器としてのVOLT、少女として生きたニナの過去。同盟国の非道さと、それでも尊厳を失わない二人の描写が素晴…
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