9.短い一週間と長い一日の始まり
後書きに挿し絵があります
「私と試合ってみないか?」
王様から会って早々に魔法武術の試合を申し込まれてしまった。
まさか本当に王様は、湖月が互角に戦えると思っているのだろうか? まさか、そんなはずはないだろう。まだ成長途中の若造に、指導をしようというつもりかもしれない。
「お誘いありがとうございます。マヨラナ国の魔法武術には興味がありますが、私ではとても王様が満足するような戦いは出来ないと思います」
「謙虚だな。確かに、まだ来たばかりでこの国の試合の仕方も分からぬだろう。そうだ、今度闘技場での戦士たちの戦いを観戦しに行こうではないか。面白いぞ」
それから、城への道々は王様の魔法武術談義で終始した。
堅牢な石造りの城門をくぐり馬を降りて城内へと入ると、王様が歓迎のために大広間で宴会を開いてくださった。王族や官僚や貴族、建築家、魔法研究者など、重要な役職に就く人々を紹介されたが、一度で覚えきれる自信がない。
そのなかで王様の遠縁という魔法研究者が、
「フィーディーという私の息子が湖月さまと同じ場所で学ぶことになります」
と言っていたのが記憶に残った。
王様からトケイ国ではどのように暮らしていたのか尋ねられて、神殿の居住区に住み、神官たちの手伝いをしていたと答えると、
「それならば、神殿で暮らすのが良かろう」
と言ってくれた。
「これまでと似た環境の方が、城の部屋よりは落ち着くだろうからな」
その気遣いが嬉しくて、
そうだ、私は神官になろう。
とその時思った。
神官として人助けをしながら精霊たちに祈りを捧げて静かに暮らす。貴族たちとも極力関わらない。うん、そうだ。これで行こう。
「お気遣い痛み入ります。私は治癒魔法が使えますので、神殿で働きたく思います」
「なるほど、先ほど見えた魔力は、治癒魔法か」
宴が終わると神官のオニキスを呼ばれた。彼は魔物の後始末を頼まれた為に宴の場にはいなかったが、使いの者に呼びに行かせると、すぐに来た。
「後は任せたぞ、オニキス」
「承知しました。湖月さま、こちらです」
オニキスは王様に任されてばかりで大変そうだなと思いながら後を着いていく。回廊を通り、美しい大理石の装飾が施された建物の方へ向かった。
通されたのは祈りの間。今は表の扉は閉じられていて、一般人の参拝客の姿はない。祭壇にランプが置かれて明かりが灯され、隣の香炉からは煙が漂い、乳香が薫った。
彼はどこからか布に包まれた丸いものを取り出して祭壇の上に安置した。包んでいた布を取ると、そこにあったのはただの灰色の石だった。しかし、湖月はそれを知っていた。トケイ国の神殿にもある天然の魔法道具で、不思議なことにそれに触れると触れた人の魔力が石を通して光を放つのだ。
色や光の強さで、魔力の強さや使える魔法が分かるというすぐれもの。自分には魔力がなくて魔法が使えないと思っている人でも、それが単なる思い込みで、本当は魔法が使えることが判明したりすることがある。
魔法三国に住んでいようと、魔法が使えない人は沢山いる。むしろ、そよ風くらいの微々たる魔力しか放出できない人が殆どで、大地を抉るような攻撃魔法や、大怪我をした患者を直せる治癒魔法を使える者は、ほんの一握りしかいない。
だからこそ、城の魔法使いとして重用されたり、神殿に集められて保護され、巫女や神官になったりするのだ。
魔法は、使えないのが当たり前。少しでも使えたら魔法道具で一働きできる。大きな魔法が使えたら、奇跡のようなすごいこと。
「この石は、魔現石です。湖月さまはご自分で気づいていらっしゃらない魔力があるかもしれません。この石に触れると隠されていた魔力も全て明らかになりますよ」
全て明らかに……。
湖月が攻撃魔法を使えることを知ったなら、王様は湖月を魔法戦士にするかもしれない。大衆の面前で戦わされるなんてごめんだ。
私は神官として平穏に暮らしたいんだ。
魔物が来たら、誰にも分からないように攻撃魔法を使えばいい。
他の誰かがこれを聞いたら、そんな魔法の使い方を出来るはずがないと思うだろう。しかし他の誰に出来ずとも、湖月は自身がそれを出来ると信じていた。
「さあ、どうぞ」
促されて手を伸ばす。
同時に、体内を巡っていた魔力の一部を流れを逆流させて胸の奥に封じるという力業をやってのけた。
実はこの技を出来る人はこの世に数えるほどしかいない。むしろ、魔力を逆流などさせる意味がないので、やろうとする人がいなかった。そのことを、この場の誰も知るよしもなかった。
なんという才能の無駄遣い。
そして、無意味に上がったハードル。
語り部はただ、ハラハラしながら静かに見守るしかなかった。
石に触れた瞬間に光を放ち、周囲の壁を明るく照らし出した。その色は新鮮な薬草の緑。
オニキスは微かに眉を潜めたが、何事もなかったかのように石を元のように包むと、またどこかへ片付けて、湖月を神殿の一角にある部屋に案内した。
◇◇◇◇◇◇
それからの日々は、忙しく過ぎていった。
神官見習いとしての暮らしと仕事。
この国に馴染むための常識や風習を学ぶこと。
貴族の子弟と共に教養をつけること。
等々、こなしているうちに、気づけば一週間が過ぎていた。
部屋の窓から夜空を眺める度、最初は影も形もなかった月が山際に針のような姿を現し、日毎にふっくらとして、今では半月の船を浮かべている。
そういえば、姫君にはまだ会ったことはない。
姫巫女の為に特別な『祈りの間』があるらしいが、その部屋は立ち入り禁止で近づくことすら出来ないので、同じ神殿に居たとしても会うことがないのだろう。
◇◇◇◇◇◇
この日も太陽が顔を出す前の薄暗い時間に起きて、支給された神官見習いの服に着替えた。それから大神殿の本殿の方へ行き、他の神官や巫女たちと掃除をする。これはトケイ国でもやっていたことなので、早起きも苦ではない。
一般市民が参拝する祈りの間を箒で掃き清めて、祭壇を整えたら、薬草園に植えてある花を摘んできて飾り、乳香を焚く。祭祀の時には白檀を焚くらしい。それも、トケイ国の大神殿と同じだ。
もちろん、ここへ来てから知った違うところも沢山あった。
祈りの作法と儀式のやり方の違い。
気候が違うので薬草の種類や育て方の違い。
言葉の微妙な意味と表現の違い。
文字は全く別物と言って良いくらいに違う。
幸い、マヨラナ国へ来ることは生まれた時から決まっていたことだから、トケイ国にいるうちに早くからマヨラナ国の文字は学んでいた。
あとは、別棟にある治癒魔法院のシステムなどが違った。
本殿が綺麗になったらお祈りをして皆で朝食をとる。
朝のルーティンを終えると、次は貴族の子弟と共に午前中の授業を受けるため、城の方にある教室に向かう。
習う分野は日毎に違い、文字、計算、武術、哲学、魔法科学、美術などがある。
今日は確か、座学の他に中庭で武術の訓練もあったはずだ。今着ている神官服は動きやすいので、そのままで行く。
「おい、湖月」
授業後に中庭で声をかけられて振り返る。そこにいたのはフィーディーだ。彼は宴で会った親の魔法研究者とそっくりだ。会話はこれまでに挨拶くらいしかしたことがなかった。
「戦いしようぜ」
「戦い? 模擬戦の試合のこと?」
「そうとも言う」
「申し訳ないけれど、私は攻撃魔法は」
「その魔法が使えないらしいことは知っているさ。だから、魔法なしの戦いだ。おまえ、今日の武術の授業でかなり良い動きをしていたじゃないか。今から俺と戦えよ」
どうにも、断りづらい。
一度戦ったら、満足してくれるだろうか。
「では、一度だけ試合おう」
「決まりだな。じゃあ、木剣を構えろ」
「今から?」
「今じゃなければ、いつやるんだ。今だろ!」
始まりの作法などおざなりで、フィーディーは勢いよく剣を突き出す。咄嗟に目前に迫るそれを自分の木剣で弾いた。
カンッ!
小気味良い音が中庭に響いた。
フィーディーは蛇のようにしなやかな剣裁きで、突きは鋭い。そして、宣言通りに魔法は使わなかった。
技量はほぼ互角。
湖月は猫のように身軽に避けたり攻撃を受け流したり、時々反撃した。
危うい場面で思わず魔法を使いそうになるのを押さえたため、意識が逸れたのを見逃さなかったフィーディーにすかさず打ち込まれて負けてしまった。
勝って喜んでいると思いきや、フィーディーは悔しげに歯を噛みしめている。
「お前、わざと負けただろう。なんでだ? 俺とは本気で戦えないと?」
「わざとではないよ」
「ふーん。じゃあ、もう一度」
「一度だけという約束だ」
「ケチ。トケイ国の王子様は、ケチなのか?」
「なんだって?」
フィーディーは、目をすがめてニヤリと笑った。
「それか、軟弱もの。悔しかったら、かかってこい」
「申し訳ないが、私はこれから神殿の仕事があるんだ」
挑発に乗ってこない相手につまらなそうに口を尖らせて、フィーディーは立ち去った。
神殿の仕事があるのは本当だが、それは午後からで、始まるのはもう少し先の時間だ。早めに行って手伝ってもよかったが、少し疲れたのでどこか人目につかないところで休みたかった。
フィーディーにああ言った手前、神殿の方へ歩いていく。
一旦自室に戻ったが、もっと風通しの良い場所で涼みたくなった。
そこで、トケイ国にいたときに自力で見つけ出した魔法で猫の姿に変わると、窓から外へ出た。
そのまま、落ち着く場所を求めてさ迷ううち、神殿の屋上に行き着いた。
ここは、良い場所だ。爽やかな風が通るし、日陰もある。幅のある手摺の上で一息ついていると、眠気が襲ってきた。
いけない、ここで眠ったら、誰にも気づかれずにきっと夜まで寝過ごしてしまう。しかし、抗えない。気づいたら猫の姿のままうとうとしていた。
「もしかして、降りられなくなってしまったの?」
不意にかけられた声にはっとして目が覚める。振り向けば、そこには同じ年か年下くらいに見える少女が、長い黒髪と赤い衣を風に靡かせながら立っていた。
真っ直ぐこちらを見つめる夜空のような黒い瞳に吸い込まれそうだ。金縛りにでもあったかのように動けないでいると、彼女はそろそろと近づいてきて、白くて細い指先で額を撫でた。硝子細工に触れるように慎重に。優しすぎてくすぐったい。
私は硝子ではないから、そんなに慎重に扱わなくても割れたりしないのに、と思ったが、今は猫の姿をしていることを思い出した。そこで、自分が思っていることが少しおかしいことに気がついた。もし、今人間の姿をしていたら、この状況はありえない。
今更だが、この城に赤い衣装を纏う人は、赤の姫君以外にない。すなわち、ここに現れた少女は姫君だということになる。
今まで会うこともなかったが、まさか、こんなところで会うことになるなんて。人の姿で二人きりでいるところを見つかったら、大問題になったところだ。それを考えたら、猫の姿で良かったのだろうか?
いやいや、やっぱりおかしい。
猫で良かったとか、撫でかたが優しすぎるとか、何を考えているんだ私は。もっと撫でてもらいたいのか? ……だめだ、思考まで猫に寄ってきている気がする。人間として、これ以上はいけない。このままでいたら、完全に猫になってしまうかもしれない。
なにしろ、前例のない魔法を使っているのだ。身体と心にどのような影響があるか分からない。
離れようとしたら、赤い袖が周りを囲んだ。彼女が猫を囲むように腕を回したのだ。隙間だらけの簡単な包囲網なのに、何故か抜け出すことができない。囲まれている状態に、落ち着いてしまっていた。
ふわりと風に乗り神殿で使われている香が薫る。それに混じって、数種類の薬草の爽やかだがつんとくる身体によさそうな香りと、微かに残る毒らしきピリッとしたにおいもした。猫になったからか、嗅覚が鋭くなったようだ。彼女の体調が万全ではないことも、なんとなく感じ取れる。
まさか、毒を盛られたのか。
王様は一週間前に「治癒魔法の使いすぎで休んでいてな」と言っていたが、実は毒を盛られて寝込んでいるのを隠していたのか。
姫君は少しの間そうしていたが、やがて手すりに寄りかかった身体を起こした。そろそろ離れるかなと思った次の瞬間、姫君に軽々と抱き上げられてしまう。
『えぇー……!?』




