8.ブルーレース
後書きに挿し絵があります
名残惜しく猫と別れてから、午後になって護衛の当番の為に登城したヘリオドールを部屋の中に呼び込んで、ネリーは尋ねた。
「私に毒薬を盛った犯人のことを聞きたいの。捕まったということだけ聞いたのだけど」
「ネリー様、申し訳もございません、私がついていながら……」
「ヘリアはあの時非番だったでしょう。気に病むことはないのよ」
「しかし、犯人が忍び込んでいることに気づかないなど、元混合闘技の優勝者でありながら、面目ない」
「犯人は、忍び込んでいたの?」
「はい。幻影魔法を用いて、給仕に紛れ込んだようです。そこで、姫君の飲み物に毒を……」
「幻影魔法……。その時、私がもっと注意していれば防げたことね。これからはもっと気を付けるわ。でも、使っていた銀の食器には毒が付くと黒ずむはずなのに、その反応が見られなかった。これも、油断だったわね。もっと、においなどに気を付けていればよかった。トーラは数種類の毒草などによるものと言っていたから、きっと違和感はあったはずなのよ。巫女として、悔しいわ。もっと、薬草の勉強をしなければ」
「あまり、ご無理をなさいませんよう。なにしろ、病み上がりなのですから」
「もう、すっかり体調は良いのよ。ヘリアこそ、お酒を飲みすぎないようにね。今日は二日酔いではなさそうね。顔色が良くて、目付きに険が無いもの」
「最近はジルコンに強制的に飲むのを止められていますからね。あの魔法使いは優秀だ。きっと、護衛の役にたちますよ」
『あのいけ好かないオニキス神官の推薦でなければ、もっと良かったのに』
というヘリアの呟きは脳内だけで、幸いにもネリーには届かなかった。
オニキス神官は、ヘリアと顔を合わせる度に過ぎたる飲酒について小言を言ってくるのだ。『護衛としていざというとき動けなくなったらどうするつもりだ』とか。それに対してヘリアは『ふん、飲酒ごときで私が動けなくなるなど、ありえん』と自信満々に返している。それでも納得しないオニキスは、会うたび、すれ違うたびに『顔色が悪い』『酒臭い』など言ってくる。小姑か何かか、あの神官は。と、常々ヘリアは辟易していた。
閑話休題。
「犯人は、この国の人?」
「それが、はっきりしないのです。どうやら、魔物に取り憑かれていたようで。瘴気を隠し、普通の人間のふりをしていました。以前よりも、魔物の擬態が巧妙になってきているようです。夏至の祭りの前にも、第三小神殿で魔物が取り憑いた人間が怪我人として入り込み、治療で魔力を殆ど使ってしまった神官と巫女に襲いかかったという事件がありました」
「その事件なら、知っているわ。確か、いち早く気づいた一般人の女の子が知らせに走って、幸いにも近くにいたオニキス神官を連れてきてくれたのよね。その結果、大事には至らなかった」
「悔しいが、オニキス神官は魔法の腕だけは確かだ。治癒魔法も戦闘魔法も使えるなんて、ずるいだろう。私は魔法はこれっぽっちも使えないのに」
「相変わらず、ヘリアはオニキスにライバル心を燃やしているのね」
「ライバルだなんて! あやつは、ただのいびってくる姑みたいなやつです」
「姑」
ネリーはヘリアの言い方が壺に入ってしまい、笑いの発作が起きた。
「ふふふふ……!」
お腹を押さえて笑いが止まらないらしいネリーを、ヘリアは憮然とした様子でそれが収まるまで待っていた。
ようやく発作の波が引くと、ネリーは目元を拭いながら言った。
「ヘリアのお陰で元気になったわ」
「それは良うございました」
「笑ってごめんなさい」
「それは平気です。私もつい、余計な本心が口をついて出てしまいました」
「本心!」
笑いの発作がまた起きた。
その後、どうにか心を静めてヘリアを護衛の任務に戻し、ネリーは神殿の近くにある薬草園に行った。そこで世話をしている巫女や奴隷たちに話を聞いた後、図書室へ向かう。
城の中にある図書室には、沢山の書物が所蔵されている。近年の歴史や東西の国々のことが記されたものや、伝承、詩集、物語、その他専門的な分野など。数えきれないほどあるその全ての書物がどこの棚にあるのかを把握しているのは、司書のブルーレースお爺さんだけだ。
入り口の脇の机で古そうな書物を広げ、その周りにたくさんの言語学の書物を積み重ねて調べものをしている様子。魔法道具の拡大鏡をゆっくりと滑らせながら、ブツブツと一人言を呟いている。
「こんにちは、ブルーレースさん」
おじいさんは書物に没頭しているためか、聞こえていないようだ。
邪魔をしても悪いと思いつつ、勝手に入るのも躊躇われた。そこで、指先に魔力を込めて拡大鏡に触れる。ポゥ……と、柔らかな光が点り、書物の文字をくっきりと浮かび上がらせた。
「おや、明るくなった」
おじいさんはそこで初めてネリーがいることに気がついたらしく、ふさふさの白ひげを撫でながら顔を上げた。
「こんにちは、ブルーレースさん。その拡大鏡は、魔力を込めると光るようになっているんですよ」
「おや、それは知らなかった。教えてくださってありがとう、ネリー様。今日は、何の書物をご所望かな?」
いつものようにおじいさんが歩行を補助するために使っている長い杖を一振りすると、望む知識が載っていそうな書物がをあちこちの書棚から飛び出してきて、三冊ほどがネリーの腕に収まった。
「ありがとうございます」
それを持って、奥の方の席に座り、ページを捲る。
暫くそうして読みふけっていると、衝立てを隔てた隣に、誰かが座った。
机の上の本が衝立ての隙間から見える。ジャンルが同じ薬草に関してだ。
神殿の香が微かに香る。
神官の誰かかな?
思ったが、真剣に読んでいるところを邪魔しても悪いし用事も無いので話しかけはしなかった。




