10.秘密
後書きに挿し絵があります
姫君に猫の姿のまま抱き抱えられて、城の中まで来てしまった。しかも、ここは姫君の自室なのではないか?
もし、正体がばれたら処刑されるかもしれない……。
折しも、毒殺未遂騒動が起きた直後だ。犯人との関連性を疑われるかもしれない。
それなのに、逃げたさないのは何故なのか。それは湖月自身にも解らなかった。
彼女は猫を抱えたまま寝具に魔法をかけて、誰かが布団を被って寝ているように細工を施し、猫を抱えたまま寝室の壁に向かった。
描かれている花の数を数えて、
左から二番目、下から二番目。
左から四番目、下から六番目。
左から十番目、下から二番目の花に順番に魔力を込めた。すると壁に星座が浮かび上がり、中心にぽっかりと空間が開いたのだ。
躊躇うことなく姫君はその空間に足を踏み入れる(猫を連れて)。中に入ると後ろの壁は閉ざされて、真っ暗になったと思ったら、壁の一部が点々と光を灯した。魔法の光だ。
星々のような白い光を辿るように、石の階段を降りて行く。やがて辿り着いたのは、入り口の部屋と同じくらいの広さの空間。星々が密集して一際明るいその部屋には雑多な品物が散らばっており、中央の台座には鏡のように滑らかな、石か何かで作られた立方体が安置されていた。
「蓄魔法装置。もし、これが完成したら、魔力不足が解消されて、今までに治せなかった病も怪我も治せるかもしれない。神官も巫女も疲弊しないで済むし、トーラたちの顔色もきっと良くなるわ」
姫君はそう呟いた。一人言だろうが、どうしてもこちらに言っているように思える。
なんという秘密を知ってしまったんだ……!
姫君は無用心すぎるよ。ここに、部外者がいますよ!
蓄魔力装置は、魔法三国が其々に密かに研究、開発しているものだ。湖月が知っている時点で、もはや秘密でもなんでもないが、表向きは開発していないことになっている。
「この機械は、戦争に使われないように、治癒魔法にしか出力しない魔法の設定を組み込む予定だと、サフィは言っていたわ。……でも、その研究も頓挫してしまった」
姫君は右手を伸ばし、機械の表面に触れた。
「サフィではなく、私が行けば良かったのかもしれないわ。じゃんけんなんかで決めなければ良かった――」
じゃんけんで決めたのか!?
なんという適当な決め方だ……。
しかし、そうしないと決められないほど悩んでいたのかもしれない。運を司る精霊に全てを委ねたのだ。
姫君は機械に触れた手を離し、両手で猫を抱え直して秘密の部屋を後にした。
隠し部屋を出た後、なんとか腕の中から脱出した湖月は窓から跳び降りた。
「あ」
姫君が驚いた声をあげて窓辺に駆け寄った様子がちらりと振り向いた際に見えたが、その時はすでにベランダの装飾を伝って下の階に降りて行くところだった。
神殿の自室へ帰り着くと、すぐさま元の人間の姿に戻った。
よろよろと膝から崩れ落ち、床に手をついて項垂れる。
「…………忘れよう」
うん、それが良い。
何も知らなければトラブルに巻き込まれることもないし、国際問題にもならない。
そうだ、そうしよう。
私は何も見ていない。
姫君に会ってもいないし、抱き抱えられたりなんてもちろんされていないし、姫君の手が柔らかくて優しかったことなんか――
「うわー!」
頭を抱えて転がった。
お守り紐が額から外れてしまって、ようやく平静を取り戻すと髪を整えて紐を結び直した。
昼食を食堂で他の神官たちと取った後は、昼休息の時間を利用して図書室へ向かう。姫君から香った薬草や毒草のことが気になった。
『図書室の番人』と神官たちの間で呼ばれている司書のブルーレースおじいさんに調べたいことを伝えると、すぐに必要な書物を棚から魔法で呼び寄せてくれる。
皆がそうしているので、もはや、彼がいなければどこにどのような書物があるのか誰にも分からないだろう。
誰からも必要とされているのに、誰よりも静かに、そして自由に暮らしていた。
彼が時々町へ出かけることがあって、その時は図書室は閉められるらしい。まさに、『図書室の番人』である。
番人から数冊の書物を受け取り、奥まったところの席に座る。
机の上に書物を広げて読んでいると、ふと微かな物音に気付き顔を上げた。仕切り板を挟んだ隣に誰かが座っている。
あまりに静かだったので、近くには誰もいないと思っていた。
ページを捲る微かな音がする。すぐ近くから聞こえるので、入口付近で仕事をしている番人ではないことは確かだ。
ちらりと隣を見ると、仕切り板の隙間から白くて細い指先と、赤い袖が見えた。
湖月は音を立てないように椅子から立ち上がり、静かにその場から離れた。
「ブルーレースさん、書物はどの棚に仕舞えばいいですか?」
「ああ、それなら、わしが魔法で仕舞うからそこへ置いてくれ――ちょっと待った」
言われた通りに抱えた書物を机に置いて図書室を退出しようと踵を返したところで、焦ったように呼び止められた。
「その――その、額に巻かれている織物。ちと、よく見せてはもらえんかな?」
「良いですよ」
どうしたんだろう? と思いながらも快く頷く。
「さあ、この椅子にお座りなさい」
ブルーレースが杖を一振りすると椅子が飛んできて、隣に向かい合わせに着地した。置かれるときの音が一切しないのは、流石図書館の住人という感じがした。
言われた通りに腰かけると、拡大鏡を額に向けられる。魔法道具らしく、光を放っているので大変眩しい。目を閉じて暫くじっとしていると、深いため息と共に光が遠ざかったので目蓋を開いた。
「ほぅ……同じじゃ。ここには、同じ古の失われし言葉が記されている。この織物は使い込まれて色褪せかけてはいるが、ごく最近織られたものじゃな。十数年前と言ったところか。これを作ったのはどなたですかな? ぜひ、話がしてみたいのじゃが」
「私の母ですが、残念ながらすでにこの世にはおりません」
「そうか……それは申し訳ないことを聞いた」
「いえ」
「あなたは湖月王子とお見受けするが、トケイ国では、今もこの文字を使っておるのかな?」
「もしかしたら、どこかには使っている人がいるかもしれませんが、私の会った人でその文字を使っているところは見たことがありませんし、この守り紐以外には、同じような図形を見たことがありません」
「それは、残念じゃのう。いやなに、その『守り紐』が見られただけでも、大いに収穫じゃ。なにしろ、いくら図書室の書物を調べても伝承以外にどこにも乗っていなくて、もうこの世にはこの書物しか残されていないのかと思いかけておったのじゃ。まさか、この国の外からもたらされるとは思わなんだ。もし、良ければその守り紐を少しの間貸してはもらえんかのう」
「申し訳ありませんが、守り紐の言葉通り私の守りなので毎日つけるようにと、遺言だったそうなので……」
ブルーレースは目を閉じて首を振る。
「ああ、それならば離してはいかん。無理を言ったのう。また図書室に用事ができた時にでも、見せてくれれば助かるが」
「それくらいなら、お安いご用です。では、私はこれから神殿での仕事がありますので失礼します」
図書室から退室すると扉の横に立っていた姫君の護衛に軽く会釈をして通りすぎ、暫く廊下を普通に歩いた後誰も居ないのを見計らって柱の陰に隠れ、自分に魔法をかけた。
柱の陰から入れ替りのように灰と白の縞模様の猫が出てきて窓から跳び出し、ベランダの厚みのある手すりを伝って駆けていく。
城から神殿を繋ぐ廻廊の屋根の上を渡り、そのまま神殿の装飾を伝って屋上に登ろうとしたが、暫し立ち止まって別の方へ向かった。
薬草園に生えている木に爪をかけて登ると、丁度良い枝の上に、ようやく腰を落ち着けた。
『姫君と顔を合わせづらい…………』
今日は、とんでもない秘密を知ってしまった。
失われた文字の話ではない。姫君に関する重要な秘密だ。
物思いにふけっていたら、昼休みの時間を過ぎていた。
「遅いですよ。昼休みはもう終わっています。あなたは、神殿で働くことの重要性を理解しているのですか」
オニキスから小言を貰っている最中に、前触れもなく王様が来たので湖月もオニキスも驚いた。
「湖月王子。約束通りに魔法格闘技を見に行こう。これから闘技場で決勝戦が行われるんだ」
オニキスは眉間の皺を更に深くする。そんなに力を込めていたら皺が取れなくなるよと言いたくなったが、言えるわけがなかった。
今日は、次々と思いがけないことが起きる。
なんて、濃くて長い一日なのだろう……。




