11.幻影の魔法使い
※流血沙汰注意
いつもより長くなりました
王様の誘いを断れるはずもなく、闘技場に連れて来られた。なんと、図書室の番人もいる。
「おや、湖月さまも魔法格闘技に興味がおありですか」
「私が誘ったのだ。今日は面白くなりそうだからな」
「数日に渡る勝ち抜き戦の決勝戦ですからな。わしも楽しみで、調べものを中断して見に来たんじゃ。なにしろ、『幻影の魔法使い』と『放浪の剣闘士』の一騎討ちじゃ。これは、見ねばなるまいて」
「はっはっは……! 私も同じだ。今回の勝ち抜き大会に初出場である『放浪の剣闘士』が、対戦相手を次々と打ち負かし、とうとう決勝まで進んだと聞く。私は公務で見に来られない時の方が多いのだが、連続優勝記録保持者の『幻影の魔法使い』と新しい挑戦者の『放浪の剣闘士』がどのような闘いを見せるのか、気になってな」
楽しげに笑う王様に、ブルーレースもうんうんと頷く。
「魔法は使えず、剣一振りで幾多の魔法武術家と闘い、ここまで負けなしで勝ち進んできたのじゃ。どんな剣技を見せてくれるのか。果たして、優勝の栄冠はどちらの頭上に輝くのか。気になるのう」
「本当は、王妃と姫も連れて来たかったが、姫は病み上がりだし、王妃は刺激が強すぎると言って来なかった。残念だが、仕方がない」
王様は二人を連れだってアーチ形の入場口を通り、最も舞台に近い最前列の席に座った。
砂が敷き詰められた舞台は平らで、まだ出場者の姿はない。
見上げると、連なる石段に沢山の人々が座っていた。更にその上は屋根がなく、ぽっかりと空いた丸い空間を屋根の代わりに数十枚の帆布が日覆いとして眩しい日差しを程々に遮っている。
ゆっくりと開閉しているのは、奴隷が魔法を使い調節しているようだ。
改めて、日常も非日常も魔法に溢れているのだと気がつかされる。魔法に慣れてしまうと、それが無い国の暮らしを想像できなくなってしまう。
湖月は生まれた時からトケイ国の魔法のある暮らしに馴染み、魔法の無い暮らしのことは、神殿に治療目的で来る外国の人から聞くか、書物で読むことでしか知らない。
その大変さも、理不尽さも、労働の過酷さも、全部人づてにしか知らないのだ。
魔法があれば国は豊かになり、人は辛い肉体労働から解放されて楽に生きられる。だから魔法が使えることは恵まれていることなのだ。
しかし、湖月はその恵みを半分手放した。手放したというのとは少し違うかもしれない。まだしっかりと持っているからだ。でも、その力を公には無かったことにした。
平和に暮らすために。出すぎず、トケイ国代表としての尊厳も失わないよう、ほどよいバランスを保とうとしている。
しかし日々の思いがけない出来事のなかで、バランスを保つのは難しい。心は時に荒波のように揺れ動き、船を転覆させようとする。
今日は、赤い風が吹いた。
姫君は、命を狙われながらも日々の務めを果たしている。他の誰にも姫君の代わりにはなれないからだ。
私がもし死んだとしても代わりの人質として兄か姉の誰かが来るだけだが、この国の姫君はもうあの方しかいない。
それは、どれほどの重みだろう。
私は案外自由だ、人質という以外は。もし神官を辞めたかったら辞められるし、他の何かになれる。
しかし、姫君はそれ以外の何にもなれない。
隠し部屋で開発していた例の箱も、双子の姫君がいなくなってからは頓挫しているらしい。
彼女は、屋上で遠くを見つめていた。
海の彼方を。
――私は本当にこれでいいのだろうか?
その問いかけが、また心に浮かんだ。
無視された魔法の力が、空虚さを抱えていた以前までの自分と重なる。
――『ずっと案じていたならば、せめて、もっと早く会いに来てほしかった』――。
父王に対して思った言葉が、そのままこちらに帰ってくる。
誰かのためにそれができるのに使わないのは、会えるのに会わないのと何が違うのか?
もし、父に自分から会いに行っていたら、このように一緒に出かけることもあったのだろうか――
ドーン、ドーン、ドーン……!
闘技場に大きな太鼓の音が数度鳴り響く。
その音に驚いて意識が眼前に引き戻された。
『皆様、大変お待たせ致しました。只今より、魔法武術大会最終決戦の模様をお届けします』
落ち着いて話しているのに場内の隅々にまで届くような大きさの声が、開幕を告げた。これも魔法の力だ。声を拡大している。
『初出場 旅の剣闘士 カラデオ! 対するのは前優勝者 幻影の魔法使い ウルテネ!』
舞台の両袖から名を呼ばれた両者が登場した。
観客が盛り上がる。拡大した実況の声がかき消されるほどに。
剣闘士の鍛え抜かれた筋肉、バランスの取れた身体つき。手には真剣。
魔法使いの顔には狐の模様の入れ墨が彫られている。身体付きは服に隠れてよく分からない。手には同じく真剣。
両者は対峙し、剣を構えた。
そして――
魔法使いの姿が一瞬にして変わった。
――いや、変わっていない。幻影魔法で変わったように見せただけだ。
美しく飾り立てた女性の踊り子が、舞いながら氷の矢を次々と放つ。
剣闘士のカラデオが剣で弾こうとするも、矢は剣をすり抜けた。刺さったはずの身体には、しかし傷一つついていない。矢は身体をもすり抜けて消えていった。これも幻術だ。
今度は、大きな獅子の姿になった。
咆哮をあげ、牙を向く。
カラデオは襲いかかるその牙を剣で受けた。
キン……!
金属の打ち合う音が甲高く響く。
幻の牙の向こうに、本物の剣があった。
それからも、ウルテネは幻術を駆使して姿を千変万化させ、相手を翻弄した。伝説の生き物、様々な人物、動物、時には植物や岩まで。
ウルテネは幻術だけではなく、剣術も卓越していた。一撃が重く、打ち合う度に魔法ではない本物の火花が散った。
幻術が観客を楽しませたのはもちろんだが、熱狂させたのは魔法が使えずとも互角に戦っているカラデオの方だった。己の肉体と運動神経、そして勘を頼りに、幻術の中に潜む本物を見極めて、仕込まれた罠もすんでのところで次々と躱してゆく。
実況が早口で解説し、観客が一体化したように一喜一憂する。王様とブルーレースは話が弾んでいる。その横で湖月は、実況ともはや専門的すぎて意味の分からなくなった王様たちの話を聞くともなしに聞きながら、黙って観戦した。
初めて見る本格的な戦いの様子は興味深く、魅入られた。
ウルテネは幻術以外の魔法を使わず、剣一振りで戦った。そしてあまり意味の無い変身を繰り返した。どうやら幻術はその殆どを観客を楽しませるために使っているようだ。
辺りに蜘蛛の巣が張り巡らされた。
これもまた幻術だろうと思いきや、カラデオは糸に絡まり身動きが取れなくなった。
観客がどよめく。
意味もない変身ばかりだと思っていて、誰もが油断していた。
実況が驚いたように話す。
『おっと!? ウルテネは幻術しか使えない筈ですが、ここへ来て新しい魔法の力に目覚めたのか――?』
湖月は目を凝らす。幻術の蜘蛛の向こうに、本来のウルテネがうっすらと透けて見える。
彼は糸を操っていた。どうやらそれは本物の糸のようだ。
カラデオは後ろに引くのを止め、腕に絡み付いた蜘蛛の糸ごと前に突進した。そして、剣を突き出す。
「あ!」
切り裂かれたのは幻影だけ。
本体は背後に回り、カラデオに切りつけた。
血飛沫が舞う。
ぞっとした。
深い傷だ。このまま止血しないでいたら、死んでしまう。
沸き立っていた気持ちが、急速に冷めていく。
トケイ国でもマヨラナ国でも、神殿で日々怪我人を治癒する神官たちを見てきたので、早く何とかしなければと焦りが募る。
なんで誰も止めないんだ。もう、決着はついたんじゃないのか?
カラデオは切りつけられても倒れず、その後も真剣な鍔迫り合いを繰り広げ、辺りに血を撒き散らしながら反撃し、ついには同じくらいの怪我を相手に負わせた。
しかし、やはり血を流しすぎたらしく、カラデオが倒れたところで勝敗は決した。
全力で戦った二人に対して、大粒の雨のような拍手が降り注ぐ。
怪我人たちは自ら歩いたり、担架に乗せられながら舞台裏へと引き上げていった。
「あの二人は、すぐに治療されるのですよね?」
「多分そうだろう。心配なら見に行くか? 私も会って話したい」
王様は使いの者を先触れに走らせると、立ち上がる。
立ち入ることを了承された地下の部屋では、怪我の治療を行っている最中だった。
「あの方は治癒魔法を使っていますが、神官ではないのですね」
「剣闘士付きの治癒魔法使いじゃよ。すぐに怪我人を治癒出来るように、大会の時はいつも闘技場の裏に待機しているんじゃ」
「そうですか……。安心しました」
この怪我では、近くの神殿に運び込もうとしても間に合わなかっただろう。
「魔法があるから、助かる命がある。しかし、魔法があるからこそ、その力を過信して安易に深傷を負ってしまうのは考えものじゃ。わしは、闘技場で熱き闘いを観戦するのは好きじゃが、血を見るのは好まない。幻術の魔法使いは、これまであまり対戦者を傷つけなかったはずじゃが、今日はどうしたことじゃろう?」
治癒魔法使いは、額に汗を浮かべながら二人同時に魔法をかけ続けている。
「あの、私が手伝います」
湖月は考えるよりも早く駆け寄った。
「それは助かる。そちらの魔法使いを頼む。私は剣士を」
「はい」
手分けして治癒魔法をかける様子を、王様は黙って見守っている。
湖月は筋肉や血管などを正確に繋ぎ合わせることに集中していて、王様の存在をすっかり意識の外へ放り出していた。
ふと、身体の中に痼のようなものを見つけた。それは臓器の陰に隠れていてごく小さなものだったが、このままにしていては身体に不調を来す恐れがある。
その事をウルテネに伝えた。
「ぜひ、取ってくれ」
「取り除くには、少し切る必要がありますが」
「平気だ。傷の一つや二つ、慣れている」
「わかりました」
湖月は頷いて、指先に魔力を込めて慎重に呼び寄せていく。最後だけ切らなければ取り出せなかったので、一瞬躊躇う。
さっと取ってすぐに塞げば痛みも少ないだろう。よし、やるぞ。
頭のなかでシュミレーションして、思いきって風の小刀で小さく切り裂いた。
「……!」
ウルテネは歯を食い縛り微かに呻く。
それに気を取られそうになるが、早く塞がなければと、治癒魔法に集中した。
やがて、戦いの剣による傷もすっかり塞がり、傷跡も残らなかった。
緊張が解けて、一気に肩の力が抜けた。大きく息を吐き、額の汗を拭っていると、ウルテネが寝台から起き上がり、くるくると腕を回す。
「切り傷はすっかりと治っている。腕も元のように動くし、何の問題もない。その上、胸の苦しさが消えてなくなった。若いのに大した腕だ、神官さん。こういうことは、慣れているのかい?」
「いいえ、実は、小さな怪我は治したことがありますが、このような大きな怪我は初めてなんです」
「俺を実験台にしたわけだな。これはいい」
「実験台だなんて、とんでもない。ただ、このままにしていたら危険だと思って」
「じょうだんに決まっている。助けてくれてありがとう、神官さん。良ければ名前を教えてくれないか」
「私は湖月といいます」
「湖月さま。俺は、ご存じ『幻影の魔法使い』ウルテネと申す者」
ウルテネは幻術魔法でひらりと身を翻し、お辞儀をした。しかし、本体はまだ寝台の上に腰かけている。
「ああ……血が足りねぇ。くらくらする。俺は治癒魔法が使えないから分からないが、傷を塞ぐことは出来ても、流れ出た血を増やすことは出来ないんだな。だから、血を流しすぎて死ぬやつがいるというわけか。そうだ、今さっき俺の身体から取り除いた異物をみせてくれないか。何なのか知りたい」
「これです」
手渡された小石のようなものを見て、彼は目を丸くした。
「これは……見覚えがあるぞ。そうだ、あいつの武器の一部だ」
話しによれば以前の対戦相手に魔法を纏った武器で切られた時に、一部が身体の中に残ったのだろうと。
「あの武器は呪いがかかっていたから、あのままにしていたら近いうちに呪いが全身に回って、取り返しのつかないことになっていただろうな。どうりで、イライラするわけだ。今日はそのせいでカラデオに切りつけてしまった」
ちらりと、未だに意識が戻らず治療中の対戦相手を見る。
すぐに視線を戻し、片方の広角を上げて笑った。
「それにしても、湖月さんは目が良い。誰にも気づかれなかった、本人ですらあると知らずにいた異物を見つけてみせるのだから」
そうこうしている間に、カラデオの方の治癒も終わったようだ。専属治癒魔法使いは魔力を殆ど使ってしまったらしく、よろよろと椅子に座り込んだ。
カラデオが目を覚まし、テーブルの上にあった誰かの差し入れらしきワインや果物や肉やパンなどをガツガツと食べ始めた。
「血が足りなくて気絶していたわりに、元気だなあ」
ウルテネが呟く。その声が少し羨ましげに聞こえた。
王様はその時初めて今まで消していた存在感を現し、皆を労った。
闘士たちは初めは驚いていたが、すぐに王様相手にも物怖じせずに談笑するようになった。
闘士二人のクセが強いせいで話題は闘技の内容から徐々にずれていく。やがて、カラデオが森の近くまで行ったときの話になった。
「魔の森の端で出会った怪物の話だ。名前は何て言ったっけかな? たしか、モモンガノスケ」
「モンストルム・ドラコニクム・シルウァエ・サクラエではないかのう?」
とブルーレース。
「そう、それだ。モンサー」
「略した?」
「そいつと、俺は戦ったんだよ」
「森の守護者を見ただと? しかも、戦った?」
「なんと罰当たりな……」
「え、罰が当たるのか? だが、その時は女の子が襲われそうになっていたから仕方なくだな……」
「どうだか。これまで、命知らずの無法者たちが何人も、森の守護者に戦いを挑もうと森へ入ったが、帰ってきた者は居ないと聞く。俄には信じがたい」
とウルテネ。
「本当だって。森で大きな音がするから入って行ったら、陸に上がったクジラみたいなのが、木を次々となぎ倒して走っていた。『守護獣』とは言うが、よく森が失くならないよな」
「……きっと、破壊と再生を司っておるのじゃ。多分そうじゃ」
とブルーレース。
「俺はついに強敵に出会ったと思って、戦いを挑んだんだ」
「おい、自ら戦いを挑んでいるではないか。どこが『仕方なく』だよ」
とウルテネ。
「それはまあ、置いといてだな。話が進まないから続けるぞ。あのモロモロは、皮膚は固くて剣を通さず、角や爪は岩をも砕く。とても、敵わなかった。俺は辛うじてそいつの進行方向をお嬢ちゃんから反らすしか出来なかったのさ」
王様は、森の守護獣と戦ったことを良くは思わなかったようだが、全く敵わなかったことと、少女を助けたということで水に流した。
「それで、その少女は助かったのか? そもそも、なぜ森の際にいたのだ?」
「なぜそこにいたのかはわからねえが、その子は知り合いでさ。このマヨラナ国に来る船の中で知りあったんだ。エルミアといってな、病気のご両親を治すために長い旅をして来たんだと。健気じゃねえか。島へ着いた時に別れたから、その後どうなったのかは知らねえ。なんで森の際にいたのかも知らねえ。ただ、近くには人攫いたちのアジトがあって、エルミアは縛られていた。大方、拐われてきたんだろう。縄を切って、逃げ出したのは見たが、それきりだ。モモンガモンの気を引くのに精一杯で、姿を見失っちまった。人攫いどもは我先に逃げ出していたから、鉢合わせることはなかったと思いたいが……」
治療に時間を取られ、王様たちの話が弾んだために、帰る頃には辺りに夜の帳が降りていた。
湖月は食事や入浴を終えて自室に戻ると、疲れて泥のように眠った。
入浴と言えば、この国には温泉が湧いていた。トケイ国には冷泉しかなかったため、入ったときは感動したのだ。疲れが全身から解れてゆく。その時初めてこの国に来て良かったと思った。
こうして、長かった一日はようやく終わりを告げた。




