12.降り積もる日々
湖月の日記
後書きに挿し絵があります
それからの日々は概ね平和に過ぎて行った。
平和とはいえ、あの一日以上に濃い出来事がなかっただけで、神殿業務や城での勉学などを淡々とこなす中で日々新しい何かが起きていた。心の湖にさざ波を立てて舟を揺らす出来事が、ひらり、はらりと落ち葉のように降り積もり、心の大地にマヨラナ国での暮らしを根付かせていく。
◇◇◇◇◇◇
神殿の儀式の作法や、治癒魔法院での働き方などがトケイ国と違うところがあり、分からないことは殆どをオニキス神官や巫女長のトーラに教わった。
まだ患者に治癒魔法をかけさせてはもらえないが、他の神官たちに混じって雑用をこなす日々。お客様のように扱われたのは最初の数日だけ。今では忙しい神殿業務の戦力の一部に数えられている。
オニキスは、神官や巫女たちの中で誰よりも厳しい。
他の人は他国とはいえ王子様だからと無意識に特別扱いして、あまり仕事を任せず注意もしない。共に食事をするうちに少しずつ打ち解けてきたが、まだよそよそしさがある。
周りで皆が忙しく働いているのに、一人だけ仕事をさせてもらえないのがこんなに心許ないことだと、ここへ来て初めて知った。
トケイ国では幼い頃から神殿の一角に住み、そこで育ち、当たり前のように神殿の仕事を手伝っていた。叱られもしたし、他の子供と同じように雑に扱われたりもした。楽しみといえば祭りの日の特別なお菓子。もしかしたら、皆、湖月が王子だということを忘れていたのかもしれない。
オニキスとトーラだけはどんどん仕事を手伝わせ、間違えたらはっきりと指摘した。
オニキスは更に長々とその重要性について説教をした。
教えてくれるのは、大変ありがたい。しかし、説教が長すぎて他の仕事の時間が短くなるのが少し困るところだ。
◇◇◇◇◇◇
神官や巫女には、たまに魔物の浄化が依頼される。
魔物に取り憑かれて日が浅い人は助かるが、あまりに長く取り憑かれている人は心が失われ、魂が奪われてしまって助からない。
浄化されて灰になって消えてしまった人を見るたびに、哀しくなる。
◇◇◇◇◇◇
神殿には、貴族の人も参拝に来る。
湖月がここにいることを知り、物珍しさから見に来る人もいた。
休息時間に猫になり、木の上で休んでいると、噂話が聞こえて来た。
「――トケイ国の王位継承権から程遠い王子だ。青の姫君は王位に一番近かった。これは、不平等ではないか」
「確かに。いざというとき、生国から見捨てられるのでは?」
「この国も軽く見られたものだ」
湖月には生まれの順番はどうにもならないことなのに、そのせいで蔑まれるのは悔しかった。
牙を噛みしめて、駆け出す。
がむしゃらに駆けていたら、気づけば来たことのない部屋の窓辺にいた。
ここからは、山がよく見える。精霊樹も。
景色を眺めながら心を整えていると、姫君が来た。
しまった、ここは姫君の祈りの部屋か。
姫君と、ふと目が会う。
ふわりと微笑まれた。
「あなたもなんだか寂しそうね」
そっと額を撫でられる。
気持ちよくて、目を閉じる。
◇◇◇◇◇◇
薬草園で巫女長のトーラと薬草の手入れをしているとき、回廊に王妃様と姫君が連れだって歩いているのが見えた。
珍しい光景に少し驚いていると、トーラが説明してくれた。
「王妃様も治癒魔法が使えるんですよ。なので、姫君のように毎日ではありませんが時折神殿にいらっしゃるんです」
やがて、話は双子の姫君についてに移り変わる。トーラの姫様話は長かった。
「……――赤の姫様は、笑顔が父君様に似ていらっしゃって、治癒魔法の力は母君様に似ていらっしゃる。青の姫様は、無表情のところが母君様に似ていらっしゃって、活動的なところは父君様に似ていらっしゃる。二人はいつも一緒で――……」
◇◇◇◇◇◇
町の人々が、毎日神殿に相談にやってくる。
他愛もない雑談からわりと深刻なものまで。
簡単なものなら、湖月が対応した。
「治療をして治っても、また腰が痛くなるんだ……」
「魔法で治るからと無茶をしていては、治るものも治りませんよ。腰に負担をかけないように動かす必要があります。魔除け草と月桂樹とミントを磨り潰してオイルで練り合わせた湿布を貼りましょう」
「歯が痛い」
「食後に歯を磨きましょう。失われた歯を生やすことは大人の歯だと難しいので、大事にしてくださいね。健康の葉を噛むと痛みが和らぎます。痛みがひどいようなら、治癒魔法院の順番表に名前を書いてください」
「目が痒いよ」
「薬草の目薬の作り方を教えますね。輝く目の花や葉を煮出した液を冷まして――」
「赤子の夜泣きで眠れないし、子守りで疲れてしまったのよ」
「アーァーウー」
「子守りは大変そうですね、お疲れ様です。よく眠れる薬草を処方しますよ。大地のリンゴが入っています――」
他、様々な悩みを相談に来る人が絶えなかった。
治癒魔法をかけてもらう程でもない症状や悩みを誰かに聞いてほしい人たちが、神殿での朝のお参りのついでに気軽に相談に来るのだ。
オニキスは様子を見て大丈夫そうだと思ったのか、
「薬で分からないことや、その他困ったことがあれば、聞きにきなさい」
とだけ言い、後は任せられた。
◇◇◇◇◇◇
ある日、姫君と回廊ですれ違う。お互いに話し相手がいた。一瞬目が合い、会釈をした。ただそれだけ。
◇◇◇◇◇◇
その日は、昼休みに図書室で人体に関する書物を読んでいた。治癒魔法をかけるときに役立つと思ったからた。
今回は座る前に隣に誰もいないことを確認したし大丈夫だと思っていたら、書物に没頭している間にいつの間にか隣の席に姫君が座って読書をしていた。
全然気づかなかった……。
そろそろ昼休みが終わりなので立ち上がり、邪魔をしてはいけないので挨拶もせずに気配を消して離れる。
まだ話しかける勇気は出なかった。
秘密のことをうっかり話してしまったらいけない、忘れた頃にまた会う機会があればその時改めて挨拶しよう。
帰り際、図書室の番人に約束の守り紐を見せる。
「ふむ……、これだけでは手がかりが少なすぎる。やはり言語の専門家がいてくれたら。湖月さまはこの古文書の文字を見て、何か気になることはありますかな? もしや読めたりはしませんかな?」
「……確かに、守り紐に刺繍されている絵柄とそっくりですね。お守りの絵には、一つ一つ意味が込められているそうなんです。もしかしたら、それが手懸かりになるかも」
「おお! そ、それじゃ。さっそく教えてくだされ」
古文書の解読はほんの少し進んだようで、ブルーレースはほくほくと嬉しそうにしていた。
図書室を退出した後暫く歩いてから、ふと違和感に気づく。首元に触れて青ざめた。
「な、ない」
どこかに落としたのだろうか?
歩いてきた道を辿りながら探すも、どこにも落ちていない。
図書室に戻ると、ブルーレースに声をかけられた。
「湖月どの、丁度良かった。これを預かっていたのじゃ。『落とし物です。大切なものではありませんか?』と言っておったぞ」
掌の上には、キラリと光るペンダント。
「これです、探していたんです。拾った方はどちらに?」
「もう、退出してしもうた。最近は毎日のように来ておるから、明日にでも会えるじゃろう」
「明日は来られないかもしれないので、一応伝言を頼めますか?『どうも、ありがとうございます。本当に大切なものだから助かりました』と」
「仕方がないのう。伝えておくよ」
次に図書室に行ったとき、
「拾い主はさっき退出して伝言を残して行ったぞ」
と言われた。
「『どういたしまして。とても美しいペンダントなので、他の人に拾われなくて良かったです』と言っておった」
「『優しい方が拾ってくださって助かりました』と伝えてください」
いつしか、ブルーレースは二人の伝言板的扱いをされていた。
「自分達で話せばよいものを。二人とも、恥ずかしがりやさんじゃのう」
何度目かのやり取りの後、いいかげんうんざりしたブルーレースが言った。
「そんなに感謝しているのなら、お礼に花でも送ったらよかろう。それでしまいじゃ」
◇◇◇◇◇◇
貴族の子弟たちとの授業が終わると、必ずと言っていいほどフィーディーが喧嘩を仕掛けてくるのを躱すのが日課になりつつある。
用事で町へ出たときのこと。
広場で球技をして遊ぶ子供や若者たちがいた。
それを見て、以前を思い出す。神殿にいた子供たちと、遊んでいたことを。
フィーディーとあんな風に遊べれば良いのではないか?
今度、こちらから誘ってみようか。
後日、勉学の終わりに球技に誘おうとしたところ、フィーディーは大層機嫌が悪そうだった。
「おまえ、姫君に花を送っただろ? 大人しい振りをして、国王の座を狙っていたんだな」
「なぜ、知って……あれは、ただのお礼だよ。安眠できる薬草だ」
「誤魔化すな! お前、本当は攻撃魔法も使えるんだろう? 本心を隠して、何をたくらんでる? お前みたいなやつは、姫君に相応しくない」
その時からフィーディーとの間に入った亀裂は広がるばかりで修復されることもなく、仕事に忙しくしているうちに矢のように時が過ぎた。
◇◇◇◇◇◇
冬が近づいて、もうすぐ冬至の祭りの準備が始まる。
◇◇◇◇◇◇
町へおつかいに出た帰り道、幻影魔法で気を引いて小さな女の子を拐おうとしている不審者がいた。急いで風で透明な盾を作り、その子を守る。人攫いがどうしても触れられないので困惑している隙に、巡回の兵士を呼びに行った。兵士が来ると人攫いは逃げ出し、兵士はその後を追って行った。
盾の魔法を解くと、転んでいた女の子に声を掛ける。
「もう、大丈夫。人攫いは兵士の人が捕まえてくれるから」
その子はどこを見ているのか分からない瞳でこちらを見上げた。
「だんごむし!」
「ダンゴムシ? あ、膝を怪我しているね。痛いだろう? 今、治癒魔法をかけるから少しの間動かないでね」
傷から魔法で砂や小石などを取り除き、綺麗にしてからすり傷を癒していく様子を、その子は目を真ん丸に見開いて見つめていた。
「はい、おしまい。もう痛くないだろう?」
「さかな! いもむし! さむい!」
「?? あ、うん。寒いね。冬に近づいているから。さあ、立って。親御さんはどちらに? 家には一人でも帰れるかな?」
「けんちくか!」
「親御さんは、建築家なの?」
「ちょうちょ」
意志疎通が出来ない……。
どうやらこの子は、知っている言葉を思い付くままに言っているようだ。脈絡など何もない。
いや、この子の頭の中にだけはあるのかもしれない。それは見ることが出来ないので、誰にも解らないのだ。
とにかくその子の手を引いて、誰か知っている人がいないか探して歩いた。
しかし、あるところまで来ると、その子は手を振りほどいて走ってどこかへ行ってしまった。慌てて追いかけたがその先は行き止まりの石壁になっている。
どういうことだ?
近くをしばらく探してみたが、その不思議な子は影も形も見当たらなかった。
神殿に帰ると、遅くなったことをオニキスに長々と説教された。
◇◇◇◇◇◇
それから、町に出るとその子が駆け寄ってくるようになった。
懐かれてしまった。
相変わらず言葉のキャッチボールができない。
用事で急いでいるときは撒いてしまおうと走ったが、追いかけてきてまた転んだのでやめた。
とんちんかんな話や行動も、本人が一生懸命に話をしようとしているのが分かるから、気にならない。
言葉は意味不明でも、こちらが話しているときには黙って真剣に耳を傾けている様子から、きちんと聞いてくれているんだとわかった。話しかけたら毎回意味のない言葉や手振りを返してくれるし。
その子と話すのに、だんだんと慣れてきた。
その子は、会うたびに何かをくれた。
カビたパン。
綺麗だがよく見れば毒草。
ダンゴムシ。
エトセトラ。
悪意がないのはわかっているから、素直に受けとる。
カビたパンは一緒にそこいらに歩いている鳩にやり、
毒草は「これは毒だから触らないように」と言い聞かせ、
ダンゴムシは踏まれないよう草むらに逃がしてやった。
名前が分からないので、最近もらった小石にちなんで「小石ちゃん」と呼ぶようになった。
小石ちゃんと道端でしゃがみこんでアリの行列を眺めているとき、近くの酒場から「青の姫」と「赤の姫」という言葉が聞こえてきたので気になって耳を澄ませる。
「青の姫さまがいなくなられてから、めっきりつまらなくなった。姫君の新しい思い付きもなくなったし、変装してこっそり町へ現れる姫様の姿も見ることはない」
「赤の姫様がいらっしゃるだろう? なにが不満なんだ?」
「だってなあ、赤の姫さまは、以前なら青の姫さまと連れだって町へ現れたけれど、最近は全く姿を現さなくなっただろ? もう、国民のことなんかどうでもいいんだよ」
「どうでもいいことがあるか! 姫君はな、毎日国と民の為にお祈りをされているんだぞ」
「どうだか……最近魔物が多いし、祈りの力が足りないんじゃ――ッ!」
「このー! 姫様を愚弄するか!」
金髪の女剣士が酔客の胸ぐらを掴んでいるのを、慌てて酒屋に入って行った背の低い魔法使いが止めているのが、開け放たれた入り口から見えた。




