6.赤の姫
後書きに挿し絵があります
「おお、治ったか、ネリーよ。さすがは私の娘だ。どんな毒からも見事に生還する」
久しぶりに顔を見せた姫に、王様は破顔した。
「お父様、私が助かったのは、お母様とトーラのおかげです」
「ああ、そうだな。王妃とトーラの治癒魔法のおかげでもある。なにはともあれ、無事で良かった。また元気な顔を見られて嬉しく思うぞ。ときに、トケイ国の王子とはまだ会ってはいないだろう?」
「どのような方なのですか?」
「シルフィードという名で、母国では普段は湖月と呼ばれていたそうだ。だから、私もそう呼ぶことにした。ネリーよりも一つ上の年で、すらりとして、応答は淀みがない。しかし、攻撃魔法は使えないようだ。せっかく、魔法武術の試合をしようと思ったのに」
がっかりした様子の王様に、ネリーは苦笑いを溢す。
「お父様、来たばかりの方に試合を挑むなんて、可哀想ではありませんか」
「は、は、は! 確かにそうだな」
「それで、湖月さまはこれからどちらへお住まいになるのですか?」
「実は、攻撃魔法はできないが、治癒魔法はできるらしい。神官のオニキスが神官長に掛け合って、神官見習いとして神殿の一角に住むことになった。湖月はトケイ国でも神殿に住んでいたそうだ。神官たちの手伝いをしながら、個人的に先生に王子としての教養を学んでいたらしい」
「では、城よりは神殿の方が湖月さまにとって安らぐ場所になるのでしょうね」
「そういうことだ。ああ、それと、写影機で写してもらったから、そのうちに絵が出来たら届けさせよう」
ネリーは病み上がりなので、それから少し話をしたらすぐに王様の執務室を退出した。
サフィと入れ違うようにトケイ国から連れてこられた末の王子。王様の言うところによれば、魔法三国の平和の維持のために賓客として自由と配慮がなされるらしい。
ただし人質なので、生死の鍵はトケイ国の態度次第。対応が金と砂礫ほどに変わる。万が一トケイ国が盟約を裏切れば、彼は見せしめのために処刑されてしまうだろう。
神官見習いになった湖月は、雑用や神官の修行の合間に王族と同じ教育を受けているという。
そのうちに姿を目にすることもきっとある。姫巫女は一般的な神官や巫女とは祈りの間が違うので、関わることもそうないだろうけれど。城と神殿を繋ぐ回廊ですれ違うことくらいはあるかもしれない。
ネリーはサフィがいなくなってからというもの、気が晴れず、あまり外へも出なくなった。神殿での朝の祈りと自室での勉強、午後は怪我人病人の治癒、それで力を殆ど使い果たして眠るというあまり健康的とは言えない暮らしをしていた。
暫く寝込んでいて、トケイ国の王子が来た日にも居合わせることが出来なかったネリーは、その日、久しぶりに魔力が満ちた爽やかな目覚めを迎えた。
「今日は朝のお祈りだけにして、午前の勉強も、午後の業務もお休みするのが良いでしょう」
巫女長のトーラにそう言われて、早朝のお祈りを終えた後で王様に顔を見せに行き、義務を終えた瞬間に気が抜けて、たまにはぼんやりしようとふらりと神殿の屋上に上がった。
最近は、城の研究室にスパイが侵入したり、魔物が取り憑いた人が襲ってきたり、暗殺者に狙われたりすることが増えている。昨日まで寝込んでいたのも、暗殺者に毒を盛られたからだ。複雑に組み合わされた毒だったらしく、解毒作業が難航した。王妃とトーラが付ききりで治癒魔法をかけて、ようやく解毒出来たのだ。
その時、ネリーは夢で死者の国を彷徨った。地面の下深い場所、魂の光だけが照らす洞窟の中を、ひたすらに出口を探して歩いていた。魔物の声が聞こえ、何者かの雄叫びが聞こえてくる。魔物同士争っているような音も。
ふと気づくといつもの寝台にいて、目を覚ましたネリーを疲れきった顔をした母が抱き締めた。肩口が湿り、しゃくりあげる声につられて涙が零れた。
「ネリー、もう、駄目かと……。助けられて、良かった……。今はもう、たった一人しかいない、私の大切な娘」
ネリーはどきりとした。サフィがいないことを改めて思い知らされたようで、胸が詰まる。
「サフィは、いつかまた帰って来るのでしょう? この国にずっといた人質の方も、母国のケムリ国へ帰って行きました」
「そうね……。でも、それはずっと先の話だわ」
石の長い階段を上がり、屋上に出ると、爽やかな風が吹き抜けた。
目に掛かる長い黒髪をかきあげると、屋上の手すりに一匹の猫が座っているのが見えた。灰色と白色の縞々の猫だ。どこかの飼い猫か、それとも野良猫か? どこから、こんなに高いところまで上がって来たのだろう。階段には扉があるから、猫には開け閉めできないはずだ。
「もしかして、降りられなくなってしまったの?」
つい、話しかけたら、猫はこちらを向いて驚いたように目を丸くしたが、逃げようとはしなかった。ただ、深い青の瞳でこちらを見つめている。
ネリーは不安な気持ちが薄れて、柔らかい気持ちに包まれるような心地がした。柔らかそうな毛並みの猫を見たからだろうか。それならば、この小さな生き物は、ただそこにいるだけで人の心を癒してしまうので、治癒魔法を使う巫女よりも簡単ですごい魔法を生まれながらに持っているのかもしれない。
ネリーは猫を驚かせないように静かに近づき、逃げなかったのをいいことにその額を撫でた。
自然と笑顔がこぼれる。
猫を囲むように手摺に寄りかかり、風に吹かれながら、サフィのことを思う。元気にしているだろうか? 父の言うように、無茶なことをやらかしてはいないだろうか? また、なにか新しい魔法道具を考え出しているのだろうか?
サフィの研究開発した魔法道具の中で、ネリーの為だけに作られたものが三つある。一つ目は、手紙を送れる魔法の鳩。二つ目は、遠くの姿を写せる鏡。この二つは、二人が離ればなれになった時に連絡を取り合えるように作られたが、ケムリ国の城には厚く結界が張ってあり、どんなに小さな魔法も通さないので使えなかった。詰めが甘かったのだ。結界のことを知ったのは、旅立ってしまった後。サフィもきっとがっかりしていることだろう。でも、サフィのことだから、いつかは突破口を開くかもしれない。そう信じて、あの鏡と鳩は大事に仕舞ってある。最後の三つめは、決して誰にも知られてはならない機械。
思い返しているうちにそれが見たくなり、屋上を後にする。ついでに、降りられないらしい猫を抱き上げて外に連れていくことにした。
猫がとても大人しいので、すぐに離すのが惜しくなったネリーは、猫が自ら離れるまで抱き抱えていることにした。こんなに楽しく猫と触れ合える機会はもう無いかも知れないと思って。
一旦自室に戻ると、いつものように幻影魔法でネリーが寝台に寝ているように見せかけて、以前にサフィと推理して見つけた城の隠し通路へと入った(猫付きで)。そこを通り、やがて現れた秘密の小部屋の扉を開く。その部屋の中央には、背の高さほどもある無機質な立方体が安置されていた。
「蓄魔法装置。もし、これが完成したら、魔力不足が解消されて、今までに治せなかった病も怪我も治せるかもしれない。神官も巫女も疲弊しないで済むし、トーラたちの顔色もきっと良くなるわ」
魔力を溜めて増大できるということは、もっと複雑な機械を作り出せるかもしれない。そして、その力を使えばものすごい力を放つ兵器さえも。その事が、懸念される。
国はその機械の開発を公にはしていない。国の研究所で秘密裏に研究開発がされているが、サフィの研究とはまた別のものだ。医療や国民の生活向上を目的として掲げているそれが、戦争に使われない保証はない。なので、三国は、それぞれに警戒している。日常的にスパイが差し向けられ、様子を窺っているのだ。
「この機械は、戦争に使われないように、治癒魔法にしか出力しない魔法の設定を組み込む予定だと、サフィは言っていたわ。……でも、その研究も頓挫してしまった」
ネリーは、鏡のような表面に右の手の平で触れた。金属か石かわからない素材が、手を指先から冷やしていく。
「サフィではなく、私が行けば良かったのかもしれないわ。じゃんけんなんかで決めなければ良かった――」
右手は氷のようだが、左手と心は、小さな生命のおかげで暖かだった。
ネリーは機械に触れた手を離し、両手で猫を抱え直して秘密の部屋を後にした。




