27.異変
ローズが連れてきたのは、青の姫過激派に青の姫と間違えられて拐われた娘だった。
一年半前の夏至の頃といえば、湖月がマヨラナ国に来る少し前だ。
彼女は生きていた。
魔人に殺されたと思われていたが、妖精に助けられ、精霊樹の元でこれまで暮らしていたことを話した。
その話を、猫は机の下で聞いていた。ジェイドとローズには気付かれていたが追い出されはしなかったので、図々しくも居座った。
エルミアは最後に驚くべき情報をもたらした。
魔界の扉? そんなものが神殿と精霊樹の地下にあるというのか。まさか、神殿は魔界に通じるその扉を封じるために建てられたのだろうか?
確かに、マヨラナ国の大神殿と各地の小神殿は何百年も以前から同じ場所に建てられていたと聞く。それは、トケイ国でも同じだ。しかし、建てられた当初のことは伝わっていない。幾多の戦乱の中で失われたらしい。
一つくらいは残されていてもよさそうなものなのにと思った時、図書室で見たいかにも古そうな書物が頭に過った。
もしかして、ブルーレースさんの解読しようとしているあの古文書の中に、関連する事柄が書かれているかもしれない。
ジェイドにこれからどうするかをゆっくり考えるように言われて、エルミアは少し考えた後、精霊樹の元へ戻ることを選んだ。『精霊樹に大切な友達を残してきたから』と。
エルミアがしっかりとした足取りで立ち去った後、ジェイドは大神殿へ知らせに行ったが、そのまま次の日になっても帰って来なかった。
第三神殿では最近他国の患者が急増しているらしく、ローズたちは忙しく働いていた。湖月は手伝いたかったが、この猫の身体では何もできない。魔力もまだ回復しておらず、布団に潜り込んで丸まりながら取り留めもなく考える。
生け贄のこと。
星夜町のこと。
魔人になってしまった人たちと、魔人になろうとしていたアスターのこと。
ネリーと見た目だけ似ている娘、生きていたエルミア、新しい樹の巫女のこと。
そして、魔界の扉のこと。
これまで、樹には巫女がおらず、樹は一部病に侵されていたという。もし、彼女が行かず、誰も治さないままだったら、枯れてしまったのだろうか?
そうしたら、どうなる?
魔素が供給されなくなり、魔法が使えなくなったりするのだろうか。それに、魔界の扉が開くかもしれない。そうしたら、地上に瘴気が溢れ、魔物が制限もなく押し寄せるのだろうか。そうして、人に取り憑いて――。
湖月は、身震いした。恐ろしい未来を想像しかけて、頭を振って打ち消す。
こんな未来、来てほしくない。エルミアが守り人になってくれて、良かった……。
そういえば、トケイ国やケムリ国の精霊樹には守り人はいるのだろうか。そういう話を聞いたことも読んだこともないが、もしいないとすれば。
勢い良く起き上がると少し眩暈がして、収まるまで暫く待った後布団を抜け出した。うろうろと部屋の中を歩き回る。
――まさか、そんなことはないと思いたいが、いやな予感がする……。
いてもたってもいられなくて、とにかく外へ出た。
第三神殿には中庭や薬草畑を挟んで治療を待つ患者の為の寄宿舎がある。
天気が良く風も穏やかな今日は、多くの人が日に当たるために外へ出ていた。
薬草畑をうろうろしていたら、患者や従業員たちに猫扱いをされて追い払われたり、逆に手招きされたりした。
「チッチッチ……おいで、猫ちゃん」
猫好きと思われる人が明らかにこちらを向いて呼んでいた。逃げようとすると、とても悲しい顔をされたので、渋々近寄る。
「可愛いねぇ」
と猫なで声で言われてぞっとする。暫く撫でられていたが耐えられなくなり、膝の上から跳び下りた。
「あ……」
残念そうな声を上げられるが、もう無理だ。本物の猫を探してください。
中庭に行くと、壁際の石のベンチに腰かけている人たちの話が聞こえてきた。
「お前さんも、海で怪物に出会ったのかい?」
「そうなんだ。あれは、魔物に取り憑かれた蛸だった。巨大化して、本当に恐ろしかったよ。船が沈められるんじゃないかと、気が気じゃなかった」
「どうやって助かったんだ?」
「船に、魔法使いが乗っていたのさ。それと、屈強な漕ぎ手もな。皆で力を合わせてなんとか倒していた。その間俺は持病と船酔いでボロ雑巾のようだったがな。いやー、あの時は酷かった。船は揺れに揺れて、引っくり返りそうになるし。良く助かったもんだと思うよ。しかし、二度と船には乗りたくないな」
「国へ帰るときに、嫌でも乗るだろう?」
「嫌なことを思い出させないでくれるかい? 今はまだ、もう一度船に乗ることは考えたくないんだ」
「すまんすまん。俺はそんな恐ろしげな怪物には出会わなかったが、魚に取り憑いた魔物と、海賊に出会ったよ。ようやく海の魔物から逃れたと思ったら、今度は人間の襲撃者だ。せっかく、魔物の巣窟から抜け出してきたっていうのに、海へ出たらこれだ」
「世も末だね。海賊もそうだが、魔物の巣窟ってなんだい? お前さんは確か、トケイ国から来なさったと言ったね」
ピクリと、猫耳が動く。
「そうだ。魔法の治療を受けに、最初はトケイ国へ向かったんだ。だが神殿は予約で数年後まで埋まっているし、あちこちで魔物が出るし。それも、見境なく暴れているやつばかりではなく、人と同じように話し、考え、魔法使いを追い詰めていた。俺はぞっとしたよ。魔物がこんなに強いとは」
「なんだって!? 魔物はいつからそんなに賢くなったんだ。トケイ国には、そんな魔物が出てきたというのか」
「信じられなくても、俺は確かにこの目で見た。これまで俺は、魔法三国が魔法によってとても強大な力を得ていたと思っていたが、実は幻想だったのかもしれない。魔物に比べたら、チョークとチーズだ。全く及びもつかない。別物だ。人の扱う魔法を、児戯のように魔物は軽々といなしていた」
「それで、どうなった? 魔物が勝ったのか?」
「そんなことになってみろ、今頃は国が魔物に支配されている。人は魔力が弱いし、ほとんどの兵士は魔法が使えないが、それでも長年培ってきた戦略がある。上手く魔物を誘い込み、罠にはめて浄化していた」
「ほう、やるな」
「きっと、これまでの人間の国同士の戦いでも、このように戦略を立てて、魔法を実際以上に強大に見せて他国を牽制していたに違いないよ」
「ということはつまり、実のところ魔法の力は大したことはないということか?」
「しっ……! そんなことを大きな声で言うもんじゃない」
「大丈夫、近くには誰もいない。いるのは、呑気に昼寝をする猫くらいのもんさ」




