26.似ている人
魔人が手を伸ばしてきたので咄嗟に避けるが、影が網のように伸びて広がり、頭上から被さってくる。それを風の刀で切り裂いて、走って抜け出す。
しかし、瞬間移動で前方に回り込まれてしまった。
人間離れした動きで捕えようとしてくる魔人たちから、知る限りの魔法と体術と勘を駆使して危ういところで逃れ続けるが、本気を出していないように見える魔人相手では捕まるのも時間の問題だろう。
たとえ運良く逃げられたとしても、ここは地下洞窟の隠された町だ。帰り道も分からない。
体力と魔力が削られて、限界に近づいてきた。
そして、ついに魔法の糸に絡め取られてしまった。
「魔王は、きっと生け贄なんて望んでいないぞ!」
「魔王が望まなくとも、他の魔物は望んでいる」
「なんのために? 魔物は身体が無いのだから、食べるわけでもないだろう?」
「地上への足掛かりとなるのだ。人が死ぬとその魂は地下へ向かう。その時の軌跡が消えぬうちに目印をつければ、その糸を辿って地上へ出たい魔物たちが上がってくるのだ」
「では、今までの魔物はそうやって地上へ……?」
「いいや、全てではない。かつては、地上に繋がる道があったらしい。今は塞がれているが」
「質問に全部答えてくれるなんて、親切ですね」
「これから死に行く者の、地上の未練を無くすため」
「なら、私は未練だらけだ。死者の道など辿らないぞ。それに私は、以前に一度死んだが生き返った。魔王にも会って話をした。再び魔界へ降りたら、すぐに魔王に見つかって、地上への糸など断ち切れるだろう」
「なんだと……」
迷う様子を見せる魔人。
口から出任せだが、魔王に見つかるのはあり得そうだ。この調子で逃がしてくれないかなと僅かな期待を抱いたが、そうはいかなかったらしい。
「だが、我々の秘密を知った以上、生かして帰すわけにはいかない」
ですよね。
そこに、割り込んできた声がある。
「じゃ、じゃあさ、ずっとこの町に居ればいい。それなら、いいだろ?」
アスターだ。
見下ろす魔人たちに臆しながらも、懸命に湖月を助けようとしてくれている。
彼は湖月を誘い込みはしたが、本当に生け贄にしたいとは思っていなかったのだ。
魔人たちは目を見交わし、なにやら話し合っているが、言葉が分からない。もしかして、魔界の言葉だろうか。
湖月はその話し合いの帰着を、縛られて膝をついた状態のまま待った。
その時、耳元で声がした。
『猫になれ』
はっとする。ウルテネだ。
すぐさま残された僅かな魔力を絞り出すように猫の姿に変わると、ひょいと抱き上げられた。下を見ると、まだ紐に捕らわれている自分の姿がある。幻影魔法でそう見せているのだ。魔人たちは議論が長引いてこちらから注意が逸れている。他の人も、気づいていない様子だ。
ウルテネは空気の揺らぎを調節して自身と猫を透明に見せている。そのまま、悠々とその場から離れた。
門から出る時は、この町ですれ違った人の姿を取った。門番は普通の人間だったので、魔人のようには見破れなかったようだ。すんなり通された。
洞窟の道を魔法の明かりを片手に歩き、門番から見えない所まで来ると全速力で走り出す。
「そろそろ、気付かれた頃だから、安全な場所までいかないと」
そして、ある場所まで来ると立ち止まり、岩壁に手をついてゼェゼェと息を吐いた。
呼吸が調うと、また普通のペースで歩きだす。
「ここまで来れば、大丈夫だ。この道は何故か魔物は通れない。多分、結界の魔法が関係しているんだと思うが、良く分からん」
「ウルテネさん、助けにきてくれたんですね」
「助けにきたと言うか、ずっと近くにはいた」
「は?」
「湖月が、帰り道とは全く違う道へ入ったときも、後ろから着いてきていた」
「なんですって!? じゃあ……」
「アスターに誘導されていたところも見ていたし、彼がこっそり門番に生け贄だと手でサインを送っているところも見ていた」
「なぜ、もっと早く助けてくれなかったんです?」
怒りが沸くが、力が出ずに、軽い猫パンチくらいしかできない。
「俺は、星夜町を出禁にされているからな。こんなときでないと、廟を調べに行けない。皆の気が生け贄に向いていて、他への注意が疎かになっている、こんな絶好の機会を逃すわけにはいかない」
「出禁って、一体なにをやらかしたんです?」
「特に何かをした覚えはないが、考えられるとすれば、魔人にしつこく話しかけたとか、廟に侵入したとか、うっかり装飾を破壊してしまっただとかかな」
「随分なことをしているじゃないですか。魔法のことを調べるためですか? というか、破壊って、どうしてそんな事態に」
「色々とあってな。今回は多分、生け贄を逃がした犯人が俺だろうことは気付かれているだろうから、もう出禁どころじゃ済まないだろうな。次は、俺が生け贄になりかねない。まあ、調べ物は粗方終わったから、もう行くこともないがな」
星夜町でお尋ね者になったにも関わらず、大して残念がってもいない様子。ジト目で見上げながら、もう何を言う気力も体力も魔力も残されていない。
ぐったりと背を凭れさせていると、眠気が襲ってくる。
「湖月のお陰で、色々と助かったよ。俺の一番弟子の幻影魔法の試験は合格だ。俺はこれからこの地を離れるから、もう教えてやることはできない。会うのは、これで最後だ。達者でやれよ」
◇◇◇◇◇◇
「どこへ送る? やはり、大神殿か?」
「ここからなら、第三神殿が近いはず。そこまでお願いします」
それ以上は意識が持ちそうにない。
すぐに説明をしなければならないことがあるのだ。
「魔力がほとんど無いというのに、姿が戻らないとは。俺が説明をしても胡散臭く思われて信じてもらえないだろうから、自分で説明してもらうしかないな」
ウルテネの言葉に打ち沈む。そう、湖月は何故か元の人間の姿に戻れなくなっているのである。
「きっと、魔力が回復すれば戻るさ。多分な」
適当に励まされても元気は湧いてこない。
そうして辿り着いた第三神殿前。すでに辺りは夕闇に包まれている。既視感。
ウルテネが、魔除けを兼ねた来客の鈴を鳴らす。
少ししてローズが扉を開けた。
「どちらさま?」
「俺は、元剣闘士のウルテネという者だ。魔物の生け贄にされそうになっていた神官を助けたから連れてきた。魔力切れ寸前だから、面倒をみてくれ。じゃ、そういうことで、さらば」
猫をローズに渡すと、夜景に溶けるようにして消えた。ただの目眩ましである。
「は? え、ちょ……なんなの、あの怪しい人」
そこへ、ジェイドがやって来た。
「ローズ、今の来客はどなただった?」
「それが……ウルテネという人が来て、神官を助けたそうなんだけど」
「神官? まさか、湖月か? 今日は休日だったが夜になっても帰って来ないとオニキスが心配していたが」
「いいえ、それが、神官だと言って置いて行ったのは、この猫なの。どういうことかよくわからなくて。でも、魔力切れで弱っているのは確かなようよ」
「……ローズさん、ジェイドさん、私は湖月です。色々あって、猫の姿から人に戻れなくなってしまいました。私が猫になれることは王様がご存じですが、この魔法のことは禁句になっています。このようなことを頼むのは心苦しいのですが、出来れば私が猫になっていることは誰にも言わずにいていただけますか?」
二人は、人語を話し始めた猫に目を丸くしていたが、信じてくれたようで、すぐに頷いた。
「わかった。君が回復するまでここで静養するといい。誰にも見つからないようにするし、オニキスにも君の無事を伝えておこう」
「ありがとう……ございます……。ご迷惑を、おかけして……すみませ……」
視界がぼやけてくる。
「心配せずに眠りなさい。大丈夫だから」
そこで、意識は途切れた。
◇◇◇◇◇◇
言うべきか言わざるべきか。
アスターとの約束。
あの町を壊されたくない気持ちはわかる。
しかし、生け贄の習慣は恐ろしい。
約束は、守るべきだ。でも生け贄の事実だけでも伝えた方が――。
葛藤する胸中。
――それよりも、人間に戻れない。どうしよう……。
人間用の寝台を小さな猫が丸々一台、広々と使っている違和感。
二日ほど休んで魔力は回復してきたはずなのに、猫の魔法が解けない。そもそも、魔力が底をつきかけていたのに魔法が解けなかった時点で何かがおかしかったのだ。
あの時、無理に変身したせいだろうか?
このまま一生人間に戻れなかったら、どうしよう……。
掛け布に潜り込み丸まっていると、通りの方から凄まじい瘴気の気配がした。
「!?」
飛び起きて、窓辺へ向かう。
大通りで、魔人が理性を失い手当たり次第に攻撃をしていた。咄嗟に風の盾を放とうとしても、ふらりと眩暈がして何の魔法も出てこない。
最悪の事態を予感して絶望にかられるが、しかし、魔物の放った矢は、人に当たる寸前で透明な何かに当たって弾かれた。
「ネリー……? いや、違う」
その魔法の盾を放ったのは、ネリーに良く似た娘だった。
暴れる魔物を最終的に仕留めたのは、ジルコンだった。馬で駆けつけて、あっという間に取り押さえていた。魔人は深く考える力を失った分、攻撃は単調になり捕えやすいのだろう。それにしても、その手際は見事だった。ジルコンは今日は非番なのか私服で、それでも最後まで責任を持って大人しくなった魔人を連れていった。
あの人は魔物が浄化されて人間に戻れたのだろうか? たとえ魔物と共に浄化されて灰にならなくても、その後長生きをした例を見たことがない。灰になる人とならない人の違いは取り憑かれた月日の差だというが、詳しいことは分からない。
ぼんやりとジルコンが去るのを眺めていると、道にローズが飛び出して行った。
そして、立ち尽くしていた娘の肩へ手を置くと、
「ま、まさかエルミア!? あなた、生きていたのね……!」
そう言って抱き締めた。




