20.泡沫
後書きに挿し絵があります
『――私に対してあまりかしこまった言い方をしなくて大丈夫です。疲れてしまいますから。それでは、お返事待っています』
湖月は鳩に魔力を注ぎながら話し掛けた。
「お心遣いありがとうございます。お言葉に甘えて、普通に話します。身体は以前のように健康を取り戻しつつあるので、心配しないでください。あと伝えたいことが一つありました。お守りの補修をしてくれたお礼を言い忘れていたので、今伝えます。とても大切なものだったので、直してくださってとても感謝しています。模様も同じに直すのは大変だったことでしょう。いつか直接お礼を伝えたいです」
言葉を切ると同時に魔力を切る。
言い終えてから、また会う機会などあるだろうかと思ったが、取り消しかたがわからないのでそのままにした。
鳩を窓から放す。鳩は星星の輝き始めた夜空に溶けるように透明になり見えなくなった。
◇◇◇◇◇◇
朝は神殿の東の正面入り口から光と熱が奥の部屋まで届く。いつもの掃除を終えると、湖月は寒さ対策のために首元に布を巻いて出掛けた。
最近は他国の患者が増えているので、第三小神殿に助っ人を頼まれたのだ。
「わしは、タワシ国から来たんだ」
治癒魔法の順番を待っている人と少し話をすることがあった。
「魔法のない国だ。魔法というのは得体が知れなくて恐ろしいと思っていたし、今でも変わらない。本当は、魔法の治療を受けたくはないんだが、家族がどうしても受けてくれというものでな」
お爺さんはそう言ってため息を吐いた。不安そうな様子に、何も人体に害はないことを伝える。稀に魔素酔いといって、ひどい風邪のような症状が出ることがあるが、それも、魔法のない国へ戻ればすぐに良くなる。一説によれば、身体の免疫が魔法に対して異常に反応して攻撃をしてしまうからだという。
「魔法とは、そもそも何なのだ? なぜ、三国でしか使えないんだ。それに、三国は魔物が出るだろう。魔法も何か、魔物と関係しているんじゃないのか? 魔物は理性のない、暴れて町を破壊する恐ろしいやつなんだろ? わしは、そんなものにはなりたくはないぞ」
「魔法で治療しても、魔物になるわけではありませんよ。そんな事例はありませんから、安心してください」
「しかしな……」
話をするなかで、魔法のない国の人々は魔法に対して言いようのない不安と恐れを抱いていることを知った。
『魔法とは何か?』
改めて考えると、よくわからない。
生まれた時から当たり前のように近くにあって、湖月は言葉を話すよりも前から魔法の力を使っていたと、カルセドニー先生は言っていた。
だから、魔法を恐ろしいものだとは思ったことがなかった。自分の手足と同じだ。魔法が使えないということは高く跳べなくなったり、遠くにあるものを取れなくなったりすること。不自由だと思ったが、やがて慣れた。
この国でも魔法を使えない人は多いが、魔法そのものがない世界があるということが未だに信じきれない。怪我や病気をしたときに、治癒魔法を使わずにどう治すのだろうか?
「湖月くん、どうしたんだい? 浮かない顔をして」
「ジェイドさん。実は、魔法のない国から来た人と話をしたのですが、とても怖がっていたんです。大丈夫だと話をしましたが、やはり不安は拭えないようで」
「やはり、彼らにとっては未知の力だから、そう簡単には受け入れ難いだろうね。他国から治療に訪れる人は殆どがそうだ。まあ、中には畏怖だけではない、魔法に対して憧れと期待を持つ人もいるけれどね。湖月くんは、他国の人と話したのは初めてかい?」
「私は実は、トケイ国とマヨラナ国以外の国の人とあまり話をしたことがありません。大神殿には他国の人は入れませんから。いままで、魔法があって当たり前の暮らしをしていたので、私にとっては魔法に頼らない治療というものが、それこそ不思議で、魔法のように思えます」
「わかるよ、私も不思議だった。魔法に頼らずにどのように治療しているのか気になってね。聞いたところによれば、医学を修めた医師が、薬草や医学の知識を使って魔法の助けなしに時間をかけて治療するのだそうだ。根気と忍耐と、沢山の知識を必要とするだろうね。治癒魔法も細心の注意を必要として、魔力を消耗して疲労するが、医師の仕事の過酷さはその比ではないだろうと思うよ。病の原因を突き止めて、様々な薬や治療法を試して、長い戦いになると聞いた」
「すごいですね……」
「私は、魔法三国は発展していると思っていたが、医療に関しては大分遅れていると気づかされた。軽い怪我や病気なら薬草を使うが、それ以外はみな治癒魔法で何とかしようとする。それが悪いわけではないが、どうにも、頼りすぎな気がしてね」
湖月は、目を丸くする。
「治癒魔法に頼らない医療……」
「そう。この国にも、他国のように、治癒魔法に頼らない医師がいても良いと思うんだ。ただ、なかなか難しいとは思うけれどね。魔法に慣れた人々にとっては、魔法を使わない医療は異質だから受け入れ難いだろうし。でも、もしもこの先、魔法が使えなくなったとしたら。そう考えたら心配でね」
「魔法が使えなくなる未来があるというのですか?」
「ただの私の妄想に過ぎないが、ありえないことではないと思っている。遥かな昔、世界中に生えていたという精霊樹の伝説を知っているかい?」
「はい、かつては三国以外にも沢山の国に生えていたと。しかし、なぜか時と共に失われてしまったと……まさか、この国にもやがて同じような運命が待ち受けているとお考えですか?」
「そのような未来も、ありうると考えているよ。なにしろ、魔法というものを、私たちは気軽に使っているが、それが本当はどういうものなのかを、誰も知らない。強い魔力を求めた者たちは、皆魔物に魅入られてしまった」
「魔物に……」
『魔物と契約を交わし、自ら取り憑かれることで強くなろうとする哀れな者たち――』
ウルテネの言葉が脳裏を過る。
『これ以上、人の魂に惹き込まれるな』
そして、魔王が人の形を取った魔物に言った言葉。
人は魔法の力を利用し、魔物は人の魂に惹かれている。
また、同じ問いが頭を巡った。
魔法とは、何なのだろう?
魔物が魔法そのものだとしたら、もし魔法がなくなったら、魔物は消滅するのだろうか。それとも、地下に閉じ込められて、永遠に地上へ出られなくなるのだろうか。人の魂に憧れたまま――。
◇◇◇◇◇◇
手伝いを終えて町を歩いていると、フィーディとばったり出会った。
「お前、一週間以上姿を見なかったが、どこへ行っていたんだ?」
「神殿の用事で出掛けていた」
「なるほどな。じゃあこれから暇なら決闘をしろ」
久しぶりに話しかけてきたフィーディーは、流れるようにそう言った。話をする度に決闘を申し込むので、もはや習慣化してしまっているようだ。
今まで受けたことは一度しかない。それは決闘ではなく模擬戦の試合だったが。
「模擬戦なら、いいよ。今まで断り続けていてごめん。今からなら時間が空いているから――」
「模擬戦じゃない。本当の戦いだ。真剣でのな」
「それは、許されていないんじゃないのか?」
「一度受けたのに、撤回するのか? トケイ国の王子も、大したことないな。怖くなったんだろ? 流石、余りものの、捨てられ王子」
その言葉を聞いた瞬間、胸に僅かな痛みが走った。
だが、それだけだ。事実は変えられないし腸が煮えくり返るほどの怒りは沸いてこない。ただの煽りでしかないから、気にするなと自分に心の中で言い聞かせる。
「捨てられたとは思わない。私は今は、マヨラナ国の神官だ。祖国からどう思われていようが気にしない」
フィーディは舌打ちをする。
「その、済ました感じが気に入らない。嘘をついているくせに、姫君に近づくのもな。仕方ないから、模擬戦で我慢してやるよ。その代わり、俺が勝ったら真実を話せ。そして公表しろ。お前が隠している魔法の力を」
「……ただ、祖国を悪く言うのは許せない。私を軽んじることは、トケイ国を軽んじることだ。決闘を受けよう。私が勝ったら、これ以降は決闘を申し込むのを止めろ」
フィーディーはニヤリと笑う。
「ついてこい」
「どこへ行くんだ?」
「大地の裂け目にある地下洞窟」
「地下洞窟だって? そこは、危険だ。魔物がでたらどうするんだ」
「魔物が怖いようじゃ、姫君は守れないな」
「怖くはない」
「じゃあ、行こうぜ。そこなら、邪魔も入らない」
さっさと歩きだしてしまうフィーディの後を追いかけながら、やはり決闘を受けなければ良かったと後悔した。地下洞窟のどこかには魔物信者の拠点があるかもしれない。以前大規模な捜索がされたから、もう移動したかもしれないが、確証はない。
地下洞窟は枝分かれしながら迷路のように入り組んで、地中深くにどこまでも続いているらしい。その全貌を知ることは不可能だとすら言われているので、まだ未知の洞窟のどこかに隠れ潜んでいるかもしれない。
フィーディが言っているのは、そんな地下洞窟の幾つもある入り口の一つで、文字通り大地が裂けて落ち窪んでいる場所だ。天井が開けていて足場も広く、闘技場にも似ている。
二人は辿り着いたその場所で、少し離れて向かい合った。
「剣は、魔法で作れ。お前が攻撃魔法を使えることは知っている。どうして気づいたのか? というような顔をしているな。以前戦ったとき、俺とお前は互角だった。だが、お前は時々妙な所で隙を見せた。不意打ちを避けるときだったり、攻撃を仕掛けるときだったり、一度やろうとした行動を取り止めて、違う動きをしたかのようだった。それは、俺が魔法を使えない相手に魔法を制限して戦うのに慣れていなかった時と似ていた。つまり、もしかしたらお前も、魔法を制限しているのではないかと思ったまでだ」
「なるほど、するどいな」
「! やっぱり、そうなんだな。この、嘘つきが!」
ずきんと、胸が傷んだ。ずっと、嘘はいけないことだと教えられてきた。正直に生きようと思っていた。しかし、この国へ来てからずっと、一つの嘘をつき続けている。目立たないため、波風を立てないために。
本当のことを言おうと思ったこともある。けれど強い魔力は魔物を引き寄せると知り、言うことを躊躇った。そのままずるずると今日まできてしまったのだ。
これを期に、本当のことを公表するのも良いかもしれない。なんだか、嘘をつき続けることに疲れてしまったのだ。波風なんてすでに立っているし、こちらに魔物を引き寄せれば、ネリーが助かるかもしれないと気づいた。
ただ、負けるつもりはない。
湖月は、掌に風で剣を作り出した。
二人は対峙する。
◇◇◇◇◇◇
フィーディの親は王様の遠縁で、魔法研究開発者をしている。城に住み、蓄魔法装置の開発に取り組んでいるが、ある時から研究は先へ進まなくなった。
「決定的な何かが欠けている。後一つ、きっとそれがあれば完成するのに」
代々の研究者たちの積み重ね、その集大成がもうすぐそこまで来ているというのに、足踏みせざるを得ない悔しさ。彼はいつしか酒浸りになり、家族のことを鑑みなくなった。
フィーディは、寂しさを抱えていた。フィーディは父の研究する姿だけは尊敬しているので、よく研究室に来た。しかし、研究は難しくて内容はよくわからない。ただ、その背中だけを見ていた。
そんな折り、赤の姫君に出会ったのだ。青の姫君と共に研究所に来たが、青の姫君が研究員たちと興味深く話す間、手持ち無沙汰であちこち見てまわっていた。
赤の姫君に共感し、少し話をした。その時の笑顔と優しい声が忘れられなかった。
フィーディはやがて、赤の姫君と結婚し、王になることを夢見るようになった。勉学を頑張り、常に一位だった。
やがて青の姫君がケムリ国へ行き、トケイ国から湖月が来た。湖月は学校ではいつも大人しく、誰とも当たり障りなく接した。
その態度が、何故だか癪に触った。『なんでも余裕です』という風に見えたからかもしれない。湖月よりも成績が良くなければ気が済まなくなった。
湖月は算学があまり得意ではなかったが、歴史は良くできた。
音楽はいまいちで、芸術は壊滅的だった。
しかし、剣術は強く、フィーディと互角だった。
そして、時々変なところで気が逸れた。そういうことが何度かあり、疑惑を抱いた。
こいつは、魔法が使えない振りをしているのじゃないだろうか?
疑惑は時が経つにつれて深まっていく。
何か理由があるのかもしれないと思おうとした。けれど、湖月が姫君に花を贈ったと知った時に、その考えは捨てた。その日は偶然図書室にいたのだ。司書のお爺さんに湖月が花を託し、それを後から来た姫君に渡されたところを見ていた。
「こんな嘘つきを、姫君に近づけてはいけない」
徹底的にやっつけなければ気が済まない。
しかし、湖月は決闘をなかなか受けない。そのうちに、あまり関わらなくなった。
冬至の祭りの後、湖月の姿を一週間以上見かけなかった。城にも神殿にも。
そんなある日、町でばったり出会った。もはや口癖のように決闘を申し込んだら、どういう心境の変化か、すんなり受けられたので少し拍子抜けした。なにはともあれ、これはチャンスだ。絶対に勝ってやる――。
◇◇◇◇◇◇
思い切り戦ううちに、疲れとは反対に心が軽くなっていくのを感じた。
なんだか、楽しい。
久しぶりに思い切り攻撃魔法を使った。相手も勿論遠慮なく攻撃を放ってくる。それを弾いたり、避けたりするのさえ楽しい。
いつしか、今までなんとなく感じていた息苦しさのようなものは消え去っていた。
「おい! お前、わざと手加減をしているだろう?」
「していないさ」
ただ、戦いを長引かせるような魔法の使い方はしている。
フィーディが空気の塊を放ち、それは湖月が避けた後ろの壁に当たった。壁が崩れ、岩が落ちてくる。
「危ない! フィーディ、後ろ!」
振動が大地を伝わり、フィーディの立っている後ろの壁をも崩れさせる。前に気を取られていたフィーディは、湖月の言葉に咄嗟に避けようとしたが、間に合わない。
空気の盾を頭の上に滑り込ませたが僅かに遅く、空気の盾ごと頭にぶつかった。多少は緩衝材になっているといいが。そう願いながら倒れたフィーディの元へ駆け寄ると、ただ気絶しているだけのようで、血も出ていなかったのでほっとした。
「大丈夫か?」
「うーん……」
声をかけても目を覚まさない。
ふと、瘴気の気配がして神経を尖らせた。
どこだ……?
土煙が立ち込める辺りに目を凝らす。
崩れた岩の向こうから、女の人が現れた。
「こんなところで決闘なんて、危険だよ」
「あなたは、魔物信者?」
「そうさ。魔物と契約を交わしているからね」
「あなたはまだ、理性を保っているのですね」
「契約したのは、つい昨日だからね」
「なぜ、契約を? 瘴気はやがてあなたを蝕むでしょう」
「そんなこと、知っているさ。それに、あんたに契約のことを教える義理はないね。私は、私の夢を叶えるんだ。たとえ、この先に破滅が待っていようともね。そんな悲願を、お前は持ったことがないんだろう。幸せに生きてきたんだね」
女の人は、掌に瘴気を出して手遊びのように操る。
「私はまだ、理性を保っている。そして、魔物も。心の中で、魔物の声がするんだよ。『ずっと、人間になりたかった』ってね。おかしなもんさ、これまでずっと、魔物はただ暴れるだけのものだと思っていたから、魔物にも心があって、ものを考えるなんて、知らなかったんだよ。でも、これは泡沫。束の間の夢。私にとっても、魔物にとってもね。私にとっては瘴気が毒で、魔物にとっては空気が毒なんだってさ。だから、お互いに蝕んで、やがて心を失っちまう。そのときまでの短い夢さ。さあ、私は行くべき場所があるから失礼するよ、少年。長生きするんだよ」
そう言い残し、彼女は幻のようにかき消えた。




