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赤の姫と風の精霊の詩  作者: 羽紗子


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2.湖月の王子

「長い歴史のなかで繰り返された魔法戦争は、魔物の大発生のため終結を迎えました。飽くなき領地拡大の末、精霊樹の魔力の届かない辺境の地において統治が及ばず、魔物の跋扈する地に成り果てたことから、それらの地を手放したのです」


 城から少し離れた神殿の奥まった小部屋では、先ほどから黒髪の少年が個別に授業を受けていた。

 窓から差し込む光が照らし出すのは石造りの薄暗い勉強部屋。まるで石牢のようで飾り気がなく、筆記用具以外は物もない。

 彼はこの『トケイ国』の正真正銘の末の王子であるはずだが、庶民と見間違うほどに簡素な服装をしている。煌めく小さな金のペンダントと、額に巻かれた組み紐に施された刺繍、そして深い湖のような青い瞳だけが、閉じられたその世界に彩りを与えていた。

 先生の他にはお付きの従僕も侍女もいない。


「魔物は人に取り憑いて各地に散らばりました。その魔物は寿命が短いとはいえ、生命力を吸い取りつつ地上に魔界と同じ瘴気を撒き散らしながら全てを破壊し尽くそうとします。もはや争っている場合ではなくなった三国は、お互いに人質を交換することで和平を結んだのです。三国は協力して魔物を討伐しました。この習慣は数百年を経た今も続いており、何十年かに一度人質を交換することで、平和の礎としています」


「その習慣は、止めることは出来ないのですか? それぞれの国から、その……大切な人を送り出さなければならないわけですから」


「湖月(こげつ)さま、あなたはあと半年後には人質としてマヨラナ国へ行かなければなりません。それはすでに決まっている運命なのですよ。もし、この国に残りたいとおっしゃるのでしたら――」


「いいえ! 私は使命をきちんと果たします。それが、私の生まれた意味ですから」


 勢い余って机上の石板に手をついてしまい、チョークで書いた文字が掠れて伸びた。


 自身の境遇に不満を持ったことは無いし、自分が行かなければ他の兄か姉が人質として連れていかれることがわかっていたから、それで皆が助かるならと役目を進んで引き受ける気持ちがあった。


「それなら、よろしいのです。これは、大切な役割です。いわば、敵国に国の代表として単身乗り込むようなものですから、慎重に振る舞わなければなりません。あなたの行い、言動が国の平穏を左右するのですよ」


「はい」


「マヨラナ国は、微妙に言葉も文字も習慣も違いますから、気をつけて、うっかり喧嘩を売ったりしないようにしてください」


「はい」


「目立たぬよう、魔法の力も極力抑えてください」


「え、なんですって」


「その方が、目立ちません。あなたは、英雄になってはいけないのです。有名になればなるほど、とにかく余計なやっかみを受けますから。それをはね除ける程の人物など、そうそうなれるものではありません。ですからとにかく、地味に生きることです。それが、身を守ることに繋がります」


 この新しく来た先生は、以前の先生と真逆のことを説いている。湖月は頭の中にその人を思い描く。白髪交じりの黒髪、黒目の男性。物心つく前から側にいてくれた、謂わば親のように慕っていた存在だった。


『いいですか、あなたが何気なく出来ている事は、他の誰かにとってはとても難しい事かもしれないのです。私が容易く出来る計算を、あなたがたくさん考えないと出来ないように。湖月さま、いえ、シルフィードさま。あなたのその魔法の力は、磨けば目映い光を放つでしょう。そして、その光はきっと人々を救うことになる。才能を、伸ばしなさい』


 そう、手を握って力強く言ってくれた人は、もういない。詳しいことは誰も教えてくれなかったから、こっそり魔法で気配を消して廊下で聞き耳を立てていたら、その人が不治の病で亡くなったことを知った。

 どうして教えてくれなかったのかと、憤り、そして無力さに泣いた。神殿の者たちによる治癒魔法ですら治せないのならば、未熟な自分に何とか出来るはずもなかったのだ。


 新しい先生は若いが、どこか一線を引いているような印象がある。ただ、付き合いが浅いからそう感じるだけかもしれないが。


 それからも勉強の時間に質問をする度に毎回目立たないようにと教えられるため、湖月はだんだんと質問や自分の考えを述べるのが少なくなっていった。

 その代わりに、図書室に籠るようになった。


 自分はいずれこの国を去り、この国の人々にとっては平和の楔という以外には意味のない人間になるのだ。

 産みの母はすでに亡く、兄や姉たちは末の王子の存在さえ知らないのではと思われた。あるとき庭ですれ違ったら、持っていた記録用の粘土板を見て、


「書記官の下働きか。小さいのにえらいな。よく捏ねられている」


と誉めて通り過ぎた。

 密かに憧れていた兄王子に名前くらいは呼んでもらえるかと期待していたのに、まさか下働きの子供と間違えられるなんて。心が打ち沈み、その時から自分の存在がこの国の誰にも必要とされていないのではと思うようになった。愛を求めて、自ら名乗りを上げることすらしなかったのは、もし、その瞬間に拒絶されたらと思うと身が竦んで、一歩踏み出す勇気が出なかったから。


 王様に会えたのは、三度きり。生まれた時と、母が亡くなった時と、この国を出立する時。産まれたばかりの赤子に父の顔が見えるはずもなく、その数日後に亡くなった母の姿さえ知らない。実質、三度目のこの時が初めての対面だった。


「今まで、ずっと会わずにいたのは、別れがたくなるだろうと思ったからだ。ずっと、そなたのことを案じていた。健やかに成長したな、シルフィードよ。その青い眼差し、そなたの母の面影を宿している」


 初めて父に本当の名前を呼ばれて、思わず胸元に下げた母の形見のペンダントを握りしめる。


「マヨラナ国でも健康を保ち、長くトケイ国との平和を保ってくれ。頼んだぞ」



 船に乗せられながら、物思いに耽る。


 ――ずっと案じていたならば、せめて、もっと早く会いに来てほしかった。それくらい、なにが辛いものか。これくらいの別れが辛くて、どうして王様の仕事が務まるだろう。ただ単に、興味がなくて会いに来なかっただけなのではないのか?


 そのような疑心暗鬼に陥り、気持ちが打ち沈んでゆく。

 波が大きくうねり、船が揺れ、木の葉のように翻弄された。


「魔魚だ!」


 それは、魔物に取り憑かれて船を飲み込むほどに巨大化した魚だった。


 兵士や魔法使いが戦う後ろで、湖月は誰にも見えない位置で魔力を捏ね、魔法使いが攻撃を放つ瞬間を見計らって浄化魔法の大砲を放った。一見、その魔法は一人が放ったものにしか見えず、浄化魔法の風で後押しをされた攻撃魔法は、魔魚の体当たりを跳ね返すと同時に取り憑いた魔物を魚の内側から消し去った。

 船上の人々は歓声を上げ、その魔法使いを労(ねぎら)ったが、後ろにいる王子には安否を確認する形式的な言葉と視線だけが向けられた。


 湖月は魔魚の衝撃で気持ちが切り替えられ、先ほどまでの暗くどこまでも沈んでいきそうな気持ちが紛れて霧散していった。もしかしたら、魔物を誘き寄せていたのは自分だったのではないかという考えが脳裏にちらつく。


 囚われ過ぎていたのかもしれない。


 王様が『別れが辛くなるから会わなかった』と言ったのは、案外本当かもしれない。なにしろ、自分も同じだったからだ。愛を求めていたくせに、拒絶されるのが怖くて自ら求めにいかなかった。


 唯一見つけた似ているところが怖がりなところだなんて。


 王様と自分に呆れて苦笑しつつ、なんだか遠い存在だった父を身近に感じて、凍えた心の一部が暖まるようだった。


 不自由な身分とはいえ、心の中は自由であるはずだ。何を考えても良いし、文句を言っても良いんだ。


 しかし、そんな不可侵の領域を、魔物は狙っているらしい。


 湖月は月の光を四角く切り取ったようなペンダントを握りしめ、ぎゅっと胸に押し当てた。


 トケイ国の精霊樹は大きな湖の底に根付いて生きていると伝えられている。しかし、伝承以外に辿り着いた者の話を聞かない。

 湖は凪いだ鏡のような静けさだという。その水面に映る月が仮の名の由来となった。

 本物の月は時を刻むこの国の象徴。

 水面の月は鏡の裏側の世界を守る。


「これから先、私はどう生きればいいのだろう」


 夜が訪れた海の水面は波が絶え間なく揺れ動き、欠けた月を散り散りにした。

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