18.見守りし者
一度意識を取り戻した湖月は、今はただ眠っている。
峠を越えて魂を取り戻し、命を繋ぎ止められたことにネリーは安堵した。しかし、まだ体内に瘴気が残っている。治癒魔法を続けながら、ふと彼の額から守り紐が切れて枕元に落ちていることに気がついた。
本当に、危なかったわ。後少し遅ければ、彼の魂は戻って来られなかったかもしれない。
なぜ、湖月がネリーをすんでのところで庇ったのか。
なぜ、猫の姿だったのか。
理由は分からない。けれど、助けられたのは事実だ。
ネリーは、彼を治すのは自分の役目だと思った。
廊下から慌ただしい足音がして、扉がノックもなしに開かれた。
「ネリー! 魔物に襲われたと聞いたが、無事か?」
王様だ。
「ん? なぜ、ここに湖月王子が?」
「お父様、彼が魔物から庇ってくださったのです。彼が来てくださらなければ、私は死の呪いによって今頃は死の国の住人となっていたでしょう」
「なんだと!? では、彼は命の恩人ではないか」
「そうなのです。しかし、守り紐のお陰で運良く死は免れたものの、まだ深く呪いが身の内に巣食っています。私は彼が完治するまで、最後まで治療を続けます」
「そうか。好きにしなさい。ただし、部屋を移動させるぞ。この部屋で寝かせておくわけにはいかんからな」
「動かすのは、もっと容態が安定してからにしていただけませんか? 今は、もう少しこのままで」
「分かった」
「ネリー、私も手伝います」
「お母様」
「この方がどこからどうやってここへ来たのかは気になりますが、命の恩人であることには変わりありません。何かを尋ねるにも、まずはしっかり治さないと」
治療に加わった王妃様の後ろでヘリアは、猫が寝ていたはずの寝台になぜか湖月が寝ていることに驚いた顔をしていた。
「ヘリア、詳しい話を聞かせてもらおう」
「はい」
「魔物は結界の壁をすり抜けてここまで来たのか?」
「どうやって結界を突破したのかはまだ分かりません。魔物は突然瞬間移動で現れて、護衛たちが反応するよりも早くネリー様の背後から死の呪いを放ちました。……私たちがついていながら、そのような不覚をとってしまい、申し開きの言葉も御座いません」
「結果的に、湖月のお陰でネリーには何事もなかったのだ。この度のことは不問に処すが、今後はこのようなことのないようにつとめてもらいたい」
「はい、精進してまいります。必ず、今後は姫君をお守り致しますゆえ」
「うむ」
王様は神妙で決意に満ちたヘリアの言葉に頷いた。
「それで、湖月はどのようにして現れたのだ? まさか、瞬間移動ではあるまい?」
「それが、窓から飛び込んで来たのです」
「窓から? ここは、最上階だぞ。空を飛んで来たとでも?」
「いいえ。実は、姫君を魔物から庇ったのは、猫だったのです。私はてっきり、姫君が猫を治療しているものと思っておりましたが、猫がいたはずの寝台に、今は湖月さまが眠っていらっしゃるので、少し混乱してしまい……」
「状況から判断すれば、湖月が猫だったとしか考えられんな。そのような魔法は、初めてだ。彼が自ら編み出したのか、それとも、トケイ国ではすでに知られている魔法なのか? なんにしろ、彼が起きてから全てを聞く他はあるまい。いち早く魔物の侵入に気づいた経緯も話してもらわねば。結界に不備があるとすれば、由々しき事態だ。以前にも魔物が人の振りをして場内に侵入し、姫に毒を盛った事件もあったからな。次もあるに違いない。早急に手を打たねば」
それから、王妃様の助力もあり湖月の体調は安定して来たため、部屋を移された。しかし、依然として眠り続けている。
その間に祭りは終わり、雪は降り積もり国中を白と灰色の世界に変えていった。
ネリーは毎日湖月の部屋を訪れ、未だに残る瘴気を少しずつ取り除く治療を続けていた。
ヘリアは意気消沈し、常ならば『恋バナ』の予感がするこの状況ではしゃぐところだが、今は自重しているようで真剣な眼差しをして二人を見守っている。
「うぅ……ん……」
「あ、湖月?」
目覚めかけている湖月に声をかけると、彼は目をうっすらと開いて掠れた声でこう言った。
「シルフィードと、呼んでください……」
「シルフィード?」
「はい……あ、あれ? ここは」
「目覚めましたか? ここはお城の一室です。あなたは一週間ほど眠っていたのですよ」
「姫君? ああ、そうか。私はあなたに助けられたのでしたね」
「助けられたのは、私の方です。魔物に襲われて、危ないところを防いでくださいました。でも、その代わりにあなたが死の呪いを」
ネリーは、大切に保管していた守り紐を差し出す。
「勝手ながら、切れたところを補修したのですが……あの、完璧には直らず、元の色とは少し違ってしまいました」
シルフィードは、受け取った紐をじっと見つめた。その様子を、ネリーは固唾を飲んで見守る。
「この鮮やかな色が本来の色ですから、なにも違いません。長い間使って、洗って干してを繰り返しているうちに色褪せてしまったのです。私が小さい頃は、確かにこの色をしていました」
その言葉にほっとして肩の力を抜いた。
「間違ったことをしてしまったのではないかと案じていましたが、シルフィードさまがそう言ってくださって、安心しました」
「あの、もしかして私はあなたにそう呼べと言いましたか?」
「覚えていらっしゃらないのですか?」
「寝ぼけていたようです。お恥ずかしい。私が地下の世界にいたとき、あなたが私をそう呼ぶ声が聞こえました。私はその声に向かい手を伸ばし、危ういところで地上の世界へ戻って来ることができたのです」
「私の声が、届いていたのですね」
「はっきりと聞こえました。守りの紐が切れて、人の形が失われゆき、周りを飛ぶ魂の蝶と同じになりかけていたのです。辛うじて残っていた片手を伸ばして、あなたの手を取りました」
「シルフィードさま、私の名前を呼んでください」
ネリーは、『あなた』か『姫君』としか呼ばれないのがとても距離が遠く感じられて寂しかったので、ついそうお願いした。
「カーネリアンさま」
「ネリーとお呼びください」
「ネリー」
「はい、シルフィードさま」
「では、私もシルフィと。ただ、皆の前では湖月でお願いします」
「わかりました、シルフィ」
なんだか可笑しくなり、二人でくすくすと笑う。こうしていると、祭りの日のことを思い出す。ほんの短い間だったけれど、今ではネリーの大事な宝物の一つとしてその思い出は胸の奥に仕舞ってある。あの時買った蝋燭と共に。
シルフィが身を起こそうとしてふらついたので、咄嗟に支えた。起きたついでに側にあった水差しからコップに水を注いで飲ませると、再び寝かせる。
「まだ、起きるのは早いです。もう少し、ここで身体を休めてください」
「すみません……。そうだ、あの後、魔物はどうなりましたか? 取り憑かれた人は?」
「私の護衛のジルコンとヘリオドールがすぐに捕らえて、オニキス神官が浄化しました。だから、ご安心ください」
「そうですか……。姫君、いや、ネリーに何事もなかったようで、安心しました」
シルフィから安堵した微笑みを向けられて、ネリーはなぜか顔が熱くなった。
ヘリアは、その一部始終を扉の陰から見ていた。
言い訳をさせてもらえば、護衛の仕事として立っていただけで、やましいことはなにもない。ただ、その顔色は良く、口許は今にもニコニコ笑いだしたいのを堪えているように歪み、目はキラキラと輝いていた。
二人は、そんなヘリアの様子には気付いていない。
シルフィは、不意にはっとした様子で真剣な目付きになった。
「一週間寝ていたということは、もう、神殿に監査は来てしまったのですよね?」
「ええ。来ました」
「帳簿の不備は……フェンネルはどうなりました? 神官長は? オニキス神官は何か言っていましたか?」
「シルフィは全てを知って、私のところへ来てくれたのですね。大丈夫です。捕らえられた魔物が浄化された後、取り憑かれていた女性は全てを自供しました。神官長は、彼女を結界の抜け穴になっていた秘密の通路から引き入れたことと、公金横領の罪で多額の罰金を課されて神官長を罷免されました」
この国の姫を命の危険に晒した罪は重いが、長年神官として多くの民を救ってきたことを鑑みて、減刑された。彼は大神殿を去り、その後どこへ行ったのか誰も知らない。
もしかしたら、囲っていたという愛人と共にどこかで平和に暮らしているかもしれない。
神官長に床下暖房の設計を頼まれた建築家は、賄賂を受け取り黙っているようにと口止めをされていた。こちらも罰金を課されたが、まだ城にいる。
「新しい神官長は、オニキスです」
「やっぱり、そうだと思いました」
「あの方しかいませんものね。私も、適任だと思います」
「彼は、フェンネルのために徹夜して帳簿の確認をしていたのです。それで帳簿の不備を見つけて、誠実なフェンネルが横領などするはずがないと、真実を明らかにしようとしていました」
「とても、優しい方なのですね」
「そうですね。始めは厳しくて、説教も沢山されましたから怖い人だと思っていました。表情もよく眉間に皺が寄っていますし」
扉の陰で、ヘリアがうんうんと頷いている。
「でも、本当は彼ほど部下のことを考えている人はいなかったのだとわかりました。私が王子だからと特別扱いされて他の人から仕事をあまり任せてもらえず、注意もしてもらえなかったときも、皆と同じかそれ以上に仕事を振られて遠慮なく注意されました。今ではそれがとても役に立っていますし、仕事が多すぎたせいで他の人たちが心配して話し掛けてくれるようになりました」
どこか楽しそうに語る様子を、ネリーは憂鬱な面差しで見ていた。
「ごめんなさい。私は、あなたのそんな姿を陰から見ていました。けれど、何もしようとしなかった。話し掛ける勇気が出なくて……。でも、シルフィは自力で居場所を作り出していった。オニキス神官のおかげだとしても、あなたが頑張ったことには変わりない。私は勝手に、その姿に勇気を貰っていたのです」
「勇気を?」
シルフィは、目を見開いた。
透き通る青い瞳に、ネリーの姿が映る。
その時、ノックもなしに扉が開いて、王様が入って来た。
「ちっ、お邪魔虫め」
「ん? ヘリア、今何か言ったか?」
「いいえ、何も」
「おお、湖月王子。目覚めたか。調子はどうかね?」
「お陰さまで、もう少ししたら起きられそうです」
王様はシルフィに姫を助けたお礼や、変身の魔法についてなどを話したり聞いたりした後、ネリーに向き合った。
「私は、近々領地の視察に行くことになった。留守は王妃に任せたから、ネリーも留守をしっかり頼んだぞ。王妃の手助けをしてほしい」
「わかりました。しっかり務めますわ」
ネリーは頼もしく聞こえるようはっきりと声を出した。王様は満足そうに頷いて部屋を出ようとしたが、その背にシルフィが声をかけた。
「王様、魔界について、お話したいことがあります」




