17.常闇の国
後書きに挿し絵があります
死者の国、魔の国、光るは魂。青白き蝶は常闇を照らす。
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気がつくと、暗い道を歩いていた。
洞窟だろうか?
どこからか、川の流れる音が聞こえてくる。
辺りを青白い光を放つ蝶が無数に飛んでいる。
それ以外の光源はない。
蝶たちはひらひらと同じ方向に飛んで行く。
その光に導かれるように歩いていた。
自分が何者かもわからない。
ひらひら……
ひらり……
ひらひら……
足元を、岩壁を、道の先をほんのりと照らす蝶の光。
ゆっくりと歩みを進める手足は青白く透けて見えた。
◆◆◆◆◆◆
蝶に近づく靄がある。
一つの蝶に触れた靄は、人の姿に変わった。
此方に気付いて近づいて来る。
触れようと手を伸ばしたのを、濃い靄が遮った。
『これ以上、人の魂に惹き込まれるな』
濃い靄から声が聞こえる。人の言葉を話している。
『おまえも、地上へと出たものたちと同じような末路を辿りたいのか?』
強い魔力を宿したものの言葉に、人の姿は輪郭を失い、また元の薄い靄に戻った。そして、宙を漂いながら蝶の列を離れて行った。
残った力の強い靄は、先ほどの薄い靄と同じように人型を取った。違う人の姿だ。
『私は、魔物の王だ。私は地上へ出るつもりはない。人に危害を加えるつもりもない。ただ、黙せる死者の魂でも、肉体を持つ生者でもないおまえと話がしたい』
そう言って、漆黒の瞳でこちらをじぃと見おろした。
その姿を見て、湖月は思い出した。自分のこと、これまでのこと、そして、目の前の魔王だという者の姿が、湖月の一番始めの先生と瓜二つであることを。
『カルセドニー先生?』
『この姿は、気まぐれに触れたひとつの魂の記憶から真似た姿だ。本人ではない。いくら似ていようとも、仮の姿でしかない』
『先生の魂が、この世界にいらっしゃるのですか?』
『その者の魂はもう、この地下世界にはいない。ここは死者たちにとってはただの通り道に過ぎないから。どこへ向かうのかは、私にも分からない。その先は誰も知らない。知ることができるのは、死者だけだ』
話しながらも歩み続けていた。
幅の広い川が現れて、川岸には小舟と魚の面をつけた船頭がいて、蝶たちを船に乗せ、青白い光でいっぱいになったその小舟を、向こう岸に向けて漕ぎ出したところだった。
『あの船頭は、人間のように見えます』
『何者かは知らない。人の魂が流れてくるようになったときから、あの場所にいる。案内人なのだろう』
川岸で二人は足を止めた。
ここは、川のせせらぎ以外に地上と似た音はなかった。その代わりに、大地の奥深くから響いてくるような低い音が、足裏から伝わってくる。
『この音は、大地の鼓動だ。大地のエネルギーそのものの音だ。私たち魔物は、このエネルギーと瘴気を取り込んで生きている。生きているとはいえ、人間のような肉体は持たない。精霊と同じようなものだ。精霊も肉体を持たない。大地のエネルギーと光と空気などで生きている』
更に、魔王は語った。
『魔物は地下を守るもの。
精霊は地上を守るもの。
共に、世界を支えている存在』
『地上には生物がいるが、地下には殆どいない。
魔物は肉体がないから、生き物に触れることができない。しかし、魂になら触れられる。
私たちがなぜ、この地下世界にいながら地上のことを知っているかといえば、死者の魂に触れて、その記憶を追体験したからだ。
それに触れてしまった者たちは、感化され、地上へ出たい、人になりたい、世界を感じたいと思ったのだ。
魔物に本来必要のないそれらを、心の底から欲してしまった。
私は悩んでいる。世界の崩壊を恐れている。
人を羨み、果てには憎み、地上の世界を乗っ取ろうとしているものたちがいる。
地上と地下の均衡が崩れたとき、全ては混沌に還るだろう』
どうやら、魔物は一枚岩ではないらしい。そもそも、魔物に個体差があることすら、考えたこともなかった。
『混沌とは、始まりと終わりの力。
天と地上と地下とを分けるもの。
手を触れてはならない力。
世界の崩壊を招く力。
生けるものには強すぎて、扱うことなどできない』
『私は、それに手を出そうとするものたちを止めたい。
そんなとき、おまえを見つけたのだ。
生きながらに魔界へ流れてきた魂を。透き通り、青白い光を纏う、人間の若者。死者の魂の蝶が纏わりついて、半分死にかけている。蝶になれず、さながら蛹か芋虫か。私は興味を引かれた。何か、解決に至るヒントが得られるのではないかと』
魔王は、湖月にさまざまなことを尋ねた。魔物が地上に来なくなるのならと進んで答えたが、ありきたりな物事ばかりて、果たしてこれが解決に繋がるのかは甚だ疑問だった。しかし、地上に暮らす人間にとってはありきたりでも、地下に暮らす魔物にとっては、とても貴重な話なのかもしれない。湖月にとって魔王の話が貴重なのと同じように。
湖月は、地上世界の話をする傍ら、地下世界と魔物のことを尋ねた。魔王は、断片的に答えてくれた。
『人の魂に憧れ、地上へ出たものたちは、気が狂ってしまった。人にとって瘴気が毒となるように、魔物にとっては地上の空気が毒となるのだ』
『魔物はいつの間にか生まれて、長い時を生き、いつの間にか消滅している。弔いもない。大地に還るだけだ。寂しいかだと? そうだな、少しは寂しいかもしれぬ』
『魔物は、精霊のことはよく知らない。精霊も、魔物のことをあまり知らないだろう』
『魔物は人間のことをよく知っている。魂に触れて、その者の感情を体験したから。人間の強さも、弱さも、欲深さも、残酷さも、そして、愛することも。しかし、本当に理解しているわけではない。ただ、他人事として見ていただけだ。そこには、内側から沸き上がる感情などない。ただ、その残光に少しばかり焼かれただけだ。私は、本当の愛とは何かを知らない』
話しているうちに、プツリと額の守り紐が切れた。
湖月の姿がほろほろと青白い光となって崩れていく。蝶になりかけているのだ。
そのとき、
『シルフィード……』
声が届いた。
姫君の声だ。
本当の名を呼ぶ声に、辛うじて残っている手を伸ばす。
しっかりと掴まれた感覚がした。冷たい地下世界とは違う、日溜まりを思わせる暖かさ。
◆◆◆◆◆◆
気がつくと、見知らぬ部屋で横になっていた。寝台の脇に姫君が跪いていて、湖月の手を握りしめていた。
涙の滲むその星空のような眼差しは、心から安堵したようにこちらを見つめていた。
助けられたのだ、姫君に。
助けたつもりが反対に助けられてしまったなんて。
もっと、強くなりたい。姫君を守れるくらいに。
そう思った。
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人は魔物の力に憧れて、
魔物は人の魂に憧れた。
触れてはならぬと知りながら――。




