16.朝の風、夜の雪
本日二話目の投稿です
隣に座っていた人は暫く本を読んだ後、静かに席を離れた。
司書席にいるブルーレースさんと話している声が微かに聞こえてくる。
『守り紐』『湖月』と聞こえた。
隣にいた人は、湖月王子だったのか。
◇◇◇◇◇◇
「ネリーさま、王様から贈り物です。写影器で写した絵、すなわち『写絵』と言っておられましたが、あのサフィさまの発案による魔法機械ですよね?」
ネリーに布に包まれた四角い板のようなものを差し出しながら、ヘリアは言った。
「そうよ。お父様がトケイ国の王子を撮影したから送ると言っていらしたけれど、ようやく描き上がったのね」
ネリーはそれを受け取り、結び目をほどいていく。
「あの機械の難点は、景色を写してから紙に表すのにとても時間がかかることだわ。これなら画家が描く方が早いわね」
布が開かれると、木の板にパピルス紙が貼られたものが現れた。そして、その表面に岩絵の具で描かれた風景に息を飲む。
「これは……どんな画家にもこんな風に正確には描けないでしょう。まるで、この絵の中に人が閉じ込められているようだ」
「この、民衆の中央で馬に乗っているのが湖月さまなのね」
控えめに輝く銀の冠を被り、背筋を伸ばして真っ直ぐ前を向いている。ネリーより一つ上の年だと聞いた。肩の少し上で切り揃えられた黒髪はさらりと靡き、横顔は繊細で、少しつり上がった猫目の中には鮮やかな青い瞳が宝石のように煌めいている。しかし、気丈に振る舞うなかに、不安な気持ちが隠れているのを感じ取った。
「そうですよ。私は、湖月さまの姿を見たことがあります。この絵とそっくりでした。まあ、鏡で写したようなものですから、当たり前なんですけどね。今は地味な神官服を着て、大神殿で働いていらっしゃいますよ。会いに行かれますか?」
ネリーは迷った。
先日のことを思い出す。
あの方は、きっと図書室で私のことを気付いていらっしゃった。
最初は気付かなかった様子だったけれど、やがて気配に気付いてこちらを伺っていた。赤い衣装が衝立て越しに見えていたはずだから、赤の姫だとすぐにわかったに違いない。気づいた後湖月はすぐに立ち上がり、逃げるように席から離れた。
単に読書の邪魔をしないためなのか、それとも他に会いたくない理由があるのか?
「今は私の体調も万全ではないし、彼の仕事の邪魔をしてもいけないから、また今度、機会があればそのときにでも挨拶をします」
「そうですか……どんな方か気になりませんか?」
「気にはなりますけれど」
「こっそり見に行きません?」
「なんだか、妙に積極的ね?」
「ああ、いや。別に変な意図はありませんよ。会わせたら面白そうだなぁなんて、そんなことは思っていませんとも。全然」
「そういえば、ヘリアは『恋バナ』が大好きだったわね。異国の恋物語に詳しいし、侍女たちの噂話を聞いたりだとかよくしているし。期待されても、恋には落ちないから面白くもなんともないですよ」
ネリーの結婚相手は、次の王になる。今もすでに沢山の結婚申し込みの話が国内外から来ているのを、まだ若すぎるからと断り続けているのだ。
「私が結婚する相手は、王様が決めるでしょう。次の王様に相応しい方を。私が誰かに恋をしたとしても、それが叶うことはきっとない。それならば、初めから誰にも恋をしない方がいい」
ヘリアは悲しげに肩を落として俯いた。
「姫君……。自由に恋も出来ないなんて、奴隷の身分なら分かりますが、国で三番目に身分の高い方がそのような」
「恋ではなくても、友達にはなりたいと思うわ」
ヘリアは、ばっと顔を上げた。
「それに、新しい暮らしに不自由していないかも気になるから、少し様子を見て来ようかな」
「そうですね、気になりますよね。さあ、行きましょうか」
目をキラキラさせているヘリアは、まだ諦めていないようだ。『恋バナ』のネタになりそうなことを。ネリーは期待するだけ無駄だと思いながら、面倒なので放っておいた。
◇◇◇◇◇◇
ネリーはそれから、時々こっそりと神殿に様子を見に行った。ヘリオは嬉々として護衛を務める。
――他の神官や巫女たちからよそよそしくされて寂しそうにしている姿。
――文化の違いから失敗をして、オニキスに叱られてしょんぼりしていたり。
――オニキスから任された仕事が多すぎて目まぐるしく動き回っていて。
――魔物の浄化から戻って来たらしい時にはとても暗い顔をしていた。
――貴族の人たちが誰も聞いていないと思って湖月の王位継承権が低いことから、軽んじるような言動をしていた時には腹が立った。
その後、継承権が低いことは事実であるがゆえに姿を現して何かを言い返すこともしなかったため、自分の不甲斐なさに落ち込んで、専用の祈りの間に引きこもり祈ることで気を紛らわせていたら、いつか神殿の屋上で出会った猫が窓辺に現れた。今の気分でそう見えただけかもしれないが、その猫もなんとなく萎れて見えたので、
「あなたもなんだか寂しそうね」
と額を撫でた。
湖月がもっとこの国で自由に、そして安心できる居場所を見つけてほしいと思う。貴族との関わりを避けて遠慮して慎ましく生きていて、なんだか息苦しそうに見えた。
それでも、話し掛ける勇気は出なかった。
◇◇◇◇◇◇
ある日は薬草園の近くをを王妃と歩いているときに、湖月と侍女長のトーラが楽しげに話している姿を見かけた。話の内容は聞こえなかったので分からない。
◇◇◇◇◇◇
湖月はやがて朝の決まった時間に人々の相談に乗るようになった。
朝の光の中で人々と関わりながら働く姿は、とても生き生きしている。
――もう、居場所を見つけていたのね。
立ち止まっていたのは、私だけなんだ。
ネリーは湖月の働く姿を見て、自分だけ取り残されたような気分になった。そして、無意識に重ね合わせていたことに気づく。境遇は全く違うが、その心に巣くう寂しさを。
取り残されたままではいたくない。自分も頑張らねばという思いが湧き起こる。
大神殿の守り。国の守り。人々の心の拠り所として。
◇◇◇◇◇◇
ある日、回廊ですれ違った。お互いに連れと話していたから、一瞬目が合っても会釈してそのまま通りすぎた。
◇◇◇◇◇◇
その日は、図書室に行ったら湖月が先に座っていた。以前と同じ席だ。ネリーは足音をさせずに近づき、以前と同じく隣の席に座った。湖月は書物に没頭していて気付いていない様子だ。ネリーは持ってきた書物を開いて静かに読み始めた。
シャラン……
微かに金属の触れ合うような音がしてそちらを見ると、湖月の姿はすでに無く、彼の座っていた椅子の座布団に金の細い鎖が落ちていた。鎖の途中には小さな四角い金のペンダントトップがついていた。
彼の落とし物だろうと思い拾い上げたが、ブルーレースさんによれば彼はもう退出したとのこと。伝言と共にネックレスを託して退出した。
◇◇◇◇◇◇
翌日、『どうも、ありがとうございます。本当に大切なものだから助かりました』と伝言の返事が返ってきた。
たったそれだけで嬉しくなり、心が弾む。
「どういたしまして。とても美しいペンダントなので、他の人に拾われなくて良かったです。とお伝えください」
「本人に会ったりはしないのですかな?」
「仕事が忙しそうですし、勉強の邪魔をしてもいけませんから。機会があれば、会ってお話ししたいとは思います」
「二人とも、恥ずかしがり屋さんじゃのう。仕方がない、わしが伝言役になって差し上げますよ」
「ありがとうございます、助かります」
「本人に直接伝えれば、世話はないんじゃがのう」
◇◇◇◇◇◇
「『優しい方が拾ってくださって助かりました』と言っておりましたぞ。それから、これを預かりました」
手渡されたのは、カモミールを短く摘んで可愛らしく纏められた花束。
「伝言がいつまでも続いて切りがないから、わしが言ったんじゃ。なにかお礼の贈り物をして、それで伝言ゲームは終わりにしなさいと。そうしたら、その花を託された。なんでも、気持ちが落ち着いてよく眠れる薬草だと。まあ、姫君ならよく知っていなさるじゃろうが。さて、わしはこれでお役御免じゃ」
ネリーは花を顔に近づけた。甘い香りが心を解していく。
伝言はもう頼まなかった。
◇◇◇◇◇◇
それから何ヵ月も様子を見に行っていない。
彼が神官や巫女たちとも徐々に打ち解け、町の人々とも良い関係を築けているのを見届けて、もう心配はいらないと思ったのだ。そもそも、ネリーが心配して様子を伺ったところで、彼のために何ができたわけでもない。彼は、自分の力で日々の努力を積み重ね、地に足を着けて歩き、新しい暮らしに馴染んできたのだ。ネリーの支援がなくとも、彼は立派に神官として自立していた。
◇◇◇◇◇◇
冬至の祭りが数週間後に迫ったある日。
出勤してきたヘリアが不機嫌なので理由を尋ねると、少し口ごもった後、しぶしぶ話した。
「町で、ネリーさまの噂話を聞いたんです」
ヘリアの話を聞いて、ネリーは落ち込んだ。
彼女が言い返してくれたと聞いても、気持ちは晴れない。
原因は自分にあると分かっていたから。
サフィがいなくなってから、彼女に連れられてこっそりと町へ出ることはなくなった。神殿に籠り、公式にも外へ出ることは少なくなった。町の人たちとの交流も途絶えているし、『もう、国民のことなんかどうでもいいんだよ』と思われていたとしても、仕方がないのだ。
「だからって、サフィさまの真似をして町へ出るなんて、しないでくださいね」
ヘリアが釘を刺し、その時は素直に頷いた。
◇◇◇◇◇◇
湖月が魔物信者に襲われたと知り、背筋が凍る。
その事件のことを伝えられたのは、全てが終わった後。湖月が第三小神殿に保護され、彼の話をオニキス神官が王に伝えた。それによれば、魔物は魔力の高い者に惹かれると同時に、敵として攻撃してくると。
「姫君は、魔物に目をつけられています」
ということで、警護が増やされた。
魔物に狙われていると知っても、いつものことなので大して気にしないが、警備が増やされて何をするにも、どこへ行くにもぞろぞろとついてくるので、気が休まらない。息苦しくて身動きもままならない感覚になり、日々の祈りのつとめも億劫になってきた。
サフィと話がしたい。
部屋に戻ると、寝る前に毎日サフィの鏡と透明な鳩を取り出しては眺めるようになった。
以前は、その日にあったことをなんでもサフィと話した。その日々が懐かしい。今頃、どうしているだろうか? 元気に過ごせているだろうか?
手紙を送りたいけれど、正式に送ったら、必ず中を検閲される。それに、サフィはこれまで一度も便りをよこさなかった。人質の制度を完璧に理解しているわけではないので、手紙を送ることで国家間になにか不都合なことになるかもしれないと、怖くて送れなかった。単なる雑談を深読みされて戦争にでも発展したら大変だ。
周りに沢山人はいるけれど、なんでも話せるのは、サフィだけだ。彼女の置いていった魔法道具は、しんと静まり返っている。
ネリーは鬱屈した思いを抱えながら、浅い眠りを繰り返した。
◇◇◇◇◇◇
祭りの日、裾を引きずる姫巫女の衣装に身を包み、気合いを入れて開け放たれた大神殿へ向かう。
この日ばかりは観衆が集まり、儀式の様子を見守った。
裾を踏んで転ばないようにしずしずと歩いていると、早く儀式を終えてどこかへ帰りたそうにしている神官長の向こうに、湖月が見えた。青い眼差しがしっかりこちらを向いている。
ネリーは気持ちが透き通り、しゃんと背筋を伸ばした。
湖月に、無様な姿を見せたくない。きちんと、やり遂げてみせる。
その思いのおかげか、儀式は滞りなく進み、祈りの魔法は例年以上に美しく広範囲に降り注いだ。観客からは朗らかな笑い声や歓声が聞こえた。
久し振りに、自由な気持ちになった。まるで、心に羽根が生えたようだ。
◇◇◇◇◇◇
町の祭りの最中、思い付いてサフィの真似をして町娘の変装をした。色の淡い質素な身なりをして、髪は一つの三つ編みにして背に流す。そして、サフィとネリーしか知らない隠し通路から城の外へ出た。
祭りの初日に魔力切れ寸前になるまで守りの魔法を放ったから、あと数日は町に魔物は現れないだろう。
久しぶりの町は活気に満ちていた。人々の楽しげな様子を見るだけで、数々の小さな大会に参加はしなくとも楽しかった。
仮面屋で猫のお面を見つけたので、買って被る。一応、用心のために。
広場の素朴な躍りを眺めていると、肩に軽く誰かとぶつかった。
「あ、すみません」
謝る声に振り向くと、そこには湖月がいた。
「いいえ、こちらこそ」
今はただの町娘の振りをしているので、姫だと気付かれないように初対面の振りをした。実際、初対面も同然なのだが。
「え……」
湖月は少し驚いた様子ですぐに離れようとしたが、小さな女の子が彼の手を握っているのとは反対の手で、ネリーの手をしっかりと握った。
引っ張られるように躍りの輪の中へ入り、そのまま三人は踊った。
決まった振り付けなんかない、自由気ままな踊り。楽団の即興の音楽に合わせて、人々がステップを踏んだり、手を動かしたり、くるくると回ったり。ひらめくスカート、さざめく笑い声、そして、小さな女の子の手のひらの暖かさと、引っ張られる力。
湖月は女の子が転ばないようにと、バランスを崩す度に引き上げていた。
女の子は、満足するまで踊ると、どこかへ行ってしまった。
湖月と二人で広場の一角に取り残される。
「あの子は、妹?」
砕けた言葉で話しかければ、湖月も気軽に答えてくれた。
それから二人は談笑しながら祭りを巡り、木を飾るための蝋燭を売っている出店で、気になったものを一つずつ買った。
道の向こうからヘリアが歩いてくる。慌てて逃げ出す前に、どうにか別れの言葉と楽しかった気持ちだけは伝えられた。
人波に紛れる前、ちらりと振り返ると、湖月が手を振り返してくれていた。
案の定、ヘリアにはあっさりと捕まった。
彼女の狼のような灰色の眼差しはその美貌と相まって、睨むと凄みがある。ネリーは、獲物を狙うようなその視線にい竦められて縮こまった。久々に味わうその感覚は、サフィと悪戯をした後などによく味わった。その時のことを思い出して、少し感傷に浸っていると、お叱りの言葉が降ってきた。
「ご自重ください。魔物が姫君を狙っているのです」
「ごめんなさい……」
「まあ、今は守りの魔法のお陰で魔物は来ないでしょうが、万が一ということもあります。大人しくお城にいらっしゃってください。お城と神殿には、途切れぬ魔法の結界がありますゆえ」
「いつになったら狙われなくなるというの? この国は魔物と共にあるようなものよ。一生引きこもっているわけにはいかないわ」
「それなら、護衛を連れていけばよろしいでしょう。なにも、一人でこっそり行かずとも」
ネリーは、目を見開いた。まるで、今気がついたかのように。
「そうね。サフィの真似をしようとしなくても良かったんだわ。こんな簡単なことに気づかないなんて」
「サフィさまの考え方に影響され過ぎですよ。あの方の行動は、あの方だからこそ、上手く行くんですから。ネリーさまが無理をして真似をする必要はないんです。あなたさまらしく、行動すればいいと思いますよ」
「私らしく……それは、どうすれば?」
「私はネリーさまではありませんから、わかりません。でも、取り敢えず外へ出るときは必ず声をかけてください。約束ですよ」
「はい」
その日はもう城から出ることもせず、部屋から窓の外を眺めていた。
雪がちらつく。
魔素混じりの雪。
町の方では、祭りの明かりが煌めいている。まるで星々のように。
祭りで出会った湖月の姿を思い出す。何を話したかはあまり憶えていないが、とても楽しかった気持ちだけはしっかり心に残っていた。
夜は幸せな思い出に包まれながら、適度な疲労感もあり久し振りに深く眠れた。
◇◇◇◇◇◇
祭りも終わりに近づいた日の朝、まだ日も顔を現さない薄闇のなかでネリーは朝の祈りを終えると部屋に戻り、食事もそこそこに窓を開け、ぼんやりと外を眺めていた。息が白く煙る。
遠くに光る小さな灯。薄くたなびく炊事の煙。広場で燃やされている大きな焚き火。
町の祭りの思い出が、今もまだ心を暖めていた。
そうして、町を眺めていたときだった。
神殿の方でただならぬ瘴気を感じ取る。
「ヘリア! ジルコン! 神殿に、魔物が」
「神殿にはオニキスがおります。私たちはネリーさまの護衛ですゆえ、ここを離れません」
「でも、一人では敵わないかもしれない」
押し問答をしていると、突然、背筋に寒気が走った。
「見つけた……」
振り向く間もあらず、
ヘリアが飛びかかるよりも速く、
ジルコンが魔法を発動する暇もなかった。
あわや、魔物の死の呪いが姫君の背を貫こうとした時、一匹の猫がその間に身体を滑り込ませた。
「ニ゛ャッ……!」
呪いは猫に当たり、力なく床に倒れこむ。
「あ……!」
「この、魔物め! 結界があるのに、一体どこから入り込んだ!?」
ヘリアの豪快な剣技と、ジルコンの緻密な魔法により魔物は捕らえられたが、ネリーはその一部始終を見ていなかった。
身代わりになり倒れた猫を抱き上げて自分の寝台に寝かせると、治癒魔法をかけ始める。
「姫君……その猫は死の呪いを受けたのですから、もう……」
「いいえ、生きているわ。心臓は動いている」
「なんですって? そんな馬鹿な」
「集中したいから、部屋を出て。魔物を遠くへやってちょうだい。瘴気を少しでも薄くしないと」
「わかりました。行こう、ジルコン」
「はい……」
「なにかあったら、私は部屋の外に待機しているから、すぐに呼んでください」
「ええ」
ネリーは手のひらに魔力を込めて目を閉じ、集中する。
傷口からは瘴気が深く入り込んで、死の呪いの性質ゆえか簡単には浄化出来なかった。
集中を切らさず、少しずつ瘴気を取り除いていく。
ふとなにかが変化したような気がして目蓋を開くと、そこには猫ではなく、ぐったりと横たわる湖月の姿が。
「まさか、あなただったなんて」
ネリーは、額に巻かれている守り紐に目を留めた。
きっと、この守りのお陰で命が繋ぎ止められたのだろう。しかしまだ、生と死の境をさ迷っている。
「帰ってきて、湖月」
死の国から、どうか。




