第八章 記録は嘘をつかない
救出の前夜。
ティナは宿舎の部屋で、一人で机に向かっていた。ルディは隣室で装備の確認をしている。シーラは術式の最終調整。アンドレイは馬車の手配。それぞれが持ち場で準備を進めている。
ティナの前には、古文書の束があった。
アンドレイの協力で入手した、枢密院の内部資料の一部。「召喚記録」と題された文書群。本来なら最高機密に分類されるものだが、アンドレイが軍の情報部門に掛け合い、「凍牙の迷宮関連の調査」という名目で一部を持ち出してきた。全量ではない。百年分のうちの一部。しかし、それでも十分だった。
ティナは記録親和の力を込めて、古文書を読み取っていった。劣化したインク、かすれた文字、意図的に消されたかのような空白の行。しかし記録親和の力は、消された記録の痕跡すら拾い上げる。完全に消えたインクの残留魔力を辿り、元の文字を復元する。
一時間。二時間。三時間。
ティナの前に、リストが出来上がっていった。過去百年間に行われた異世界召喚のリスト。
名前。召喚日。召喚種別(転生型、転移型、混合型)。付与された恩寵。任務。そして――結末。
結末の欄を読むたびに、ティナの手が止まった。
「処分」。「任務中死亡」。「記録抹消」。「消息不明」。
百年間で確認できた召喚者は四十七名。そのうち、「生存」と記されている者は三名のみ。ルディ・グラヴナーを含めて。残りの四十四名は、死亡か処分か消息不明。
ティナは一人一人の名前を、日記帳に写し取った。記録親和の力を込めて。消えない文字で。一字も漏らさず。
名前を書くたびに、その人がこの世界にいた証拠が日記帳に刻まれる。枢密院が消した記録を、ティナの日記帳が保存する。消されたはずの人間が、日記帳の上で甦る。
これが記録親和の力だ。忘れないこと。なかったことにしないこと。
四十七名のリストの中に、ルディの名前を見つけたのは、四十二番目だった。
「召喚番号:CE-0512
召喚日:(四年前の日付)
種別:転生型
付与恩寵:定点回帰
任務:凍牙の迷宮攻略
想定運用期間:5年
処分予定:(空白)
備考:運用中。定点回帰により事実上の無限運用が可能。消耗率:高。精神的消耗に注意」
想定運用期間、五年。処分予定、空白。「まだ使える」から空白。
消耗率:高。精神的消耗に注意。
――注意。
ティナはその一語を見つめた。「注意」。注意はしている。しかし対策は取っていない。注意するだけで、何もしない。消耗していることは認識しているが、止める気はない。使えるうちは使う。壊れたら処分する。
ティナの指先が白くなるほど、ペンを握りしめた。
この記録を作った人間がいる。この文章を書いた人間がいる。「消耗率:高」と冷静に記録し、「精神的消耗に注意」と但し書きをつけた人間が。ルディが何十回も死んだ記憶に苦しんでいることを知りながら、それを管理データとして処理した人間が。
怒りが、腹の底から這い上がってきた。
しかしティナは怒りを飲み込んだ。今は怒る時間ではない。記録する時間だ。怒りは後で使う。記録は今使う。
リストの最後のほうに、コノハの名前を見つけた。
「召喚番号:CE-0523
召喚日:(数ヶ月前の日付)
種別:転移型
付与恩寵:浄化親和
任務:浄化業務(鉱山汚染処理、軍事施設瘴気処理、その他)
想定運用期間:1年
処分予定:運用期間終了後に検討
備考:浄化適性:極めて高。消耗率:極高。運用期間内の最大活用を優先」
想定運用期間、一年。消耗率、極高。運用期間内の最大活用を優先。
ティナは二ヶ月と見積もっていた。枢密院の記録では一年。しかし「消耗率:極高」と書いてある。一年もつとは思っていない。思っていないが、書類上は一年と書く。帳簿の粉飾と同じだ。実態と乖離した数字を書いて、問題を先送りにする。
「運用期間内の最大活用を優先」。つまり、壊れるまで使い尽くす。壊れたら次を召喚する。
ティナは日記帳にコノハの記録を写し取った。一字一句正確に。
そして、リストの下に一行書き加えた。
「処分予定:該当なし。――以上、添削完了です」
ルディに書いた言葉の再現。同じ言葉で、同じ意味で、もう一人の人間を「消耗品」のリストから消す。
扉をノックする音がした。ルディだ。
「ティナ。まだ起きてるか」
「はい。入ってください」
ルディが入ってきた。ティナの前に広がる古文書と、日記帳に写し取られたリストを見た。
「……これが、召喚記録か」
「はい。四十七名分。確認できた範囲で」
ルディはリストを読み始めた。名前を一つ一つ追っていく。表情が変わっていった。最初は怒り。次に悲しみ。そして、自分の名前を見つけたとき。
「想定運用期間五年。処分予定、空白。……空白、ね。まだ使えるから空白」
「ルディさん」
「わかってたよ。わかってた。あのとき、お前に『消耗品ではない』って言われたとき、たぶんどこかで気づいてた。俺は制度上は消耗品だって。でも、お前がそう言ってくれたから、制度がなんだって思えた」
「今もそう思っていますか」
「ああ。お前がいるから。俺は消耗品じゃない。お前がそう言ったから、俺はそうだ」
ティナはルディの手を取った。リストの上に、二人の手が重なった。四十七名の名前の上に。
「この記録は、明日使います」
「使う?」
「枢密院に突きつけます。コノハさんを助け出した後で。この記録を世に出せば、枢密院は召喚政策を続けられなくなる。証拠ですから」
「……お前、最初からそこまで考えてたのか」
「帳簿を読む人間は、記録の力を知っています。数字は嘘をつかない。記録は消えない。消したつもりでも、記録親和の前では消えない。――それがこの力の意味だと、母が言っていました」
ティナは日記帳を閉じた。四十七名の名前が、消えない文字で刻まれている。
「記録は嘘をつきません。あなたが消した記録を、私の日記帳は覚えています。百年分、全員の名前を」
この言葉を、明日、ヴァルターの前で言う。
ティナはペンを置き、灯りを消した。明日は長い一日になる。
しかしその前に、もう一つやるべきことがあった。
灯りを消す前に、ティナは古い日記帳を開いた。コノハへの最後の文通。救出の前夜の、最後のメッセージ。
「コノハさん。明日の夜、迎えに行きます。
具体的な時間と方法は、安全のためにここには書きません。ただ、一つだけ覚えておいてください。
明日の夜、部屋の扉が開いたら、私です。ユーリアさんも一緒です。
立てますか? 歩けますか? 正直に教えてください。無理はしないでください。歩けなければ、ルディさんが背負います」
コノハの返事は、数時間後に届いた。深夜の、震える筆跡で。
「ティナさん。本当に来てくれるんですね。
歩けます。たぶん。ゆっくりなら。
……嘘です。正直に書きます。立つのがやっとです。三回目の浄化のあとは膝が震えて、壁に手をつかないと歩けません。
でも、明日は二回でいいとユーリアさんが言ってくれました。いつもより体力が残っているはずです。
ティナさん。ルディさん。ありがとうございます。
私のために、こんなにたくさんの人が動いてくれるなんて。遺書を書いていたあの夜には、想像もできませんでした。
明日、待っています。扉が開くのを」
ティナは返事を読んで、ペンを取った。最後の一行。
「明日、必ず開けます。――苔のお茶は、明日で最後にしましょう。明後日からは、私の薬草茶をお出しします。温かいやつを」
日記帳を閉じた。
明日。すべてが動く。




