第二章 消耗品1
文通が始まって三日目。
コノハからの返事は毎日届くようになった。ティナが問いかけ、コノハが答える。ルディがティナの隣でそのやり取りを読み、前世の知識で補足する。三人の距離が、一日ごとに近づいていく。
コノハは「ルディさん」の存在を知って、明らかに変わった。文面から静かな絶望が薄れ、代わりに「ここから出たい」という意志が芽を出し始めている。
「ルディさんも日本からなんですね。……びっくりしました。こっちの世界に日本人が自分以外にもいるなんて。
ルディさんに聞いてもいいですか? この世界って、何なんですか。私、何も説明されていないんです。白い服を着せられて浄化しろって言われただけで」
ルディはティナの書斎で、日記帳を前に腕を組んだ。
「説明するか。……俺の知ってる範囲でだけど」
「お願いします。私が書き取ります」
ティナがペンを構えた。ルディが語る。この世界の仕組み、「恩寵」と呼ばれるスキルのこと、自分が転生して勇者として選ばれたときの経緯。ただし、ルディの口調はセーブデータの愚痴とは違っていた。コノハに伝えるために、不器用ながらも丁寧に言葉を選んでいる。
ティナがそれを日記帳に書き写す。ルディの口語を、コノハに読みやすいように整える。自然と「添削」の手が入る。
「ルディさん。『この世界ぶっちゃけクソゲー仕様なんだけど』は書き直していいですか」
「……好きにしろ」
「『この世界の仕組みは不条理な面がありますが、理解すれば対処は可能です』。これでいいですか」
「意味変わってないか?」
「事実は同じです。表現が違うだけです」
コノハの返事。
「ありがとうございます。すごくわかりやすかったです。ティナさんの文章が丁寧で読みやすくて、ルディさんの説明がリアルで。
……あの、ルディさん。一つ聞いてもいいですか。
自販機のホットココア、冬に飲むと最高じゃなかったですか。ホットココアが飲みたいです」
ルディは日記帳を覗き込み、目を見開いた。
「わかる。缶のやつだろ。手が温まるんだよな」
ティナがペンを持ったまま待っている。
「書くんですか、これを」
「書いてくれ。――こういう話ができるの、この世界で初めてなんだ」
ティナは黙ってルディの言葉を書き取った。ルディの声は少し掠れていた。前世の日常の、ほんの小さな記憶を共有できる相手が、初めて現れたのだ。
「缶のやつ、わかります。手に持って、ほっぺたに当てるのも好きでした。冬の朝、駅のホームで」
コノハの返事を読んだルディは、マフラーに顔を半分埋めた。
「……駅のホームのココアか。懐かしいな」
「駅のホームとは何ですか」
「電車を待つ場所だ。冬は寒くて、みんな自販機でココアとかコーヒーとか買って、手を温めながら電車が来るのを待つ」
「なるほど。……『でんしゃ』は以前副作用で概念を受信しました。鉄の箱が線路の上を走る乗り物ですよね。それを寒い場所で待つんですか。大変ですね」
「大変だったよ。朝の満員電車とか地獄だった」
「……それは副作用で受信したくないです」
ティナは会話を書き取りながら、少し置いてけぼりを食らっていた。ルディとコノハの間で交わされる「前世トーク」は、ティナには体験として理解できない領域だ。自販機のホットココアも、駅のホームも、満員電車も、ティナにとっては日記帳の副作用で流れ込んでくる断片的なイメージでしかない。
しかし――二人の声から伝わるものがあった。懐かしさ。もう戻れない場所への、静かな郷愁。ルディが前世の話をするときの声は、いつもとは違う柔らかさを帯びる。コノハの文面にも、同じ柔らかさがある。共有された記憶は、理屈を超えて人を繋ぐ。
「……二人だけでわかる話をしないでください」
ティナの苦情に、ルディは苦笑した。
「悪い。でも、こういう話ができるのが嬉しいんだよ。この世界に来てから、前世の話を誰にもできなかったから」
「それは理解します。ただ、私も会話に参加したいので、前世の話をするときは説明をつけてください。以前と同じです。意味不明な単語には注釈を」
「添削ルール、コノハにも適用されるのか……」
「当然です。文法は守ってください」
ティナの日記帳に、ルディの「添削ルール」が書き込まれた。コノハの返事は「わかりました。気をつけます」だったが、次の日の文面には早速「意味不明な単語」が二つ混じっていた(「コインランドリー」と「コンビニおにぎり」)。ティナは赤ペン代わりの傍線を引いて「注釈をつけてください」と書き添えた。
文通のやり取りが日常に溶け込むにつれて、コノハの文面は徐々に変化していった。
最初の遺書のような静かな絶望は影を潜め、代わりに「日常の報告」が増えていった。管理者ユーリアが今日はいつもより早く来たこと。浄化のサンプルがいつもと違う色だったこと。壁の苔が少し伸びたこと。食事のパンがいつもより硬かったこと。
どれも些細なことだ。しかしティナは知っている。些細な報告ができるということは、「明日もここにいる」ことを前提にしているということだ。遺書を書いていた人間が、日常を報告するようになった。それは大きな変化だ。
しかし同時に、コノハの体調に関する記述は悪化の一途を辿っていた。
「今日は浄化を三回やりました。三回目のあとに立てなくなって、床に座り込んでしまいました。
管理者のユーリアさんが、少しだけ手を貸してくれました。いつもは見ないふりをするのに、今日は私の腕を引いて寝台まで連れて行ってくれました。
……あの人、実は優しいのかもしれません。でも、優しくしちゃいけない立場なのかも」
ティナはこの記述を読んで、二つのことを考えた。
一つ目。コノハの身体の消耗が加速している。「立てなくなった」のは深刻な兆候だ。
二つ目。管理者ユーリア。この人物は、コノハに対して完全に冷徹ではない。「いつもは見ないふりをするのに、今日は手を貸した」。これはアンドレイと同じ構造だ。板挟みの中で、感情を殺して職務を遂行している。しかし完全に殺しきれない何かが、ときどき表に出る。
ティナは日記帳に返事を書いた。
「コノハさん。浄化の回数と体調の変化について、もう少し詳しく教えてください。一回の浄化でどのくらい疲れるか、回復にどのくらいかかるか、食事のあとはどうか。数字で教えてもらえると助かります。
――それと、ユーリアさんのこと。あなたの観察は正しいかもしれません。完全に冷たい人は、倒れた相手に手を貸しません」




