第二章 消耗品2
ティナの分析が始まった。
コノハに依頼した「数字での報告」が翌日から届き始めた。一回の浄化でどのくらい動けなくなるか。回復に何刻かかるか。食事の後とそうでないときの差。就寝前と起床後の体の冷たさの違い。
コノハは意外にも正確な報告を返してきた。「社会福祉を学んでいた」という背景が活きているのかもしれない。客観的に自分の状態を記録することに抵抗がない。
「浄化一回目(朝):終了後、約半刻は立てます。指先の痺れあり。
浄化二回目(昼):終了後、膝が震えます。約一刻は座ったまま動けません。
浄化三回目(夕方):終了後、意識が遠くなることがあります。寝台に辿り着けないこともあります。
食事後の回復は多少早いですが、食事量が少ないのであまり変わりません。
朝起きたとき、指先が白くなっています。氷に触れたみたいに。昼には少し戻りますが、完全には戻らなくなってきました」
ティナはこれを時系列の表にまとめた。帳簿の分析と同じ手法だ。縦軸に日付、横軸に各浄化後の症状と回復度。一週間分のデータを並べると、明確な傾向が見えた。
消耗が蓄積している。回復量が日を追うごとに減少している。体温低下が不可逆的に進行している。
ティナは分析メモを書いた。
「コノハさんの浄化記録を時系列で並べた。一回の浄化で体力が推定15-20%消耗。一日三回の浄化が常態化。回復が追いついていない。回復速度は一週間前と比較して約30%低下。
このペースが続けば、あと二ヶ月で身体が限界を迎える可能性が高い」
二ヶ月。
ティナはペンを置き、窓の外を見た。辺境の鉛色の空。
二ヶ月あれば何ができるか。二ヶ月で何を準備しなければならないか。帳簿の予算計画を立てるのと同じだ。ただし今回の「予算」は時間であり、「赤字」は人の命だ。
「ルディさん。コノハさんの状態はあと二ヶ月が限界です」
「……そんなに短いのか」
「数字はそう言っています。数字は嘘をつきません」
ルディは黙って天井を見上げた。
「二ヶ月か。……その前に助け出さないと」
「そのためにはまず、あの人がどこにいるか特定する必要があります。そしてそのためには、もっと情報がいる」
ティナは手紙を書き始めた。宛先はシーラ・ドルレアン。王都の宮廷魔導士。記録魔法の専門家にして、日記帳のリンク現象を分析した唯一の学者。
「シーラさんに来てもらいます。日記帳の新しいリンク現象の分析が必要です」
「また来るのか、あの人……。俺のこと実験動物にしないでくれよ」
「被験者です」
「お前もその言い方するのかよ」
同時に、ティナはコノハへの返事に、実用的な情報を書き込み始めた。遠隔サバイバル支援。日記帳越しにできることは限られているが、できることはある。
「コノハさん。あなたの部屋に水はありますか?」
「あります。水差しに飲み水が一杯」
「壁に苔が生えていると言いましたね。その苔の色を教えてください。深い緑色で、触ると少し粘りますか?」
「はい……そうです。どうしてわかるんですか?」
「おそらく『緑露苔』です。この世界ではわりとどこにでも生えます。水に浸して一刻ほど置いてから飲むと、多少の体力回復が見込めます。味は苦いですが、飲めないほどではありません」
「……お茶みたいなものですか」
「かなり不味いお茶です。でもないよりはましです。私は薬草の専門家です。あなたの部屋にあるもので、少しでも体力を維持する方法を考えます」
「ティナさんは薬草の専門家なんですか?」
「辺境伯令嬢で、薬草畑の管理者です。薬草の煎じ方には自信があります。うちの薬草茶は王都のどの茶館よりも美味しいと、学者に褒められました」
「……温かいお茶、飲みたいです。ここにはお湯がないので……」
「お湯を確保する方法を考えます。浄化能力で何かを温めることはできませんか?」
「やったことはないですけど……浄化って、不純物を取り除く力みたいなので、温めるのとは違う気がします」
「わかりました。別の方法を考えます」
ティナは薬草畑の知識を総動員し、コノハの環境で入手できそうな素材で体力を維持する方法を日記帳に書き込んでいった。壁の苔の利用法。食事のパンを小さくちぎって水に浸すことで消化を助ける方法。寝台の上で行える簡単な運動(血行を促進して体温低下を遅らせるため)。
コノハの返事は翌朝に届いた。
「緑露苔のお茶、作ってみました。すごく苦いですけど、飲んだあと少しだけ体が温かくなった気がします。
ティナさん。ありがとうございます。こんなこと、誰にも教えてもらえなかった。
……私、ここに来てからずっと、誰かに『大丈夫?』って聞かれたかったんだと思います。聞かれなかったから、大丈夫じゃないことにも気づけなかった」
ティナはその文面を読んで、ペンを持つ手を止めた。
――誰かに「大丈夫?」と聞かれたかった。聞かれなかったから、大丈夫じゃないことにも気づけなかった。
ルディと同じだ。ルディも、「大丈夫ですか」と聞く人間がいなかった。セーブデータに「慣れた」と書いていたのは、大丈夫でないことに蓋をしていたからだ。
そしてティナ自身も――十年間、領地を一人で回しながら、「大丈夫?」と聞いてくれる人はいなかった。日記帳だけが本音を預けられる場所で、それすら誰にも読まれないはずだった。
三人とも、同じだ。孤独の中で、記録だけが自分を繋ぎ止めていた。
ある夜のこと。ルディがコノハ宛ての文面を口述しているとき、ふと言った。
「なあ、コノハ。こっちの世界に来て、一番辛いことって何だ」
ティナがその言葉を日記帳に書き取った。
翌朝のコノハの返事。
「一番辛いのは、自分が何者かわからなくなることです。
日本にいた頃は、大学生で、ボランティアをしていて、友達がいて、家族がいて。自分が何者かは考えなくても知っていました。
ここでは『聖女』としか呼ばれません。名前で呼ばれたのは、ティナさんが初めてです。
名前を呼んでもらえるって、こんなに嬉しいことだったんですね。知らなかったです」
ティナは返事を書いた。
「コノハさん。あなたは聖女である前に、糸井好葉さんです。この日記帳の中では、名前で呼びます。いつでも」
ルディが隣で小さく呟いた。
「お前、ほんとそういうの上手いよな」
「何がですか」
「一番大事なことを、さらっと書くとこ」
「さらっとではありません。考えて書いています」
「だからすごいんだよ」
ティナは少しだけ頬が温かくなるのを感じたが、日記帳に向き直って次の質問を書いた。感情を棚に上げるのは得意だ。棚は崩壊したはずだが、いつの間にか補修されていた。必要に迫られると人間はどんな棚でも直すものだ。




