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勇者のセーブデータが私の日記帳に上書きされるんですが  作者: 四宮 あおい
聖女の遺書が私の日記帳に届くんですが

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第一章 遺書2

 翌朝。


 ティナはいつもより早く目を覚ました。正確に言えば、ほとんど眠れなかった。薬草畑の巡回を済ませ、朝食の支度をし、父の部屋の窓を閉め(案の定開いていた)、それから書斎に入った。


 日記帳を開く。


 心臓が跳ねた。


 ティナの問いかけの下に、返事が書かれていた。薄紫の文字。昨夜より少しだけ筆圧が強い。動揺が文字に表れている。



「えっ……返事が来た……? 嘘、ですよね。これ、私の幻覚じゃないですよね。

 ずっと一人で、壁に話しかけるくらいしかすることがなくて、ついに幻覚が見え始めたのかと思いました。

 辺境伯令嬢……? すみません、何のことかわかりません。ここがどこの国かも知らないんです。

 でも、もし本当に誰かがこれを読んでいるなら。

 お願いです。もう少しだけ話してください。声を聞きたい。文字でもいいから」



 ティナはペンを取った。指先に力を込めすぎないように注意しながら、丁寧に書く。



「幻覚ではありません。私はティナ・ロッシュといいます。この日記帳は、どういう仕組みかはまだわかりませんが、離れた場所にいる人の記録を受信する力を持っています。あなたの文章が届いたのは、昨夜が初めてです。

 状況を教えていただけますか。あなたがいる場所のこと、『浄化』のこと、体調のこと。できるだけ詳しく」



 書き終えてから、もう一行だけ書き足した。



「それと、遺書は撤回してください。まだ早いと言ったのは本気です」



 ルディが書斎に入ってきた。朝の薪割りを終えたばかりで、額に汗をかいている。ティナの表情を見て、すぐに日記帳を覗き込んだ。


「返事、来たか」


「来ました。この人は……自分がどこにいるかも知らないそうです」


 ルディは返事を読み、顔をしかめた。


「一人で、壁に話しかけてた、か……」


 その呟きに含まれる重みを、ティナは聞き逃さなかった。ルディもまた、孤独の中でセーブデータに愚痴を書き続けていた人間だ。「誰にも読まれないはずの場所に本音を書く」という行為の意味を、彼は誰よりも知っている。


「ルディさん。この人の名前は『糸井好葉』と読むんですか?」


「いとい このは、だろうな。日本の名前だ。――でも今は名前の話じゃなくて、この人がどこにいるかだ。『白い服を着せられて浄化させられてる』って書いてある。王国に『聖女』って制度があるの、聞いたことあるか?」


「聖女? いいえ……。勇者は知っていますが、聖女は聞いたことがありません」


「俺も公式には聞いてない。けど、軍にいたとき、一回だけ噂を聞いたことがある。『枢密院が非公式に召喚した浄化能力者がいる』って。勇者と違って表に出さない。公にはいないことになってる存在」


「……なぜ隠す必要があるんですか」


「使い方が、表に出せないようなもんだからだろ」


 ルディの声が低くなった。怒りを押し殺すときの声。セーブデータに書かれた愚痴の裏にある、本当の感情。


 ティナは日記帳を閉じ、帳簿を前に引き寄せる動作をした。問題を分析するときの習慣だ。帳簿がなくても、思考の手順は同じ。


「整理します。わかっていること。一、この人は日本から転移してきた21歳の女性。二、『聖女』として浄化能力を持たされている。三、窓のない地下室のような場所に幽閉されている。四、毎日浄化作業を強制され、身体が衰弱している。五、自分がどこにいるかも知らない。六、ステータス画面もセーブ&ロードもない」


「完璧なまとめだな。帳簿みたいに」


「帳簿です。命に関わる帳簿です」


 ティナの声は平坦だったが、目は据わっていた。ルディはその目を知っている。攻略記録を作ると決めたときの目。不可能に見える問題に対して、手持ちの情報で答えを出すと決めたときの目。


「ティナ。まだ情報が足りない。焦るな」


「焦っていません。ただ――この人の文章を読んで思いました。『体がどんどん冷たくなる』『指先の感覚がなくなってきた』。これは浄化の消耗による症状だとすれば、時間の猶予がそう長くない可能性があります」


「……ああ。俺もそう思う」


「次の返事で、もっと具体的な状況を聞き出します。この人が信頼してくれるかどうか、が鍵です」


「信頼か……。俺のときはどうだったっけ。お前に信頼されるまで」


「あなたは最初から本音をダダ漏れにしていたでしょう。セーブデータに。信頼以前の問題です」


「…………それは否定できない」



 その日の夜。返事が届いた。


 コノハの文面は、朝よりも長かった。ティナが丁寧に問いかけたことで、少しだけ警戒が解けたのだろう。文面の端々に、まだ残っている戸惑いと、しかし確かに芽生えた「もしかしたら」という希望が混じっている。



「ティナさん。本当にいるんですね。幻覚じゃなかったんですね。

 すみません、何度も確認してしまって。

 状況をお話しします。私が覚えていることを全部。


 私は日本の大学生でした。社会福祉を学んでいて、児童養護施設でボランティアをしていました。ある日の夜、大学からの帰り道で急に視界が真っ白になって……気がついたら、石の床の上にいました。


 目の前に、黒い服を着た人たちが立っていました。一人が『聖女の召喚、成功。浄化適性、極めて高い』と言いました。


 それから白い服を着せられて、地下の部屋に入れられました。窓がありません。石の壁と石の天井。寝台が一つと、水差しが一つ。


 毎日、管理者の女性が来ます。ユーリアさんという人です。冷たい人ですが、乱暴ではありません。事務的です。『本日の浄化スケジュールです』と言って、容器を渡されます。中に入っているのは……黒い液体とか、紫色の粉とか、よくわかりません。それに手をかざすと、体の奥から何かが引き出される感覚があって、容器の中のものが透明になります。浄化、だそうです。


 一回やるとすごく疲れます。立てなくなることもあります。でも一日に三回はやらされます。食事は一日二回。パンと水と、たまにスープ。


 ここがどこの国の何という場所なのか、聞いても教えてもらえません。『知る必要はありません』と言われました。


 ……最近、体が冷たいんです。浄化をするたびに、少しずつ体温が下がっているような気がします。指先が白くなってきました。これが普通なのか、異常なのかもわかりません。比べる相手がいないから。


 ティナさん。私はここから出られるんでしょうか」



 ティナは日記帳を膝の上に載せ、最後の一行を何度も読んだ。


 ――私はここから出られるんでしょうか


 その問いに対して、ティナにはまだ「はい」と答える根拠がない。相手がどこにいるかもわからない。敵の正体も規模もわからない。情報が足りない。


 でも。


「出られます」


 ティナは声に出して言った。書斎に一人で。それから、日記帳にペンを走らせた。



「コノハさん。――お名前で呼んでもいいですか。

 詳しく教えてくださって、ありがとうございます。状況は深刻ですが、あなたが冷静に説明してくれたおかげで、考える材料ができました。


 一つお伝えしたいことがあります。あなたと同じように、別の世界から来た人が、今、私の隣にいます。名前はルディ・グラヴナーといいます。この国の勇者です。彼もあなたと同じ日本から来ました。


 あなたは一人ではありません。少なくとも、日記帳のこちら側には二人います」



 書き終えて、ティナはルディに日記帳を見せた。ルディは黙って読んだ。


「……俺のこと書いてくれたのか」


「一人ではないと伝えたかったので。あなたも日本から来たと書けば、それだけで少しは安心するのではないかと」


「……ああ。俺だったら、安心する」


 ルディの声がかすかに掠れていた。自分が転生したとき、一番辛かったのは孤独だったことを、彼は覚えている。前世の言葉が通じる人間がいない世界。愚痴を書いても誰にも読まれない日々。それが日記帳を通じてティナに繋がったとき、世界が変わった。


 今度は、コノハに同じことをする番だ。


 ティナは灯りを消さず、日記帳を開いたまま書斎を出た。明日の朝、返事が届いているだろう。


 廊下で、父ホルストとすれ違った。のんびりした顔で、水差しを持っている。夜中に水を飲みに来たらしい。


「ふむ。ティナ、まだ起きていたか」


「少し仕事をしていました」


「帳簿かね」


「……日記帳です」


「ふむ。また日記帳に誰か住みついたか」


 ティナは一瞬言葉に詰まった。父の観察眼を甘く見てはいけない。


「……住みついたというか」


「ふむ。まあ、お前の日記帳は母さんの形見だからな。母さんは昔から、困っている人を放っておけない人だった。日記帳もそうなったのだろう」


 ホルストはのんびりと水を飲み、ティナの頭を片手でぽんと撫でた。


「寝なさい。困っている人を助けるにも、体力がいる」


「……はい。おやすみなさい、父上」


「おやすみ。――ところで、勇者殿は今夜もうちに泊まるのかね」


「住んでいるんです、父上」


「ふむ。住んでいるか。それなら安心だ」


 ホルストはのんびりと二階へ戻っていった。


 ティナは廊下に立ったまま、小さくため息をついた。




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