9.一人前のパティシエーヌ
クロエは、ぐっと言葉に詰まった。
「た、確かにそうですけど……」
「どんな馬鹿息子でも、自分の子どもはかわいいもんさ」
「……」
「だから復讐とか何とか、馬鹿な真似はするな。クロエはクロエの力で、成すべきことをするんだ」
クロエは首を傾げた。
「成すべきこと?」
「その馬鹿息子のことは忘れて、自分の人生を再出発しろって言ってるんだよ。馬鹿のことを考えている時間が勿体ない。それに……」
猟師は少し考えてから、続けた。
「エルマーさんは、クロエにそんなことは望んでないと思うよ」
クロエはどきりとする。
彼女は動揺を誤魔化すように、鍋に煮えている冷めかけのたんぽぽ茶に口を付けた。
「うーん。それを言われちゃうと……」
「クロエの苦悩は分かるけど、エルマーさんはそんなことをさせるために君を一人前のパティシエーヌにしたわけじゃないだろう」
「……」
「はあ、食った食った。恩返しとやらは済んだかな?」
「はい……」
「俺は猟以外に、この村の自警団のような仕事もしている。しばらくパトロールがてらここにも寄るようにするから、何か不便があったら言ってくれ」
クロエは、ちょっとその言葉に引っかかった。
「村……?パトロール……?」
「ああ。この山間部は、めちゃくちゃ広いけどひとつの村なんだ。かつてはとある伯爵の領土だったが、没落してね。山が切り売りにされた。俺はそのひとつを買って住んでいる。他の住民も、そうやって山を買って暮らしているんだよ」
「へー!」
クロエはどきどきと胸を鳴らした。
「あの山もこの山も、個人の持ち物なのね?素敵」
「ああ。自分の土地だから、犯罪以外は何をやってもいいんだ。何を建ててもいいし、植えてもいいし、切り倒してもいい。全てが自由!」
「いいなぁ~」
「あ。この山は俺のものだから、クロエは好き勝手にするんじゃないぞ」
「えー……」
クロエは出鼻をくじかれてがっかりしたが、
「暮らしに足りないものはないか?村人の廃材や不用品を集めて来てやるが」
との申し出に、再び目に光が宿る。
「布団と──あと食器が欲しいです。それから、食材!」
「言っておくけど、こんな山の中にいるのは全員貧乏だから寄越すのはゴミばかりだよ?」
「ゴミで構いません。使えれば!」
「じゃあ、あったら玄関先に置いとくから」
「はい!」
「それと……別の街で働きたくなったら下山の旨を教えてくれ。カルルに乗せて山を下りる」
「え……?はい……」
クロエは先のことを考えようとしたが、なぜだか何も思い浮かばなかった。
(私、まだ例のショックから立ち直れていないのかな……)
エルマーの死。ライナーの横暴ぶり。解雇。誘拐。廃屋での暮らし。見知らぬ猟師の登場。
全部が全部突然すぎて、心がついて行かないのだ。
(そういう点では、今みたいに山の中にひとりっていう環境は、いい状況なのかもしれないわ。聖母教会や街なかにいると、きっと気持ちが焦り続けるに違いないから)
ある意味、これは人生の休暇期間なのだろう。
(嫌になるまで、山暮らしを楽しんでみるか。都会の喧騒を離れたことで、何か新しい発見があるかもしれないし)
贅沢が出来ないのは、街なかでも山でも同じことだ。
クロエはどうにか気分を落とさないように、現状を前向きに考えようとした。
「ごちそうさま。じゃあ、今日のところはこれで」
青年は立ち上がると、カルルに乗って夜空へ飛び立って行く。
クロエは薪の火が燃え尽きたのを確認し、板の間に横になった。
(はあ……早くベッドが欲しい)
次の日。
朝日が昇ると、クロエは昨日の鹿肉の串焼きの残りをもぐもぐと食べた。
とりあえず外に出てみると、遠くに低山が連なって見える。
息を吸う。山の、青く美味しい空気が喉を癒した。
「あの山ひとつひとつが、誰かの土地なのね」
王都で見るより山々のスケールが大きく迫り、クロエの胸を打つ。
よくよく目を凝らしてみると、山にはそれぞれ家や小屋が見えた。中には開墾して、果物や茶畑を作っている山肌も見られた。
それぞれの田舎暮らしがそこにある。
「私も自分の山を持とうかしら。でも、どうやればいいんだろう?」
売りに出されていたということだから、きっとどこかに山を扱う不動産屋などがあるに違いない。
「知り合いがさっきの猟師さんしかいないのも不安だわ。交流を広げてみようっと」
クロエはまず、山の麓にある別の小屋に目を付けた。ここから一番近いのは、あの小屋だ。
小屋の周りをぐるりと取り囲むように、怪しい木箱が散乱しているが……
「よしっ」
クロエは朝日と共に山を下りる。
世間知らずの少女は、大冒険が始まる予感に胸を躍らせた。




