63.王妃のクッキング
クロエは言った。
「アルベールなら、この古代文字が分かるかもしれないわ。あの人、小屋にたくさんの書物を収納していたもの。きっと物知りよ。私、ちょっと聞いてみる」
ライナーは逡巡したが、クロエに鍵を手渡した。
「いいけど……見つかっても、知らないからな」
「あなたが持っている方が危ないわ。信用がないんだから、即疑われてしまう」
「……そう言われれば、そうか」
クロエは受け取った鍵をポケットにしまった。
「あと、あの天井に空気穴があるんだ。この真上が王族用の牢らしい。ここからアルベールの声が聞こえるんだよ」
ライナーはそう言って天使の天井画を指さした。
「もしかしたら、この穴から話しかければこっちの声が聞こえるかもな」
クロエは大急ぎで脚立を持って来ると、穴に囁いた。
「アルベール」
ライナーは階段の下から、心配そうにその様子をじっと見つめている。
クロエが穴に耳を澄ませると──
「……クロエ?」
遠慮がちな声が帰って来る。クロエの顔に、笑顔が戻った。
「……通じた!」
ライナーが割って入る。
「おい、それぐらいにしておけ。見張りの兵士にバレたら元も子もない」
クロエは名残惜しそうに脚立を下りた。
「地下墓地……不思議な場所ね」
二人は地下墓地を出た。
クロエは厨房へ入ると、アルベールのためにお菓子を作る。
今日はりんごのケーキだ。
アップルフィリングを作る。りんごをうす切りにし、バターで炒め、砂糖を加えて煮詰める。
いつものパウンドケーキにアップルフィリングを加えて混ぜる。甘酸っぱい香りが鼻孔をくすぐった。
(この鍵に彫ってある文字は、何かしら)
クロエは周囲に人がいないことを確認すると、鍵の上に紙を置いて木炭でこする。
紙に鍵の文字が転写された。その紙を入れて、ケーキを焼く。
クロエはそのケーキは切り分けることなく、冷ましておいた。
すると──
「探したわよ。ずいぶんと来るのが早かったのね?」
女性の声がして、クロエはおっかなびっくり振り返った。
そこには、王妃アデリナがいた。後方から、慌てて使用人がついてくる。
「は、はい。アルベール様から依頼されて、りんごのケーキを焼いておりました」
「それも美味しそうね!ところで、今日は蜂蜜ケーキを一緒に焼いてくれるんでしょう?」
クロエは笑顔で頷いた。
「もちろんです!」
「ふふっ。私、お茶会以外でもっとあなたと話がしたかったのよ」
どうやらアデリナはクロエのことを気に入ったらしい。
「でも、私が手を出したら味が落ちない?大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
「じゃあ、早速教えて?」
使用人が慌ててコックコートを持って来る。てきぱきとアデリナのドレスにコックコートが被せられた。
「まず、小麦粉をふるいにかけます」
「ふるいって、この丸いの?」
「はい。細かくなったものは、この紙の上に落とします」
アデリナは真剣な顔で小麦粉をふるいにかける。
「わあっ。粉がふわふわになったわ」
「次は、卵と牛乳を混ぜます」
「えっ、何この卵。黄身が赤い!」
「ふふっ。山で取れた、特別な卵なんです」
アデリナは牛乳と卵を混ぜ合わせた。
「混ざったわ。次は?」
「そこに粉を入れて、へらでさっくり混ぜます」
「さっくりって……どういう感じ?」
「練ったらいけない、ということです。切るように混ぜます」
「ここは、テクニックが必要になるのね」
アデリナは慣れない手つきでへらを前後に動かした。まるで混ざっていない。
「アデリナ様。へらを斜めに入れてから、ボウルごと動かすといいかもしれません」
「あっ。それ、いいアイデアね」
アデリナはボウルを回しながらへらを上下に動かした。
「混ざって来たわ」
「ここでバターと蜂蜜を入れましょう」
黄金色の蜂蜜とふやけたバターを投入すると、山の甘味の香りがした。
「ああっ、まだ焼いてないのにいい香りがする!」
「これも特別な蜂蜜なんです」
材料を混ぜたら、次はパウンド型にバターを塗る。
「そうか。こうしておけば、ケーキを取り出しやすいわね」
アデリナは好奇心旺盛で、いちいち感心している。
「では、焼いてみましょう」
クロエは火を起こしたオーブンに蜂蜜ケーキを入れた。
しばらく時間がかかる。クロエは少し落ち着きなく王妃に言った。
「焼き上がりまで時間があります。私、その間にちょっとアルベール様にりんごのケーキをお届けしに行きますね」
「あら、そう。行ってらっしゃい」
クロエはそそくさとまだ温かいケーキを籠の中に入れると、恐る恐る厨房を出た。
移動中のクロエは、気が気ではない。
地下二階の牢にやって来た。
話が通っていたので、すぐにアルベールの牢の前に辿り着く。
クロエはしゃがみこむと、皿に乗せたりんごのケーキを下の扉から差し入れた。
「ありがとう」
アルベールの声がする。
ふと手と手が触れて、クロエはハッと息を呑んだ。
皿の下で小さな紙が、クロエの手に握らされている。
心臓が爆発しそうになりながら、クロエはアルベールから紙を受け取った。
そして何食わぬ顔をして、牢から遠ざかる。
心臓はずっとぐらぐらと震えていた。
(早く紙の中身を読みたい。でも、王妃様の待つ厨房に早く戻らないと……!)




