55.決死のライナー
辻馬車は王宮の前で止まる。
クロエはくたびれた顔で籠を抱え、歩き出した。
衛兵に王宮からの招待状を見せ、中に入る。
初めて入る王宮だ。頭の中の図面を思い出しながら、クロエは衛兵に連れられ謁見室へと入って行く。
ライナーは少し遅れてあとに続いた。
謁見の間には、既にオディロン国王と王妃アデリナが座っていた。クロエは覚えたてのカーテシーを披露する。
王が口を開いた。
「君が〝山奥カフェ〟のクロエか」
クロエは言った。
「初めまして。私はクロエ……〝山奥カフェ〟のパティシエールです」
「ふむ。そして後ろのは──」
ライナーがどこか気まずそうに微笑む。オディロンは忌々し気に吐き捨てた。
「ライナー。なぜ、お前がここにいる?」
王は明らかに苛ついている。クロエが慌てて言った。
「彼は、助手です。現在私の舌が味覚障害になっておりまして、味見係として急遽古巣のラベイユから呼び寄せました」
「果たして役に立つのか?こいつの舌だ、そんな大したことはなかろう。あんなマズいケーキを作るのだからな」
噂には聞いていたが、ライナーは国王にひどく嫌われているようだ。
(このままじゃ、ライナーは追い出されるかも……)
アルベールを助ける可能性に賭けて人数は多い方がいいと思って連れて来たが、ここまで嫌われているとは思わなかった。
オディロンは王妃に水を向けた。
「アデリナはどう思う?」
アデリナはきっぱりと言った。
「あの男は嫌いだわ。味なら私がみてあげるから、そいつをとっとと城からつまみ出してちょうだい」
「……ということだ、ライナー」
クロエは、うつむいて冷や汗をかいているライナーを見つめた。
(……ど、どうしよう?)
クロエは何か言おうとして、口ごもる。
この男は、口からの出まかせなら一級品だ。この事態を打開できるのは、クロエよりもライナーだろう。
ライナーは何か唸るように考えると、急に顔を上げてこう言った。
「クロエは今、味覚障害で不安がっています。私は菓子作りに関わらなくて構いません。しかし、彼女の心身のためにも、彼女がいる間、城内に滞在させていただいて構いませんか?クロエの味覚が回復するまで、雑用でも芸でも、何でもしますから……!」
ラベイユ再建のため、ついにそのちっぽけなプライドをかなぐり捨てたらしい。普通は王族に盾突いたらただでは済まないが、ライナーは死を覚悟してまで彼らに追いすがったのだ。クロエはまだこの男を許せはしないが、「敵ながらアッパレ」だと思った。
王妃は王と困惑気味に視線を交わす。
「クロエはライナーがいないと、困るの?」
その問いに、クロエもしかたなく嘘をついた。
「はい。知り合いが皆無の王宮にたったひとりきりでは、心もとなく……」
「んー……そこまでクロエが不安がってるというなら、仕方がないわね」
王妃はそう呟くと、王に言った。
「ライナーは、小間使いか使い走りにでもすればいいわ。味見は私がする」
「アデリナがそれでいいなら、そうするか。こいつはなるべく君の目に入らないような場所に行かせよう。それでいいか?クロエ」
話はまとまったようだ。クロエはホッと息を吐いた。
「はい、そのようにしていただけると助かります」
すると王妃が立ち上がり、じっくりとクロエの足先から頭までを眺める。
「……ちょっとあなた。せっかくいいケーキを作る才能があるのに、近くで見るとずいぶんみすぼらしいわね」
クロエは青くなったが、王妃の次の言葉は思いがけないものだった。
「土臭いから、王族用の大浴場に連れて行って洗ってもらいなさい。その間に、王宮のお針子にあなたの服を作らせるわ。しばらく私の視界に入るのだから、美麗・清潔でいることが最低条件よ。いいわね?」
クロエはこくこくと頷いた。着た切り雀のクロエだったが、ここにきて新しい服が手に入るようだ。
オディロンが衛兵に告げる。
「クロエを大浴場に連れて行け。ライナーは、使用人待機所に連れて行くんだ」
ここでいったん、ライナーとはお別れだ。
ライナーはクロエをちらちらと振り返りながら、不安げに衛兵に連れられて行く。
クロエは振り返らなかったが、顔はずっと緊張していた。
王族用の大浴場に入れるのは、王族と王族に招かれた者だけだ。
クロエは使用人たちにてきぱきと脱がされ、汚れた服は没収された。
見たこともない泡風呂に入ると、使用人たちはせっせとクロエを洗い上げた。
シャボンの香りがクロエの肺を満たしていく。初めての感覚だ。
(な、なんて贅沢……!)
泡風呂から出されると、バスローブを着せられて今度はお針子の部屋に入る。
既に何着か服が用意されていて、クロエの体形をメジャーで測りながらお針子は既製服をお直しする。
まずは体にぴったり沿う、シンプルな黒いドレスが着せられた。
その上から、オシャレ着に見えなくもない白いスモックドレスが被せられる。
更に化粧室に連れて行かれ、髪を結わえてもらう。クロエの銀色の髪はまず三つ編みに整えられ、謎の手わざで後頭部に押し込められた。これで全く髪が落ちて来ないというわけだ。
最後に、申し訳程度に唇に紅を引かれた。
これにて〝王宮用のクロエ〟が完成した。
クロエは恐る恐る姿見を覗き込んだ。
見たこともない、高貴な自分がそこにいる──
クロエは不安になって来た。
(こんな贅沢を毎日している王族が、本当に私の作るケーキなんかで満足してくれるのかな……?)




