52.残されたもの
クロエはその紙を両手で持ち上げた。
そして、アンナに尋ねる。
「アンナさんは確か、元貴族でしたよね?」
「ええ、まあ」
「この間取りに、見覚えはありますか?」
アンナは老眼らしく、何度か顔に近づけたり離したりしながら眺め、はっきりとこう言った。
「これは……ヴァルテルミ王宮の内部ね。私、何度か舞踏会のためにここへ行ったことがあるの」
「へー……」
「よくこんな細部まで描いた見取り図を持っていたものね」
「これは彼にとって敵国の王宮内部ですから、何か戦時に逆転劇のようなことを考えていたのかも……」
「ああ、それはありうるわね。でもまあ、王子ひとりでどうにかできるような戦況ではなかったけど」
意外とあっさりアンナはそう言った。かつては貴族の娘だったので、そういった情勢にはクロエより詳しいのだろう。
クロエは、その平面図を丁寧に畳んで懐に入れた。
「あとは……これは、家系図ですかね?」
「いくつか斜線が引いてあるのは、きっと戦死または処刑された人々ね」
アルベールの一家は、彼以外全員亡くなっていた。
そしてどうやら、兄弟の中ではアルベールの母親だけが違うらしい。
「アルベール王子だけ、お母様が違うんですね?」
クロエの問いに、アンナが答えた。
「ええ。確か以前、猟師さんから、母親は彼を産んですぐ亡くなってしまったと聞いたことがあるわ。その後、父親に新たな後妻さんが来たのだとか」
「へー」
「この家系図は、その話と合致している。アルベール王子はきっと苦労人ね……」
クロエはその家系図も懐に入れた。
何か今後、これが彼を助けるヒントになるかもしれない。それに、アルベールの筆跡があるものが、これぐらいしか見当たらなかったのだ。
色んな可能性を考えて更に引き出しを漁ってみたが、何本かペンが転がっているだけだった。
彼の持ち物は、ほとんどなかった。身分がバレるのを恐れたのだろうか。猟銃がわずかに残されているばかりだ。
クロエは猟銃から銃弾を外し、ポケットに入れた。山奥カフェの銃にも入るものだ。護身用にはなるだろう。
「大量の本と、紙……彼の持ち物は、これぐらいしかないみたいです」
「彼は何かしらの痕跡を残さないよう、最小限のモノで生活していたのよ、きっと」
二人は小屋を出た。
あまりにも寂しい小屋だった。こんなところにずっと若い頃から隠れ住んでいなければならなかった彼のことを思うと、クロエの胸は悲しみにきしむ。
カフェの方向へ歩きながら、アンナは言った。
「あの子、大変な生活をしていたようだけど……クロエと過ごしたことは、とても彼の人生において素晴らしい経験だったんじゃないかと思うの」
クロエは歩きながら、赤くなった目をこすった。
「だから、その……あんまり危険な行動はしないでね。あなたがいなくなったら、アルベール王子も私も……とても辛くなると思うから」
何か先の予感を見据え、アンナはそう忠告した。
「はい」
そう答えたものの、クロエの心は次第に王宮へと移って行く。
アルベールはきっと王宮にいる。そしてここに、内部構造図もある。
(アルベールを助けたい)
口の中は、絶望からか、ずっとざらついている。
彼が処刑されるヴィジョンが浮かんでは、クロエは頭の中からそれを打ち消した。
(そうよ。どんな手を使ってでも──命をかけてでも、私はアルベールを助けたい。彼の命がある内に)
そう思った瞬間。
クロエの脳裏に、忌わしいあの男の顔とあの言葉がよみがえった。
──あの兄ちゃんを取り戻したいなら、こんなところで泣いてないで、どんな汚い手でも使えよ!──
クロエは山奥カフェに戻ると、王宮の平面図を頭の中に叩き込んだ。
今日もまた、性懲りもなくあのイカレた男がやって来る。
「クロエ!いい加減に素直になって、ラベイユに戻って来いよ。最近ケーキを焼いてないし、どうせ全然儲かってないんだろう?」
しかしクロエは、ライナーにもう苛立ったりはしない。
「どうしても、戻って来て欲しい?」
「当たり前だろ。この山の食材を仕入れられるのは、今はクロエしかいないんだから」
「じゃあ……あなたに、頼みがあるの」
クロエはそう言うと、王宮の平面図を広げた。
ライナーは首を傾げながら、その図に見入る。
「何だよこれ」
「王宮の間取りよ。まず、これを覚えて頭に叩き込んで欲しいの」
「ああ、どうりで見覚えがある図面なわけだ。俺は以前王宮に行ったから、部屋の位置が何となく分かるぞ」
階ごとに図がある。それをめくりながら彼は言った。
「で?これを覚えたら帰って来てくれるのか?」
「いいえ。まだ、やって欲しいことが残ってるわ」
「ふーん?」
「アルベールを、一緒に取り戻してほしいの」
ライナーは平面図からさっと顔を上げた。
クロエの目は、彼を値踏みするように睨み上げている。
「は?まさか、本気で?」
「そうよね、無理言ってごめんなさい。もういいわ、私ひとりでやるから……早く帰って」
さすがのライナーも青くなる。
「……下手うったら死ぬぞ」
「別に……死んでもいいし」
「!! 待て待て待て!!クロエが死んだら、また材料が手に入らなくなるじゃないか……!」
そこまで言って、ライナーは肩でひとつ、大きく息を吸った。
「あっ!それってつまり……俺がアルベール王子救出を手伝って成功したら、クロエはラベイユに食材ごと戻ってきてくれる……ってことか?」
クロエは、覚悟の決まった顔で小さく頷いた。




