51.怒りが原動力
「いるんだろ?返事しろ!」
その声に、アンナも青くなる。
クロエはアンナの顔を覗いた。
「あっ!そっか。アンナさん、こういう男の人、嫌いですよね?」
「……!」
「私がすぐに追い出します。奥へ引っ込んでください」
クロエはアンナに退避を促すと、毅然として扉を開けた。
そこには、ライナーが立っていた。
「話は聞いたぞ。王宮へ呼ばれたらしいな?」
「盗み聞きしてたの?あなたに話すことなんかない。出て行って」
「味を感じなくなっているんだって?俺の舌は確かだから、協力してやろう」
「王室御用達証を剥奪された程度の味覚の持ち主が、何ですって?」
そう言い返されると、ライナーは急に弱った。
「知ってたのか」
「お噂はかねがね」
「しかし、蜂蜜ケーキばかり焼いてるわけにはいかないだろう。きっと王妃様は、ほかの菓子もご所望になる。その時、俺の舌がないと……」
クロエは平然と扉を閉めようとする。その扉に、ライナーが上半身ごと突っ込んできた。
「待てってば!舌の感覚もないのに、そんな複雑なミッションをこなせるか?」
「やってみなきゃ、分からないでしょう」
それに、こんな乱暴者を城内に引き入れたらクロエの方こそ危ないではないか。
扉を無理矢理閉めようとしたがライナーがどかないので、彼はしまいには「ぐえ」と扉に肺を押し潰されていた。
山の下の方から、モイズが走って来る。
「馬鹿ー!そっちへ行くなと言っただろ!」
「モイズさん、この山奥カフェでご飯にしましょう」
「ば、馬鹿!」
モイズは人でなしのライナーを監視し続けているせいか、語彙力が消失している。
「弱ってるクロエに余計なことをさせるな!こいつ、家畜より言うことを聞きゃしねぇ」
「ライナー、あなたに作る食事はないわ。ところでモイズさん。パティシエールとして陛下から王宮に呼ばれたのだけど、どうすればいいかしら?」
元貴族のモイズは目を見開いた。
「そりゃあ凄いことだな!職人として呼ばれたのなら、服装なんかは気にしなくていいはずだ。だが……王宮で山奥カフェの味を再現できるのか?」
モイズの隣で、ライナーが情報を盗もうと耳をそばだてている。
クロエは、材料の秘密を彼に悟られないようにしなければと思った。
彼女は言った。
「やってみるわ。駄目で元々よ」
モイズは頷くとライナーの首根っこを掴み、ひきずって帰って行く。
クロエが山奥カフェに戻ると、隠れていたアンナが出て来た。
「蜂蜜の用意はあるわよ。でも、王宮へ定期的に運ぶことは不可能よ」
クロエが言う。
「私、そこまで長く王宮にはいないと思うわ。ここからケーキをお届けできればいいと思ってるの」
「そうね、クリストフの卵も定期的には運べないでしょう。……ところで、元気は戻って来たかしら?」
クロエはふと我に返った。
どうやらライナーへの怒りで、体が勝手に動き出したらしい。
「!はい……何とか」
「ふふふ。若いって、いいわね。年を取ると怒りで体調を崩すけど、若いと怒りで奮起出来るのよね」
嫌な奮起の仕方ではあるが、それでクロエはようやく頭が回り出した。
「そうだわ。ねえ、アンナさん。アルベールがどこに住んでたか知ってますか?私、一度も彼の家へ行ったことがないんです」
アンナは頷いた。
「私は、行ったことがあるわ。まだあの子が少年だった時、モイズとたまに様子を見に行ってたの」
「そうですか。私、彼に〝小屋の中のものは持って行っていい〟と言われてて。悪いんですけどアンナさん、連れて行っていただくことは可能ですか?」
すると、アンナは複雑な笑みを浮かべて言った。
「もちろんよ。……彼がそう言ってたってことは、あなたに持って行って欲しいものがあるのね、きっと」
周囲に、ライナーがいないか確認する。
クロエはアンナに続いて、山奥カフェを出て山を下った。
クロエが以前埋められた穴の地点を過ぎ、更に下を目指す。
鬱蒼とした森の中に、その小屋はあった。
廃校よりも粗末な小屋である。薪が整然と並べられ、軒先に干し肉を作っていた痕跡が見える。
玄関ドアを開けようとしたが、鍵がかかっているのか開かなかった。
アンナが言う。
「いつもここに隠してあったはずよ」
薪をしまっておく簡易な物置の奥深くに手を突っ込むと、彼女は一本の鍵を取り出した。
その鍵を手渡され、クロエは静かに扉の錠前を開ける。
小屋の中に入って、驚いた。
壁一面が本だ。まるで、本棚に囲まれているような部屋である。
そして、部屋の隅に申し訳程度に、椅子とテーブルがちょこんと収まっている。
「わぁ。本が、こんなに……?」
「モイズに一式貰ったんじゃないかしら。今思えば王子様はきっと、ここで知識を蓄えようとしていたのね」
クロエは背表紙を眺めた。
よく分からない難しい本がぎっしりと詰まっている。
「……あの人、勉強熱心だったのね」
クロエはそう言うと、今度は彼の机の上を眺めた。
そこに広げられていたのは、ネマラート王国の家系図と、ヴァルテルミ王宮の間取りを描いた平面図──




