5.誘拐
次の日から、クロエは求職活動に打って出ることにした。
そのためには、アピールポイントになる何かが必要だ。
クロエは早朝からキッチンを借りてクッキーをたくさん焼く。
半分のクッキーは、孤児用に取っておく。
もう半分のクッキーは──
クロエは砂糖に卵白を混ぜ、固さを調整すると、それをコルネ袋にたらたらと詰め、残しておいたクッキーに絞り出して模様を描いて行った。
アイシング・クッキーにするのだ。
クロエの磨いて来た技術の精度が分かるように、レース模様を描いたり文字を詰め込んだりして、色んな模様のクッキーを何種類も作った。
模様が固く定着するまで待つ。
最後に菓子用の缶に詰め、クロエはふんと力強く鼻を鳴らした。
「よしっ、出来た!」
すると、寝ぼけ眼でひょっこりエメが現れた。
「あらあら、早いわね。何を作っているの?」
クロエは缶を開けて見せると、自信ありげに胸を張る。
「求職用の、菓子見本です」
「なるほど!」
「……私の技術を認めて下さる店舗があればいいのですが」
「こんなに素敵なものが作れるんだもの、きっと大丈夫よ。もっと強気で行ってらっしゃい!」
クロエは恩師に背中を押され、缶をポケットに詰めると、覚悟を持って頷いた。
王都アルバレイズには、二通りの菓子店が存在する。
ひとつは〝ラベイユ〟のように従業員を抱える大きな店。
もうひとつは、こじんまりと個人経営をしている店だ。
真ん中はない。王都中心街には大規模店が数軒と、小規模店が無数にあるという状況だった。
(まずは、大規模店から回ってみますか……)
ヴァルテルミ王国は産業化が進んでおらず、植民地もなく、他国と比べて経済力では劣るが、そのぶん農業立国だった。市場はいつも盛況で、周辺国からはド田舎と嘲られながらも、美食の国として知られていた。
お菓子の材料も、他国に輸出するくらいあった。特に小麦と牛乳は、どこよりも安く手に入る。その代わり、砂糖は輸入に頼っている。
クロエは果物の香る市場を通り抜け、大通りへ出た。
今日も、青空を竜が横切って行く。
クロエは空を自由に飛ぶ竜を見上げた。
「いいなぁ。竜があれば、別の町にも求職活動が出来るのに……」
大規模菓子店〝リベリュール〟に辿り着く。
クロエが店頭で求職の旨を伝えると、奥から店主のフィリップが出て来た。
「お、職人志望か?すまんが、うちは採用活動はしてねえんだ」
とりつく島もない。
(駄目か……)
ここはラベイユより古くからある大規模な老舗菓子店だ。致し方ない。
いきなり出鼻をくじかれた形となったが、クロエは挨拶がてら頭を下げた。
「お久しぶりです、フィリップさん。私、ラベイユで働いていたクロエと申します」
「あー!あんた、ラベイユの?どっかで見た顔だと思ったよ。まあ、来たついでにちょっと入って。エルマー亡き今、ラベイユがどうなっているか気になってたんだ」
「は、はい!」
フィリップはエルマーと同世代のパティシエで、葬儀にも祈祷カードを贈ってくれた馴染みの同業者だった。
(そうだわ、話だけでもしておこう。何がどうなって次の職に繋がるかは、未知数だもの)
クロエは応接間に通される。
従業員がやってきて、紅茶を用意してくれた。
フィリップが言う。
「エルマーさんのことは、本当に残念だったな」
「はい……孤児の私にも、本当に良くしてくださいました」
「で?何で、君はラベイユを辞めたんだ?」
「それは……」
クロエは勇気を出して告げた。
「新しく店長になったご子息のライナーさんに、急に解雇されたからです」
フィリップは驚き顔で椅子の背にもたれた。
「えっ?君は六年もやってたじゃないか。なのに、そんな急に……?」
「はい」
「どんな理由で?」
「それは……」
クロエは今までのいきさつを説明した。フィリップは苦笑いする。
「本当なら凄いな。随分と強権的だ」
「私も信じられないのですが、息子さんはそういう方のようです」
「まあ、親子とはいえ、似ていないのは仕方がないのかもしれない。エルマーの離婚当時のことはよく覚えている。確か、奥様が妊娠中の時に別れたんだったかな」
クロエは話の向きが急に変わってどきりとする。
「!……そうでしたか」
「事情は知らんが、奥様がどうしても別れたいとごねたらしい。それで、仕方なくそうしたみたいだ」
「……」
「それから奥様は別の国へ渡り、別の男と家庭を持った。だからライナーがどういった教育を受けたのかは、エルマーは知りようがないだろうな。自分の子を手元で育てられなくて、無念だったろう」
初めて聞く話だ。
(だからエルマーさんは、私たちみたいな孤児を引き取って……)
そう思うと、ちょっと泣けてくる。クロエは目尻を拭った。
「それは……辛かったですね」
「ああ。本当に、そうだな……」
フィリップはそう言うと、ゆっくりと紅茶を飲んだ。
「うちでは雇えないが、内情が分かったので助かったよ。俺も、ライナー君とやらには注意を払っておこう」
クロエが頷くと、フィリップは「ああそうそう」と呟いて、胸元から一枚の名刺を取り出した。
「これは何かの役に立つかもしれない。受け取ってくれ」
クロエは差し出された名刺、両面とも交互に見てみる。
表には
〝製菓組合長 フィリップ・リベリュール〟
とあった。裏には、王都にある菓子店の名前がびっしりと連なっている。
「製菓組合……?」
「おや、知らないのか。ラベイユもこの製菓組合に入っている。裏に店が書いてあるだろう?その店の連中はエルマーを知っているから、きっと力になってくれるはずだよ」
クロエは頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「いや、俺は何もしてねえよ。一応、こういう組合があるって伝えたかっただけだ。変な店主に解雇されたとて、パティシエはひとりじゃない。この街にはこれだけ菓子店がある。せっかく得た技術だ。一度の失敗で、その道を諦めてほしくないと思っただけなんだ」
雇われていなくても、人の輪は広げられる。クロエは嬉しくなった。
「はい、諦めません。他のお店も当たってみます!」
「あのラベイユのパティシエーヌだろう?どっかで雇ってもらえそうだけどなぁ」
「だといいのですが……」
クロエは老舗菓子店〝リベリュール〟をあとにした。
「うーん、次はどこのお店に行こうかな……」
名刺の裏を眺めながら、少女は王都の喧噪の中に再び戻って行った。
クロエは行く先々で職を求めたが、大規模店は現在、どこも採用をしていなかった。
日が落ちたので、とぼとぼと帰路に就く。
「はあ……大規模店は全滅。せっかく焼いたクッキーも、無駄骨だったな……」
しかし、まだ多くの小規模店には可能性が残っている。
「そうよ、まだ希望は捨てない。明日は小規模店を中心に回らなくては!」
王都中心街を離れると、街外れの聖母教会が見えて来る。
クロエが疲れた足で丘を登っていると、周辺でざわざわと聞き慣れない音がした。
「……?」
風は吹いていない。
嫌な予感がする。
クロエは緊張でこわばった足を速めた。
すると、その時だった。
木々の間から急に大きな体の男たちが出て来て、数人ずくでクロエの口を塞いだのだ。
「!?」
何か、奇妙な薬品の香りがする。
意識が落ちて行く──
(だ、誰……か)
クロエは意識を失った。
男たちはクロエを抱えると、暗がりに停めてあった馬車へ彼女を乱暴に押し込んだ。




