47.アデリナの場合
一方その頃、王宮では──
王妃アデリナは目の前に目がチカチカするような大量の豪華なケーキを置かれ、不貞腐れていた。
ケーキはどれも毒味され、片側が欠けている。
そんなケーキなど食べるのも嫌なので、匂いを嗅ぐだけである。
「……違う」
召使が飛んで来て、すぐさまそのケーキは下げられた。
アデリナはため息を吐いた。夫の溺愛ぶりにはほとほと嫌気がさしている。
(ケーキでご機嫌を取ろうだなんて、甘く見られたものだわ)
オディロンは戦争だけ上手なアホだ。女心などひとつも分からず、いつもただアタフタしている間抜けだ。
(ご機嫌を取られたとて、私はあんな男、好きにならないわ)
どんなに飾り立てられたケーキも、ごてごてした装飾をはがしてしまえば中身は似たり寄ったりだ。
目の前のケーキたちのように。
(ああ、やっぱりこの結婚は間違いだったかしら)
アデリナは、もっと若い頃は結婚相手を選べる立場にあった。しかし戦争が長引くと周囲の国は疲弊して行き、彼女の輿入れはいつの間にか遠のいて行った。
婚期を逃すかと思われた中、やっと戦争が終結し、真っ先に名乗りを上げたのがヴァルテルミ国王オディロンだったというわけだ。
戦勝国ということで悪い条件ではなかったし、アデリナも行き遅れの不安がないわけではなかった。結局周囲に勧められるまま彼女はこのヴァルテルミに輿入れしたが、この国は思った以上に田舎であった。
娯楽というものがほとんどない。宮廷楽団はひどいものだし、絵画や舞台などの芸術も見れたものではない。芸術学校の設立も国王に進言したが、なぜか言い訳ばかりされ、実質無視された。
退屈極まりない農業国、それがヴァルテルミである。
また、目の前にケーキが運ばれて来た。
素朴な、何の装飾もないパウンドケーキだ。
(何よこれ……田舎丸出しのケーキじゃない。私を馬鹿にしてるの?)
アデリナはいつものように摘まみ上げて、ケーキの香りをかいだ。
すると。
「……ん?」
とてもいい香りがする。すっと鼻に抜ける、年代物のウィスキーにも似た重たい蜂蜜の香りだった。
しかも、どこかで嗅いだ覚えがある。
「こ、これは……!」
アデリナはフォークも使わず、ひときれのケーキに手でかぶりついた。
優しいバターと、癖のない、けれど重たい蜂蜜の味。ふわふわのスポンジが、山あいのような清々しい空気を抱き込んでいる。
「すごい!こんな美味しいケーキ、食べたことがないわ!」
やにわに周囲の召使たちが騒ぎ始めた。アデリナの心に、再び風が吹き始める。
彼女は目の前の召使を捕まえて言った。
「このケーキが気に入ったわ。ぜひ、このケーキを作ったパティシエを私の元へ呼んでちょうだい」
「はっ。おおせのままに!」
色とりどりのケーキが片付けられて行き、アデリナはうっとりと宙を見上げた。
「私の気分を上げてくれるケーキなんて……あの結婚式のケーキ以来だわ」
経営者が変わって味が落ちてしまったラベイユにはがっかりさせられたアデリナだったが、ようやく新しい店を見つけて心が満ち足りた。
「このケーキを作ったパティシエは、どんな人なのかしら?楽しみだわ」
数日後。
山奥ではモイズがいつものように、犬や馬、羊を連れて山を下りていた。道中で、山の住民から家畜を預かって行く。
ようやく麓のアンナの養蜂場に足を踏み入れると、モイズは何かに気づいて立ち止まった。
アンナの家の前に、誰かいる。
(アンナの追っ手か……?)
実はモイズはアンナと遠縁関係にあり、彼女の不幸な事情を把握していた。
かつて夫の暴力から逃れたが、何度も連れ戻されそうになったアンナをこの地に匿ったのは、モイズだったのだ。
若い男が扉の前で叫んでいる。
「エルマーの息子のライナーです!ここの蜂蜜を買わせてください!」
モイズは木の影に隠れると、耳をそばだてた。
(エルマーさんの、息子……?ほう)
しかしというかやはりというか、アンナは頑なにその扉を開けなかった。
すると──
ガンッ!
突然その男が、扉を蹴り上げたのだ。
モイズはどきりとした。
(!いかんいかん)
アンナは男の暴力にさらされ続けたため、衝撃音を極度に恐れる。扉を固く閉ざしていても、その向こう側ではパニックに陥っている可能性が高い。
モイズは冷静に相手を見極めた。相手は若い男だ、腕っぷしでは勝てない。刺激しないように、または人の視線があるということを示すために、気のいいふりをして探りを入れるのが吉だろう。
モイズは先程のことに気づかなかったふりをして、山を下りて行く。
「お~?何だ、見かけねえ顔だな?」
そう声をかけると、青年ライナーはにっこりとこちらに笑いかけて来た。
「初めまして、王都〝ラベイユ〟のパティシエのライナーと申します」
「ああ、そう」
「こちらの養蜂場の経営者とお知り合いですか?」
「んー、まあね」
「あなたからも、僕に蜂蜜を売ってくれと言ってくれませんか?」
モイズは首を横に振った。
「俺でもそれは無理だと思うぜ。諦めろ」
「協力してくれないんですか?」
「だってあんた、さっきこの家の扉を蹴っていただろう。そんな暴力的な奴に協力なんかできないよ」
するとライナーは「残念」とでも言いたげな表情を作って見せた。
「しかたないですねぇ……」
そう言ったかと思うと、ライナーはいきなり近くにあった養蜂箱を持ち上げた。
「!?」
モイズが呆気に取られていると、ライナーは言った。
「じゃあ、こうするしかないかな」
そしてそのまま養蜂箱を持って行こうとする。モイズは慌てて叫んだ。
「おい!そんなことをするやつは泥棒だぞ!」
「売ってくれないから、こうするしかないんですよ」
「ばっ……馬鹿かおめえ!」
モイズの怒号に反応したのか、羊は散り散りに逃げ、犬はライナー目掛けて走り込んで来た。
犬がライナーの腕に体当たりする。
「……くっ」
ライナーは箱を取り落とした。
「何でだ?いつもいつも、俺の道には邪魔が入る……」
モイズはそんな彼にきっぱりと言った。
「そりゃそうだろ。お前の倫理観はおかしい。誰しもお前の要求に応える義理なんてないぞ」
そして、モイズはアンナの身を案じ、そこから動かないと覚悟を決めた。
その気配を感じ取って、ライナーは舌打ちをした。
「ふん。別の食材を買うまでよ」
ライナーは山を登って行く。モイズはその背中を見ながら、こう考えた。
(……あの男、何をしでかすか分からん)
モイズは草原に羊たちを放すと、踵を返した。
(あの男を監視しなければ)
その時だった。
背後から、青い竜が複数飛んで来るのが見えたのだ。
モイズは顔を上げる。
(何だ?あれは、王族の青い竜……か?)
モイズは嫌な予感がして、早足で歩く。
複数の青い竜は、真っすぐに〝山奥カフェ〟へと向かって行く。




