46.幸せな朝食
竜には乗ったが、クロエはアルベールにしがみついたままガタガタと震えている。
アルベールは何か考え込んでいるように黙っていた。
カルルから降りて廃校に入ると、クロエはむやみやたらと出る涙を拭った。
自分でも、なぜ涙を流しているのか分からなくて混乱している。
(何で?)
その問いも、自分に向けているのかライナーに向けているのか、もはや分からない。
(……怖い)
その感情も、自分の未来に向けているのかライナーに向けているのか分からなかった。
「クエッ」
カルルの鳴き声に、ふとクロエは振り返る。
開け放たれた扉の向こうには、いつもはすぐ飛び去って行くはずのアルベールが、静かに佇んでいた。
月明かりの中、彼の金髪が闇夜に浮かび上がっている。
「……?私は大丈夫だから、もう帰ってもいいよ」
クロエがそう呼びかけると、むしろアルベールはこっちに向かって歩いて来た。
「大丈夫じゃなさそうに見えるけど?」
言い当てられて、クロエの顔が歪んだ。
アルベールが、いたずらっぽく微笑んで両手を広げる。
クロエはそれを合図に駆け出すと、彼の胸に飛び込んでわんわん泣いた。
アルベールの手が、ぎこちなくクロエの背中に触れる。
「ごめん」
アルベールはなぜか謝った。
「君が不安な時期に、不安にさせるようなことしか言えてなくて、本当にごめん」
クロエは余計に泣く。
これではまるで、本当の別れ際のようではないか。
「私に居場所なんて、最初からないの。あなたから奪うつもりもなかった。本当は、私が出て行けばよかった」
「……」
「そうしたらきっと、アルベールはずっとこの山に住んでいてくれるんでしょう?」
「……」
アルベールはそっと体を離した。
「正直に言うよ。俺は追われる身なんだ。だから、クロエを巻き込みたくなかった」
クロエは涙に濡れた目を大きく見開いた。
「俺みたいな奴こそ、本来、最初からこの山に来るべきではなかったはずなんだ」
「……」
「でも今は──クロエに出会うために来たんじゃないかと思ってる」
「アルベール……」
クロエがしゃくりあげたので、アルベールは再びなだめるようにクロエを抱き寄せた。
「あのライナーとかいう奴はまたしつこくクロエを追って来るだろうな。俺はしばらくここで見張ってるよ。いや、あいつを仕留めて埋めた方が早いか──」
「あの……これ以上、罪を重ねるのはやめてください」
アルベールはその言葉を受け、なぜかくすぐったそうに笑った。
「俺は人を殺したこともなければ、罪を犯したこともないよ」
「そうなんですか?」
「まあ……もういいや何でも。そんなことより俺は今、自分よりもクロエを守る方が先なんだ」
そう言うと、アルベールはクロエの髪を愛おしそうに撫でた。
クロエは急に事態が飲み込めて来て、顔を真っ赤にする。
「あ、あの……」
「今日、ここに泊まっていい?」
「!!」
クロエはクラクラしながらも、自分の感情には抗えなかった。
「はい……」
そうぎこちない返事をすると、まるで言い訳がましく彼が言う。
「えーっと、よこしまな気持ちから言ってるんじゃなくて……あのおかしい奴がまたやって来るんじゃないかって、心配なだけなんだよ」
「……」
「本当だって」
クロエは少し疑いの視線を向けながらも、身をよじって彼から体を離した。
「本当ですか?」
「うん」
「じゃあ……こっちへ」
クロエが指差した廃校の奥には、真新しいベッドがある。
さすがにアルベールは後ずさった。
「ちょっ……俺は板間でいいよ。本当に、番人をするだけだから」
「ふふ。あなたならきっとそう言ってくれると思ってました」
「えっ、試してたの?やだなぁ……」
クロエがくつくつと笑ったので、ようやくアルベールは耳まで赤くなった。
「あの……クロエ」
「はい?」
「お互い、負けないように生きよう」
クロエは泣きそうになったが、あえて笑顔を作ってこう言った。
「何を弱気なことを言ってるんですか?私たちは絶対、敵に勝ちます。私もアルベールも、いつかきっと勝てるはずです」
それに対し、アルベールはどこか寂しそうに笑った。
「……だと、いいな」
「あなたの敵も、私が倒しますよ」
「……」
空中にジャブを打ち始めたクロエを、アルベールは笑う。
「心強いよ。お休みクロエ」
「はい!おやすみなさい」
二人は廃校でそれぞれ分かれ、眠りについた。
翌朝クロエが目を覚ますと、すぐそこにアルベールがしゃがみ込んでいた。
「ギャッ!」
クロエが飛び起きると、アルベールはお腹を抱えて笑った。
「あははは、おはよう」
「寝顔……見てましたね?」
「いいじゃんそれぐらい見せてくれても。役得ってやつ」
「もう……」
クロエが真っ赤な顔でベッドから立ち上がると、香しい香りが鼻孔をかすめる。
「あっ、いい香り」
「朝食に、パン粥を用意したよ。食べる?」
「わーい!食べます!」
好きな人に作ってもらう食事。それは、この世で一番美味しい食べ物に違いない。
クロエはキッチンまで来ると、身悶える。
「美味しそう!」
「だろ?牛乳に、胡椒とチーズも入れてみたんだ」
「へー、私も毎日の献立に組み込もうかなぁ」
気持ちの通じ合った二人で食べる朝食。
これがこの世で一番幸せな朝食だ、とクロエは思った。
とろりとミルクに溶けたパンに、チーズの塩味がもったりと絡みつく。
「美味しい……」
「そう?よかった」
「もしかして、アルベールは毎日これを食べてるの?」
「いいや。疲れてる時だけ」
きっと、クロエが疲れているとみなして作ってくれたのだろう。クロエはまた泣けて来た。
「そっか、ありがとう」
「えー?また泣くの?」
「だって……」
幸せだから、という言葉を飲み込む。
以前エルマーが彼に話していたという、〝従業員がいつか家族を持てるように〟という言葉が今になって心に蘇ったが
(この人とは、そうはなれない)
そう考え、クロエは自分から溢れて来る喜びを必死に押し殺していた。




