39.可愛すぎるクロエ
アルベールは、はっきりとこう言った。
「それは言えない。君を危険に晒すことになるから」
クロエは困惑した。が、彼があえて「秘密を抱えていること」を教えてくれたのには、何か意味があると感じた。
クロエは再び彼を見上げる。アルベールの瞳は、嘘をついているわけでも、からかっているわけでもない。至って真剣だった。
「あのう……なぜ私に、山を?」
「好きなんだろ、この山が。だから開業届を出したんだろうし……そんなに好きなら、俺がいなくなった後、やるよ」
クロエは彼のその言葉で、気づいてしまった。
(あっ……)
クロエがこの山を好きな理由。
この山奥にこだわった理由。
「私、確かにこの山を好きになりました。だけど……」
クロエはまっすぐ、アルベールを見上げて言った。
「私がこの山が好きなのは、多分……。アルベール、あなたがいるからなんです。だから山を貰っても、あなたがいなければ……」
そこまで口に出してしまい、クロエは我に返った。
(ぎゃーーーー!!)
クロエは思わず顔を覆う。
心を塞いでいたものが、知らず知らずのうちに一気に溢れてしまった。
アルベールはそれを聞くと急に脂汗をかき、なぜか深刻そうな顔をして押し黙ってしまった。クロエはそれを見て更に慌てふためく。
「すすすすすみません、迷惑でしたよね!」
「……」
「アルベールが忠告してくれたのに、余計なことを言ってあなたを煩わせてしまって……!」
「……」
「今言ったことは、忘れて下さい!」
「……いや」
アルベールは首を横に振る。
「忘れないよ、クロエ」
クロエは真っ赤になった顔を上げた。
「ほ、本当に……?」
「うん」
クロエは、安心して思わずほろりと涙を流した。
「でも、悪いけど……」
やはり予想していたことだが、その先には、聞くのに辛い言葉が待っている。
彼は強い口調で続けた。
「俺に関わったら、絶対、クロエは不幸になる。これはもう、決まっている未来なんだ」
クロエの顔は悲しみにひしゃげた。
「何でですか?そんなことないと思いますけど……」
「だから繰り返し言っている。俺は君を絶対不幸にする。だから、もうこれ以上お互い余計なことを話すのはよそう。君はケーキ屋で、俺は猟師、または運び屋なんだ。これからは、業務上の話しかしないことにしよう。それでいい?」
クロエは絶望しながら、アルベールの瞳を見上げる。
しかし。
「あ……」
クロエは同時に、アルベールの目から一筋の涙が零れるのを見た。
彼は、慌てた様子でごしごしと目をこすった。今度はクロエが深刻な顔になる。
「アルベール、泣いてるの……?」
「……」
「なんで……」
「……」
アルベールは、何かを断ち切るように首を横に振った。
「だって」
「……」
「クロエが可愛すぎるから……」
クロエは、今度は顔を爆発させた。
「へっ!?」
「俺……クロエって自分の可愛さに無自覚だから、すげー嫌い」
「!?」
「山に来ないで町に住んでほしかった。そうしたら、諦められたのに」
「!?」
「何であのごろつきどもも、クロエをわざわざこの山に埋めた?俺の人生で一番の嫌がらせだよこんなのさぁ」
「!?」
クロエは心臓を連続で爆発され、もはや原形をとどめていない。
アルベールは疲れ切った顔で、最後に言った。
「まあ、これが偽らざる気持ちだよ。でも、これで最後だ。俺が君を不幸にする未来は決まっている。だから、明日から俺は、クロエを無視する。悪いけど、そうするしかないんだ」
クロエは悶々としながら、頷いた。
「分かりました……でも」
クロエは少しあざとらしいかと思ったが、彼の顔を覗き込んで言った。
「もう少しだけ、アルベールを好きでいていいですか?」
アルベールの目が、悲しいほどに泳ぐ。
「……勝手にしろ」
「……はい!」
アルベールは振り返ることなく、カルルに乗り込んだ。
いつものように、彼は後腐れなく飛び立って行く。
クロエはその後姿が消えるまで、じっと見つめていた。
布を裁断し、今日買ったばかりの針と糸で縫い合わせて行く。
クロエは蝋燭の明かりの中ちくちくと、布と自身の心臓の破れ目を縫い合わせた。
アルベールには、誰にも言えない秘密がある。
それはクロエにも言えないことで、クロエを不幸にすることらしい。
(秘密って、何だろう?)
アンナのように、何者かに狙われているのかもしれない。クリストフのように、借金から逃げているのかもしれない。または過去に何か悪事を働き、逃亡中なのかもしれない。
〝もしかしたら、俺はこの山からいなくなるかもしれない。その時に、クロエにこの山をあげようと思う〟
いなくなるということは、いつか捕まってしまう、連行されてしまう──そういうことなのだろう。
(だけど私、出来る限りアルベールの力になりたい)
少女の小さな胸は一度張り裂けたが、再び熱く鼓動し始めていた。




