38.山奥カフェ開業
商工会の事務室に入ると、クロエは拍手で迎えられた。
「戻って来てくれましたか!」
「待ってました!」
クロエが困惑していると、シリルがやって来た。
「いいところに来たね。あれから君の作ったケーキが食べたくて、宿屋のカフェに何度も通ったよ」
「あ、ありがとうございます」
「王都のケーキ屋に引けを取らない美味さだ。今や、王都にまで君のケーキの噂が広がっていると聞く」
「へー、そうなんですね」
「会費は15000デニーだ。色々書いてもらわなきゃいけない書類もある」
思ったより高いが、今後何かあった時の保険だ。
クロエは規約を読み込むと、サインをした。
「では早速だがね、クロエの店の名前を教えてくれるかな」
「へっ?」
クロエは思わぬことを尋ねられて衝撃を受けた。
(そ、そういえば……屋号なんて考えたことなかった!)
〝ラベイユ〟のような、気の利いた店名が出て来ない。
クロエが腕組みをして考え出すと、周囲から暖かい笑い声が起こった。
「何だ。まだ決めてなかったのか」
「は、はい……えーっと……」
余り難しくない名前がいいだろう。クロエは言った。
「〝山奥カフェ〟でお願いします!」
「そんな安直な名前でいいの?」
「はい!美味しそうな名前に聞こえませんか?」
「うーん。まあ、田舎で作っていることは分かる名前……かな」
「えー……」
「ははは。まあ、君がそれでいいと言うならこれでいいだろう。これから絶対変えてはならないというわけではないし」
クロエの店の名前が決まった。
山奥カフェ。
山奥からお届けしているので、事実をありていに述べただけの名前と言えよう。
「じゃあ、登録しておくからね。すぐそこの役所で開業手続きを行うといい」
「はい!」
「場合によっては税務署員がやって来ることがある。ちゃんと帳簿をつけておくんだぞ」
「頑張ります!」
クロエは役所内の税務署に行って開業手続きをした。
これで晴れて事業者となる。
「私……独り立ちしちゃった」
製菓材料の仕入れ先を歩き回りながら、クロエは浮き足立つ。
「パウンドケーキだけで、ここまでやれるんだ」
雑貨屋へ砂糖を買いに行こうとした道すがら、手芸店に出会う。
「あ、かわいい」
カラフルな布の数々に吸い寄せられ、クロエはふらふらと店に入った。
「そうだ。ベッドも買ったし、シーツとカバーも作ろうっと」
手芸店に入ると、淡いカラーのコーナーに足を向ける。
「自分の部屋……」
クロエは今まで自分の部屋を持ったことがなかった。教会でもラベイユでも、いつだって〝借り物〟の家具に囲まれていた。だが事業が波に乗って、ようやく部屋を自分の好きな色に染めることが出来るようになったのだ。
クロエはラベンダーカラーの生地と、赤いギンガムチェックの生地を手に取った。
すぐに店主に交渉する。
「これとこれ、ありったけください!」
夕方ごろ、クロエはアルベールとの待ち合わせ場所に向かった。
カルルの隣で、彼が待っている。
クロエはちょっと緊張しながら近づいた。
「猟師さん……」
「遅かったな。行くぞ」
話し方はぶっきらぼうだが、その顔は笑っている。
アルベールは籠の中を覗き込んだ。
「随分買い込んだな」
「はい!布でデュベ《布団》カバーとシーツ、テーブルクロスなどを作ろうかと思いまして……」
するとアルベールは目を剥いた。
「おい、まさかあそこに定住する気かよ!」
「で、今日は開業届も出してきました。廃校の住所で」
「待て待て……!」
アルベールはうなだれる。
「さすがに開業は町でやれ!」
「えー、でも焼いている現場はあの廃校ですし」
「あのさぁ……」
アルベールはどこか覚悟を決めた顔で言った。
「あれは俺の持ち物なんだぞ。かわいそうだから一時的に住まわせてあげてはいるけど、譲渡したわけじゃないからな」
クロエはハッとした。
「た、確かに……!」
「どうすんだよ」
「ど、どうしたらいいですか……?」
アルベールはクロエから荷物を預かると、カルルに括り付けた。
「えーっと……どうすっかな?ちょっと考えさせて」
二人で竜に乗り込む。
クロエは急に不安になって来た。
(そうよね。住んでいいとは言われたけど、開業届を出していいとまでは言われてなかった……)
あちらの厚意に甘えすぎて、事前の確認が足りていなかった。
(もしかしたら、嫌われたかも……)
クロエの不安はどんどん大きくなって行く。
一方、アルベールは何か考え事をするように沈黙している。
廃校の前に辿り着いた。
アルベールがカルルから荷物をおろし、クロエは受け取った。
彼がこっちをまっすぐ見据え、何か言おうとしている。クロエは緊張しながら待った。
「正直な話をすると……クロエは別にずっと、あそこに住んでてもいいよ」
クロエはほっとした。
「ありがとうございます!」
「でも、ひとつだけ。もしかしたら、俺はこの山からいなくなるかもしれない。その時には──クロエにこの山ごとあげようと思う」
「……え?」
突然の申し出に、クロエはぽかんとアルベールを見上げた。彼は深刻な顔をして言う。
「俺は、誰にも言えない秘密を抱えている。クロエにはまだ、その秘密は明かしていない」
クロエの胸の鼓動は激しさを増して行く。
アルベールは続けた。
「誰にも言っていない秘密だ。もしそれが明るみに出たら、俺はこの山にはいられなくなるだろう」
クロエは勇気を出して尋ねた。
「アルベールの抱える秘密って……どんな秘密なんですか……?」




