34.紅茶のパウンドケーキ
「今からクリストフさんの卵でパウンドケーキを作りますから、どうぞそこにおかけになってください」
クロエは教室の小さな椅子を差し出すと、クリストフを座らせた。
そうしてパウンド型を拭き上げていると、彼はリュックからごそごそと何かを取り出した。
「おう、これ……」
テーブルの上に並べられたのは、卵と──紅茶だった。
「クリストフさん、これは……」
「紅茶だよ、見りゃ分かんだろ」
「は、はあ……」
「これを細かくしてケーキに入れて焼くとうめえんだよ!」
「……」
確かに、クロエは紅茶のパウンドケーキを〝ラベイユ〟でも作っていた。
「紅茶ケーキは、ラベイユでも人気商品でした」
「そうだろ?何せ、エルマーさんが最初にくれたのがこのケーキだったからな」
クロエは、小麦粉をふるいにかけながら話を聞く。
「そうだったんですか」
「エルマーさんは、いつもうちの卵を買って行った。この世界でうちが一番美味しい卵をつくっているもんで」
大した自信である。クロエは、クリストフの自信の根拠を聞きたいと思う。
「世界一の卵なんですか?」
「おうよ。何せ、うちはエサからこだわって作っている。企業秘密だからあんまり言えないが、赤い野菜と──海藻を何種類もエサに混ぜ込んでいるんだ」
「へー!」
「海藻は、この国では使い出がないらしいな?俺のいた国では、よくスープやサラダに入れて食べたもんだ。家畜にも食わせていたよ、肉や卵にコクが出るからな」
クリストフはそう言うと、クロエの目の前に卵をずいと出した。
「ほら、ひとつやるよ。割って見ろ」
クロエはボウルの中に差し出された卵を割って見た。
ぽてん、と生卵が入る。
クロエは目を見開いた。
なんと卵の黄身が、黄色ではなくほぼ赤色だったのだ。
そして透明な白身がこんもりと分厚く黄身の周囲を覆っている。まるでゼリーのような分厚い白身だ。
「そうだわ。この卵、見覚えがある!」
「はっはっは。思い出せ、ラベイユのケーキはプレーンでもかなり黄色かっただろう」
「確かに、今こうして見ると町の養鶏場のものとは全然違いますね」
確かに、町の卵より山の卵の方が粘度が濃い。
クロエはボウルに牛乳と小麦粉を混ぜ込んだ。
紅茶をすり鉢でさらに潰すと、さらさらとケーキ生地に流し込む。
クロエがケーキ型をオーブンに押し込むと、クリストフが言った。
「焼き上がるまでに紅茶を淹れるぞ。湯を沸かせ」
いちいち命令口調なのが癪に障るが、クロエも紅茶が飲みたかったので文句をぐっと堪えた。
オーブンの上に鍋を置き、湯を沸かす。
そこに紅茶を投入すると、爽やかな茶葉の香りが広がった。
「わぁ……いい香り」
「この紅茶は最高ランクの輸入品だ。珍しいものだから、ありがたく飲めよ」
ひしゃげたカップに茶こしを被せ、紅茶を淹れる。
「この紅茶、どこで手に入れたんですか?」
「月に一回、海藻を仕入れに港へ行くんだよ。その港で買う」
「へー」
「山の中で飲む紅茶は、最高の味がするんだ。おい、外へ出て飲もうぜ」
そう言うと、クリストフはさっさと椅子を持って外へ出てしまった。
クロエも椅子を持って外へ出る。
空き箱をひっくり返し、そこにひしゃげたカップを置く。
森のそよかぜが紅茶の間を吹き抜け、遠くに山が連なって見える。
クロエが椅子に座って紅茶を飲むと、確かに室内より味わいがくっきりと立ち上がった。
「確かに木々の中で飲むと、全然違いますね」
「この楽しみ方を知っているのと知らないのとで、人生は変わるぜ」
「私も欲しいです、紅茶」
「紅茶もいいが、コーヒーもいいのがあるぞ。港には焙煎上手な老人がいてな……」
「港かぁ……行ってみたいものですね」
しばらくすると、パウンドケーキの香ばしい香りが漂って来る。
クロエは廃校に戻ってオーブンを開ける。すっかり焼き上がって、紅茶と卵の濃厚な香りを漂わせていた。
クロエは衝撃を受ける。
「この香り、ラベイユで嗅いだものと同じ……!」
ラベイユのお菓子の美味しさの秘密が、またひとつ解けた。
「この卵がラベイユの味を支えていたのね」
切り分けると、思ったよりも黄色い断面がのぞいた。クロエは皿に乗せると、外の簡易テーブルにそうっと置いた。
「紅茶のパウンドケーキ、焼けましたよ。お口に合うかどうか」
クリストフは生返事すると、手づかみでぱくりと食べた。
「おっ、うめえ」
そしてそのまま、がっつくようにぺろりと平らげてしまった。クロエはぽかんとする。
「お、おいしかったですか?」
「そりゃそうだよ。俺の育てた卵を使っているんだからな」
「そうですか……」
「クロエがさっきまで作っていたものも、まあまあ美味しかったよ?だが、めちゃくちゃ惜しいケーキだった。あれじゃあエルマーさんも浮かばれねえよ。だからすっとんで来たんだ」
クロエは、ようやく褒められてほっとした。
「マズいわけじゃなかったんですね?」
「エルマーさんと比べると、どうしても美味しくなかったもんでな。でも、あんたからはエルマーさんと同じ性質を感じたんだ」
「?」
「クロエもエルマーさんも商売っ気がないし、誰かと〝契約する〟というよりは〝友達になろうとしている〟んだよな。我欲がない。俺みたいな小汚ねぇオッサン、モイズみたいな怪しげなオッサン、アンナみたいな不愛想なオバサンにも壁を作らず接している。クロエのそういうところ、エルマーさんにそっくりだぜ」
クロエはくすりと笑った。
孤児に対しても全く平等に接してくれた、店主のことを思い出したのだ。
「私も、エルマーさんを尊敬しています」
「いい師匠に当たったんだから、いい素材を使わないとせっかくの腕が勿体ないぞ?」
クロエは笑いながら、そっと目尻の涙を拭った。
空を見上げると、遠くから青い竜が飛んで来る──




