31.誰かと作るお菓子
「エルマーさんが、ギヴァルシュを……?」
クロエが尋ねると、アンナは頷いた。
「私のところにはね、あの蜂蜜で商売をしたくて声をかけて来る人がたくさんいるの。今まで色んなお菓子屋さんから取引したいとたくさん豪華なお菓子を渡されたけど、どれも何だか〝商売の味〟がして嫌だった。私の丹精込めた蜂蜜を、お金儲けの道具にしたいと言われている気がして。でも……」
アンナは何かを思い出すように空中を見上げた。
「エルマーさんからは、なぜかそういう感じを受けなかったの。まるで幸せのおすそ分けみたいに、ギヴァルシュをくれたのよ。〝モイズさんから教えて貰った郷土のお菓子〟だって言って。……私はそれを、〝蜂蜜を売ってくれ〟ではなく、〝お友達になろう〟って言われているような気がしたの。だから、ついエルマーさんとの取引に応じてしまったのよ」
クロエは思わず吹き出した。
「私、まさか師匠と同じことをアンナさんに……」
「だからびっくりしたわ。そして、食べてみたらやっぱりエルマーさんが作ったのと同じ味のギヴァルシュだったのよ。私、それであなたをようやく信じられた。何だか不思議な縁を感じて」
郷土のお菓子は彼女にとって、思い出のお菓子だったのだ。そのお菓子を口に運ぶたびに、幸せだった日々や、親しかった人物の記憶が蘇る──
お菓子が持つ、もうひとつの側面だ。記憶と紐づいている味。誰もが、そういった味を知っている。
クロエはアンナに言った。
「まだ、うちにナッツもありますし……よろしければ、私と一緒に一番の思い出の〝ギヴァルシュ〟を作って行きませんか?」
アンナはハッと顔を上げた。
「いいんですか?」
「はい!ナッツはまだありますので」
クロエはそう言うと、鍋を用意した。
蜂蜜と砂糖を入れる。かき混ぜて、一度アンナに味見してもらう。
「……どうですか?」
「ええっとね……確か、もっと塩分が入っていたわ」
「そうですか。少しずつ入れてみましょう」
蜂蜜と砂糖と塩。それを混ぜて、また味見をする。
「もっと、塩……」
混ぜながら、アンナはようやく微笑んだ。
「ああ、これぐらいでいいわ」
「火にかけましょう」
かまどを熱している間、アンナはナッツを細かく砕く。
「……ずいぶん細かく砕くんですね?」
「私の住んでいる地域では、こうしていたの。ブレニッツのものは、ごろごろしているそうだけど……私の記憶の中のギヴァルシュは、ちょっとこう……食べやすいように、棒状なの」
鍋をかまどの上に置き、蜂蜜と砂糖と塩をかき混ぜる。溶けたところに、刻んだナッツを入れた。
温まったら、スプーンで鉄板の上にとろんと乗せる。
「棒状に垂らして……冷えたら、またこっちの最初の列へ戻って重ねていくの。ね、ちょっと棒状に見えるでしょう?」
アンナは先程とはうって変わって、少女のような笑顔を見せた。
「冷えたら、完成ね!」
「ふふっ、そうですね」
冷え固まると、アンナは鉄板から大事にひとつずつ剥がして行った。
紙で簡易な袋を作り、ギヴァルシュを入れる。
「ありがとう、クロエ。少しずつ大事に食べることにするわ」
「アンナさんも、蜂蜜ありがとうございました!」
アンナはランタンに火をともすと、慣れた様子で山を下りて行った。
次の日の朝。
クロエは早朝からパウンドケーキを焼いた。
型から外し冷やす間、クロエはアンナの置いて行った蜂蜜の瓶を眺めた。
アンナの蜂蜜は日を浴び、琥珀色に光って美しい。
「……これは、一番いいお菓子を作る日のために取っておこう」
クロエは戸棚に蜂蜜をしまい込んだ。
戸が叩かれる。
「おーい。迎えに来たぞ」
アルベールの声だ。クロエはケーキをかごに入れると、扉を開けた。
「早く行こう。また、運ばなきゃいけない人がいるんだ」
クロエはせかされながら、いそいそとカルルの背中に乗る。
ブレニッツに到着すると、クロエは目を疑った。
宿の前に、既に列が出来ていたのだ。
(うそ……)
正直、このパウンドケーキの数では、この列の全員には行き渡らないだろう。
アルベールが「がんばれよ!」と肩を叩いて去って行く。
クロエが裏手から厨房に入ると、既にコレットが浮かない表情をしていた。
「はー……ランチの時間まで浸食され始めたわよ」
クロエは陳謝した。
「すみません……」
「謝らなくていい。うちも儲かれば嬉しいし……まずは、ケーキを値上げしましょう。都会の人が多いみたいだから、もっとふっかけてもいいわよ」
「そうですね」
「あとは、量と場所だよね。うちだけじゃなくて、もっと別の場所に置いても売れるかもしれないよ」
お菓子を売るのに宿屋を利用したことで、思ったより急速に、広範囲に噂が回ってしまったようだ。
そのおかげで、商機の範囲が大幅に増えたことになる。これはチャンスだ。
クロエは言った。
「ケーキセットの値段を300デニーにしましょう。パウンドケーキは一本1500デニーに値上げします」
「オッケー」
「で、これは相談なんですが……猟師さんにケーキを運んでもらうので、もう私はここには来ず、山の窯に貼りついていてもいいですか?それなら、もっと増産が可能なんです」
「本当!?そうしてくれると、助かるよ。私、ガンガン売るからさぁ」
これで金策はどうにかなりそうだ。クロエは嬉しくなった。
(これで、山暮らしが続けられる)
町へ降りなくても商売は続けられる。新たな道筋が出来たことで、クロエの可能性がまたひとつ広がった。
(あとは、あの山のみんなと仲良くなりたいな……)
アンナがお菓子をきっかけに心の内を明かしてくれたことは、クロエにとって、とても嬉しいことだった。
(そうしたら、もっと美味しいお菓子が作れる気がする)
パティシエールの腕も、一生を賭けて上げて行きたい。
素材選びにも、こだわりたい。
クロエは言った。
「じゃあ、今度からお代は猟師さんに渡して下さい。私、ケーキをもっと焼きます」
「助かるわ~」
「では、今日はこれで失礼します」
「また町に来る時は、うちにおいで。サービスするよ」
「はい!」
クロエは軽い足取りで宿屋を出た。
「よし……パウンド型を買い増ししなきゃ。クッキー型も……ドライフルーツも!」




