29.ライナーの本当の父親
ライナーはその時、ようやく気がついた。
「そう言われてみれば……父は、なぜ材料の仕入れ先を書き残さなかったんだ?」
ブリスは首を横に振る。
「それは俺にも分からない。だが、何となく……書き残してはいけない事情があったんじゃないだろうか」
「事情……」
「だって、普通はどこかに記録を取ってあるはずだからな。しかし、手元に残っているのは〝小麦粉〟〝卵〟などの材料名だけ」
「……」
ライナーは、よくやく尻に火がついた。
「よし、明日からは材料の在りかを探すぞ」
「それがいい。とりあえず、俺たちは明日も今までの材料で菓子を作る。ライナーは、材料の見直しをしてくれ」
「分かった。はあ、……ちょっと疲れたな」
「あんなことがあった後だからな」
ライナーはぐったりと椅子に座り込んだ。苛立ち紛れに頭を掻きむしっていると、厨房の勝手口からドンドンと音がする。
「……何だ!?」
すると衛兵が二人ほどやって来て、武器を構えながら勝手口を開けた。
戸の向こうには──ひとりの、赤い髪の男が立っていた。
ライナーは驚いて立ち上がる。
「……アントンじゃないか」
ブリスは尋ねた。
「知り合い?」
「……育ての父だ」
それを聞くと、衛兵は取り押さえるのをやめた。ライナーは男に言い含める。
「前も言った。俺はひとりで生きていく……二度と目の前に現れるな」
しかし、アントンは意に介していない。
「エルマーの跡を継いだんだろう?王都まで見に行ったよ、大きないい店だった。だからちょっとぐらい金をくれてもいいじゃないか」
「……しつこい。お前は俺の父親なんかじゃない!」
ブリスは、口には出さないがこう思った。
(この二人……近くで見ると、声も顔もそっくりだが……?)
衛兵も、困惑気味に話を聞いている。アントンは酒に酔っているらしく、にやにやと奇怪な笑みを浮かべたままこう言った。
「ふん。お前は認めたがらないがな、お前の本当の父親は俺なんだ。エルマーはお前の母親に最後まで騙されていた可哀想なじじいさ」
それを聞いていたブリス、ローズ、ドミニクは総毛立つ。ライナーは怒りを露にした。
「違うっ!俺の父親はエルマーだ!お前なんかじゃない!」
「俺も認めないぜ。だって、そっちの方が都合がいい。王室御用達の店だ、儲かってしょうがないはず……だからほら、黙っていてほしければ早く俺に金を寄越すんだ」
それを聞いて、ライナーは顔を真っ赤にしたまま口をぱくぱくと動かした。
つい先ほど、王室御用達の名は剥奪されたのだ。
三人の従業員は、呆れた様子でライナーを白眼視した。
(こいつら……家族全員で、エルマーさんを騙していたのか?)
(金の無心しかしない父親、か……。そりゃ、ライナーはエルマーさんの子だって、事実を捻じ曲げてでも信じたいわけだ)
(エルマーさんの奥様は、エルマーさんと婚姻中にこの男の子どもを妊娠していたの?この男も大概だけど、母親もひどいわね)
そして、従業員三人は同時に同じことを思った。
(ライナーは信用ならない。ここではもう、働けない)
この瞬間、ライナーは全てを失った。
彼だけが、その事実に気付いていない。
衛兵がライナーに尋ねた。
「……どうされますか?」
「こいつは城外に連れて行け。俺の父親である証拠は一切ない」
「かしこまりました」
衛兵たちはアントンの両腕を掴むと、勝手口から外へ押し出した。
また何やら罵詈雑言が降って来たが、ライナーは慣れっこらしく平静を保っている。
彼らの作った菓子は、夜遅くまで王宮の厨房の中で焼かれ続けた。
次の日。
〝ラベイユ〟の面々は早朝に王宮から引き上げた。
ライナーが事務室に入ってからしばらくすると、従業員三名は何かを書きつけた紙を持って降りて来る。
不思議に思っていると、ライナーの目の前にバン!と紙が叩きつけられた。
「辞めます」
従業員の声が揃う。みるみるライナーは青くなった。
「……え?」
ローズが言う。
「もう決めました。私はラベイユを辞めます」
ドミニクが言う。
「エルマーさんの息子さんのためにと頑張ってみたけど、昨日の茶番を見ちまうと、もう無理だ」
ブリスが言う。
「この店に未来はない。みんなで辞めることにしたんだ」
ライナーは怒りに任せて立ち上がった。
「急に仕事を投げ出すのか?無責任だぞ!」
「どの口が言う?従業員を急に解雇していたお前が」
「……あ、あれは仕方なく」
「言い訳は聞き飽きたぜ。本当の父親はあのアントンとかいうおっさんで、店の売り上げは大幅ダウン、仕入れ先も探し出せず……いや、仕入れ先が名乗り出なかったところを見るに、やっぱり取引先からお前は不信感を抱かれたんだろう。全部あんたの撒いた種だ」
「だから、アントンは育ての父で……!」
彼の言葉を聞く人間は、もういない。
三人は彼の言葉を待たず、すぐに荷物を持って出て行く。
ライナーには、大きながらんどうの店だけが残された。
それから──
〝ラベイユ〟の扉を、こじ開ける音がする。
「ライナー、いるか?」
三人の従業員と入れ違いに、アントンが入って来た。
「次の住まいはここかぁ……へへへ」
ライナーは力づくで父親を押し出した。扉に鍵をかけると、尚もしつこくドアがノックされる。
「ライナー!開けろ、ライナー!」
(誰か……助けてくれ)
ライナーは、ドアに背をもたれてへなへなとしゃがみこんだ。
(こんなはずじゃなかったのに……)
一度地の底まで落ちると、ライナーはむしろふつふつと怒りが湧いて来た。
(クソッ。なぜ、父は食材の取引先を秘匿したんだ?)
きっと、何か理由があるはずだ。
そう考えると、ライナーは再び腰を上げた。
「店は一時休止だ。とにかく出来るだけ早く、エルマーの取引先を探し出さなければならない……!」
一方その頃、クロエは──




