25.増産決定
クロエは、ブレニッツの町で生活する自分を想像してみた。
何だかあまり気乗りがしない。
(なぜだろう……?商売をするなら、山奥よりも町の方がいいなんて、分かり切ったことなのに)
クロエは山を見た。
エルマーが愛してやまなかった山。
(あそこには、いいものがたくさんあるのよね)
あの朝の、青くて柔らかい風。
町を見下ろしながら滑空する、カルルの背中で感じる浮遊感。
それから──アルベールがクロエの未来を話し始める時の、真剣なエメラルドグリーンの眼差し。
(……ん?)
クロエは一瞬、混乱した。
(私……何で今、あの目を思い出したんだろう?)
彼の目には、何かクロエがこれから歩むべき方向性、そのヒントが隠れているようだった。
クロエは考えた。
(そうか。私は──人と繋がりたいけど、誰とでも繋がりたいわけじゃない。私のことをより深く知ってくれる人、知ろうとする人と出会いたいんだ)
クロエはコレットよりも、アルベールの方が好きだった。
それはやはり、コレットがお菓子だけを見ているのに対し、彼はクロエ自身、またはその背景のエルマーを見ているからなのだろう。
そこまで考えると、クロエはパウンドケーキを切り分けながらコレットに言った。
「私……しばらくは、山で生活します。あっちの方が、自分の性に合っているわ」
コレットはコーヒーを挽きながら、肩をすくめる。
「すごくお菓子作りが上手なのに、商売っ気がない子だねぇ」
「ふふふ。お菓子作りが上手すぎるから、焦っていないだけです」
「ははは!強気でいいね」
ランチタイムが終わると、すぐにケーキセットを求める人で溢れ返った。
キッチンから覗いて意外に感じたのは、入店して来たのが都会的な格好の人々だったということだ。
皆、メニュー表を見ては口々に「安い安い」と騒ぎ立てている。
(ん?客層が昨日と変わったような……)
そして、すぐにこんな注文が入る。
「すみません、パウンドケーキを二本ください」
すぐに現品が二本売れてしまったのだ。これではケーキセットが間に合わない。
コレットが慌てて言った。
「どうしよう?これじゃ、ケーキセットがいつもより作れないよ」
「うーん。残りはギヴァルシュの残りで対応しましょう」
「噂の回り方がずいぶん早いね。都会からの客が増えているみたいだ」
自分の腕を信じていたことは確かだが、ここまで人気になるとは思わなかった。
(宿屋のカフェタイムだけを続けてればいいわけじゃない──持ち帰りたい人へ、販売用に何本も作っておく必要があるわね)
一時間後。
あっという間にケーキセットがはけてしまい、コレットは頭を抱えた。
「あー……クロエ、増産は難しそう?」
「はい。焼ける時間は日の出ている内と限られていて、持っているオーブンはひとつしかないので」
「そっかあ~」
「ちょっと、増産方法を考えてみます」
キッチンから出ると、明らかに不満そうな客の視線を感じる。
クロエは肩を落とした。
(これは……ひとりでは解決できない問題だわ)
そこで相談できるのは、彼しかいまい。
「それなら、クロエはケーキだけを作っていればいい」
アルベールはそう言って、宿屋の裏手でカルルにいくつか荷物を載せた。
クロエの目が点になる。
「ケーキだけを作る……?」
「そこまで評判になれば、クロエはここまで来る必要がなくなったということだ。放っておいても、コレットに任せれば売れるんだからな」
「確かに!」
「クロエはオーブンの前に張りついて、ケーキを増産していればいい」
そうすれば、しばらくオーブンを増やす必要はないだろう。懸案がひとつ解決した。
「でも……運ぶには、どうしたら」
アルベールは自らを指さした。
「俺が運ぶよ」
「本当!?やったあ」
「もちろんお代はいただく。出世したもんな?」
確かに、ケーキがもっと売れればアルベールの貸しも返せるだろう。
クロエは何度も頷いた。
「ありがとう!」
「あとは、もっと値上げしてもいいんじゃないか?ここから見ている限り、どうも都会の人間が噂をききつけてわざわざ来ているみたいだからな」
確かに、客は口々に「安い」と話していた。
「そうですね。コレットさんに相談してみます」
「それに軍資金が溜まったら、山を下りて店を開いてもいいし」
クロエは、そう言われると急に気持ちがしぼんで行った。
「山を、降りる……」
「町でケーキを焼いた方が効率がいいだろ」
「……」
クロエは、町よりも山に帰りたかった。
アルベールの瞳がクロエを見下ろす。
「何か言いたそうだな」
「私……山の方が好き。この町で暮らす気はないの」
「ふーん?ま、どっちでもいいけど……それはクロエの自由だ」
「ねえ、猟師さん。エルマーさんはカルルを借りていたそうだけど、山で何をしていたのかしら?」
アルベールは簡潔に答えた。
「エルマーさんは、決まった曜日の決まった時間に、馬でここの町まで来るんだよ。俺はここで待っていて、カルルを貸す。エルマーさんは飛び回って食材を回収し、またここに戻って来る。馬車に荷物を積んで、王都に帰るのさ」
「なるほど……」
「だから、エルマーさんがあの山で何をしていたのか、具体的なところは俺にも分からないよ。ただ、行きは手ぶらで、帰りには色々材料を持って帰ってきている──という光景だけは見てきた」
「そう。きっとエルマーさんも、あの山が好きだったのね」
クロエは、エルマーがこの山の素材にこだわった気持ちが分かる気がした。
都会にはない魅力が、あの山にある。
「さあ、稼いだことだし山へ帰ろう」
二人は夕暮れの中を竜に乗って飛んで行く。
帰宅後。
暗い廃校の中で、クロエは燭台に火をともす。
そして、紙とペンを持って計算を始めた。
「新商品も作ってみたいな。でもこの材料を使うなら、もっと高い値段をつけないと──」
収支の計算は、悩ましい。
「余剰金が出るようにしないと、商売にならないし」
これからの自分について、頭の中は堂々巡りを繰り返す。
「はあ……前途多難だわ」
ひとりごちていると、戸が叩かれた。
クロエはどきりとして顔を上げる。
もう一度、戸が叩かれる。
間違いない。
(誰かが……うちの前にいる!)
こんな夜中に、誰だろう。開けた先にまたあのごろつき共がいたら、腕力で敵わない。
クロエが立てかけてある猟銃を手に取り声を押し殺していると、戸の向こう側からか細い声がした。
「……アンナです」
クロエはそれを聞くや、銃を捨てて大急ぎで戸を開けた。
そこには、どこか怯えた表情のアンナが佇んでいた。
一方その頃、王都のライナーは──




